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古棋探訪  作者: 稲葉孝太郎
飛車先は突けるか?
4/8

居飛車の誕生1:初代宗桂vs本因坊算砂

 入門者が平手を教わるとき、「初手は7六歩か2六歩がよい」と言う。つまり、大駒の働きを最大限に利用する手というわけである。しかし、歴史的に見てみると、先人たちは、7六歩が良いことには早くから気付いていたが、2六歩がよいことに気付いたのは、ようやく17世紀中葉に入ってからのことで、その起源は初代伊藤宗看にあるようだ。今回は、このことを実証してみたい。

 まず、古棋譜を並べてみると、初代大橋宗桂vs本因坊算砂戦において、面白いことが分かる。それは、初代宗桂の頃には、平手の場合、2六歩が異様に遅いということである。まずは、『将棋評判』から棋譜を抜粋しよう。

 


 『将棋評判』1番(平手)

 先手:初代宗桂 後手:算砂

 ▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲7八銀 △5四歩

 ▲5六歩 △4二銀 ▲6七銀 △5三銀右 ▲4八銀 △4四歩

 ▲4六歩 △4三銀 ▲5七銀 △3五歩 ▲2六歩

 17手目

 

挿絵(By みてみん)

 

 『将棋評判』2番(平手)

 先手:初代宗桂 後手:算砂

 ▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩

 3手目(但し、最終的な戦型は、相向かい飛車)


挿絵(By みてみん)


 『将棋評判』3番(平手)

 先手:初代宗桂 後手:算砂

 ▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲4六歩 △4二銀

 ▲4七銀 △4三銀 ▲3六歩 △3三角 ▲1六歩 △1四歩

 ▲2六歩

 13手目


挿絵(By みてみん)


 『将棋評判』4番(平手)

 先手:算砂 後手:初代宗桂

 ▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲4六歩 △3二銀

 ▲5六歩 △5四歩 ▲4七銀 △4三銀 ▲6八銀 △6二銀

 ▲5七銀 △5三銀 ▲3六歩 △8四歩

 16手目


挿絵(By みてみん)


 3手目2六歩が最も早く、他は10手目台にならないと突かない。なぜこうも悠長かと言うと、2筋は破れないと考えられていたからのようだ。これは、筆者が勝手に妄想しているわけではなく、きちんと証拠がある。『将棋評判』3番の10手目評である。

 

 「二五歩突かぬうちは、如此桂の飛ある故、角を三三へ上らぬ者也。是習有る事也。先手後手の馬組と云ふあり。位づめの負となる也。此馬組に三五の歩をつくは習有る事なり。」

 

 飛車先の歩を突き越すのは、無理攻めである。この結論は、現代将棋から見ると驚かざるをえないが、よくよく考えてみれば、3三の地点には、角銀金といくらでも駒を利かせることができ、さらに戦場からも遠いのが常であるから(振り飛車は8筋か7筋に王様を囲うので、5筋や4筋から攻めた方が、敵将に近いことになる)、棋理に適っていると言えなくもない。少なくとも、「2六歩は7六歩ほど自明ではない」と言えよう。

 また、当時の対振り飛車の最先端は、3七桂〜2五桂戦法である。これは、同じ3番の棋譜に登場している。今回は具体的なイメージを掴むため、この棋譜を並べてみようと思う。初手から、7六歩、3四歩、4六歩、4四歩、4八銀、4二銀。

 

挿絵(By みてみん)

 

 3手目4六歩は、「2六歩よりも他の筋が重要」を体現したような手だ。この時代は、中央を2枚銀で厚くすることが多いので、4七銀の余地を作っているわけである。本譜もそのように進み、4七銀、4三銀、3六歩、3三角、1六歩、1四歩、2六歩。

 

挿絵(By みてみん)

 

 ようやく飛車先の歩を突く。しかし、これは2五歩と伸ばすためではない。3七桂〜2五桂戦法の準備である。後手は4二飛と四間に振り、先手も合わせて4八飛。先手の飛車寄りも、右四間飛車狙いではない。おそらく、戦場になりそうなところへ回っただけであろう。

 以下、6二玉、6八玉、7二玉、7八玉、6二銀。

 

挿絵(By みてみん)

 

 この時代の振り飛車は、このように早囲いを採用することが多い。ここから8二玉〜7二金として、金美濃に発展させるのが、よくある指し方だ。

 先手は5六銀と上がり、4筋を牽制する。5四歩、5八金右、5三銀と、後手は中央に2枚銀を繰り出す。9六歩、9四歩のあと、3七桂。どう見ても右四間飛車なのだが、5二金左に2五桂と跳ねる。

 

挿絵(By みてみん)

 

 これで、3七桂〜2五桂戦法の布陣が完成した。

 ここから、どう攻めるか。いろいろと興味の湧くところである。振り飛車側の対応としては、2二角が普通であろう。2五桂が不安定なので、2四角とせず、2四歩〜2五歩と取り切ってしまう算段だ。本譜も2二角と引いた。先手は当然、4五歩と攻めを継続する。

 

挿絵(By みてみん)

 

 同歩はありえないので、何を指すかだが、いきなり2四歩は少々危ない。以下、4四歩、同角、同角、同銀右、4五歩のとき、銀を5三に引くか5五に出るかしかないが、前者は8八角が痛打。

