【第10話】姫騎士は勇者様。俺は、誰?
「改めて、もう一つ聞きたいのだけれど、構いませんか?」
「どうぞ」
漣は促すように手を差し出した。
情報を得るためには、ある程度の質問に答えるのが筋だろうと考えたからだ。
もちろん、身バレするような事には答えられないが。
「貴方はどうして、こんな所に一人なのですか? レベル3ということは、戦闘職でもこの森を単独で抜けられるレベルではありませんが」
「え?」
姫騎士が自分のレベルを正確に言い当てたことに、漣は驚きの声を漏らした。彼女のステータスは、漣には見えなかったからだ。
この世界の人間すべてに相手のステータスが見える能力があるのだとすると、敵対する、しないに関わらず、漣にとってはかなり不利な状況に陥るかもしれない。
ポーカーで自分の手札を相手に知られれば、勝負にならないのと同じことだ。
漣が警戒したのに気付いたのだろう、姫騎士はふっと笑って首を振った。
「私の授かったスキルの一つで、相手のレベルが見えるの。でも見えるのはレベルだけで、ステータスの詳細が分るわけではないから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「スキル……」
彼女の口ぶりからすると、漣の『変身』や『射撃』のように、この世界では人それぞれに多種のスキルが存在するということのようだ。
漣はじっと姫騎士の目を見つめる。
彼女が嘘をついているようには見えないし、演技しているようにも思えない。
「それから、もちろんレベルもそうだけれど、見たところ武器もダガーが一つだけでしょう? それでは身を守ることも難しいはずよ……」
〝武器がダガーだけだって?〟
これは意外にも有意な情報かもしれない。
姫騎士がはっきりそう言ったのは、漣の右腰のホルスターに収まるバスターガンを、武器と認識しなかったからだ。
ということは、この世界に銃は(少なくとも拳銃の類は)存在しない可能性が高い。
銃の有無だけでこの世界の文化レベルを決めつけるのは問題だが、少なくとも元の世界ほど科学技術は発展していないようだ。
「失礼かもしれないけれど、貴方の技量でこんな森の奥に生きてたどり着くのは厳しいと思うの。いったい何があったのですか?」
「それは……ええと……」
〝まあ、当然聞かれるよな〟
違う世界で一度死んで、風変わりな少年に会って、特殊な力を貰ってこの世界に転生したけど、気付いたらこの森にいました。
こんな話、正直に話したところで誰が信じるだろうか。
当事者の漣でさえ、まだよく分かっていないのに。
適当に誤魔化してみようかとも思うが、この姫騎士が嘘を見抜くようなスキルを持っている可能性もあるし、その場合少々厄介なことになりかねない。
必要な情報を引き出すためにも、今は先ず良好な関係を築くべきだと漣は思った。
「それが……実は俺もよく分からないんだ……」
これは偽りのない事実で、嘘ではない。
「どういう、事ですか?」
「何処か、別の場所に居たような気がするんだ、賑やかな所に……でも記憶が曖昧で、はっきりと思い出せない……目の前が白く光ったと思って、気付いたらここに一人だった……だからここが何処なのかも分からなくて」
これも嘘ではない。本当の事に多少脚色を加えているだけだ。
後は、漣の演技力がどこまで通用するのかだが。
「ここはローグ王国の北方、クローナークという街近くの森ですが……」
姫騎士は思い当たるものがあるようで、眉を潜め指を頬に添えてぽつりと呟く。
「精霊の道……かしら」
「精霊の、道……?」
「ええ、ある日突然、何の前触れもなく人がぷっつりと消えてしまう現象です。私も見るのは初めてですが……貴方の話が本当なら、おそらくは精霊の道に巻き込まれたのではないかしら」
まるで日本にも古くから伝わる神隠しのようだ。
そんなおとぎ話みたいなものを漣は信じてはいなかったが、魔法や魔物が存在するこの世界なら現実に起こったとしても不思議はない。
「記憶が曖昧なのも、そのせいかもしれないわね。一時的なものだとは思うけれど、私もそれほど詳しくはなくて。でも、森を抜けて街に着くまでは私が保護しますので安心してください」
「保護って、君が?」
こんな美女の道案内はもちろん大歓迎だが、保護されるというのはいかがなものか。
姫騎士が強いのはさっきの戦いを見れば分かる。ただ、見ず知らずの男をこんな森の奥で拾って連れ歩くのというのは、少しばかり警戒心が足りていないような気もする。
「ご心配には及びませんよ。私は、イヴァンジェリン・ミルドレッド・サーフィス、神託の八勇者の一人です。因みに、レベルは貴方よりも随分上の35ですから」
「え……35……」
漣の10倍以上だ。
漣が驚いて目を丸くしていると、イヴァンジェリンは目を細め、自信に満ち溢れた微笑を浮かべる。
『何かできると思うなら、やってみなさい』
挑発するような彼女の瞳が、そう言っているように見えた。
要するに、レベル3の男など雑魚にも入らないということなのだろう。
〝それにしても、勇者か……ホントにそういうのがいる世界なんだな〟
勇者が称号なのか地位なのかは分からないが、イヴァンジェリンにはこの世界でも特別に強力な力があると考えていい。
イヴァンジェリンは悪人には見えないし、たかがレベル3の漣を騙すメリットなどないはず。
ここは素直に、彼女の申し出を受ける方が得策だ。
「街には私の仲間の神官もいるわ。貴方の記憶については、彼女に相談してみましょう」
「ありがとう、右も左も分からない状態だったから助かるよ、勇者さん」
「いいえ、それも勇者である私の使命のひとつですから」
イヴァンジェリンはごく自然に答えた。
その表情には特に気負った様子もなく、彼女が勇者としての役割に誇りを持っていると分かる。
ただ彼女の瞳の光が、ほんの少し陰ったように漣には見えた。
「ところで、貴方は?」
「え、ああ、俺は……」
俺……?
誰だろう?
彼女は勇者。
じゃあ、俺は?
俺は誰だろう……誰でもないな。
まだ何もやり遂げてない。
そう、誰でもないよ。
少なくとも今は……。
「誰でもない……」
心の呟きが、声に漏れてしまった。
「Mr.ノーバディ? ノーバディさん……ちょっと変わった名前ですね」
「え、え、いや、あの……」
「私のことはイヴと呼んで。家名で呼ばれるのはあまり好きではないし、イヴァンジェリンでは呼びづらいでしょう?」
名乗ったつもりではなかったが、成り行きでノーバディと呼ばれる事になってしまった。
「ま、お誂え向き、か……」
それもいいだろう。
何処からきたのか。
何処へ行くのか。
この世界に誰も知る者はいない。
「これから、誰かになれるかな……」
漣は空を仰ぎ、自分に言い聞かせるように呟いた。




