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古棋探訪  作者: 稲葉孝太郎
飛車先は突けるか?
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居飛車の誕生2:初代宗看vs松本紹尊

 さて、いよいよ初代宗看と松本紹尊の両名による居飛車の開発を見ていくわけだが、その前に、いくつかの予備知識をまとめておく。初代宗看と松本紹尊の30番勝負は、以前、囲碁界から派遣された紹尊と初代宗看の争い将棋であると理解されていた。しかし現在では、松本紹尊はおそらく初代宗看の兄弟弟子であり、研究会のようなものであったと推測する者が多い。筆者もこの見解に賛成であり、以下、この30番勝負を、ふたりの研究会と位置づける。研究会のやり方は単純で、数日おきに申し合わせて、1日1〜2局指すという形式だ(1日に2局も指している時点で、真面目な争い将棋ではないことが分かる)。

 この研究会は、寛永14年(1638年)に開始されたので、寛永研究会と呼ぶことにしたい。現在に通じる居飛車の骨組みは、この寛永研究会で検討され、後の世代に引き継がれたものと、筆者は考えている。とりあえず、順番に見ていこう。寛永研究会の開始は1638年3月4日、第1局は乱戦なので、第2局から取り上げる。先手は初代宗看。初手から、7六歩、3四歩、6六歩、6二銀、7八銀、5四歩、5六歩、5三銀、6七銀、7四歩、4八銀、6四歩、5七銀、3二銀、7七角、4四歩、4六歩、4三銀、3六歩、8四歩(ようやく飛車先)、5八金左、5二金右、4七金、4二玉、7八飛。


挿絵(By みてみん)


 先手三間の出だしである。中央に銀を集めているのが、この時代の特徴。以下、3二玉、4八玉、9四歩、9六歩、1四歩、1六歩と端を突き合って、7三桂。

 

挿絵(By みてみん)


 飛車先不詰め7三桂戦法である。ここから8五桂と跳ねれば、いわゆる3七桂〜2五桂戦法(後手番なので7三桂〜8五桂戦法)だが、いきなり松本紹尊の趣向が飛び出す。先手初代宗看の3八玉に、6五歩と突くのがそれだ。

 

挿絵(By みてみん)


 4五歩早仕掛けの類似型だが、銀の配置が異なっている。現代ならば、右銀は5三ではなく6二にいる局面である。

 やや憶測になるが、前回も書いたように、初代宗看はおそらく、飛車先不詰め3七桂〜2五桂戦法を、優秀ではないと思っていたのだろう。寛永研究会においては、この3七桂〜2五桂戦法(当時としては定跡である)に代わる、新しい対振り飛車戦法の開発がメインとなる。その第一弾が、この3七桂〜4五歩戦法だ。

 初代宗看も、同歩は同桂でまずいと考えたのだろう、放置して3七桂と跳ねた。このあたりの機敏さは、さすがと言う他ない。

 現在ならば、6六歩と取り込みたくなるが、6筋には銀2枚が利いているので、仕掛けが成立するかは、疑問である。また、17世紀〜18世紀初頭にかけては、「居飛車は桂頭が弱いので、そこを守らなくてはいけない」という定説があったらしく、本譜でも、6六歩とは取り込まずに、6三金と上がっている。

 

挿絵(By みてみん)


 以下、2八玉、4二金、3八金、6四金、4五歩、同歩、同桂、4四銀、4六歩、8一飛に8六角と出て、6一飛の展開。

 

挿絵(By みてみん)


 右四間棒金のような形から、左辺の攻防が始まり、松本の勝ち。3七桂〜4五歩戦法の勝利となるわけだが、これが居飛車の戦法とは言いにくい点に注意していただきたい。前回も述べたように、居飛車が誕生するためには、飛車先を破ることが潜在的に可能であると証明されねばならない。本譜は3七桂〜2五桂戦法の派生型であるから、この要件が満たされていないのである。

 第3局は、同年3月11日に行われ、ここでも松本紹尊が趣向を見せる。先手松本紹尊の初手7六歩から、3四歩、4八銀、4四歩、5六歩、5四歩、4六歩、3二銀、3六歩、4三銀、5七銀、6二銀、7八銀、5三銀、6六歩、6四歩、6七銀、7四歩、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩、2六歩、3三角、5八金右、3二飛。

 

挿絵(By みてみん)


