9. でもそれ雑魚敵なんだよ
頬に固い感触がする。畳の匂い。誰かが自分の肩を揺さぶっている。
紗世は目を開けた。
「姉さん、大丈夫?」
蓮がこちらを心配そうに覗き込んでいた。うなずいてゆっくりと起き上がる。あたりを見回した。
和室だ。幸いなことに不気味な祭壇があるとか、今にも動き出しそうな鎧兜が鎮座しているとか、そういった様子はない。
あるのはいくつかの棚、桐箪笥。棚には鏡やら馬の置物やら(なんだこりゃ)が置かれている。
そして――置時計。
(セーブアイテム!)
紗世は思わず立ち上がって、時計へ駆け寄った。両手で触れる。ほのかに光っている。
背後にいる蓮に向って、紗世は言った。
「蓮、この時計、新島さんの家にあったものと同じじゃない?」
「え……、そう、かな? そうかもしれない、言われてみれば」
「この形を覚えておいてね。これから、これと同じ時計を見つけたら、すぐ私に教えて」
紗世の言葉に、蓮は不思議そうな顔をして頷いた。
(これがセーブできる置時計だとするなら、この部屋はセーフルーム……安全地帯だわ)
第一章に入って最初のセーブポイント。最初の部屋。
紗世はもう一度、部屋を見渡した。
あまりよく覚えていない。おそらくセーブポイントの認識イベントがあるだけで、この部屋で戦闘は起きなかったのだろう。
朱莉はここで起き、置時計を『どこか気になる……』とか言いながら手に取る。プレイヤーはそこでセーブをする。
それで……、そのあとは……。
そう、部屋を出るのだ。正確には襖を開ける。そこで……。
「ここどこなんだろ、誰かいないかな。僕、見てくるよ」
「あ、蓮ちょっと……」
いつの間にか、蓮がしびれを切らして襖を開けようとしてた。紗世は思わず静止する。なぜなら襖を開けると、その先から――。
「え、なに……?」
戦闘開始なのだ。
◇◆◇
蓮は襖を開けた状態で固まった。
襖の先は廊下ではなかった。別の和室に繋がっていた。壁一面が棚の部屋だ。
棚には数えきれないほど日本人形が飾られている。
嫌だな。
蓮は紗世を振り返った。姉は置時計に触れたまま、こちらを見て固まっている。
「姉さん、なんかすごいよこっちの部屋、来ない方がいいかも」
こんなにたくさんの人形初めて見たよ、と蓮は視線を人形たちへ戻した。
(ん?)
なんだろう、違和感がある。何か、人形たちの間に隙間ができたような……。
カタン、と後ろから音がする。振り返ると、姉が時計ではなく、馬の置物を手に取っていた。
「蓮、こっちに戻って襖をしめて」
「え?ああ……」
言われるままに、蓮は体を引いた。引こうとした。
コン、と足が何かにぶつかる。
「?」
なんだ? と蓮は自分の足を見た。
人形だ。人形が落ちてる。
「え、なんで……」
こんなとこにさっきからあった? と蓮は背後の姉を振り返った。紗世は馬の置物を握りしめたまま、厳しい声で叫んだ。
「こっちを見ないで! そのまま体を引いて襖をしめて!」
え、なに? 状況を把握する間もなく、蓮の足に違和感が襲った。何かが自分の足を抑えている。いや、掴んでいる!
思わず、蓮は悲鳴を上げた。そのままバランスを崩して尻餅をつく。
人形だ。日本人形が万力のような力で自分の足を掴んでいる。蓮は咄嗟に人形を両手で掴んだ。引きはがそうと力を込めるが、びくともしない。
カタカタカタと、隣の部屋から音がする。ズリズリと這いずる音も聞こえてきた。蓮は一瞬パニックになる。
「足の人形から目を離さないで。そのままこっちにきて」
紗世の鋭い声が飛ぶ。蓮は足の人形を見たまま、言われるままに後ずさりした。紗世が素早く動き、襖をしめる。
「姉さ……」
「しっ、黙って。人形を見てて」
蓮は黙って人形を見つめた。本当はこんなもの一秒だって見ていたくない。足にしがみついているせいで、顔が見えないのが唯一の救いだった。
紗世は、人形が地面に当たるように、静かに蓮の足の向きを変えた。
そしておもむろに馬の置物を振りかぶる。
ちょっと待ってまさか――、蓮が何かを言う前に、紗世は置物を人形へ向かって振り下ろした。
二度、三度。人形がどんどん粉々になっていく。足が自由になり、蓮はほっと息を吐いた。
「ごめん、姉さん。ありがとう」
「ううん。これはねぇ、こっちが見てれば動かないの。目を離すと近づいてくるのよ。だるまさんが転んだみたいに」
なにそれこわい。
蓮は粉々に崩れた人形を見た。
「もう、目をそらしていい?」
「大丈夫だと思うわ。ここはセーフルームだし……」
紗世は、蓮にはよく分からないことをブツブツと言いながら、また置時計に触った。
「姉さん、ここに来たことあるの?」
「……ないよ。でも少しだけ知ってる。知識だけね」
紗世はふふ、と笑った。
「ちょっと感動してる。物理攻撃が通じるということが分かって嬉しいわ」
物理攻撃。
その言葉があまりにも意外で、蓮も笑った。
「ていうかさ、これ、なんなのかな?」
「日本人形」
「いやそれは分かるよ。そうじゃなくて……なんで動いてるのかってことだよ」
蓮の問いに、紗世は一瞬淋しそうな顔をした。
「なんでだろうね。黄龍のせいかな」