妖怪診療譚 その五 桂蔵坊
Ⅰ 妖怪の交通事故
「特急やくも」はJR山陽本線岡山駅から北上し、二時間あまりで米子駅に到着する。鳥取行きのJR山陰本線「特急スーパーまつかぜ」に乗り換え、三〇分ほど東進すると、倉吉駅である。
倉吉市は鳥取県央部の玄関口であり、「白壁土蔵の街」として知られる。
なぜか、西村京太郎先生のトラベル・ミステリー風な書き出しになってしまった。
この小説の展開は、時刻表ともまったく関係ない。本来なら、パートナーの盲導犬・エヴァンと、のんびり鉄道の旅を楽しみたいところだが、今回はそんな気分ではない。
鳥取県倉吉市のとある町に住む友人から、昨夜遅くメールが入った
「友達が事故っちゃらた。救急者も警察も来てこれねい。なんとかなろないか?」
よほど慌てているのか、入力ミスが目立つ。深夜なので電話は遠慮したのだろう。水臭いヤツだ。こちらから、かけてみた。
「ヨーカイ。ようかい、みたい。生きてはいる。仕方ないので、友達の家に連れて行く」
そんな、カタカナや平仮名で言わなくても分かる。オレは妖怪鍼灸師なんだから。
事故、さらに相手が妖怪と聞けば、見捨ててはおけない。今朝、JR土讃線阿波池田駅で、たまたま来合わせた「アンパンマン列車」に飛び乗り、岡山駅に到着した次第だった。
「伯耆の小京都」とも称賛されるだけに、小さいながらも、落ち着いた街並みが続く。迎えのクルマは民家の庭に入って行った。背後に竹やぶが繁っている。
座敷に案内してくれた。ケガ人は大型ペット用のマットに寝かされていた。
「コレなんだけど。本人は『ワシは児啼爺じゃ』って言い張るんや。どうも違うような気がして」
児啼爺なら、別の作品で腰痛の治療をしたこともある(未発表)。サイン入り色紙だって、持っている。私を見ても、初対面みたいな顔をしている。
爺が「私くらい有名になると、名前をかたる妖怪が多くて」と、ぼやいていた。そのタグイだろう。
しかし、そんなことは後回しだ。ケガの治療を優先させなければ。
骨には異常ないようだ。打撲傷だろう。内出血が認められる。押さえると、痛がる。
倉吉に長逗留できないので、一本の鍼に賭ける。患部にそっと鍼を当てる。軽く回転させる。ニセ爺は最初怖がっていたが、すぐに安心する。次いで、反対側を出してもらう。ブスッと、強刺激する。爺は声も出なかった。哀願するような目で見ている。
「はい。ケガしたところを押さえてみてください」
爺はそっと手を当てた。次に、力を入れて押さえている。
「何をしたのですか? おかしい。痛うないわ。妖怪だと思って、騙さないでください。しまいには、祟りますよ」
Ⅱ 捨てギツネ
「爺さん。お久しぶりです。なんで、倉吉くんだりまで来たのですか?」
きょとんとして
「はあ? どちらさんでしたか?」
少しイジってやりたくなる。
「妖怪鍼灸師の山谷ですよ」
爺が凍り付いた。
「ピー(注:音声は変えてあります)という小説で治療した腰痛は、その後どうですか?」
観念したようだ。しばらく時間をくれ、という。何やら、ブツブツ唱えていて、ポワーンと煙みたいなものに、包まれた。キツネが座っていた。
キツネは語り始めた。
私はこの奥の、大山の中腹に生まれました。貧しい農家でした。
当時は、どのキツネ家庭も大家族でした。お爺ちゃん・お婆ちゃん、それに叔父ちゃんも同居していました。
食い物に不自由していました。きょうだいが三匹産まれました。お婆ちゃんは「跡取りになる一匹しか要らん」と言うので、妹と私は、大山の八合目くらいに捨てられました。キツネ社会にとって、歴史の教科書にも書かれているくらいの、衝撃的なことでした。
その時、お母ちゃんは
「仕方がないんだよ。人間がどんどん開拓して来て、キツネの生活ゾーンが侵食された。狭いところにたくさんのキツネが棲めば、飢餓問題も起きるわ。でも、人間だって弱い動物なのよ。人間は戦争もする。いずれ食糧危機に見舞われることもあれば、パンデミックだって現実のものとなるでしょう。食物連鎖の頂点に、君臨し続けられないのよ。決して、人間を恨んではいけない。ましてや、晴れて妖怪になったとしても、人間には害を及ぼしてはいけないよ」
