【第64話】漣
「あれって……ホントにキテレツくん、だよね……」
戦場を見つめるリーナが、呟くような声で尋ねた。
「ええ……そう、ですね……」
自信がなさそうに、クレムは答える。
二人ともほとんど魔力を使い果たし、壁に手をついて支えなければ立っていられない状態だった。
あれほど手を焼いたハーピーもビイアンフも、一体残らず体中を穴だらけにして転がっている。
これも当然、漣がやったのだろう。
そのお陰でまだ動ける者たちは、城門を守る隊員たちの援護に回ることができている。
「見てください、魔物たちが……」
さっきまでは統制のとれていた魔物たちの動きが、明らかにコントロールを失い、支離滅裂な動きになっていた。
下級魔族のオークたちの中には、逃走を始める者さえいるようだ。
「逃がすと、厄介だね」
リーナは魔法を撃とうと集中するが、それは不発に終わった。
イヴはもう動けない。
守備隊員たちも、門を守る事で精一杯だ。
「キテレツ君……」
その言葉には初めて、リーナの期待が込められていた。
◇◇◇◇◇
「ノーバディ、さん……まだ……」
もはや起き上がる力さえ残っていないイヴは、両手で体を支えて顔を上げ、浅く早い呼吸を繰り返しながら、喘ぐように声を絞り出した。
残った魔物はまだまだ多い。
オークたちを逃がすわけにもいかない。
「任せて。フォースアウト、ブラスターキャノン!」
漣が手にしたのは、グランゼイトの状態時のみに使える、三連銃身を装備した大型の対物ライフル。
それぞれのバレルから順次一発ずつ、強力なエネルギー弾を毎分2000発の連射サイクルで発射するという、これもまたヒーロー番組ならではの武器だ。
セレクターをフルオートに切り替え、魔物の群れを狙いトリガーを引く。
まるで野獣の雄叫びにも似た甲高い発射音が響き、流星のように尾を曳く緑の光が、文字通り魔物たちを薙ぎ払ってゆく。
向かってくる者の頭を、逃げる者の背中を、容赦なく光が貫く。
魔物を貫通した何発かの銃弾が、建物の壁を破壊したが今は気にしていられない。
ほとんどの魔物たちを倒すのに、1分と掛かっただろうか。
門に群がる魔物を残し、ブラスターキャノンを亜空間収納に納めた漣は、腰のホルスターからハンドガンを抜いた。
変身後の強化版、ブラスターマグナム。
「みんな! 伏せろ!!」
門の前で戦うシュルツたちに向かって、大声で叫ぶ。
それまでの光景を横目に見ていたシュルツたちは、何が起こるのかを察し、全員が慌てて身を屈める。
間髪を入れず放たれた光弾が、正確に魔物たちの頭を射抜いてゆく。
その間、僅か十数秒。
最後の発射音が消えた時、戦場は静寂に包まれ、そこに息づく者は人間のみとなった。
漣は大きく息をついた後、ガンプレイよろしくスピンさせた銃をホルスターに納めた。
「何とか、終わったな……」
変身を解き、元の姿へと戻る。
血と焼け焦げた肉の匂いに、咽そうになるのを堪えながら、背中を丸めて座り込むイヴの傍らへと歩み寄り腰を落とす。
「気分はどう? イヴ……」
大丈夫かと声を掛けるのは、何か違う気がしてそう尋ねた。
「……」
だがイヴは、ぷいっと顔を背け、押し黙っている。
「あの……イ」
「はじめにっ! お礼を言っておきますっ……皆を救ってくれて……本当に、ありがとうございました。私たちだけでは、何も守れなかった。貴方の、お陰です」
おざなりではなく、イヴは姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「うん、どういたしまして」
勝手にやった事だと思ってはいるが、漣はそれ以上口にせず、素直にイヴの言葉を受け入れる。
「それでっ、それはそれとしてっ……」
「うん」
「私っ、少し怒っています」
「え?」
何だろう、漣には怒らせた原因が思い当たらない。
イヴの横顔を覗き見ると、その表情は怒っているというより、戸惑っているように思える。
「なぜ言いつけを破って、戻ってきたのか、とかっ。なぜそれだけの実力を、話してくれなかったのか、とかっ、いろいろ、ですっ」
イヴは漣を見ようとせずに、彼女らしからぬぎこちない言葉で、最後には俯いてしまった。
「話してなかったのは、ごめん……知ってれば、他に方法があったよね」
「そんなっ、知っていたとしても、貴方を巻き込む気はなかったわ!」
イヴはそこではじめて、漣へと顔を向けた。
僅かに瞳が潤んでいるのは、彼女が本気でそう思っていたからだろう。
