銀髪の観測者
「……あんた、誰だ」
カナタは、激痛に歪む視界を無理やりリセットへと向けた。
銀髪の少女は、コンテナの上に腰を下ろし、楽しそうに足をぶらつかせている。スラムの汚濁とは無縁な、透き通るような白磁の肌。
「私はリセット。この世界の『バグ』を愛でる、ただの暇人だよ」
彼女はふわりと地面に降り立ち、カナタの首にかかった「お守り」を指差した。
「それ、もう空っぽでしょ? さっきのハックで、あんたの脳は一番大切な『定義』を燃やしちゃった。……記憶という名の演算リソースをね」
カナタは息を呑んだ。
お守りを握る手の感覚はある。だが、そこから手繰り寄せられるはずの感情が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
「……あんた、この能力の正体を知っているのか」
「正体? そんなの高尚なもんじゃない。あんたがやってるのは、世界というシステムの『記述ミス(バグ)』を無理やりこじ開ける行為。当然、代償はあんた自身の『記録容量ストレージ』……つまり過去から支払われる」
リセットはカナタの目の前まで歩み寄り、その瞳を覗き込んだ。
「このまま戦い続ければ、あんたは一週間後の『防衛戦』が終わる頃には、自分の名前すら忘れた『空っぽの器』になる。……それでも、そのペンを止めないの?」
カナタは自らの掌を見つめた。
記憶は消えた。だが、胸の奥にこびりついた「理不尽への怒り」だけは、なぜか消えずに熱を持っている。
「……ああ。たとえ自分を使い切ることになっても、俺は書き換える。この、奪うだけの世界を」
「あはは! 期待通りのバグり方。気に入ったよ、カナタ」
リセットは愉快そうに笑い、空中に指を走らせた。
――ピロリン。
無機質な電子音が響き、カナタの視界にホログラムのウィンドウが展開される。
【Dランク防衛戦:第1戦(残り6日)】
【対戦相手:ライガ】
【ランク:D2】
【能力:『重圧重力』】
「ヴァンスみたいなエリートじゃない。死体を積み上げてランクを維持してきた、本当の『人殺し』が最初の相手だよ」
リセットは、カナタの肩を軽く叩いた。
「死にたくなければ、精々新しい『バグ』でも考えておくことだね。……じゃあまた明日。英雄候補さん」
少女の姿が、夜の闇に溶けるように消える。
一人残された路地裏で、カナタは奪ったばかりの『鋼鉄の肌』のボールを強く握りしめた。
記憶を燃やし、理を穿つ。
その代償がどれほど残酷でも、もう後戻りはできなかった。
ヴァンスが去った後の廃ビル。
カナタは一人、右拳に残る痺れを確かめていた。記憶を焼いて手にした勝利の感触は、どこか現実味を欠いている。
(……忘れていく。だけど、この渇きだけは消えない)
お守りアミュレットをポケットにしまい、崩れかけた壁に背を預ける。その時、静寂を切り裂くように軽やかな声が響いた。
「……さて、復習レクチャーの時間だよ、バグり気味の英雄ヒーローさん」
影の中から、銀髪の少女――リセットが姿を現す。
「リセット……。いつからそこにいた」
「あんたが情けなく自分の手を見つめ始めた時からかな。それより、明日の準備はいい? ライガはヴァンスみたいに『交渉』なんてしてくれないよ。あいつの座右の銘は『殺しこそ生キリング・イズ・アライブ』だから」
リセットが空間に指を走らせると、大男・ライガの戦闘記録バトル・ログが投影された。
「能力:『重圧重力ヘビー・グラビティ』。最大で五十倍まで加圧する。……シンプルだけど、物理法則の中では最強の一角だよ。あいつがD2なのは、対戦相手を全員殺して『公式記録アーカイブ』を握り潰してきたからに過ぎない」
「最強の一角……」
「そう。どれだけ強力な炎も、重力の前では歪み、地面にへばりつく。あんたが得意の『超振動ハイ・バイブレーション』で耐えようとしても、そもそも体が動かなければ意味がない。どうする? 相手に近づく前に、あんたの骨が全部折れるのが先だと思うけど」
リセットは挑発するようにカナタの顔を覗き込む。
カナタは無言で、手の中の『万年筆スタイラス』を見つめた。
重力。それは、質量を持つ全ての物体に等しくかかる、逃れられない理ルール。
ならば、その『定義コード』をどう書き換えるか。
「……リセット。この世界の能力は、全て『メインサーバーギルド』の定義に従っていると言ったな」
「そうだよ。だから誰も逆らえない。重力は重いもの――それは絶対のルール」
「……なら、そのルールを逆手に取るまでだ」
カナタの瞳に、静かな狂気が宿る。その瞬間だった。
――ドォォォォォンッ!!
廃ビルの天井が、凄まじい圧力で押し潰された。
コンクリートの破片が降り注ぐ中、ゆっくりと歩いてくる影がある。
「……へぇ、こいつか。ヴァンスをハメたっていう、生意気なFランクは」
地を這うような重低音。現れたのは、岩のような筋肉を晒した大男――『重圧重力ヘビー・グラビティ』のライガだ。
彼が一步踏み出すごとに、床に深い足跡が刻まれていく。
「挨拶代わりだ。……『十倍』」
――ッ!?
瞬間、カナタの視界から「空」が消えた。
全身の血管が浮き出し、肺から空気が強制的に押し出される。床のコンクリートがクモの巣状にひび割れた。
「あ……が、はっ……!」
「物理法則の中で最強の一角……その意味を、泥の中で噛み締めろ」
ライガが冷酷な笑みを浮かべ、カナタの頭を踏み抜こうと足を上げる。
泥を舐めるような屈辱。だが、カナタの指先は、確かに『万年筆スタイラス』を握り直していた。
(追記:……ただし)
脳が焼ける。また一つ、思い出が消える。
けれど、カナタの口角は、わずかに吊り上がっていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
より読みやすく、ワクワクする展開にするために、初期話の設定をいくつか微修正&タイトルも一新しました!これからは1話あたりの分量も増やしていきたいと思います!
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