と、涙ながらに言いました。でも、その時は、ピンと来ませんでした。
Ⅲ エリートの挫折
キツネの話は続いた。
長年の修行を経て、めでたく、妖怪になりました。芸名を「桂蔵坊」と名乗りました。主に人間に化けました。一番の当たり役が、池田藩に仕える若侍でした。
身を粉にして働きました。江戸と倉吉を三日で往復できました。殿様の目のとまるところとなり、異例の出世をしました。
あるミッションで江戸に赴く途中でした。猟師がネズミの燻製をエサに、トラばさみをしかけているのを見ました。江戸からの帰り、空腹をどうすることもできず、そのネズミに近づいてしまったのです。
アクシデントに気付いた仲間が駆けつけ、トラばさみから外してはくれました。
「調子こいてんじゃんじゃねぇよ。おめぇは一千年、謹慎してろ!」
前例のない、厳しい処分でした。
謹慎処分が解け、二一世紀の日本に戻って来ました。浦島太郎の気持ちが、よく分かりました。
引きこもりがちになりました。唯一の救いはインターネットでした。ある小説サイトに、子役をやってる老妖怪のことが書かれていました。
その妖怪が他人には思えませんでした。たまらず、境港に行きました。「水木しげる記念館」で、情報収集をしました。
昨日、尊敬する妖怪に姿を変えて、やっとカムバックできました。
でも、長い謹慎生活で筋力は低下していました。ましてや、二本足で爺をやるとなるとフラフラ。何度となくリハーサルをしたはずなのに。疲れ果てて帰っているところへ、クルマが突っ込んで来たのです。
友人らも泣いていた。私は治療家として、顔で笑っていた。
「つらかったね。これからは、一緒に捨てられたきょうだいの分まで、幸せにならなきゃね。あなたくらい実力があれば、いくらでも勤め口はありますよ」
キツネは涙で濡れた顔を上げた。
「そうだ。SNSはどうでしょう。フェイスブックやライン、ツイッターなどで発信するのです。プロフィール写真は、彼に撮ってもらえばいい。プロのカメラマンなんですから」
Ⅳ 憧れのママと一杯
今日は、まだゆっくり食事していなかった。プロカメラマンは大事に至らず、急に空腹感を感じたもよう。みんなで食事に行こう、と言う。
「このままではね。ちょっと変身するから、待ってて。お好みは?」
私は弱視なので、あまり識別できない。ここは、目のいい、プロカメラマンに全権委任する。
「山谷君の小説読んでるんだったら、『動物王国捕物控』のスナック『銀ギツネ』のママ、あの人間バージョンがいいなあ」
確かに、彼はそんなメールをくれたこともあった。
線路を越えたところに、小ざっぱりした飲み屋があった。
居並ぶ海産物、それに農産物を前に、注文に迷った。お任せが最善。ただ、白イカ、ナガイモ、松葉ガニは一度味わってみたい。
ともあれ、四人。正確には三人と一妖怪。それと盲導犬一頭で、乾杯!
日本海の波の音が、遠く近くに、聞こえる。
あの海、そして、大山の懐で、これらの幸が育まれたのだ。
感謝して、いただこう。
「何かお願いしていいかしら。お揚げはあります? この人たちには、何かお魚でも……」
ママがカウンターに声をかけている。
山陰の日本酒もおいしい。雪の降る夜など、燗酒がたまらないだろう。
久しぶりに再会し、友人との話が弾む。
「注文、来たわよ。お話ばかりしてないで、ちょっと、つまんでみれば」
箸を出そうとして、思わず手を引っ込めた。
皿には、皺くちゃの老婆の顔が、乗っていた。
「この辺では、タナカゲンゲと言います」
と、マスター。
亡母のことを思い出した。
「人に迷惑をかけてはいかん。真面目に、正直に生きんといかんで」
それが口癖だった。
皿の上から、母が説教している気がした。