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カグヤ


「会長────」


 会長室がノックされたとき、会長はお茶を飲んでいた。仕事の合間を縫った束の間のひとときだ。まだまだヒューマン以外の種族や、異常性癖の持ち主の洗い出しは終わっていない。

「入りなさい」

会長は目の前のドアを見ながら淡々と呟く。

「戸籍などを調べに資料室に行っていたのですが、こんなものが────」


 目の前に居る男の表情は眼鏡によりよく見えない。彼は分厚い一冊の本を会長に向けた。













 むかしむかし、あるところにキシモサマがおりました。


 もとをただせば志半ばで不幸な死を遂げた女でした。

女はあらゆるものを壊されあらゆるものから否定されたので、

■■■■■■■■■■■■■

■■■■■って、■■■■■■■■■■■しまいました。

しかしながら■■■■■■■■■■■■■■■■■■ったため、■■■■■■■■■■が、■■■■■■■■■ったのです。


 それをキシモサマに魅入られ、

あらゆるところで他人の子を食らったので、呼称としてキシモサマと呼ば

れておりました。

村人に怒りを鎮めることは出来ず、

何をしたところですべて■■■■■■■■■■■■■■■■■■しました。

なぜなら彼女は■■■■■■■■■■■■■■■■■であり、それこそ、村人が元気に幸せそうに結託していたためです。



 誰にも彼女を救うことが出来ませんでした。

彼女が他人の子を食らうことを止められませんでした。それはそれは長い年月。

彼女は泣き続けました。ずっと嘆いていました。彼女は悲しい声で泣いていました。

彼女の泣き声は子どもにはよく響き、

聞いた子どもたちは浚われてしまいます。

 村人は子どもが欲しいのだと考えて、毎年、子どもを山に捧げました。


しかし、彼女は■■■■■■■■■■■だったため、■■■■■■■■■■■なのですから。■■■■■■■■■■を、■■■■し、数年だけ怒りを鎮めること

にして、殺しました。




むかしむかし、

誰からも愛されず、誰からも認められない少女がおりました。


「泣いてるの? 何が、悲しいの?」


山に捨てられた彼女は、キシモサマに会いました。

キシモサマは泣くだけでしたが、すぐには彼女を食らいませんでした。

なぜなら、怒りを鎮めることに躍起になる村人と彼女は違い、なぜ悲しいのかを聞かれたのは何千年振りだったためです。


──そう。なんだ。私もね、誰もいないの。周りに、誰もいないのよ。


 彼女はあまりに淡々と自分のことを話しました。

怖がることもなく、臆することもなく。

彼女にはわかりました。

痛みが、苦しみが。自分のことのように。

キシモサマはずっと存在するだけでとても苦しんでいる。



──私にも、好きなものも、好かれることも、

なにも無いのよ。


 少女には好きなものも、好かれることも、幸せそうにすることもなにもありません。

村の貴重な男手として長男が優遇されるので彼女には期待されることもないので、

生れた意味がありません。

かといってこれからやりたいこともなく、

家は貧しく、ただ孤りで消えていくのみでした。



──なにかを好きな人が、妬ましいね。

なにかを期待し続けられる人は、憎いね。

生きてても、出来ないなら、どうして

私もあなたも、生れたのかな。

とても不公平だわ。

キシモサマは、ずっと頑張ってて、すごいね。



キシモサマは彼女に聞きました。


お前も捨てられた。

自分とは違うのだ。

お前にはまだ未来があり、幸せがあるかもしれない。かもしれない考えることが出来るだけで自分とは違う。妬ましい。


──うちで、期待されるのは長男だけよ。

長男以外は力を持つだけでも許されない。

私は山に来るまでに勉強をとっても頑張ったのよ。 

 けれど、父様が女が字を学ぶな、家事や裁縫をしろって言ってこうやって死ぬの。

やっぱり私はそれ以外に価値がなかった。

だけど、やっと良いことがあった。


 キシモサマは少女の話を珍しく、じっと聞きました。彼女がまだ村の女だった頃

もまた、彼女に価値はなかったのです。



──他人の子を食べても、

ずっと、また、なにかを好きな人が、結託してあなたを責める。

そのたびにあなたは苦しむわ。


 少女はキシモサマだけが、味方であると理解しました。

なにかを好きな人は、なにかを好きにすらなれなかった人をまるで人ですらないような目で見てしまう。


──私も、長男になれず、勉強も許されない、好きなものも、好きなこともなにもかも奪われた。きっと更に頑張っても痛い思いをするかもしれない。

私の持ち物も全部長男に渡るのでしょうね。




「あなたは、私を必要としてくれた」

少女は幸せそうに、そしてその幸せがキシモサマの為であると言いました。


──あなたは他人を幸せに出来る人。




キシモサマは、彼女の好きなものと引き換えに、彼女を食べずにずっと山で暮らしま

す。



 やがてキシモサマは愛情深い優しい神様として、村人たちに崇められました。


「まぁあ……44街にまだこんな古い本があったなんてね」


「昔話です。フェミニストの肩を持つわけではありませんが、この時代、女は価値が低く、長男は働き手として優遇されるも、

女は家事だけをさせ、恋愛というのも家庭の繁栄の道具でしかなく子どもが生まれても売りに出されて居ました。

──好きなものと引き換えに……つまり、キシモサマに与えられる幸せ以外と引き換えに。どのみち誰からも認められない、価値がない為に苦ではなかったのでしょう。幸せになって居ますし彼女は幸せになったとも言えますね」


「……スキダの、怪物化」


好きなものも、幸せになることもなにもかもが蹂躙されつくしているとしたら──


「──総合化学会には、

人間の幸福から人間を幸福にする、魔のものは恋愛による幸せで遠ざけられるとしか伝えられていません。

これも二人が出会ったことによる幸福を書いていたともとれます」


「そうとも、解釈出来ますが……」


眼鏡が苦々しい顔をする。

会長はあわてて笑顔に戻ると釘をさした。


「とにかく、このことはまだ外部には内密に!」















「いけないな。こんなにばらまいているのを誰かに撮られれば、迫害が事実でないと判断される可能性の方が低い。バレてしまうじゃないか」


 男? は抑揚のない声で呆れながら、部屋をぐるぐると一周する。部屋の中はあちこちが荒れており、足の踏み場がかろうじてあるような状態だった。

 コリゴリと椅子を大事そうに抱えて眠る彼女 を交互に見て、まずは彼女に声をかける。


「こっちはまだ元気そうだな。ハハッ、コリゴリがこんなんなってるのは、やっぱり、『奴』が現れたか……? 

