【第29話】料理番の初仕事
「只今戻りました……」
「あ、お帰り~イヴ。どうだった……って……」
玄関のドアを開けてリビングに入って来たイヴの、明らかに憔悴した顔を見るなり、リーナは「あぁ~」と溜息に似た声を漏らした。
普段あまり感情を表に出さないイヴが、眉根を寄せて傍からでも分かるほど表情を硬くし、まるで喧嘩に負けた子供のような雰囲気を纏っていたのだ。
「イヴさん……やはり、ゼール男爵ですか……」
気遣うように優しい声でクレムが尋ねると、イヴは黙ったままこくりと頷いた。
「あいつってさあ、ボクたちだけじゃなくて、イヴのことも、完全に馬鹿にしてるよね」
飄々としたイメージのリーナも、嫌そうに顔をしかめている。
「ゼール男爵って、この街の守備隊長の?」
「そ。背が低くてお腹が出てて髪が薄くて、ま、それはいいんだけど、出世欲が強いうえに傲慢。あと目つきがイヤらしい」
「概ねリーナさんの言う通りですねぇ。容姿にも所作にも、知性を感じないといいますかぁ」
「笑い方が下品、も加えておいてください」
彼女たちの言葉と心底軽蔑しきった表情から、そのゼールという男がどんな人物なのかは、おおよその見当がつくし、漣の想像は間違っていないだろう。
「でもイヴは国に選ばれた神託の勇者だろう? なんでそんなぞんざいな扱いを受けるの?」
勇者といえばもっと人々から尊敬され、国からも優遇されているものとばかり思っていた。
ただ考えてみれば、分隊長のシュルツも大概横柄な態度だったのは確かだ。
「勇者と言っても、私は8人中最下位だから。それにこの国の出身ではないということも、彼は気に入らないのでしょう」
イヴは不快感を隠そうともせず、まるで不条理な上司や先輩を愚痴る新入社員のように、リーナやクレムと頷きあった。
「はぁ、典型的なステレオタイプだなぁ」
「ステ……れ、お……?」
この世界に適当な言葉がなく翻訳されなかったのだろう、イヴが不思議そうに首を傾げた。
「いや、物語に出てくる、雑魚の悪党みたいだって話し。まさか、現実にそんな下らない奴がいるとはね」
大げさな仕草で肩を竦めた漣に、イヴがぷっと吹き出す。
「ざ、雑魚っ……くふっ」
「あっはは、いいね~ザコ男爵」
「まさにぴったりですねぇ、うふふ」
そんなに受けるとは思わなかったが、よほど鬱憤が溜まっていなのだろう、3人は顔を見合わせて笑った。
「笑ったら、なんだかすっきりしたわ。ありがとう、ノーバディさん」
少しはこのストレスが解消されたようで、さっきまでの険しい表情がイヴの顔から消えていた。
「いえいえ、どういたしまして」
少しでも役に立てなのなら悪くはない。
「みんなお腹も空いただろうから、そろそろ夕食にしますか」
「そうですね、よろしくお願いします」
クレムが手伝いを申し出たが漣は一応料理人として雇われた身だ、今日のところは味見だけで大丈夫と丁寧に断った。
◇◇◇◇◇
今夜のメニューはゼーバルのフライ。
頭を落とし内臓を抜いたゼーバルを、まずは三枚おろしにする。
どうせ皮はひくので鱗はつけたままでいい。
はじめに、背側から背びれに沿ってガイドラインを引くように皮だけを切る。
ラインが入ったら、骨に乗せる感覚で少しずつ包丁を深く入れてゆき、中骨まで包丁が達したら腹骨を切り刃を骨に沿わせて切り開く。
これで片身がとれた。
ひっくり返して反対側の身も同じ要領で割いて、腹骨をすき三枚おろしの完了。
尾側の身を少しつけたまま切り、その部分を掴み引っ張りながら皮を引いてゆく。
後は、身の中心にある血合い骨に沿って切り込みを入れ、柵と呼ばれる形に仕上げる。
魚自体が50cm以上あったので、身も結構大きめだ。
4尾全部、同じ手順で16個の柵にして2つを残し、一口サイズに切り分ける。
「綺麗な白身だなぁ、寄生虫も……よし、大丈夫……」
残した2つは刺身に決定だ。ただこれは、おそらくイヴたちは食べないだろう。
刺身サイズに一切れだけ切って醤油を一滴垂らし口に放る。
「うん、なかなかいい感じだな」
適度な歯ごたえにほのかな甘み。油ののりも十分で旬の鱸に近い。
2つの柵を刺身にして皿に並べる。見栄えも上場だ。
「フライの前にタルタルソースを作っとくか。材料は……」
キッチンを探したら、幸いなことに玉ねぎとキャベツが買い置きしてあった。
「キャベツに玉ねぎか……植生は俺の世界と変わらないみたいだな」
玉ねぎをみじん切りにして10分ほど水にさらす。
茹でてあった卵はスプーンで細かく潰しマヨネーズと玉ねぎを加え、レモン汁、砂糖、塩コショウで味付け。
ゼーバルの切り身に塩コショウを振り、薄力粉にまぶして溶き卵、パン粉をつけて油で揚げる。
千切りのキャベツと一緒に一人分ずつの皿に盛り付け、キャベツにはドレッシング、フライにはタルタルソースをかければ出来上がり。
「よし。色見的にも悪くないな」
六人掛けのダイニングテーブルに料理とパンの皿を並べて、リビングで待つ3人に声を掛けた。




