世界再定義
未開領域の境界線を越えた先。そこには、かつてカナタが知っていた「空」も「大地」も存在しなかった。
視界を埋め尽くすのは、空に向かって無限に伸びる白磁の塔――ギルド本部。その周囲には、物理的な壁の代わりに、触れるものすべてをデジタル分解する論理障壁イベント・ホライゾンが渦巻いている。
「……あはは、見てよ。あの中に入ろうとするだけで、普通の人間は『0と1』にバラバラにされちゃうね」
リセットが楽しげに指差す先、本部の門を守るのは、ギルドが誇る最強の自動防衛システム。
「……ジン、あれを強行突破するのは無謀か?」
「無謀だな。だが、俺が正面から風穴を開ける。お前はその『隙間』を固定しろ」
ジンが拳を鳴らす。数ヶ月の修行で、カナタの体もまた、ジンに肉薄するほどのしなやかさと鋼の密度を手に入れていた。
「来るぞ。第一防衛ライン――執行代行者エクスキューショナー・タイプ・Ω」
上空から、純白の翼を持つ巨大な機械天使が四体、音もなく舞い降りた。
それらは各々がSランクに匹敵する演算能力を持ち、カナタが万年筆を動かす瞬間の「思考」すら先読みして攻撃を仕掛けてくる。
「ゼロ! 右の二体を抑えろ!」
『――ガァァァッ!!』
漆黒の狼、ゼロが影を引いて跳躍した。鋼鉄の翼を食いちぎり、機械の首を強引にへし折る。
その隙に、ジンが正面の一体を「ただの正拳突き」で空間ごと粉砕した。
「ハッ、機械人形が。俺の拳に『理屈』を求めるなと言ったはずだ!」
だが、本部の真の恐怖はここからだった。
一体が破壊されるごとに、残りの個体がそのデータを学習し、即座に耐性を獲得していく。カナタの「追記」による属性反転も、二度目は通用しない。
「……なら、学習が追いつかないほどの速度で『書き換え』続けるまでだ!」
カナタは万年筆を逆手に持ち、自分の心臓にペン先を向けた。
(インク充填:5,000,000ポイント)
(自己定義:リミッター解除。全思考リソースを『外部演算』へ。視覚・聴覚・触覚を統合し、この空間の全パケットすべての動きを視覚化せよ)
カナタの瞳が、黄金から透明な「無」の色へと変わる。
彼には今、機械天使たちが放つレーザーの軌道も、ジンの筋肉の動きも、すべてが「書き換え可能な文字列」として見えていた。
「――一斉追記マルチ・バッチ処理」
カナタが虚空をなぞる。
機械天使たちが放った高エネルギー弾が、着弾の直前で「ただの光の粒子」へと定義変更され、無害に霧散する。
さらに、天使たちの装甲材質を『高純度の硝子』へと書き換え――。
「今だ、ジン!!」
「よくやった小僧! ――極砕ゴッド・ブレイカー!」
ジンの拳が硝子と化した天使を粉々に砕き散らす。
最強の防衛線を突破した二人の前に、本部の巨大なゲートが開いた。
本部の内部は、まるで巨大なマザーボードのようだった。
無機質な廊下を突き進む中、リセットが立ち止まり、壁のパネルに手を触れる。
「……ねえ、カナタ。ここから先は『大書庫』。……でも、一つだけ言っておくよ」
「なんだ」
「ストレージに保管されている『街の人々』のデータ……。それ、実はギルドが『燃料』として再利用し始めてる。早くしないと、記憶も魂も、ただのエネルギーとして燃やし尽くされちゃうよ」
リセットの言葉に、カナタの顔が険しくなる。
セツナの記憶解析でわかった「廃棄物処理場」までは、あと数フロア。
だが、そこにはこの世界の「本当の管理者」が待ち構えていた。
「……燃やされる前に、全部奪い返してやる。……ジン、準備はいいか」
「ああ。ラスボスの面拝むのが、今から楽しみで仕方ねえよ」
彼らが踏み込んだのは、世界の真理が眠る「中央演算室センター・コア」。
重力も時間も意味をなさない、純粋な情報が奔流となって渦巻く精神の深淵だ。
そこには椅子に座り、チェス盤を見つめる一人の少女がいた。
彼女こそが、この箱庭の創造主にして、ギルドの頂点――『管理者アドミン・アリス』。
「バグがここまで来るなんて、予定調和を乱すノイズね。でも、デリートする前に少し遊んであげる」