って、聞いても寝てるか……ったく、相変わらず気味の悪い部屋だ」


 とにかく、と彼は改めてコリゴリを見る。それから懐に忍ばせた拳銃を取り出す。恐る恐る、さっき後を追って部屋に入り壁際に隠れているアサヒたちは、動くことも出来ないままそれを見守っていた。


「コリゴリが何を見たかは知らないが、此処でスキダを発動してもお前程度の器じゃ、このザマだ……ハッ、情けない」


 アサヒは、彼の声を体温が急に下がるかのような、生きた心地のしない気持ちで聞いていた。気付かれない内に退散した方が良いのかもしれない。


(お前程度の器? 何の話をしているんだ──?)


 そっと壁際から身を乗り出す。

コリゴリが倒れている。

ほとんど生気を感じない。腕や体のところどころが中途半端にねじまがり、人間と怪物が混ざるかのように奇妙に変形していた。スキダを発動して怪物になってしまった、ということを指すのだろうか。


「紙と、何か目覚めさせる対象、を見付けてしまったかな? コリゴリがお嬢ちゃんの趣味には、見えないが────いや、どうかな、案外……

『あいつら』が妬ましく思う程度の、仲睦まじさがあったのかもしれんな?」


 アサヒは何故だか、ビクッと肩を震わせた。


「となると、いやはやこの地域に『脳筋』を配置したのは失策だったか……

やつには孤独というものがまるでわかってないのに」


 ぶつぶつと呟きながら彼は提げている袋から更に何かを取り出す。油では無さそうだった。それをポケットにおさめてから、躊躇いなく拳銃をコリゴリだったものに向ける。


「証拠隠滅の手間を取らせやがって……ほうら、お前ら、『残念なエリート』だ!」


 額に穴が開いているので、多分一度撃たれている気がするが、彼は胸に銃弾を放った。振動、音。

ぱしゃ、と水溜まりのように血が跳ねる。


───にしても、お前ら?

 そういえばとアサヒたちが足もとの紙の周りをよく見ると、得たいのしれない人型の小さな何かがあちこち蠢いている。

それらの多くが残念なエリート、に向かって集まっていく。


「せっかくエリートになっても、好きなヤツからは愛されない。その上此処で怪物になったから余計に嫌われただろうコリゴリにお疲れ様でしたを送ろう!」


 男は急に、歌でも送りそうな朗らかさで言い、手についた血で近くにあるわずかな紙全体を使い何か図形を書き込む。

鳥居か家の屋根? 独特な何か建物のようなそれだった。


「『そいつ』を食ったら、『そこ』から家に帰るんだな! そうすれば今は見逃す」


 小さな何らか、は集まって来るがその男を攻撃することは何故か無かった。

コリゴリに向かっていくと、嬉しそうにむしゃむしゃと実に良く食い付き始め、そして少しずつ消えていく。

『そこ』に帰っているのかはわからないが……

 紙に書かれた大きな家が、少しだけ光っていたような気がした。




 アサヒと女の子は混乱していた。

こいつは誰で、なんなのだろう。


「椅子なんて大事そうに抱えちゃって……まぁまぁ……誰のことを想っている? 俺ではないのか?」


男はニヤニヤと彼女を観察する。


「気に入らないんだよなぁ」


椅子を彼女の手から引っ張ろうとするが、彼女も大事そうに抱えるだけあって、なかなか引き剥がせない。

しばらく揺さぶる後、椅子を引っこ抜いた彼はその場に椅子をたたきつけた。


「人間を愛せよ? 椅子は人間の代わりにはならんぞ」


 椅子が気に入らないのか、強めにけりを入れ、ゴミ箱に投げつける。椅子はゴミ箱には入りきらない為、跳ねて床に戻った。

「汚い椅子だな。血まみれじゃないか」



 隠れて見ていた女の子は小さく許せない、と呟く。アサヒも唖然としといた。

けれど物は物であり、人は人であるというのはときにこういった現実を突きつけてくる。


 椅子が無いまま倒れている少女は本当に疲れきっている様子でピクリとも動かない。

「あー、ムカつく。家族揃ってムカつくやつらだ」


 そのまま、彼女のいる場所を通りすぎてやや焦げ付いた部屋の方に歩いていく。そして机の引き出し、棚、クローゼットなどを次々開けて中を確認した。


「あやしいものは…………まあ、ないかっと」


 彼は安心したように窓際に向かう。そこには先ほどから待機するヘリが居た。


「よーく撮影しておいてくれ。これが彼女の部屋だ。残念だがどんなに燃え、荒れようと、撮影はやめないぞ? ふふふふ……

むしろ炎の中のお前にはとてもそそられたし、意欲がわいたんだよな、火事と少女──是非次に作る映画のネタにさせてもらう」 


 ヘリに言い聞かせると、それに強引に飛び乗ろうとして、何かにつまづく。

足元には神棚のような物が転がったままになっていた。


「痛い……こんなもの、片付けて置けよ!!」


彼は短気らしい。

その場ですぐに叫び散らした。


「──チッ、そんなに良いのか、孤独が!! 

そんなに俺はその器じゃないのか!? 神様なんて居ないんだよ!!

居るなら何故俺には救いをもたらさない!? 

 

その器じゃないから愛せないって!!こんなに俺も孤独を理解しているのに!!現に、お前らが恐れているスキダに成り変わることもないだろうが!!!


恋をして他人が怪物に乗っ取られる!? そんな馬鹿げた話があるか!?

お前の家族だって皆単に気が触れただけだろう! そうなんだよ!!」




 肩で息をしながら、彼はやっと落ち着くとヘリコプターを出来る限り窓際に近付けて飛び乗った。
















「ちょっと、言い過ぎじゃ無いですか?」


 男、が『部屋に』 戻ったタイミングでちょうど恋愛大好き会長、と彼が呼んでいる学会長が部屋を訪ねて来た。

火事だろうが中で誰か暴れようが、大事な書き物をしていようが、常に本部の観察は怠っていない。


「これから恋愛をする人たちが、あなたの言葉で傷付きます」


「だからどうした!」


男の決意は揺らぐことがなかった。


「ちょっと泣くだけで済むやつと、

これから先未来の無いやつの痛みが同じだとでも言うのか?」


会長には彼のことがわからない。

悪魔の家に入り浸り、悪態を吐き、油を撒いて帰る、頑固な鬼のようだった。


「ずっと──あの家の者が納めるまで、長い間多くの土地が食われた。孤独を馬鹿にし、孤独を否定し、多くの者が他者と生きる為に戦ってきた。

俺だって他者と生きる為に戦った!


