旧式角交換四間飛車
最近、やたらと体調の悪い筆者であるが、少しは回復したので、エッセイ調の古棋譜紹介をしてみたい。扱うテーマは、旧式・角交換四間飛車である。
これだけでは何のことやら分からないと思うので、テーマ図を挙げよう。
【旧式・角交換四間飛車】
【新式・角交換四間飛車】
新式は、言わずもがな、藤井猛プロの考案で、升田賞を受賞した最新戦法である。これに対して、旧式は、いわゆる奇襲戦法ないしB級戦法。多くの人が、「駒組みの段階で四間飛車側から角道を開けてはいけない」と、そう教わったのではないだろうか。
さて、現在では完全に奇襲戦法扱いのテーマ図だが、江戸時代、正確に言うと、1710年代に、やたらと旧式の流行った時期がある。むろん、当時の人々は、新式だの旧式だのは知らないわけであるから、最新戦法と考えられていたに違いない。事実、この旧式は、それまでの棋譜には見られない戦法であった(作者が調査した限りでは)。
では、どのように戦うのか。これが、いまいちはっきりしてこない。棋譜を見ても、いろいろとある。1717年に発行された『象戯図彙考鑑』には、旧式の出現する5つの棋譜が載っている。それぞれ年代順に並べると、以下の通り。
1701年10月9日
★多曽都座頭vs添田宗太夫(右香落ち)
1711年7月8日
谷忠兵衛vs★三浦重左衛門(平手)
1713年6月18日
布屋太郎衛門vs☆山脇勘左衛門(平手)
1715年10月
☆武田又市vs西村又左衛門(右香落ち)
1716年5月16日
元崎勾当vs☆伊豫屋仁左衛門(平手)
※左が先手ないし下手。☆が振り飛車側勝ち、★は負け。
このうち、4番以外全てが、厳密な意味で基本図になっている。すなわち、5七右銀型に対する角道開けである(但し、端歩の相違はある)。戦績は、振り飛車側の3勝2敗。勝ち越しているわけだが、戦法の優秀さとは、無関係であるように思われる。そもそも、序盤に優勢を築いて中終盤を勝ち切るというのが、現代将棋の発想であるから、これを江戸時代にそのまま当て嵌めるわけにはいかない。
しかし、興味をそそられるのは確かであるから、ひとつ棋譜並べを試みたい。なお、2番の棋譜については、将来投稿される別の小説において解説する予定なので、関心のある方はそちらをご覧ください(掲載が決まり次第、追記する)。今回取り上げるのは、1番、すなわち掲載棋譜で最も古いものである。右香落ちということで、読者には馴染みのない方も多いかもしれないが、ほとんど平手と一緒と考えてもらいたい。厳密に言うと、現在も奨励会で行われている左香落ちよりはハンデが少なく、平手よりは若干不利という程度である。
では、初手から、3四歩(駒落ちであるから、上手が先に指す)、7六歩、8四歩、6六歩、5四歩、5六歩、6二銀、7八銀、4二玉、6八飛。
下手が四間飛車を選択した格好。上手の手順は、5四歩が若干早いことを除けば、現代将棋とさほど変わらない。以下、3二玉、4八玉、5二金右、3八玉、5三銀、4八銀(当時の振り飛車は早囲いが主流)、1四歩、1六歩、7四歩、7七角、8五歩、6五歩。
いよいよ、角交換の構えである。ここで居飛車側は、慌てて角交換してはいけない。手損になる上、同銀の形が良過ぎるからである。前述5局において、居飛車側からいきなり角交換を挑んでいる棋譜はない。居飛車の方針としては、四間飛車側に角交換させ、手損を誘うのが基本方針となる。
居飛車はここから、4二金直と締まる。これも、江戸時代によくある居飛車の囲いで、これを4二金寄なら、いわゆる箱入り娘の完成。これに対して、本譜の囲いは、後々角交換したとき、より強く戦えるようにしている意味合いがあるようだ。
後手は2八玉と深く入り、居飛車は7二飛と仕掛けを見せる。ここで角交換。
さて、四間飛車側は何を指すだろうか。少し考えてみていただきたい。
