7. 知識と思い出
朱雀山の山道。村への道を歩きながら、蓮は落ち着かない気持ちでいた。
姉は明らかに道を分かっているようだ。
もちろんほとんどは一本道だった。けもの道を歩くならともかく、車が通れるほどの道はそう多くない。それでも村の入り口へたどり着くまで三度、分かれ道があった。姉はそのたびに迷うことなく蓮の手を引いた。
「こっちよ」
何故分かるのか。
分かれ道のたびに蓮は尋ねようとしたが、結局聞けなかった。
兄が朱雀山にいると言ったときも。
迎えの時間を4時に指定した時も。
姉は明確な意思を……きちんとした根拠を胸の内に持っているように見えた。
最初に聞いてしまえばよかったのだ。何故そう思うの?と。
でも聞けなかった。姉の記憶が戻ったのかと、そう思って、迂闊に声をかけることが躊躇われた。
歩きながら、遠くを見るふりをして、姉の横顔を盗み見る。
ひどく難しい顔をしている。その表情は見慣れたものだ。前方を見据え、蓮の視線には気づかない。
「姉さん」
紗世が自分を見ないことが寂しくなり、蓮は思わず姉を呼んだ。
弾かれたように、紗世が振り向く。
「なに?」
「……あの、姉さんは、ここに来たことあるの?」
「え? うーん、どうなんだろう、覚えてないから」
「でも、何かしら思い出したことがあるんでしょ?」
蓮の問いに、紗世は曖昧に笑って頷いた。指で自分の頭をつつく。
「そうね……、思い出したというか……、知識がある感じかな……。思い出とかは無いの。でも、知識で知ってる。ここが朱雀山なんだってことを」
「そうなんだ。じゃあ、玄武山のことも、少しは思い出した? 知識的には?」
言うと、紗世は残念そうに首を振った。
「玄武山のことは、全然分からない。秀悟さんのことだけは知識として覚えてる。でもそれ以外は、何も覚えていないな」
「……そう」
紗世の言葉に、蓮は急激に体が冷えていくのを感じた。思わず立ち止まる。靴が砂利を蹴とばした。
急に蝉の声が大きくなったような気がした。太陽の熱。体の中は冷たいのに、外側がひどく熱い。なんだか喉が渇く。
(兄さんのことだけ?)
朱雀山のことは思い出したのに、僕たちの山のことは、何も思い出さないの?
兄さんのことしか覚えていないの?
「大丈夫よ、そんな顔しないで。きっとそのうち思い出すから」
きっとひどい顔をしていたのだろう。紗世は慌てたように蓮の腕を掴んで、安心させるように微笑んだ。
その笑い方が、あまりにも以前の姉と違って、違い過ぎて、蓮は泣きたくなった。
◇◆◇
(チュートリアルマップだわ)
村への入り口へ続く道を歩きながら、紗世は感動していた。
どこもかしこも見覚えがある。蝉の位置も、木のしめ縄も、ゲームのままだ。
分かれ道では一瞬迷った。チュートリアルでは、正規ルート以外の道を行くと、ちょっとした景色が見られたり、何者かの情報が手に入ったりするのだ。
間違った方へ行こうかとも思ったが、思いとどまる。ゲームクリアに必須の情報というわけじゃない。
それより体力を温存して村までたどり着いた方がいい。村がどうなっているか分からないのだから。
紗世は、何故儀式が失敗し今回の惨事が起きたのか、大体のところは分かっていた。
エンディングまで見ていないから、完全なところまでは分からない。
けれども一番の原因は知っていた。
惨事の原因は、朱雀山の依り代に朱雀が下ろされたとき、依り代が朱雀の力に耐えきれなかったせいなのだ。
そして何故耐えきれなかったのかと言えば――それは間違った依り代が選ばれているから。
本来の依り代は、ゲーム主人公である朱莉の兄なのだ。
朱莉たちの母は、朱雀山で生まれている。ただ、朱莉や兄が生まれる前に山を出てしまっているため、二人は朱雀山とはまったく関係なく育った。
朱雀の村の人たちも、二人の存在を認知していない。だから当然、兄は依り代に選ばれなかった。
代わりに選ばれた依り代は、確かに村にいる子供たち中では一番力が強かったのだろうが、朱雀の力を抑え込むには、少し力が足らなかった。
儀式が始まり、各山々はそれぞれの依り代に神様たちを下ろした。最初はうまくいったはずだ。
けれど朱雀の依り代が抑えきれずに倒れ、朱雀の防壁が消滅。結界の支柱が四本から三本になったことで、黄龍の力が吹き出した。朱雀以外の依り代たちは、自分の神様は抑えられても、黄龍までは抑えきれない。暴走した龍の力はそれぞれの村を薙ぎ倒し、今もこの地に留まっている。
(つまり、朱莉の兄が居てくれさえいれば、事態は好転するはず)
朱莉の兄は、ゲーム内には登場しない。名前は出てくるが、少なくともきちんとした登場人物として画面内には出てこない。
物語の終盤、朱莉の前に朱雀と同化し化け物になった兄が登場するが、ほぼ意識はなく、意思の疎通はできない。ただ朱莉編のラスボスとして出現するだけだ。
だからこそ朱莉は大変な苦労をして、兄を倒し朱雀を身に宿し、黄龍封印の使命を果たそうとする。
そうなる前に、朱莉の兄を……。
「姉さん」
ハッと紗世は意識を現実に戻した。いけない、すっかり考え込んでいた。こんな、いつ何が襲ってくるかも分からない場所で。
慌てて蓮を振り返る。何か異変でも察知したのだろうか。
蓮は妙な顔で紗世を見ていた。探るような顔だ。ここへ来たことがあるのかという問いに、紗世は知識があるだけだと答える。
(それも変な話だけど、事実だから仕方ない)
ここはゲームの世界で、私にはそのゲームをプレイした記憶があるんです。そんな風には言えない。
曖昧な説明に、まずます蓮は妙な、怒ったような困ったような、そんな顔をした。