8. 朱雀山
「やばいな」
村の入り口は開いていた。玄武山と同じように高い塀に囲まれた村。大きな門。そこから一歩入った途端に、少し前を歩いていた蓮が呻くように言った。
「姉さん、僕から離れないでよ」
蓮の声色は先ほどまでと変わって、ひどく真剣だった。紗世は周辺を見回す。何も分からないし何も感じない。自分が秀悟の妹であるなら、もう少し何か、感じてもよさそうなものなのに。
道には何もいなかった。動く死体やら体の一部といったものは。
代わりにあるのは、焼け焦げた草木と崩れ燃えた家。どこもかしこも燃え朽ちて、わずかに煤を上げている。
「姉さん、兄さんがどこら辺にいるかとか、そういうの分かる?」
「ごめん、そこまでは……。でも、今日じゃなくても、いつかきっとここに来ると思うの。だから、村の入り口で待っ……」
チリ、と首筋に何かを感じた。電気のような、灼熱の何かを。
蓮も同じだったのだろう、いや、彼の方がもっと強く感じたのかもしれない。息を呑んで紗世の腕を引き寄せ、庇うように抱き込む。
竜巻のような風が吹いた。あたり一面の煤が舞い、大気が黒くなる。紗世は咄嗟に目を閉じ、蓮の肩に顔を寄せた。強い耳鳴りがする。
風がやんだ。
「待って、まだ」
身じろぎする紗世を、蓮が抱き込んだまま抑える。仕方なく、紗世はそっと目だけを開けた。周囲の状態を見て、ハッと息を呑む。
風がやんでいない。
周囲の木々はざわめき、煤は舞い続けている。黒い風が吹いている。
自分たちの周りだけ、風の影響を受けていないのだ。
「蓮がやってるの?」
「そうだよ」
「すごいね」
「アンタほどじゃない」
え? と紗世は思わず顔をあげ、蓮を見た。息がかかりそうな距離で目が合う。何故だか、紗世は少し落ち着かない気持ちになった。
「……そんな見ないで、気が散る」
「あっ、ごめん」
「いいよ」
仕方なく、紗世はまた蓮の肩に額をつけ、目を閉じた。
何も聞こえない。何も感じない。蓮と自分の鼓動以外は。でも、この半径1メートルの外では風が吹き荒れている。
これはゲームに出てくるバリアなのかな、と紗世は思った。
ゲーム主人公の朱莉は、物語開始時は普通の女の子であるため、戦闘技を何も持っていない。
マジで何も持っていない。逃げるだけだ。迫りくる怪物をひたすらに避けて逃げて、先へ進む。現実的である。
そしてチュートリアル後、最初のステージの途中で「朱雀の御守り」というアイテムを入手する。
これを入手することにより、朱莉は「炎舞の壁」という、霊力ゲージを消費して発動するバリア技を使えるようになるのだ。
序盤は本当にこれ頼みの戦闘になる。なにしろ普通の女の子設定なのだ。はてしなく弱い。
(せめて、私にもあれくらい使えたらいいんだけど)
御守り、あるかなぁ。
紗世がそんなことを考え、御守りの在り処を思い出そうとしていると、耳元で蓮の声がした。
「もういいよ」
顔を上げる。いつの間にか、周囲の風はやんでいた。
煤があたりに舞っているが、風は収まっている。紗世はほっと息を吐いた。
「蓮、やっぱりここは危ないから、村の入り口まで引き返して、そこで秀悟さんを待とう?」
「入り口で? 分かっ、た……」
身体についた煤を払いながら、蓮は来た道を振り返り、そして唐突に静かになった。
不思議に思い、紗世も振り返る。
「え……」
くぐってきたはずの門はなかった。もっと言えば道も、燃え落ちた家も無い。先ほどまで、確かにこのあたり一面に家屋の燃え跡や木々があったのに、何も無くなっている。
紗世は慌てて周囲を見渡した。燃えた家は、もうどこにも見えない。あるのは静かな森と竹林だけ。
そして目の前には、大きな武家屋敷が厳かに建っていた。
「なっ……なんだここ!? えっ、僕らが入って来た門は!?」
「マヨヒガ」
混乱し、思わず叫ぶ蓮に、紗世は静かに返す。
これは、朱莉の第一ステージだ。紗世は咄嗟に、蓮の腕を掴んだ。
「蓮、残念なお知らせがあります」
「えっ、なに、急に」
「私は、攻撃技も防御技も持っていません」
「……うん、はい」
「なので、ここに入ったら完全にお荷物です。でも、私まだ死にたくないので、なんとか頑張って私を守ってください」
「えっ、そりゃ頑張るけど……、え、なに、入るの? 誰の家なの? 入って大丈夫なの?」
おお!新鮮な反応。紗世は静かに感動する。そりゃそうだよな、普通に考えたら他人様のおうちだもの。ズカズカと許可なく入っていいわけがない。
でもこの場合は仕方ないのだ。なぜなら……。
バン!と武家屋敷の扉が勢いよく開いた。蓮の体がビクッと跳ねる。紗世は蓮の体を、さっきとは逆に自分からぎゅうと抱きしめた。
蓮が驚いて紗世を見る。彼が何かを言う前に、扉の向こうから、すさまじい勢いで無数の腕が伸びてきた。
「うわ!」
腕は蓮と紗世の手や足、胴をつかむと、そのまま扉の向こうへ引きずり込もうとする。
蓮は一瞬もがいたが、腕を振り払うより紗世とはぐれない方を優先させるべきと判断したのか、すぐ紗世の背に腕を強く回した。
その強い力を感じながら、蠢く腕に身をさらわれながら、紗世は目を閉じた。
耳元で聞こえる無数のささやき声。呪いの言葉。
こういう時は、見ないが吉なのだ。