だが『それとこれ』とは、話が違う。

優しい言葉なら傷付かないのか?

今お前の優しい言葉に、俺が否定されたと感じたが」


会長には、彼のことがわからない。

だから気分が悪くなってしまった。


「あなたって最低のドクズですよね」


男はしばらく反論を考えてみたが、やめた。


「コリゴリがアサヒを取り逃がした。

夜になるから引き上げたが……アサヒが『コクる』までにはどうにか捕らえねば! コクってからでは取り返しがつかない」


「単に、貴方は、他人が怖いのよ」


 会長は彼の考えを見下していた。

恋愛は何があっても絶対に否定してはならない神にも等しい、全能感に溢れ、祝福されるべきものだからだ。


「俺は優秀だ。他者など怖くはない。

だから寂しさもない。

だが、奴はそのような器ではなかったのだよ。だから、コリゴリはコクった、コクって頭が馬鹿になったんだ」


会長は頭を抱えていた。

ちょっと始末してきただけでまるで大事のようにいばる。他人を恐れて妄言を吐くだけの情けない人物。

学会員ではあるものの、恋愛大好き会長と彼の意見は、平行線のまま対立を続けているのだった。


「コクるだの、憑かれるだの、本当にそのようなことがあるわけがないでしょう?」


会長は資料室で見た昔話を思い出す。

44街に古くから伝承されたものらしいが、やはり恋愛の素晴らしさを語っているようにしか思えないのだ。


「二人が出会い、恋愛をして世界に平和が訪れた、それが昔からある話では?」


「ああ、資料室の本を読んだのか……」


彼はちょっとだけ落ち着きながら言う。


「最後だけ読むとそうともとれるな。

だが、どうしてあの家が、家族やきょうだいすら『中に入れない』と思う? 


スキダに妬まれコクられて死んでしまうからだ」


「そういえば貴方、あの家の母親をご存知なんですよね? 我々が観察している──」


 彼女は思い出す。

確かに、10年ほど前、悪魔と言い触らして、44街が直々に「悪魔の住む家に他者が近付かないように」とお触れを出した

そして今もなお、観察屋やハクナが徹底的に監視している状態だ。



「ああ──マドンナだよ。美人だったなぁ……今は各地を点々と飛び回りながら忙しくしているらしいが……元気かなぁ……イケメンを否定するのが楽しいのかと聞かれ『私も美少女って言われたことくらいありますから!』はなかなか痺れたよ……」



「はぁ……」


あきれた目をする会長。

こほん、と咳をして彼は仕切り直す。


「あの家の者がコクられずに済むのは、自己を否定し孤独を愛するから。ある種の悟りだよ」


「自己否定……」


 スキダが妬む、などという話は初めて聞いたことだった。

彼女悪魔が、物心ついたときには独りで暮らす理由。それがまさか、あのスキダに関わっているとは。



「ただの雑魚スライムですら、

彼女を愛そうと狂暴になってしまう。

または──スキダの『生きたかった』執念、呪いをそのままかぶり皮肉な道化を演じ、コクって、狂ってしまうんだ」


「はぁ、仮に、そうだとするなら、一体なぜ──孤独を愛するスキダが……」



「『お前が幸せになるくらいなら』自分が彼女を愛する方がまだ孤独がわかる、ということかもしれん。

奴は多分、幸せなまま、幸せになるやつが許せないんだ……」


「だから……コクって、身体を奪う……」


「その点俺は違う。家族は死んだし、常に独り身だ。生活はこの泥商売で安定している。愛されるより嫌われる方が多い」


「でも、本命に好かれないんですね」


会長が吹き出す。

「やかましい!」と男は怒鳴った。


「例え彼女や、お嬢さんに嫌われようと今後もハクナの指揮は続けていく」














 誰かに呼ばれたような気がして、ぼーっとしたまま目を覚ます。視界いっぱいに、アサヒとあの子が映った。

身体中が痛くて動かせない。


「痛い……」


椅子さんが見当たらない。

椅子さん……あの男が投げ飛ばした。

はやく、無事を確かめなくちゃ。

はやく、会いたいな。

頬に雫が伝う。


「大丈夫か!?」

アサヒが慌てたように私を覗き込んだ。

「痛い……痛い」

痛い。

口にして、やっぱり痛いと思った。

「待ってろ、病院に……」

アサヒが何か言うが、よく聞こえない。苦痛で苦笑いのような半泣きのような顔しか出来ない。

「痛いよ……痛い……他人が、他人を想う気持ちが、痛い……痛いよ……」

 女の子がしゃがんでじっとこちらを見ていた。無事で良かった。

「病院にいく?」

近くで聞き取りやすく言われて首を横にふる。

「そんなに深くないから……大丈夫。私、傷なおるの早いんだよ」


 身体を起こそうとして、全身に激痛が走った。二人の優しい顔を見ていたと同時に、スッと何かが入り込むような、何かが目覚めるような、不思議な感覚で、発狂した。


「私、悪魔なんだよ!! 悪魔に優しくしないで! 私に近付くな!! 許さない、許さない、許さない、許さない、お願い……私、」


 私が何を言っているのかはわからないけど、だけど私はさっきまでの痛みが嘘みたいに強引に身体を起こしていた。


「ああああああああ────

ああああああああああ───────


独りにして、独りにして独りにして独りに……


「どうしたんだ?」


アサヒが驚いている。女の子はじっとこちらを見ている。

私にも、わからない。

だけど、わかる気がする。


「お……お願い……私……私」


私の目の前に、女の子が立っている。あの瓦礫の下に居た子ではなくて、もう少し、中学生くらいの子だ。顔だけが、ぼやけたままわからない。

背中に羽が生えている。


「ああぁああぁああぁああぁああぁああぁ……」


私がうめくと同時に、女の子は胸を抑えて泣き出した。

透けた体は、私と重なっているかのように見える。


「────ああぁああぁ」



 出来るだけ意識を保とうと思いながら、一歩前に踏み出す。

その子に触れたら何か変わるのだろうか?