「うん、わかってる……でも、それでも俺は、君を助けたかった。君の力に、なりたかったんだ」
そこには一切の打算も妥協もない。
漣は、真剣な眼差しでイヴを見つめた。
「貴方を巻き込む気はないと、言ったけれど……貴方が戻ってきてくれた時……少し、だけ……」
続く言葉をじっと待つ。
5秒経ち、10秒が過ぎても、イヴは何も言わない。
それでも待ち続ける漣に、イヴは突然にっこりと笑って、
「今夜は、美味しいお料理が食べられる、と思いました」
悪戯っぽく舌を出し、片目を閉じて見せた。
「それは、ジョーク?」
漣がくすりと笑って尋ねる。
「少しは、笑えましたか?」
期待していた言葉とは違っていても、今はそれでいい。漣はイヴに向かって手を向ける。
「うん、上出来。さ、立てる?」
差し出された手を取り立ち上がろうとしたものの、イヴはよろけて、こつんっとおでこを漣の胸にぶつけた。
「大丈夫?」
「は、はい……ごめんなさい、あの、もう少しだけ……」
握られたままのイヴの手の力が、少しだけ強くなる。
「ああ、うん」
額以外は密着する事のない、微妙な距離。
この場合、空いている片方の手をどうするべきか、漣は思いあぐねる。
背中にまわすほど、密着もしていないし、そんな関係でもない。
頭を撫でるなど問題外。
肩に置く、くらいがベターだろうか。
そんな事を考えていると。
「じれったいな~。感動の再会なのに、それで終わり?」
背後から 呆れたような声が聞こえた。
「ひゃっ」
小さな悲鳴をあげ、イヴは慌てて漣から離れる。
振り返るとそこには、ウィンドランナに乗ったリーナとクレムが。
「キュイ」
もちろん、マオも一緒だ。
「お迎えに来たんですけど、お邪魔だったみたいですねぇ」
「ああ、ボクたちに構わず、続けて続けて?」
「続けませんっ!」
即座に否定したイヴの頬が、みるみるうちに赤く染まる。
「二人とも、無事で良かったよ」
漣が声を掛けると、リーナもクレムもウィンドランナから降りて、恭しく並んだ。
「ノーバディさん、助けていただいて、本当にありがとうございます」
「キテレ、じゃなかった、ノーバディくん。ありがと。戻ってくれて、すごく嬉しかったよ」
イヴが一瞬、驚いたように目を丸くして、リーナの顔を見たように思ったのは、漣の勘違いだろうか。
「どういたしまして。俺もこうやってまた、皆と話せて嬉しいよ」
「へぇ~、みんなと、ね~」
リーナはにやにやと笑いながら、疑るような半開きの目を向ける。
「リーナさん、そこは額面通りに、受け取っておくべきですよ?」
ぴっ、と指を立てたクレムも、窘めているように見えて、表情は何処かわざとらしい。
二人の視線が、漣からイヴへと移る。
「リーナっ、クレムまでっ。変な邪推はやめなさい、ノーバディさんは本気で……」
すっかり緊張が解けた三人の顔は、少し汚れて疲れが見えるものの、今までで一番、年頃の女の子らしい表情を浮べていた。
「そう言えば……ノーバディさん。先ほどは、しっかり名乗っていたみたいだけれど……ノーバディ・レン・グランゼイト、でしたよね?」
誰でもない、は名前のつもりで言ったわけではないのだが、今回もしっかり、名前として認識されてしまったようだ。
「これから、何と呼びましょうか……ノーバディさん? レンさん? それとも、グランゼイトさん、かしら」
「これから……?」
何気ないイヴの言葉の一つが気になった。
「ええ、これから。一緒に来てくれるのでしょう? これから」
真っすぐに見つめるイヴの瞳を、漣も真っすぐに見つめ返す。
この世界に転生して、偶々襲われた森の中で、思いがけず彼女と出会い、計らずも料理が気に入られ料理番として雇われた。
だがそれも、全ては偶然ではなく、あのメビウス少年が仕組んでいた事かもしれない。
〝何をやるかは君の自由〟
そんな言葉は、もう信じてはいないし、メビウス少年の掌で転がされているとしても、やりたいと思う事をやりたい。
漣はゆっくりと、そして大きく頷いた。
「今まで通り、好きに呼んでいいよ……」
日の傾き始めた蒼空に浮かぶ真っ白な雲が、形を少しづつ変えながら風と共に流れて行く。
雲の行く先は、風の行く先。
それも悪くない。
「……俺はまだ、誰でもないから」
空と雲を見つめ、漣はそう呟いた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
これで一先ず完結です。




