レインボーインパルス
「……レインボーインパルスを飛ばそう」
首相官邸の会議室。テーブルに肘をついて、顔の前で手を組んだ首相が静かにそう提案した。ブラインドカーテンから漏れ入る光が眼鏡に反射している。
総理の言葉に一同波打ったように身じろぎや咳払いをし、やがて「それしかありませんな」「やむを得ない」「ううむ」と老齢の議員らが唸った。その中、比較的若い議員が目を瞬かせて「え、レインボー……?」と呟いた。
「なんだね?」と、その彼の隣に座る議員が眉を上げ訊ねた。
「いやあの、ブルーインパルスならわかるのですが、レインボーインパルスとは……」
「ああ、知らないのか」
暗い会議室に、ほのかな笑いが広がった。彼は恥ずかしさで顔を熱くしたが、この重苦しい空気を少し緩和することができたことを喜ばしく思い「へへっ、すみません」と笑みを浮かべ、無知な若者という役割を受け入れた。
「まず、ブルーインパルスが何か知っているね?」
「はい。航空自衛隊のPRのためのチームで、アクロバティック飛行でイベントを盛り上げていますよね。以前、新型ウイルスが流行した時に、対応に追われ疲弊する医療関係者にエールを送るために飛んだとか。ああ、あと地震の被災地にも飛んだはず。まあ、自分は医療従事者でも被災者でもないので、飛行機が飛んだくらいで喜ぶのかな、と思いましたけど、あ、すみません」
「ははははは! いいんだ、いいんだ。ねえ、総理?」
「ああ、中にはそういう意見もあるだろう。カラースモークで空に線や記号を描くのはいいが、染料が車に付着したと不満を言う人もいたそうだ。しかし、これが意外と好評でね」
「まあ、確かに目を奪われることは間違いないですよね」
「その通り。国民の注意を逸らすのに最適だ。ふふふ、はははははは!」
総理が笑うと、釣られるようにして全員が笑った。
「それで、レインボーインパルスとは一体何なんですか?」
「ああ、ブルーインパルスはその後もたびたび出動し、マスコミにいいように取り上げさせたが、回数を重ねるとさすがに国民の感動も薄れていったんだ。そこで、創設されたのがレインボーインパルスだ」
「これまで実働には至らなかったが、ついにその時が……」
「初出動にふさわしいタイミングだ」
「ええ、我々の希望の光。いや、まさに虹ですな」
「国民は我らの権威を知るでしょう」
「空に虹を描くことなど造作もない、とね」
ただカラースモークを噴射する飛行機が飛んだくらいで何が変わるのか……と思っていた若い議員の彼を始め、首都上空に現れたその虹色の七つの機体を目にした国民の誰もがそう思っていた。
各機が、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のそれぞれ異なる色のカラースモークを尾から放つと、レインボーインパルスはまず空に虹を描いた。
次に、一機が地面に向かって一直線に急降下を始めた。墜落するかと思わせるその動きに驚き、国民たちは口を開けたまま息を呑んだ。しかし、その機体は間一髪で上昇し、空に舞い戻ると大きなループを描いた。その巻き起こった風と音は木々を揺らし、人々は髪や帽子を手で押さえた。
さらに全機が並び、カラースモークを一つに重ねておどろおどろしい大蛇を描いたかと思えば、七つに分かれ、見る者に多頭の怪物を想起させた。その後もレインボーインパルスは、数々のアクロバティックな飛行を国民にまざまざと見せつけ、国民の目を釘付けにし続けた。
そして、レインボーインパルスは、そのフィナーレで見事に空に総理の顔を描き上げ、首都上空を後にしたのだった。
レインボーインパルスが去った後も国民は空を呆然と見つめ、そして次第に笑みを浮かべた。やがて、「わはははははははははははははは!」と全員が大笑いした。その笑い声を聞いた総理は作戦の成功を確信したのだった。
たび重なる不祥事。国民に対する不敬、不遜、不義理。自分たち国民を裏切り続けた政府に対する抗議活動で首相官邸前に集まっていた国民の多くがその後、嘔吐し、死亡した。原因はむろん、レインボーインパルスのスモークに含まれていた麻薬の副作用である。