アリスが指を鳴らした瞬間、カナタたちの足元の座標が「消失」した。
底なしの虚無へと落下する中、ジンが空を蹴り、強引にカナタの襟首を掴んで引き上げる。
「小僧! ぼさっとするな! ここはあいつの思考一つでルールが変わる『神の庭』だぞ!」
「……わかってる! リセット、演算支援! ポイント全損覚悟で、この空間の『管理者権限』を奪い取る!」
(インク充填:残存ポイント1億2千万――全投入)
(追記:アリスが定義した『虚無』を否定する。ここを『強固な大地』として再記述。さらに、彼女の『命令権』に割り込み、全システムへのアクセスを強制同期せよ)
カナタの万年筆から溢れた黒いインクが、白い空間を侵食し、無理やり足場を作り出す。
だが、アリスは退屈そうにあくびをした。
「私の言葉はロゴス(真理)。書き換えなんて、子供の落書きね。――消去デリート」
アリスの一言で、カナタの右腕がデジタルノイズとなって崩れ始めた。
「ぐあぁっ……!? 腕が……書き換えが間に合わない……!」
「小僧! 下がるな、前を見ろ!」
ジンがカナタを追い越し、アリスへと肉薄する。
「神様だろうが何だろうが、俺の拳が届く距離なら『ただの肉』だ。――真・極砕アルティメット・ブレイカー!」
ジンの拳がアリスの喉元に迫る。だが、アリスの周囲に展開された絶対障壁は、ジンの物理エネルギーを「0」へと変換し、無効化する。
「物理は情報の奴隷。届かないわ」
「……いや、届いてるぜ、アリス」
激痛に耐えながら、カナタが不敵に笑う。
ジンの拳は囮。その拳が障壁に触れた瞬間、カナタは万年筆をジンの「背中」に突き立てていた。
(追記:ジンの拳に宿る『物理衝撃』の定義を変更する。これは破壊の力ではない。――管理者アリスの内部システムへ侵入するための『接続端子コネクタ』だ!)
「なっ……!? 私の中に、バグを流し込んだの……!?」
アリスの瞳が初めて驚愕に揺れる。
ジンの拳を通じて、カナタの全インクがアリスの権限を内側から食い破り始めた。
「リセット! 今だ、大書庫のロックを解除しろ!」
「了解! 街の人たちのデータ、全部『サルベージ救出』して、新しい世界の構成要素に組み込むよ!」
アリスの悲鳴。空間が激しく明滅し、ギルド本部の塔が根底から崩壊を始める。
カナタは残った左手で、空中に巨大な、そして最後の一文を記述した。
(最終追記:この世界をギルドの支配から切り離す。人々を『データ』ではなく、自律する『生命』として再定義せよ。そして、奪われたすべての記憶を――元の場所へ!)
真っ白な光が世界を包み込む。
アリスの姿も、無機質なマザーボードも、すべてが光の中に溶けていった。
気がつくと、カナタは柔らかな草の上に寝転んでいた。
そこは未開領域でも、灰の中層都市でもない。新しく再定義された、風が吹き抜ける緑豊かな丘だった。
「……終わった、のか」
右腕は元に戻っていた。隣では、ジンが「やれやれ」と肩を回し、ゼロが尻尾を振っている。リセットは実体化し、空を仰いでいた。
「お疲れ様、カナタ。世界はハックされた。……もう、ポイントで命が測られることはないよ」
カナタは立ち上がり、遠くに見える活気付いた街並みを見た。
デリートされたはずの人々が、戸惑いながらも「生」を享受している。
「……さて。後味は良くなったが、一つ、重大な忘れ物を思い出した」
カナタは万年筆を回し、歩き出した。
その足取りは軽い。
数時間後。
新しく再建された街の片隅にある、古びた、しかし活気のある工房。
そこには、壊れたラジオをいじりながら「ったく、最近の機械は脆くていかん」とぼやく、一人の老人の後ろ姿があった。
カナタは工房のドアを叩く。
「……爺さん。この万年筆、またインクが出にくくなったんだ。直してくれるか?」
老人が驚いたように顔を上げる。
その目には、確かに、再会の光が宿っていた。
短い連載期間でしたがありがとうございました!なるべく早く次回作を出しますので、お待ちしていただけると嬉しいです!次回作は1時半と6時投稿にしたいと思います!




