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10. 最初の部屋から出るだけだっていうのに

『なんで動いてるのかってことだよ』


 それはね、ここがゲーム世界だからだよ。


 蓮の問いに、紗世は心の中だけでそう答える。

 粉々に砕けた人形の破片を見下ろした。


 殴って壊せる、それが知れたことは僥倖だった。

 ゲームプレイ時からずっと思っていたのだ。なぜ主人公は敵を振り払うことはするのに、殴らないのか? と。

 手が痛くなるから? 分かる、それは納得できる。いくら小さな人形とはいえ無機物だ。手で殴ったら痛い。

 でも、こうやって武器めいたものを持てば、そんなに痛くないはずだ。蹴ったっていいわけだし。


「姉さん、その馬の置物、持っていくの?」

「ううん……持って行きたいけど、動きが制限されちゃうから。ゴルフクラブとかあれば良かったんだけど」

「……帰ったら、持ってないか新島さんに聞いてみようね」


 力なく笑って、蓮はよたよたと立ち上がった。可哀想に、日本人形に足を掴まれるなんてショッキングな出来事が起きたのだ。かなり心にダメージを負ったのだろう。


(でもこれ雑魚だけどね)


 日本人形はゲーム最初の敵だ。画面上に人形が映ると襲い掛かって来る。

 インパクトはあるし、数も多いため、最初は慌てるが「見ていれば動かない」「画面に一度も映らなければ襲ってこない」という事さえ理解できれば、回避はそこまで難しくはない。

 これはプレイヤーにカメラワークの練習をさせ、かつ「前を見たまま後ろへ歩く」という操作を覚えさせるための、いわば練習用の敵なのだ。

 もちろん死につながることもある。掴まれたままでいると地味にダメージを喰らい続け、そのまま顔まで這い上がってこられて目を齧られたら最後、もう成す術もない。


「蓮、この日本人形、目を齧ろうとしてくるから気を付けてね」

「目を齧る!?」

「動きが速くて、こっちの顔を目がけて飛び掛かって来るやつとかいるからね」


 ここで目が潰れたら死んだも同然だよ、という紗世の言葉に、蓮は泣きそうな顔をした。

 その顔がずいぶんと可愛くて、紗世は思わず笑う。手を伸ばして、蓮の頭をよしよしと撫でた。


「そんな顔しないで。二人で頑張れば大丈夫よ」


 そう、なんとかなるはずだ。二人いれば。だって、ゲームでは朱莉一人だってクリアできるんだもの。

 マップ構造や敵のことは、さすがに事細かに覚えているわけではない。でも、見れば思い出せる。さっきの人形のように。

 不意に、蓮が自分を撫でている紗世の手を掴んだ。


「さっきはごめん。僕、情けなかった」

「そんなことないよ、私だって知らなかったらパニックになったよ」


 紗世が笑うと、蓮は拗ねたような顔をした。

 かわいい。


「部屋の出入り口はこの襖だけよ。だから絶対にさっきの部屋を通らないといけないの。人形から目を離さずに、次に続くドアを探してね」

「わかった」

「血の涙を流してたり、これみよがしに歯を見せつけてくる個体がいると思うけど、気にしないでドアを探すのよ」

「え、なんて? 歯を? え……ま、待って姉さん、もう行く? もう開ける?」

「開ける」


 紗世はきっぱりと言い放ち、襖を開けた。

 前方を挑むように見る。日本人形はすべて棚に収まっている。さきほど床を這いずって蓮へ近づこうとしていた個体も、また元の位置に戻っている。


(セーフルームへ戻ると、敵の配置も元に戻るわけね)


 紗世は人形を睨みながら、背後の蓮へ声をかける。


「蓮、私が見てるから。部屋の左右どっちにドアがあるか見てくれる?」

「えっと……、どっちもあるよ」


 マジかよ。この部屋ドアだらけじゃん。


「廊下へ出たいの。だから、こう、メイン出入口っぽい方のドアはどっち?」

「左かな? 両開きだよ」

「じゃ、そっちへ行こう」


 紗世は人形たちから目を離さずに、ゆっくりと後ずさりしながら左へ進んだ。

 棚の人形は動かない。けれども頭だけが紗世の動きに合わせて少しずつ動き、徐々にこちらを向きはじめた。無数の目が紗世を見る。

 カタカタ、カタカタ、と人形たちが揺れ始める。


「やばくない? 姉さん」

「こうして見てる限り、襲ってはこないと思うんだけど……」

「姉さん、先に行ってドアを開けてよ。大丈夫、僕が見てるから」


 蓮が紗世を庇うように前に立った。人形から目を離さずしっかりとそちらに視線を向けている。

 紗世は安心して、ドアのところまで駆け寄った。昔ながらの丸いドアノブを掴もうとしたその時。


(あ……)


 ドアノブに何か映っている。

 白いぼやけた何か。

 人形だ。人形が映っている。


 紗世は咄嗟にドアのすぐ横を見た。先ほど紗世たちが入って来た襖からは死角の箇所に、縦に細長い棚がある。

 でも何も置いていない。棚は空っぽだ。

 紗世はドアノブに視線を戻した。何も映っていない。


 おかしい。


 そう思うと同時に、紗世の肩に、ゴン! と衝撃が来た。思わず膝をつく。

 人形だ。棚の上からこちら目がけて降って来た。ケタケタと、人形が耳障りな声で笑う。


「姉さん!? 大丈夫……」


 蓮が焦った顔で振り向いた。紗世の状況を見て、咄嗟に駆け寄って来る。

 駄目よ。そう紗世が叫ぶ前に、耳元で声がした。


『お耳をちょうだいな』

「!? いやっ……」


 耳に痛みが走る。熱い。耳を齧られてる。

 またケタケタと笑い声がした。人形が笑っている。人の血で口を汚しながら、二タニタと嬉しそうに笑っている。

 怖気の走る光景に紗世は一瞬ひるんだ。動けずに固まる。

 駄目だ。人形の全身をきちんと視界に入れなければ、人形は止まらない。だからちゃんと見なくては。

 でもこんな至近距離で見て、静止が間に合わず目を齧られたらどうしよう。

 その恐怖が、瞬間的に紗世の体を動けなくする。


 思わず目を閉じた瞬間、肩にまた衝撃を感じ、何かが壁に激突する鈍い音を聞いた。

 

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