知らない子だという気がしない。

でも、わからない。


「お願い……独りに……独りに」


 その子が私の手を引いて走り出す。

私はいつの間にか近くに転がった皿を手にしていた。


「アハハハハハ!!!」


アサヒたちはびっくりしている。私は繰り返した。


「お願い、よくわからないけど、独りになりたいみたいなの」


私が言うが、アサヒたちは「何を言っているのかわからない」という顔をしている。


「ほら、そこに居るじゃない、女の子が……驚いている……こっちに来ないでって、怖がってる」


「え?」


 もう一人の女の子がきょとんとこちらを見た。もしかしたらアサヒたちにはわからないのだろうか?


皿が放られる。


「アッハハハハハ!!!! みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね!!!」


「他人を想う気持ちが痛い。痛い! 痛い……! あれに触れると」

「「殺したくなる」」



自分が喋っているのか、あのこが喋っているのかどちらだろう。私はニタリと笑って、再び皿を持ち上げ、床に叩きつける。


「出ていけ!!!」


女の子が叫ぶ。


「出ていけ!!!」


なんて悲しい声をしているのだろう。私は、彼女を憎むことが出来なかった。

部屋のガラスが割れ、飛び散る。


アサヒの顔に、破片が跳ねる。


それを労りもせず、「私」は叫ぶ。


憎しみを込めて。



「出ていけー!!!!」




 アサヒたちが慌てたように部屋から出ていくと、私の身体は再び床に崩れ落ちた。安心したように、安らいだ気持ちになる。羽根の生えた女の子が泣き叫ぶ。

「もう、行ったみたいだよ」


割れた破片を広い集めながら、私は微笑んだ。


「────?」


不思議そうに彼女は私を見る。


「ぁ……ew、ぉ、をえ、ぁqあ?」

何かぼそぼそと喋って、彼女は部屋の隅、やや焦げ付き荒れたままになっている部屋に向かっていく。


「……あなたは、だあれ?」


「う……q3ぇ、らに、っ」


「怖かったんだね、なんかごめんなさい」


「て、t……、と、e…a…awみら、」


言語はよくわからないながら、なんとなく、嫌いにはなれないと思った。


「……えっと……部屋の、お片付けしなきゃならないからちょっとうるさくするよ?」


「うあうあう……」


「ん?」


「…x…eawにぬ」


とりあえず、キムでは無さそうだけど……なんだろう。うーん。

 そういえばアサヒたちを追い出してしまったが、まあ仕方がないか。

その子が歩いて行った先には、昔親が付けていった祭壇……倒れているそれがあった。

それを悲しそうに、ぼんやりと見ている。


「あー……倒れてる……あのときに誰かが倒したんだな、まったく」


 手で起こす。

腕がちょっと痛む。


「ものは大事にしないとね」


部屋は荒れちゃったけど、椅子さんも、探さなきゃ。


「私、昔から理屈じゃなく、他人から好かれてもうまくいかないんだよね……あなたもそうなの?」


「ありがとう」


「いいよぉ、別に……」


え? と目の前の彼女を見ると、再びありがとうを繰り返した。言葉が、通じてる!


「あなたのこと、知らないけど、私も誰かが誰かに優しくしてるのを見ると、なんだか苦しくなるから、アサヒたちは気の毒だけどちょっとスッとした……変なの」


「私、嫌い?」


「ううん」


「……」


 他人の心が、自分に入って来るみたいで目を合わせるのも会話するのも全部が嫌になることがあるけれど、それは恋と同じで、理屈ではないのだ。


「誰にだって、怖いものはあるよ。理屈じゃない」


「……」


「人が人と居るの、嫌な気持ち恋人たちは死ねばいい」


淡々と話すその子にそっと近付く。何だか元気がわいてくる気がする。出来ることがあれば良いのになと思った。


「でも私、あなたと話すの、なんだか楽しいよ」


「…………」



「あれ?」


気付くとその子の姿はなく、何処かに消えていた。

ピンポン、と呼び鈴が鳴る。


「あの、入ってよろしいでしょうか?」


またアサヒだった。


「何か?」


「入るぞ」


 有無を言わせない態度でドアを開けられる。鍵はさっきあの男が開けたままだった。


「──良かった、これ、あったな」

テーブルまで歩き、薬のケースを手にしたアサヒが言うと同時にまたドアが開く。

「失礼します」

女の子がぺこっと頭を下げて入ってきた。


「と、いうのは半分本気で半分きっかけだ」


すまなかった、と頭を下げられる。

「アサヒ?」


「俺のせいだ……さっき何があったかは知らないが、こんな戦いになったのは俺の居場所を察知してやつが来たからだ! こんなことになってしまって」


「私が……さっき言ったことを覚えてる?」


「女の子がどうとか……」


「さっき居たんだよ。本当に居たんだよ」


「そうか、今日は疲れてるだろうからもう休んで──」


「あの子もきっと、好かれて怖かったから、殺さなきゃって、思ったんだよ。殺さなきゃ、殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃって」


「……」


「誰かに好かれるたびに

『殺さなきゃいけない』と思わなきゃいけない人が居る。


 殺さなきゃいけないと思わなくて良い友達に──なれるかな、私がなれたらいいのに

好かれなくても、友達は友達で、ずっと、重くならなければいいのに」




















「どうやって可愛がってあげましょう?」

 あぁ……可愛い私の柴犬ちゃん。

彼女はひきつったように笑い、私を見下ろす。





 他人を好きになる才能に恵まれなかった。

他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──

生まれたときから敗北が決まって居た。

生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。


他人を好きになる才能がある、特別な人間になれない。



 そんな私に声をかけてきたのが、同じクラスの教室で後ろの席の彼女だ。


「ねぇ、面白いもの見つけたんだけど、あなたもやらない?」

 彼女はいわゆるサイコパスで良心など感じない。

趣味は生き物の虐待。

前は猫、今度は犬を縛り上げて、小屋に監禁したらしい。


「服新品だし、血で汚れるからいいや」


私は笑った。

 彼女の良心など全く無い、というところが私のお気に入りだった。恋とかそういうのではなくて優しさなどまるで期待出来ないところが、優しくされる屈辱、他人と仲良くしてへらへらすることを義務づけられる痛みから切り離してくれる。


