境界線の向こう側
背後で、世界が白く塗りつぶされていく。
崖の上から見下ろす中層都市は、ギルドの執行部隊が放つ消去魔術によって、音もなく灰へと変わっていた。
「……あいつら、本当に街一つ消しやがった」
ジンが吐き捨てる。その拳は、怒りか、あるいは戦慄か、硬く握りしめられていた。
「嘆いてる暇はないよ。ほら、追っ手が来た。ギルドの自動追尾兵だね」
リセットの指差す先、機械的な翼を持つ暗殺者たちが、逃亡者である彼らを追って未開領域の原生林へと急降下してくる。
「ジン、少し時間を稼いでくれ。新しい『式』を試す」
「ハッ、無茶は承知だ。やってみろ!」
ジンが跳躍し、先頭の機械兵を素手で引きちぎる。その間にカナタは、足元に転がっていた機械兵の残骸と、この地に朽ちていた猛獣の骨を万年筆で強引に繋ぎ合わせた。
(インク充填:100,000ポイント)
(追記:この残骸をベースに、新たな生命系統を記述する。名称――『虚無』)
万年筆から溢れた黒いインクが、無機物と有機物を侵食し、脈動を始める。
バキバキと音を立てて組み上がったのは、鋼鉄の牙を持つ漆黒の狼だった。
『――ガァァァッ!!』
生まれたばかりの「生命」が、空からの追っ手を真っ向から食い破る。
「……ついにやっちゃったね。命の書き換えなんて、ギルドが一番嫌う禁忌だよ」
リセットが呆れたように笑う。だが、カナタの目はまだ、燃え尽きた街の方を向いていた。
「リセット。あの中にいた連中、本当に全員消えたのか?」
「肉体はね。でも魂はデータの塊だ。今は本部のストレージに放り込まれて、消去待ちの保留状態にされてるはずだよ」
「……なら、助けに行く」
「はあ? 正義の味方にでもなったわけ?」
カナタは万年筆をポケットに収め、冷たく言い放った。
「まさか。……ただ、このままじゃ飯の味が不味くなりそうだからな。見殺しにしたままじゃ、後味が悪い」
自分がいたせいで消された街。そのケツを拭かずに逃げるのは、ハッカーのプライドが許さない。
「ハッ、いい理由じゃねえか。なら決まりだ」
ジンが血に汚れた手を拭い、不敵に笑う。
「その『後味』を解消したければ、まずはそのヒョロヒョロの体を叩き直せ。明日から、特訓をつけてやるぞ」
翌日
「……はぁ、はぁ、……死ぬ。マジで死ぬ……」
カナタは泥まみれで四つん這いになっていた。背後には、平然とした顔で拳を振るうジンが立っている。
「遅い。ペンを抜く暇があったら、俺の殺気を感じ取れ。実戦じゃ、システムウィンドウを開くコンマ数秒が命取りだ」
「……無茶、言うな……っ! あんたの動きは、演算が追いつかないんだよ!」
ジンの修行は単純明快。「死ぬ直前まで追い込み、生存本能をハックさせる」という地獄のような内容だった。カナタのポイント残高はセツナから奪った分で潤沢だが、肉体の疲労だけは「追記」でもすぐには癒えない。
「リセット、笑ってないで手伝え……」
「あはは! 頑張れカナタ。ジンの拳を避けるたびに、あんたの『生存確率』が書き換わっていくのが見えるよ」
休憩も束の間、未開領域の凶暴な原生生物――巨大な多足爬虫類が、茂みから躍り出た。
だが、カナタが動くより先に、漆黒の狼『ゼロ』がその喉笛を食い破る。
「……よし、ゼロ。そのまま周囲を警戒してろ。……さて、いつまでも野宿じゃ効率が悪い」
カナタは万年筆を抜き、巨大な岩壁の前に立った。
インクを贅沢に使い、虚空に複雑なコードを記述していく。
(インク充填:500,000ポイント)
(追記:この岩壁の内部構造を再定義する。容積を拡張し、外部からの観測を遮断するステルス結界を付与。内部には恒常的な『適温』と『酸素』を供給せよ)
ゴゴゴ……と地響きが鳴り、岩壁に亀裂が走る。
そこには、外見からは想像もつかないほど近代的で清潔な「隠れ家」が出現した。
「……ほう。便利だな、そのペン。だが、家を建てただけで満足するなよ」
ジンは完成した拠点に一瞥もくれず、落ちていた重い鉄塊をカナタに放り投げた。
「次はそれを持ってスクワット千回だ。筋肉の密度を書き換えるまで終わらせんぞ」
「……鬼かよ」
カナタは悪態をつきながらも、鉄塊を担ぎ上げた。
セツナから奪った記憶のインクは、まだ万年筆の中に重く沈んでいる。
それを解析し、ギルド本部の「大書庫」へ至る道を見つけるためには、まずこの地獄を生き延びなければならない。
こうして、バグった森の中での「最強の引きこもり生活」が本格的に始まった。
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