 

【変化図A】

挿絵(By みてみん)

 

 3三角と打ち返せず、2五桂戦法の面目躍如となる。後者は若干難しいが、同じく8八角と打ち、2五歩、5五銀、同歩、同角の進行が、若干めんどうに思われる。


【変化図B】

挿絵(By みてみん)

 

 とはいえ、これも一局の将棋に違いない。ちなみに、4四歩のところで同角とせずに同銀右は、以下、4五歩、5五銀、同銀、同歩(同角は、同角、同歩、3三銀の打ち込みがいやらしい)、5六歩、2五歩、5五歩と圧迫されてしまう。


【変化図C】

挿絵(By みてみん)

 

 次に4四銀と露骨に打ち込み、3二銀と逃げるなら、5四歩と伸ばして、先手が若干良いのではないだろうか。筆者の棋力では、何とも言えないところである。

 そこで本譜は、4五歩に3五歩、同歩を入れてから2四歩。以下、4四歩、同角、同角、同銀右、4五歩のとき、3五銀と捻って来た。

 

挿絵(By みてみん)

 

 隙あらば4六歩と打って、飛車の利きを止める作戦だ。そうなっては桂馬を取り切られて先手まずいので、8八角と攻めを継続する。4四歩、同歩、同銀直、4五歩に5五銀と積極に前進し、同銀、同歩、同角、2五歩と取り込み、ようやく後手の狙いが実現した。

 

挿絵(By みてみん)

 

 しかし、後手の代償も大きい。先手は当然に1一角成と飛び込み、駒損を回復。この展開は、2五桂戦法の狙い通りと言った観がある。以下は、2五桂戦法の骨子とは直接関係のない寄せ合いなので、割愛させていただく。先手、初代大橋宗桂の勝ちとだけ記しておこう。

 さて、本譜の棋譜並べから、2五桂戦法の要点を抜き出しておく。

 

 1 2五桂と跳ねて3三の角を退かせから、4筋の歩を突く。

 2 角交換後に8八角と据え、桂馬の効果で3三角と打ち返させない。

 3 桂馬は取り切られても構わない。2四歩〜2五歩の間に手を稼ぐ。

 

 このあたりだろうか。

 飛車先不詰め3七桂〜2五桂戦法は、1630年代まで、すなわち初代宗看が居飛車革命(と筆者が勝手に呼んでいるもの)を起こすまでは、普通に指されていたようだ。1636年、初代宗看18歳の棋譜においては、この2五桂戦法を警戒して、わざと8八角と引いているものがある。

 

 『将棋綱目』27番

 先手:初代伊藤宗看 後手:大橋宗與

 29手目:8八角


挿絵(By みてみん)

 

 この棋譜では、振り飛車側の初代宗看が勝っている。

 ここからは、筆者の憶測も入るが、初代宗看はこの3七桂〜2五桂戦法をほとんど使っておらず(筆者が調査した限りでは、皆無)、優秀な戦法ではないと思っていたのだろう。実際、この3七桂〜2五桂戦法は、17世紀後半にはおよそ死滅している。その理由のひとつとして、振り飛車側の対策が確立され、居飛車側の飛車が立ち往生し易くなったからではないかと推測する。

 

 『象戯図彙考鑑』44番

 1714年11月6日

 先手:谷忠兵衛 後手:与都座頭

 

挿絵(By みてみん)


 上の図は、18世紀初頭に指された珍しいもので、振り飛車の勝ち。ちなみに、18世紀初頭の主な振り飛車対策は、3七桂〜2六飛戦法であり、こちらの方が収録数は圧倒的に多い。これについても、機会があればご紹介したい。

 話を戻そう。なぜ飛車先の歩をなかなか突かないか、については、前述の2五桂戦法が存在したことと、もうひとつ、向かい飛車からの逆襲を恐れていたことが挙げられる。向かい飛車に対する有効な対策がなかったことも、2筋の重要性を低下させていたのであろう。初代宗桂の棋譜には、ものの見事に向かい飛車で逆突破されているものがあるからだ。

 

 『将棋評判』1番(平手)

 先手:初代宗桂 後手:算砂

 30手目:5一角

 

挿絵(By みてみん)

 

 ここから本譜は、6五歩、2四歩、同歩、同角、3六歩、2五歩、3五歩、同角、3六金と進み、2六角の出に2七歩と謝っている。

 

挿絵(By みてみん)

 

 これは、完全に潰れ(但し、将棋自体は初代宗桂が腕力勝ち)。もっとも、向かい飛車対策は比較的早期に確立されたらしく、ここまで酷い状態は、なかなかお目にかかれない。

 というわけで、当時の歴史的背景として、以下のことが挙げられる。

 

 1 飛車先の歩は、平手では後回しにする。

 2 飛車先を破るのではなく、別の筋に飛車を展開して攻撃する。

 

 では、向かい飛車対策が確立されれば、居飛車、すなわち飛車を初期状態で戦わせることができるかと言うと、そうではない。どうやって飛車先を突破するか、が問題になる。この問題に正面から立ち向かったのが、初代伊藤宗看と松本紹尊である。次回は、彼らの苦闘の軌跡を紹介する。

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