「じゃあ、見ていく?」


 彼女は、今可愛がっている柴犬を、領地の倉庫にいるそれを見ていくか聞く。

その、微塵もない良心からの、薄っぺらいノリの優しさは、周りの仲良しこよしな空気で荒んだ心の慰めだった。


「うーん……ちょっとだけ」


 他人を好きになれないなら、他人を痛め付けても良いわけじゃないことくらいは私にもわかっている。

 けれど私には人間を好きになるのは才能だが、柴犬を可愛がりましょうは才能ではなくて──もっと、常識、愛護法、そういう、自分のなかからは切り離された決まりごとでしかない。


 決まりごとという、セーフティを持った、好きになるごっこ。

これならば、私たちにも、抵抗なくわかる。人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて

「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。


 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。

これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。

私たちだって人間だ。

私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。


他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。

 理不尽だった。



才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?


そんなに偉いか?

他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?



 『好きになるごっこ』の延長が犬を虐待することなら、それも恋なのかもしれない。

──いわば、恋を、してみたのだ。


人間に、なってみたのだ。



倉庫の犬を縛り上げ、恋をしてみる。

友達がする恋を、私はわかってあげる。

なんて、普通の青春みたいなんだろう。

 寂しいが、埋まっていく。


どこにもない居場所。強制される感情。誰にも向かない感情。

全部のやり場が、そこにある。

見つけられたらきっと私も彼女も、輪の一員になれる日が来るかもしれない。

だからこそ、彼女を止められない。

私も、止められない。


だって、恋愛は特別な才能なんだ。

見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。

 そんななかで特別な才能の無いものが何を出来るだろう?


冷たい、ひどい、それしか言わないんだ。

優しい、暖かい、そんなもの、どこにも無い幻想なのに。



「でもあまりひどくしたら、柴犬が死んじゃうんじゃないの?」


 ゴミ箱に投げ捨てられた靴を拾い、教室で体操服に着替えながら私は聞いた。

彼女は背中まである金髪の髪をぐしぐしとかきみだし、そしてひとつに結びながら、平気だよと、冷たい声で言う。


「意外とあいつら、頑丈なのよね、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ」


 彼女は本当に満足そうに笑う。

切れ長の目が細められ、宝石みたいに鋭く輝いた。


「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……」

彼女はしあわせそうに言う。嘘や冗談には見えない。なのにちょっと寂しそうな声。

はぁ、と彼女がため息をつく。

「恋って切ないのね」


 なんて言うけど、きっと本気で思って居ることを、冷たい、と頭ごなしに否定されたことがあるのだろう。


愛情や恋が信号から結び付く刺激を体に統合したシステムならば、別に彼女の言葉が冷たい、ということもないけれど、世間一般的に見ると「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。


「混ぜてみたら? でも、人間用のって、犬には合うのかわからないよ」


「そうよねぇ……お医者さんに聞いてみた方が良いのかしら、犬用のがあるかもしれないし」


 みんなが更衣室で着替える中、本当はいけない、教室で体操服を着てるのは私たちだけ。普段みんながいる教室。

二人しかいない教室。


 私たちに『先生』はおらず、私たちはちょっとだけグレたふりをしながら、自主性を育む。ゴミ箱に投げ捨てられたジャージのほこりを払い、着ながら「完了だよ」と私は言う。

先に着替えていた彼女は嬉しそうに首肯く。


「まさか、ラストが体育なんてね」


「ねぇー、体育、運動部しか得しない」


・・・・・・・・・・・・・・・




 はっと目を覚ましたとき、私は会長室

の扉の前に居た。

「失礼しまーす……万本屋マモトヤ・北香キタカです」

 ちょっと前にばっさりショートカットにした髪がまだ体に馴染まずちょっと寒い。手でさりげなく撫で付けながら、ドアの向こうの応答を待つ。

 早朝だ。まだ部屋で寝ているかもしれないし、此処に来ているかはわからないけれど────


「まぁあ、ハクナの……」


入りなさい、と中から会長の声がして、私は中に向かった。





「それで?」


「雑魚スキダを粉にした薬物を新たに学生から押収しました。

我々の、人類恋愛拡大のため、あちこちにある観察屋のヘリがまいているものと、成分が一致しています。

 しかしなぜこんな濃いものが学生個人から……」


 スキダを粉にするものを吸うと快楽が得られる。何処かから漏れたその情報は、今ひっそりと44街の若者の間で流行っていた。他人を好きになれない劣等感から吸うものもいれば、他人を好きになり過ぎるために神経が過敏になりすぎ、それを落ち着かせる為に吸うものも居る。

会長はふふふと低く唸るように笑う。


「学生時代の恋愛は、買ってでもしたいという人が居るものよ」


「会長──」


会長が苦手だ。この優しい目。

何を考えているかわからない、ねばねばした、ねちっこい目。

ピアスを開けた耳が意味もなくむずむずした。



──スキダを安く手にいれる為の国の暗部。

44街の風俗営業。普段の私はそこでイケナイコトをして、スキダを稼いでいる。


 風俗営業でおじさんたちから手にはいるスキダは普通のスキダとはちがい、中身の無い、外側だけのようなクリスタル。

 だけど、快楽成分が含まれている。誰がつけたのか、普通のスキダが宝石で、こっちはガラスと呼ばれていた。

このスキダは中身がスカスカだから普通に所持するぶんには怪物になりもしない。


「やめろー! 離せーっ!!!」

私が紐をつけて連れてきた女子高生が、後ろでじたばた暴れた。忘れてた。

 つけまがバサバサで、ウエーブのかかったツインテールが小顔を強調し、制服の胸ポケットにやたらとお洒落な形のコンコルドが刺さって重そうになっている。なんだか懐かしいスタイルだ。


