アランのその後
初めてお会いした彼女が、僕の心を奪ったのは一瞬のことだった。
支えるべき主人の気怠そうな姿と、凛とした彼女の姿は対照的で強く印象に残っている。同時に、僕の主人にエスコートを要求した彼女の姿を見て、僕はその事実を突きつけられる。
彼女は殿下の婚約者なのだ、と。
初恋をしたと同時に失恋したが、幸い、接する時間が短かったのはよかった。すぐに切り替えて殿下の元で仕事をする。本来、僕は殿下を支えるために来たのだ。色恋をするために来たのではない。
最初は殿下と一緒に仕事ができた。社交界にはあまり顔を出さず、婚約者との交流もされてない殿下の姿に困惑した。しかし、仕事だけはきちんとしていたので、僕も楽観視していた。
それが過ちだと気づいたのは1ヶ月ほどしてからだった。殿下がやるべき仕事が徐々に僕の仕事になり、数ヶ月後にはほとんどが僕の仕事になった。
増える仕事に疲れ、僕は自宅に帰るのが遅くなっていった。その頃には父に殿下の状況を伝えていた。そのときは眉を顰めていた父ではあるが、数日後、やはり渋い顔で僕に伝えた。
「2年間は殿下に仕えなさい。これは私の命令であり、王の命令でもある」
直接、国王陛下から命令を下さられば、流石の公爵家といえど反論はできない。僕は殿下の仕事をがむしゃらにやり、そして事件は起きた。
「こんな初歩的なことに気づかんとは。まだ文官が気づいてくれたからよかったものの。アランもしっかりとしなさい」
国王陛下の叱責程度で済んだことは奇跡だろう。だから、僕は殿下に仕事をしてもらうように進言した。1人では同じことが起きかねない。
「エマに手伝ってもらえ」
殿下はまさかの提案をした。エマ様は社交界に出ない殿下の代わりに様々な負担を強いられている。本来であれば業務なんてしていられないはずだ。
僕は憧れのエマ様と仕事ができるかもしれないことに喜んだ。しかし、すぐにエマ様の負担を超えることに気づき、頭から邪な考えを振り払った。
エマ様とする仕事は楽しかった。エマ様は聡明であり、すぐに仕事に馴染んだ。
エマ様は殿下の愚行を知っても、殿下の元を去ろうとはしなかった。いや、正確には「国」の元を去らなかった。
殿下よりも愛情を注いでいたように思える国王皇后両陛下も、エマ様の「国のため」という言葉には逆らえなかった。
王太子に任命された殿下は、再度教育が行われた。殿下からはスケジュールがきついと文句を言われたが、エマ様に比べると余裕がある。
半年もすると仕事が始まった。とはいえ、成人したての若者がするものだ。成人して数年経った殿下は、そんな仕事に四苦八苦している。僕やエマ様なら、半日もかからない。
そんな殿下は、時折、エマ様の気を引こうとしているが、全くうまく行ってないようだ。振り向いてくれる時期はとうの昔に過ぎ去り、永遠にこないだろう。
「殿下が頑張れば、エマ様はきっと振り向いてくれます」
エマ様が殿下に振り向くことがないと知りながら、僕が後悔している言葉を、八つ当たりのように殿下にぶつける。エマ様を幸せにできなかった男に遠慮はしない。
あのとき、お互いの身分を無視して自分の気持ちを伝えていれば。あるいはどうだっただろうか。
しかし、それは全て終わったことである。
今日も定時に仕事を終え、いまだに書類に埋もれる殿下を尻目に家に帰る。屋敷の扉を開けると愛しい妻と2人の子どもが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ」
『お父様!お帰りなさいませ!』
妻と、そして彼女を真似して息子2人が声をそろえる。3人の声を聞くと、昼間の疲れはあっという間に吹き飛ぶ。
「お仕事、お疲れ様でした。お着替えを済まされましたら、お食事にしましょう」
「うん。そうしようか」
妻の出迎えに僕は答える。
僕と妻は典型的な政略結婚だ。互いに婚約してから初めてちゃんと顔を合わし、話をした。
「初めまして」
若干13歳でありながら披露するカテーシーの美しさは、侯爵家の教育と彼女の努力を示していた。
こういった婚約、結婚は貴族にとって特別なことでも何でもない。僕にそういう役割が与えられただけ。だから、僕は僕なりに心の整理をつけ、彼女を養っていくだけだ。
それから、彼女とは交流を深めた。燃えるような情熱はなかったが、確実にお互いを気遣い、心を暖めていった。
あのとき早まったら、少なくとも今みたいな平穏な日々は訪れなかったに違いない。エマ様を幸せにできたとも思わない。
僕は今、幸せだ。
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