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本譜は、7七銀である。
解説が存在しないので、確定的なことは言えないが、いきなり8三角は、8二飛、6一角成のあと、8八角の打ち込みがある。
【変化図】
これは、先に香車を取られてまずい。下手としては、8八角の打ち込みを消してから、8三角としたいわけである。もちろん、上手はそれを百も承知なので、すぐ7五歩と仕掛けていく。同歩、同飛、7八金。
この7八金は、なかなか渋い手だ。代わりに7六歩と打つと、下手は歩切れ。いきなり8四角は、7二飛で何ともない。8二角なども考えられるが、上手の4四角などの方が厳しそうである。右香落ちなので、9一の香車を取られる心配がないのだ。というわけで、先に7八金と上がって、7筋を補強しておく。
これを見た上手は、7四飛と引く。現代将棋に慣れた人にとって、この飛車引きの意図を読み取るのは、容易ではない。以下、8三角、8四飛、9二角成、1五歩、同歩、5五歩、同歩、8六歩、同歩、3五歩。
アッと驚く、飛車の大回転。四段目を全て開け、飛車を1〜3筋に回る作戦だ。果たしてこれが成立しているのかは、何とも言い難いところである。下手も相手の狙いを察知して、3八金と金美濃を完成させる。以下、1六歩の垂らしに、6六飛。下手も飛車を浮いて、六段目の攻防に利かせる。この時代の飛車使いは、横のダイナミズムを感じられて、なかなか趣があると、筆者は思っている。
1六の歩を取られては困るので、歩切れ解消も含めて1五香。下手は1八歩と謝った。ここでは、いろいろと手がありそうである。1四飛と、一気に端攻めに走るのもありだろう。
しかし、本譜は3四角と打ち、敵陣を睨む方針を選択する。
上手は7九金とし(6七金は、飛車が動けなくなる)、下手は4四銀と援軍を繰り出す。ここで、筆者ならば、9一馬としたいところである。
【変化図】
5五銀の出を防止しながら、次に6四歩、同歩、同馬を狙う。7三歩と止めて来たら、7四歩と打って、同飛、8一馬と桂馬を補充する作戦だ。端を詰められている上、囲いも居飛車の方が堅いので、苦しいには違いないが、本譜よりは良いように思う。というのは、本譜は7六飛だからである。
一点、指摘しておきたいが、下手の多曽都は座頭、すなわち盲人の官職を得ているので、当然に失明している。6七角成に気付かなかったのかは分からないが、指し手に精彩を欠いているのは、身体的なハンデもあったのではないかと推測する。
いずれにせよ、ここから上手の猛攻が始まる。まず、5七歩と垂らし、同銀と形を崩させてから、6七角成、6八銀右、7六馬(こう取られては、7六飛と寄った意味がない)、同銀、8六飛。
下手は7七銀と受けるが、4九飛車が強烈な切り返しだ。
8六銀、7九飛成、7七桂、3六歩と、急所の歩を突き、8一馬、3七歩成、同金、8八龍、3八歩と打たせてから、8六龍と銀を補充。これが一見、遅いように見えるのだが、下手からは速い攻めがない。7一飛に8九龍と戻り、これがいきなりの詰めろ。下手は仕方なく、2六歩と逃げ道を広げるが、4八銀にて投了となる。
いかがであったろうか。飛車をうまく使い、下手の馬を封じ込めた、上手の構想が見事な一局である。細かい点では、現代将棋から見るとおかしなところも多いかもしれないが、古棋譜を鑑賞するときに、それは野暮というもの。ひとつだけ言えるのは、旧式角交換四間飛車の場合、角の打ち込みにさえ気をつければ、全体的に振り飛車側が駒組みをしにくいことであろう。
奇襲・B級と呼ばれている戦法には、それなりに理由が存するわけである。しかし、簡単に咎められるものでもなく、温故知新、実戦投入も一興かもしれない。なお、勝率は保証しないものとする。