「このっ変態男! オカマ!! 女装!!」


「……この犬、どうします」


「おい」


会長はドスのきいた声を出して彼女を睨む。


「粉を何処で手に入れた? 顧客に観察屋が居たの?」


「大変です!」


会長室に、いきなり男性が割り込んできた。普段はハクナの雑用なんかをしている一般寄りのおじいさんだ。

会長が不思議そうにそちらを見やる。


「まあぁ! なんです、騒々しい」


「異常性癖の持ち主を調べていた会員から報告、44街付近で恋愛潰しが出たとのことで!」


「恋愛潰し?」


「観察屋が用いている薬の強いものを撒き一気に雑魚スキダを回収し、それを一気に潰して回っていると」


そちらにみんなが気を取られるうちに、女子高生はポケットから出した丈夫そうなナイフで紐を叩き切る。


「やっばもう来たんだ!」


 あっと気が付いたときには、会長室のガラスが割られていた。

ベランダに飛びうつる女子高生。



「じゃあね! これからも他人に粘着して楽しく生きな!」




2020.12/14PM1:38














椅子さんは、近くにあるごみ箱から発見された。

血塗れで、足をもがれた状態で。



 ショックでその場に座り込みたくなる。まるで、取り残されたような絶望が私に襲い掛かった。

「……ぁ───」

叫びたいのに、うまく声が出てこない。

飛び付くように駆け寄って、一心不乱に足を探す。アサヒや女の子も一緒になって探してくれた。


「……これじゃないか?」


アサヒがやがて、倒れた棚の後ろから足を一本。

「見付けたよ」

女の子がテーブルの下から足を二本。

「あ、これだ……」

私がごみ箱の中から一本見つけた。

椅子さんは固定するためのネジ式ではないので、組み直せば完成のはずだ。

なのだけど────

どれも確かに同じ材質の同じ長さのはずなのにどうやってもいい具合にはくっつかない。


「あ……あれ? あれ?」

なんなの、この椅子。いやそもそもが謎だったんだ。椅子さんはいきなり空から降って来るし、喋るし────戦うし、羽が生えるしさ。

 考えていると、短い時間にも沢山の思い出があって、涙がこぼれてくる。

椅子さんは目を閉じたままだ。


「──椅子さん……椅子さあぁん!」


 せっかく椅子さんと知り合えたのに。

せっかく、さっきまで、一緒に居たのに。

「椅子さん、起きてよ! うわああん!」


 泣き崩れる私の側で椅子さんは冷たくなっている。なんでこうなっちゃうんだろう。確かに椅子さんは、椅子だけど、それでも──それでも生きている。


《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください》


「え……」


思わず涙が引っ込む。アサヒはなんだなんだと驚き、端末で検索する。

女の子も目を丸くした。


「『恋愛潰しだ』! 近くまで来てる」

アサヒが突然よくわからない単語を叫んだ。


「な、何それ……」


「要はスキダ狩りだよ。恋愛至上主義団体が目の敵にしている」


「そうなんだ」


《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください──》


「やっぱり好きな対象者から離れていたら、狙われやすいのかな」


「かもな」


「でも、スキダを狩ってどうするの?」


「さぁ?」 


《───皆の者! よく聞け! 我等は他者を好きになる感覚がわからない! 

これまでの頭領たちは皆

人類に等しくそれがあるという幻想を広めた!! 》


「ジャックされたね」


女の子が言う。


「あーあ」

私は呆然とする。それになにより椅子さんを思うとまた胸が痛んだ。

(うん。私、椅子さんから、離れないよ)例え足がなくなっても例え会話がなくなっても。同じ時間を生きた仲じゃない。


《他者を好きになるために、いったいどれだけの才能が必要なのか! どれだけ、それが無いものたちを邪険に扱って来たのか!》


キーンと高いハウリングのあと、別の人物の声が響いた。


《ぐだぐだうるせえな! こんなまだるっこしい街宣はそこそこに、さっさとやりましょう!》


ついには44街中に、ズンズンドコドコと楽しげなダンスナンバーがかかりはじめる。

続く阿鼻叫喚。

外で何が起きているんだ……


「っていうか本当に近くない!?」


これは驚いた。何故なら私の家は、孤立するようにぽつんと坂に立っている。

ビルに遮られ影にすらなってしまう目立たなさなのに、声がやたらと近くに聞こえるだなんて。


「ちわーっす!」


がらがらー、と窓が開く。

ベランダから二つ結びの少女が部屋に降り立った。

「まだ此処、回ってなかったなーってんで!」


「……!?」


えっ。誰?


「リア充撲滅☆」


どこかから取り出した平たい形のサングラスを目につけると彼女は私、とアサヒをじろじろ見比べた。


「あれ? おっかーしーなー リア充の気配に近いんだけど……リア充表示出ないし」


私がぽかんとしていると、彼女と目が合う。やがて彼女の目は私の膝の上にあるぼろぼろになった椅子さんに向いた。


「うわちゃー……なにそれ、うわうわうわ……うわー、椅子マジでぼろぼろじゃん、可哀想……ちょっとこの椅子メンテしないと」


「な、なんなのよぉ……貴方」


 椅子さんの側まで来ると、じろじろとパーツを眺め始めた。


「わー、この椅子面白いナリしてるね。初めて見た」


「私、椅子さんと付き合うの! 人間のリア充なんて知らない! 帰って!」


椅子さんにベタベタ触れているのがなんだか悲しくてむきになる。彼女は後頭部に手を当てながらちょっと待ちなってと言う。

「私、カグヤ。家が家具屋だったんだ」









 真っ暗な道を、椅子さんを抱えて外を歩く。女の子とアサヒ、そして私の先頭にカグヤが居る。

こんなに他人に囲まれたのは、いつ以来だろう?

