6. 翌朝
次の日。
何事もなく朝を迎えられたことに感動しながら、紗世が階下へ降りていくと、そこには明らかにほぼ寝ていなさそうな、疲れた顔をした蓮がお茶をすすっていた。
「おはよう姉さん、よく寝てたね」
「はい、おかげさまで。蓮君はあまり寝れなかったですか?」
「うん、まぁ……、色々と考えることが多くて」
力なく笑う蓮に、そりゃそうだよなと微笑みかけ、紗世はふと思い当たった。
もしかして、夜の間に何か、敵の襲撃イベントのようなものがあったのだろうか。
紗世はハッと家を見渡す。
そうだ、忘れていたが、ここはセーフハウスではない。風呂場で襲撃事件があったではないか。
深夜に、何かが襲ってくることは十分にあり得る。もしかしたら、蓮はずっと見張りをしていたのかもしれない。
ホラーゲームのセーフゾーンは、たいていセーブが出来る場所だ。
逢魔が時の呼び声では、セーブは置時計に触れることで行える。主人公が置時計のある部屋へ入ると『見覚えのある置時計がある……』という一文が表示され、置時計が鈍く光る。プレイヤーが置時計前でAボタンを押せばセーブ画面が表示される、という仕組みだ。
紗世は応接間のサイドボードを見た。
置時計がある。
昨夜、蓮が呪われていそうと笑った置時計だ。ぱっと見は古い、ただの時計。でも似ている気がする。
紗世はサイドボードへ近づき、そっと置時計を手に取った。かすかに光っている、ように見える。
(これがセーブ可能な置時計だとすれば、この応接間はセーフゾーン……安全地帯だ)
「姉さん、どうしたの。時間が気になる?」
「あ、いえ……変わった時計だな、と思って」
「そう? 確かにちょっと古いね。それになんだか……妙な感じがする」
「光って見えますか?」
紗世の言葉に、蓮は首をかしげた。
「いや、なんだか、チクチクして痛く感じる」
なにそれ。
思わず、紗世は笑った。
「それは困りますね。遠くに置いておきます」
時計を元の場所へ戻す。ここがゲームの世界でも、今の自分には現実世界だ。セーブはできない。きっと死んだらそこで終わり。
ただこの応接間がセーフゾーンかもしれないということだけは覚えておくべきだ、と思った。今夜はここで寝た方が良いのかもしれない。蓮が寝不足になってしまう。
「ところで姉さん、お腹すいてない?朝ごはんにしよう。新島さんが、色々買ってきてくれたよ」
「新島さんはどこへ行ったんです?」
「レンタカーを借りに行った。車がめちゃくちゃになっちゃったからね」
笑いながら蓮が、ビニール袋からガサゴソと、おにぎりやサンドイッチを取り出した。
ツナや明太子のおにぎり、ハムや卵、フルーツのサンドイッチ。
フルーツサンドイッチは紗世の、正確に言えば鈴木菜緒の大好物だった。紗世は目を輝かせ、フルーツサンドイッチを手に取る。
蓮が意外そうな顔をしたが、紗世は気づかなかった。
◇◆◇
「姉さん、これが朱雀山だよ」
車を降りてすぐ、目の前にそびえたつ山を見て、紗世は息を呑んだ。
山のあちこちから、黒い煤煙が立ち上っている。ひどく禍々しい気配がする。
それに何より。
この山は見たことがある。
紗世と蓮は、新島の運転するレンタカーに乗って朱雀山へ来ていた。
朝食後、兄と合流するために再度玄武山へ行くと言った蓮へ、紗世がこう言ったからだ。
『秀悟さんは朱雀山へ行っている気がする』と。
ゲーム主人公である朱莉が秀悟と遭遇するのは朱雀山の村。本堂と呼ばれる儀式場だ。
兄を探しに来た朱莉へ、彼はこう言う。
『数日前に、お前の兄貴と会って、しばらく行動を共にした』
つまりゲーム開始よりも前に、秀悟は朱雀山へ行っているはずなのだ。
もちろん、朱雀山へ行く前に他の山へ行くか、あるいはまだ玄武山にいる可能性もある。でも、数日中には必ず朱雀山へ行くはずだ。
だったら今日から朱雀山行き、村の入口あたりで待っていれば、いずれ向こうから見つけてくれるかもしれない。
紗世はあまり玄武山へ行きたくなかった。自分はおそらくあの山で死ぬはずだったキャラクターだ。
山へ近づけば、何かしらの強制力が働く危険性がある。
かと言って蓮一人を行かせるのも得策ではなかった。新島宅の応接間が本当にセーフゾーンであるならば安全だが、そうでなかった場合、また昨日のように襲われるかもしれない。
だから、蓮と二人で朱雀山へ行った方がいい。
そう思っての『秀悟は朱雀山へ行っている』という言葉だったが、不思議と、蓮も新島も意義を唱えなかった。
「俺は少しやることがあるから、ここから離れるぞ。今は11時だが……何時に迎えに来ればいい?」
「んー、まぁ6時くらいには……」
「4時」
新島の問いに、きっぱりと紗世は答えた。
「4時に迎えに来てください。5時には、新島さんの家へ戻っていたいんです」
紗世の有無を言わせぬ強い言葉に新島は頷くと、そのまま車を発進させた。
あたりは急に静かになる。蝉の声が聞こえる。
ひどく暑い。
紗世は目の前に続く山道を見つめた。ゲームと同じだ。朱莉はタクシーでここまで来て、この山道を上っていく。兄を探すために。
「行きましょうか、蓮くん」
「うん。その前に、ひとつお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「その敬語、やめてくれる? 『くん』も付けないで」
ああ、と紗世は蓮を見返した。確かに。姉が弟に敬語はおかしいかもしれない。蓮にしてみたら違和感しかないのだろう。
「行こう、蓮」
紗世の言葉に、蓮は嬉しそうに微笑んだ。