 再び三間に振る初代宗看。もしかすると、「前回の局面の再検討」という、申し合わせがあったのかもしれない。以下、6八玉、6二玉、7八玉、7二玉、3七桂、5二金左と、似たような進行が続く。ここで、松本の新趣向、2五歩。

 

挿絵(By みてみん)


 飛車先を詰めて、3七桂〜2五桂戦法を放棄。推測になるが、松本はおそらく、「前回は2四角の出があったから、それを消しておこう。どうせ4五歩から攻めるなら、2六で止めておく必要ないし」と思ったのではないか。

 このままでは4五歩と先攻されるのが分かっているので、初代宗看も1五歩と仕掛ける。以下、同歩に3五歩。

 

挿絵(By みてみん)


 まだ十分に調査できているわけではないが、この1五歩〜3五歩の桂頭狙いは、右香落ち定跡の応用と思われる。その証拠に、ここで右香落ち定跡の一手、2六飛が飛び出す。

 

挿絵(By みてみん)


 これが、50年後に対振り飛車主流戦法となる、3七桂〜2六飛である。松本紹尊の序盤感覚には、相当なものがあったらしい。とはいえ、右香落ち戦を応用して、桂頭攻めを試みた初代宗看も、さすがと言わざるをえない。

 以下、3四銀、6五歩、7三桂、6四歩、同銀に4五歩。前回は飛車先不詰め型、今回は飛車先詰め型で、研究会の醍醐味が存分に出ている形だ。結果は、松本紹尊が押し切って勝ち。但し、ひとつだけ注目に値する点として、本譜では、2四歩と最後まで突かない。したがって、松本紹尊は、2筋の攻めを考えていなかったことが分かる。要するに、松本の感覚としては、「飛車先は攻めるものではない」ということなのだ。2五歩と突いたのも、2四の角出を防止する以外、特に意図はなかったのだろう。

 1局指して満足したのか、それとも検討に余程時間を掛けたのか、第4局は3月13日に延期された。初代宗看が先手となり、初手から7六歩、3四歩、6六歩、6二銀、7八銀、5四歩、5六歩、6四歩、6七銀、7四歩、4八銀、5三銀、5七銀、3二銀、4六歩、4四歩、3六歩、4三銀、9六歩、9四歩、1六歩、1四歩、7八飛。

 

挿絵(By みてみん)


 またまた三間にする初代宗看。これに対して、松本は一旦、7二飛と合わせる。以下、4八玉、4二玉、3八玉、3二玉、5八金左、5二金右、4七金、8四歩、3七桂、8五歩と8筋を突き越して、2八玉に8二飛と戻る。以下、7七角の受けに、4二金直、3八金、6三金、2六歩、7三桂。

 

挿絵(By みてみん)


 お分かりいただけただろうか。本譜、途中で7二飛と寄った以外は、第2局および第3局の混合なのである。すなわち、飛車先を詰めての6三金型だ(第2局では、飛車先を詰めないで6三金型、第3局では、飛車先を詰めての8四飛型)。おそらく松本は、「浮き飛車だとやっぱり受けにくいから、6三金とがっちり守って、さらに8五歩と突き越せば、8六角出も押さえられて、安全に6五歩と突ける」と考えたのだろう。ここまでくると、指す戦法をあらかじめ用意していたとしか、思えない。少なくとも、第2局と第3局を踏まえた上で第4局を指そうという計画性が、研究会の趣旨としてあったのだろう。

 さて、こうなると困るのは、初代宗看の方である、先手陣は飽和していて、指す手がないのだ(7二飛〜8二飛の手損が、逆に活きている格好)。仕方なくの4八銀に、松本は6五歩と仕掛ける。同歩、同桂、6八角、6六歩、同銀、4五歩、6七歩、6六角、同歩、6七銀と、後手の猛攻が始まった。9八飛、6八銀成、4五桂、6七成銀、5三桂成、同金寄、6五歩。ここで現代人ならば、すぐに見える手がある。というより、もっと早く入れていてもいい手がある。8六歩が、それだ。

 

挿絵(By みてみん)


 なんと、飛車先の攻めを敢行したのである。タイミングからして、この手自体は、9八飛を見てから思いついたものであろう。最初から狙っていたなら、もっと早く突いていても、良さそうだからである。また、松本の狙いも、飛車先突破ではなく、8六同歩、同飛、8八歩に7六飛と回るのが狙いだ。