胸が痛んだけれど、今更な気もする。

悪魔が、こんなことで良いのだろうか。


「へぇー、大変だね。それで戦うことになったんだ」


「そう。せっかく、代々人を遠ざけていたのに……あのとき、生まれて初めて沢山の人を見たの。避けていたくせに、感情を向けないようにしてきたくせに、都合よく感情を向けてきた。

初めて、向けてきた。

 私『この役目の』為にずっと、家を一人で守るって、覚悟して、ちゃんとやっていたのに、役目も私も無視されてた。

役目が守られているなら私に話しかけたりしないはずだったのに」


「そっか。その役目が、何よりも大事なんだ」


「うん、嫌われるよりもずっとずっと尊い」

それが守れるなら私が嫌われたって叩かれたって痛くない。

痛くても、全然痛くない、ずっとずっと、役目があれば幸せだった。

自己評価が低いとかいう話ではない。

嫌われることを選ぶ代わりに、孤独を勝ち取って居たのに、それすら侵害されたことがひたすらに悲しい。

 孤独の中で安心することを許さず、輪に入ることも許さない、これでは、役目を果たせば済む話ではない。

話が全然違うじゃないか。


 役目を無視したことは、私を嫌うよりも私には重罪なのだ。遠ざけさえすれば済むものを、それらを同時に行った。



「ずっと、誰にも触れさせないで、守り通すんだって──うちは、そうやって続いて来た家なんだ。


悪魔だから、周りから遠ざかって

。44街からお触れだって出てたくらいに、厳重に私に、誰も触れさせないようにしてきた。家族だって追い払うくらいに慎重になってきた」



 さすがにデモが収まっている深夜。

カグヤにこれまでのことを話しながら、私たちは外に向かっている。

カグヤの家には、椅子さんの病院があるらしい。

 家に、キムが集まってきたのは、観察屋が直接私に触れたのと同じくらいの時期。家が、まさか、あんなに荒れるなんて思ってもみなかったけど……

観察され続けているくらいだ。

いつかは起きたことかもしれない。


 こうなったら私以外を家に入れておいていいかわからない。とにかくみんな出てほしいというと、カグヤが寄って行かないかと声をかけてきた。そのまま道中で椅子さんを何に使ったか聞かれて、敵を倒していたという話になった。



「子どもを入れた呪具は母親を求める。

大人を入れた呪具は、子どもを求める。

不幸を入れた呪具は、幸福を求める。

好きを奪われた呪具は、好きを求める。避けるものが、決まっている。

 強く、強く、呪うために、恨むものは、指定されてる」


 だから私はただ、真っ直ぐ、誰からも好かれず、誰から嫌われたって、嫌われる役を全うすれば良かったし、それで済む話だった。私は悪魔で居れば良かった。ずっと町ぐるみで他人を避けてきているのに、いきなり歓迎するという陽キャな考えは通用しない。


「だからね、私も、他人を好きになる人を恨んでいる。

私をそこに、あなたの感情に巻き込まないでって、私、は痛みや寂しさよりも守りたいものがあったから。

なのにその、捨ててきた感情で、もっと大事なもっと守りたかったものを、壊そうとした」


失くしたけれど、確かにあったものだ。

キムがまた起きてしまったけれど──


「変な話だな」


口を挟んだのはアサヒだった。


「ずっと裏でこそこそ観察しておいて、孤独かどうかなんて前提」


「ううん、たぶん、私がキムを眠らせていられるための暗示だから関係ないの。

 此処に人間の家族を入れない、人間の恋人も入れない、私との繋がりを作らない、入れないことで私しか認識しない、私しか認識しなければ、キムは起きて来なかったのに」


アサヒたちは、うっすらと戦いのことは把握していたようだが私から改めて話を聞くのはまた違う新鮮さがあるようで、 さっきから、ほとんど静かに聞き入っていたがカグヤに話終えたあたりで緊張がとけてきたように会話に加わった。

「観察屋がそこまで理解しているとは思えないな。ハクナだってそうだ」


 アサヒの意見では、役目も私も無視して観察しているくらいだから、何か別の私的な理由があるのではないかという。


「攻撃だって、独断的過ぎる──強制恋愛条例に観察義務はないはずだが。

それに誰も近寄らないようにしてる家ってなら、さっき居たコリゴリとは別の、あの男は、なんなんだ?」


「え?」


「がたいのいいおっさんだったが……何か、家に居た小さい怪物みたいなのをまとめて消してから帰って行った」


「あぁ────来ていたんだ」


 椅子さんを胸に引き寄せながら、ごちゃごちゃしている感情を隠すように笑う。


「たぶんあの人だろうけど、わからない。私には、何にもわからない。

親が本当に親なのかも知らないからな」


 生れたばかりの小さい頃だけは、うっすらと家族が居たような記憶がある。

知らない人が常に家を出入りして、私以外が知らない人の話をして盛り上がる。

私は周りが知らない人の話をして盛り上がる中で初めての孤独を経験する。

彼らと私との別れが、その時点で既にわかっていたからかもしれない。

独り暮らしを始めても、全く寂しくなかった。





「全然会話に入れなくって」


「あれでしょ、屋号とかお客さんとか、

昔の知り合い何でも話題にするから、子どもは入れないやつじゃん」


「そうそう」


「うちも、活動家の話や、政治家の話をするから、ママが何を言ってるか全然わかんないままだった」


女の子が頷いて会話に加わった。


「家具屋さん家、昔からの家具屋さんだから、うちきょーだいいっぱい居るくせに、末には何の話もしてなくってさ、

宇宙人と同居状態。もう家とか全然わかんない。完全アウェイだわー、家庭内孤立。食事する場所、みたいな? もうコミュニケーションは諦めました」


「どこも、そんなもんなんだ……」


 少し視野が開けたような気がした。

屋号とか、昔からの付き合い、親同士の家の話、何を言っているかは全く伝わらないそれらをBGMに、ただ養育の感覚がそこにある、不思議な空間。


「長男長女と親は連帯感あるけど、

その他はこいつら何言ってんだ?

