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28. 残されたほう

 一方そのほぼ同じ頃。

 まだ蓮と夏樹は朱雀山の門の前にいた。


 蓮はしばらく動けずにいた。地面から何かが、泥のような物体が湧き出て紗世を地面へ引きずり込むのを見た。

 咄嗟に伸ばした手は空を切る。それくらい速かった、あっという間だった。

 まるで水に沈むように、落ちるように、紗世はバシャンと水しぶきのような音を立てて二人の目の前から消えた。

 後にはただ、ぬかるんだ地面があるだけ。


 姉さん、と乾いた声で蓮は姉を呼んだ。何度も。

 呼び声はだんだん大きくなる。姉さん! と蓮は叫んだ。

 返事は返ってこない。蓮の出した声に驚いたのか、蝉の声が一瞬止み、鳥が数羽飛び立った。


「そんな……嘘だろ、姉さん、どこ……」


 蓮は放心したように、姉の消えた地面の上によろよろと膝をついた。そのまま、地面のぬかるんだ泥に手を突っ込み、掘ろうとする。

 先に我に返ったのは夏樹だった。夏樹は同じように紗世が消えた跡を呆然と見ていたが、蓮が地面を掘る様を見て慌てて手を伸ばした。蓮の肩を強く掴んで静止する。


「おい、やめろ」

「うるさい!」

「中に紗世さんが埋まってるわけないだろ」

「分かんないじゃないか! ここに沈んでったんだから!」

「沈んだんだとしても、この下じゃない。どこか、ここじゃない水のある場所だろ」


 その言葉に、蓮は怖気が走ったように身震いした。

 ここじゃないどこかの水の中に。

 数日前の浴室でのことを思い出す。青ざめて震え、濡れそぼった紗世の、心細そうな様を。

 泥だらけの両手を握り締め、蓮は立ち上がった。


「探さないと……」

「どこを?」

「知らない、知るわけないだろ! でも探さなきゃ」

「落ち着けよ、そんな闇雲に探すって言っても……」

「うるさいな! アンタは帰れよ! 足手まといなんだよ!」


 大体アンタが来なければ――……そう言おうとして、蓮はじわりと目に涙が浮かぶのを感じた。鼻の奥がツンと痛くなる。

 違う。この人のせいじゃない。僕じゃ役不足なのではないかと、そう思って気が立って、イライラして、八つ当たりじみたことをした自分が悪い。

 蓮は手で目を覆った。情けない。子供っぽくすぐ怒る自分も、どうしていいか分からず泣きそうになっている自分も。

 泣いてる場合じゃないのに。


「泥が目に入るよ……」


 夏樹は静かに言い、そっと蓮の手を目から外させた。蓮の涙を見ないよう、不自然にならない程度に視線を逸らしながら、ポケットからハンカチを取り出し、蓮へ押し付ける。

 蓮は素直に受け取った。目に押し付けて涙を拭く。気を落ち着かせようと、大きく深呼吸をした。

 本当に、泣いている場合じゃないのだ。


「ありがと……」


 少し泥に汚れたハンカチを返そうと差し出した、その時。ピリ、と蓮はハンカチから何かを感じた。

 なんだろう。霊力の残滓のようなもの? 蓮はハンカチを見つめる。かすかだが紗世の気配を感じる。


「どうしたの?」

「……このハンカチ、姉さんに貸した?」

「え? 貸してないよ。昨日らポケットに入れっぱなしだった」

「でも……」


 ハンカチから、確かに、紗世の。

 夏樹は首を傾げ、それから「ああ」と呟いてまたポケットに手を入れた。赤いものを取り出し、蓮に見せる。

 それは朱雀の御守りだった。


「これと一緒に入れてた」


 蓮は息を呑む。御守りからはっきりと、紗世の霊力を感じた。残り香のような、姉のエネルギーを。

 そして感じる。この御守りは姉を呼んでいる。紗世のもとに戻りたがっている。紗世こそが持ち主だと認識している。

 紗世が呼べばきっと――……。


 その時、御守りがボウ、と光り始めた。弱々しく、か細い光。

 蓮は咄嗟に、御守りに手を重ねた。


「姉さんが呼んでる」

「君を?」

「違う、この御守りを呼んでる。きっと襲われてるんだ」


 ああ、なんで僕、あんなこと言ったんだろう。この御守りを使わないで、なんて。

 だって嫌だったんだ、姉さんが朱雀の技を使うのが。あの人は器用だったから、どの技でもそれなりに使えていたけど。

 でも玄武の技が一つも使えないのに、彼女が朱雀の技だけを使うのは嫌だった。子供じみた感情で。

 馬鹿だ。せめて姉さんがこの御守りを持っていたら、身を守るくらいはできたのに。


「僕のせいだ、僕が嫌だって言ったから、姉さんこれを手放しちゃって……肝心な時に手元に無いなんて」

「でも、そのおかげで合流できるんじゃないかな」


 ふと気づくと、蝉の声が止んでいた。

 蓮は顔を上げる。空が、いつの間にか赤紫色に変化していた。

 夏樹が、じっと蓮の背後を見ていた。

 蓮が振り返ると、そこには廃墟のような、古びた洋館が立っていた。

 さっきまでは無かった。絶対に。


「……姉さん」


 ふらりと、吸い寄せられるように蓮は洋館に向かって歩き出した。

 窓の向こうに、黒髪の少女が立っている。紗世だろうか? 蓮は目を凝らした。

 カーテンがゆらりと揺れ、少女を隠す。パタパタとはためくカーテンのせいで、ストロボのように断片的に少女が見え隠れする。

 そして前触れなく、ふらっと少女が倒れた。


「姉さん!」


 蓮はなりふり構わず駆けだした。

 背後から夏樹が静止する声が聞こえたが、そんなものには構っていられなかった。

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