 

挿絵(By みてみん)


 以下、飛車が隠居してしまった初代宗看の負け。この2五歩〜3七桂〜4七金型は、一応の完成を見たと言えよう(18世紀初頭になると、金上がりは守りが薄くなるので、再び2五歩〜3七桂〜2六飛型という、第3局が主流になる)。

 いきなり3連敗の出だしを喫した初代宗看。とはいえ、研究会の出来としては、十分過ぎるものがある。2五歩〜3七桂〜2六飛型には、右香落ち定跡を応用できることが分かっただけでも、大きな収穫と言えよう。というわけで、次は、2五歩〜3七桂〜4七金型を攻略しなければならない。

 しかし、ここでふたりは、第4局の検討を始めた(のだと思う)。

 

初代宗看「これさあ、7二飛って寄る必要なくね?」

松本紹尊「寄らないと、7五歩って仕掛けられるだろ?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


初代宗看「7五歩とか、成立しないと思うんだけど」

松本紹尊「じゃ、やってみる? おまえが後手持てよ」


 という会話があったのかどうかは知らないが(ただ、本譜を見る限り、あったとしか思えないのだが)、即日、第5局が指された。初手から、7六歩、3四歩、4八銀、4四歩、5六歩、5四歩、4六歩、3二銀、3六歩、3三角、5七銀、6二銀、7八銀、5三銀、6六歩、6四歩、6七銀、7四歩、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩、7八飛。初代宗看は、7二飛と寄らずに、4三銀と囲いを優先する。

 

松本紹尊「いくよ」

初代宗看「おぅ」


挿絵(By みてみん)


 同歩、同飛に、初代宗看は8四歩。松本も、歩の交換に満足して、7八飛と引き上げる。以下、8五歩、7七角と形を決めさせ、4二玉、5八金左、3二玉、4七金、7二飛。

 

挿絵(By みてみん)

 

松本紹尊「おまえ、結局寄ってるじゃねぇか!」

初代宗看「7五歩は成立しないと言っただけで、7二飛がダメとは言っていない」

松本紹尊「言ったがな」

初代宗看「7八飛の瞬間に7二飛は不要と言っただけだ」

松本紹尊(減らず口が……この野郎……)


 以下、4八玉、5二金右、3八玉、4二金直、3七桂、2二角(4五歩からの仕掛けを回避)、2八玉、7五歩と、7筋〜8筋を制圧。3八金、6三金、8八角、7四金の棒金模様に、4五歩から攻め合いとなる。同歩、6五歩、3三桂、4六歩、同歩、同銀。

 ここで注目の8六歩が飛び出す。


挿絵(By みてみん)


 以下、同歩、4四歩、5五歩に8二飛と戻って、捻り合いに。本譜では、8八歩という素朴な受けが利き、後手の飛車が立ち往生してしまうものの、結果は初代宗看の勝ち。

 

初代宗看「しかし、振り飛車側の5連敗とはなぁ」

松本紹尊「俺の考えた対振りは、優秀」

初代宗看「……」


 言い返せない初代宗看は、家に帰って沈思黙考。

 ある趣向をこしらえて、次の研究会に望むのであった。


 以下、私の調査結果を少しまとめてみたい。17世紀前半に存在した、3七桂〜2五桂戦法であるが、初代宗看世代(あるいは松本紹尊世代)には、あまり優秀に見えなかったようだ。まず、松本紹尊が、3七桂〜4五歩と突く順を発見し、これに角出の防止を加えた2五歩〜3七桂〜4五歩戦法が登場、桂頭を4七金で守る形が、一応の決定版として、初代宗看をも唸らせた(と思う)。そして、この「角出を防止する2五歩」が、実戦の中で「隙あれば2四歩と突く」アイデアに繋がり、居飛車の誕生を準備したのではないかと、筆者はそう推測したい。

 準備した、と書いたが、これは、初代宗看も松本紹尊も、最初から2四歩狙いで2五歩を突いていたわけでは、ないからである。彼らは、「明らかに2筋が薄くなった」時点で2四歩と突くのであり、3三角の状態では、決して突かない。少なくとも、今回紹介した棋譜の中では、そうではない。飛車先を攻めるかどうかは、多分に偶発的である。

 では、これがどのようにして、本格的な居飛車に繋がるのか、次回からは、それを見ていく予定である。

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