プロローグ
暗く湿った石壁の通路に男の重たい足音が白々しく響く。右手に規則正しく並ぶ鉄格子。その向こう側の世界は一様に生気がない。そのくせ充満した匂いは生々しい。残り僅かな時間をただ屍のように生きるだけの罪人たち。
しかし、男の足が止まった狭い牢獄の中だけは、様相が違った。男の携えた松明の明かりが、鉄格子の向こう側を照らす。床に一人の人間が転がっていた。空気が漏れるような音が規則的に聞こえている。瀕死の罪人がしぶとく息を吸い、吐き出す音だった。生きているのか。確認して、男は声をかけた。
「馬鹿な事を」
抑揚の少ない話し方は男本来のものだ。そこから感情の機微は読みとれない。男の左頬、耳から鼻頭まで真横に刻まれた傷跡が筋肉の動きに合わせて動いただけで。
床に伸びた身体は声に反応して僅かに動いたが、吐き出す息が呻き声に変わっただけだった。
「何故だ」
男はかまわず尋ねる。極めて事務的に。答えはない。しかし次いで
「鬼の為か」
『鬼』。その忌まわしい単語だけ吐き出すように。
死に損ないの息継ぎが荒くなる。何かを伝えようと、乾いた唇が苦しげに喘いだ。
「……あ、いし、て……た……か、ら」
あいしてたから。
愛していたから。
男の顔に微かな動揺が走る。表情を変えると頬の傷跡が疼いた。
「馬鹿な事を」
抑揚はない。しかし、男は感情を殺すためにきつく瞼を閉じなければならなかった。鉄格子の向こうに光る目が、真っ直ぐに男を見ていたから。
幾度も打ち据えられ、赤黒い血に濡れた両眼は、それでもなお迷いのない眼差しをしていた。
「頼み、が……」
そして罪人は、今際の際に願いを口にする。