状態で育つから、どっか違う~ってことで、うちも、あまりアットホームでは無いわけだけどまあ気にすんな!」




 しばらく坂を上り、言われた道を曲がり、奥へ奥へ歩いていくと、大きな一軒家に到着した。すぐ裏側に店が隣接しているらしい。

 ガラガラ、と引き戸を開けて「ただいまー」とカグヤが叫ぶが、中からは反応がない。

あちこちから木のにおいがする。電気をつけながら、カグヤはあがってあがってとこちらをせかした。

「たーだーいーまー!」

のっそりと、小さな目を瞬かせる白髪のお爺さんが出てきて、彼女に話しかける。

「あら、お客さん、あのヤスダンとこはこの前うちと騒ぎになったから、」


「おじーちゃん、何いってるかわかんないよっ! 友達友達! ごめんねぇ!」


カグヤは明るく謝りながら、さ、靴をぬいでと気にかける。


「おい、あのときは自転車がなぁ本当に大変だったんだぞ。またカワノたちと来てるかもしれん、ちゃんと身元は」


「おじーちゃん……!」


お邪魔して良いのだろうかと焦りながら一応中に上がる。横ではカグヤがおじーちゃん、さんに必死に何か説得していた。

「誰彼構わずそういうのやめてよー」

「ミチ、忘れたのか? エダマメの逆襲を、ナカハラの途中にあるあの坂の」

「私、カグヤだよ! ミチとなんの話してんの? それ何語? 大丈夫?」

「敵を見たら打つんだ、ミチ!」

「おじーちゃあん!」





 案内された通りに玄関から角を曲がると、台所になっていた。組み木の床がお洒落なダイニングだ。


「帰ってきたか」


 部屋から油が跳ねる音とこんがりと何かが揚がる音がする。

菜箸を手にした白髪のおばあさんが糸のような目を細めてカグヤに声をかける。


「おや、お客様まで。よく来たね」


「ただいまおばあちゃん」


「みゃん……今コロッケを作ってるんだ、もうすぐ終わるから」


みゃんというのは方言のようなもので、地域のお年寄りがよく発することがあった。深い意味はないが、相づちのようなものらしい。


「はーい、手を洗ってくるね!」



 テーブルにはクッキングシートを敷かれた大皿に、エビフライ、唐揚げ、ポテト、そしてコロッケが沢山並んでいる。美味しそうだ。そう言えば夕飯はまだだった。アサヒたちも感じていたらしく、

並んでいる料理に目を輝かせた。


「食べてくでしょ?」

 カグヤがドヤ顔で三人に聞いてくるので私たち三人はあわてて頷く。

 そして夕飯完成までまだ早いので、一旦二階に行きカグヤの部屋で待機することとなった。

 カグヤがドアを開けた先の部屋は、ベッドとクローゼットと机のあるシンプルな個室だ。

「入ってー」

と中に通され、壁際に立て掛けてある折り畳み式のテーブルを部屋の真ん中に置き──それをみんなが囲むと改めての本題だった。


「みゃん、改めて紹介する。私はカグヤ。恋愛至上主義に反対してるんだ」


「理由、聞いていい?」

私が言うと、もちろん、とカグヤは笑った。

「うちの父、すごいチャラ男でさ、

スキダを乱発する機械みたいになってて治らない。それが原因で、何回か家庭崩壊しかけてる。

浮気のたびに母が取り乱すのが怖くて、父に張り付くように観察するうちに、いつしかスキダが生まれる瞬間がわかるようになっていた。家庭を破壊する「病気」が許せなかった。私の平和を脅かす

病気。

学校に行ってもみんな好きな人の話をする。仲の良い両親だとか、浮気がない家庭とか、そんな話をする。

恋愛のせいでクラスに馴染めない。

恋愛のせいで、私は孤立した。

恋愛のせいで、嫌なことが沢山あった。



 何回か44街では恋愛に反対した近所の家の焼き討ちがあった。

私と唯一気が合ったクラスメートの家が、父の浮気に絡まれたこともある。

許せなかった。

全部、許せなかった」


 恋愛がいけないんだ、誰かに執着してしまうこの病気がいけないんだって気付いた。

純粋にぬくぬくと一途な恋愛をする他人からの好意も壊して恋愛至上主義が作るこの戦争も、爆撃も全部を壊してやりたい、

台無しにしてやりたい。




「恋愛を破壊して、私は今度こそ平穏を手にいれる。そう思うようになった。

 スキダが生まれる瞬間に、まだ雑魚なうちに破壊しちゃえば良い。他人のも全部、全部、私たちが撲滅して、早いうちに処分しちゃえばいい。私はもう、恋愛による犠牲者を出したくない」


「カグヤ……」


カグヤは優しく、そして強い志を持って恋愛に反対している。


「なんか、感動しちゃった」


私はつられて涙ぐんだ。

理由は違えど、彼女もまた、恋愛という病気の制御できない狂気に脅かされ、生活を壊され、毎日のように他人のスキダに怯えてきたんだ。

 あれを、市が推奨していること、恋愛の強制反対が表に出ないようになっていることは異常事態だ。

恋は病気。病気を広めて利益が出る存在があるわけだ。

女の子も目を潤ませ、小さく拍手していた。彼女も恋愛の犠牲者だ。


「あなたたちなら大丈夫そうだし、今度また、友だちも紹介するね☆」


アサヒは、一人、なんだか渋い顔をしている。

「どうかした?」


私が聞くと、アサヒは辺りを見渡しながら聞いた。


「……この家、なぜ、その……」


アサヒは、ちらりと女の子の方を見る。

それから私を見た。


「恋愛に反対してて、焼き討ちに合わないか?」


カグヤが聞き返す。



「実は私の家、ハクナの構成員なんだ。だからだと思う」


 カグヤが言った言葉に空気が一瞬凍りつく。アサヒだけは、なにか察していたように頷いた。


「そうか」

カグヤは慌てたように手を振る。

「あ、私は、そんなに関係ないんだよ? お父さんとかがね? ちょっと特殊というか……恋愛を推進してるというか」


カグヤにとってあまり愉快な話ではないのだろう。それに、カグヤの家は私たちが戦っている相手、圧力をかける側を背後に持っているから気を遣っているらしい。


「でも、だからこそ尚更、私の居場所が無いみたいで嫌……だから」


 だんだん声が小さくなっていくカグヤに代わるようにアサヒが言った。


「実は俺は、観察屋をしていた。代金をもらってあちこちから対象を観察していたが、クビになった。お前の友人たちももしかしたら、俺らの仲間が密告したからかもしれない」


「……へぇ」


今度はカグヤの表情がひきつる。


「お互いに、いろいろあるもんだね」


 アサヒがカグヤの友人の家に関わったかはわからない。それでも少し複雑な思いはあるはずだ。私もそう。横でじっとしている女の子もそれぞれ思うことがあるだろう。けれど、すべてをいちどに吐き出してどうなるわけでもない。

  ちょうどそのときカグヤの祖父からこっちに来て手伝ってと号令がかかり、アサヒが重いもの(家具?)を運ぶのを手伝いに降りて行った。


 その背中を見つめながら女の子はしばらく考えこんでいたけれど、カグヤに口を開く。


「私のママは、強制恋愛に反対してるの……だからハクナにとっても邪魔者かもしれない」


カグヤは彼女の手を握り、そんなのは私たちには関係ないと言った。

「でも、そっか、私たちみんな、秘密があるんだね」

少し悲しそうにカグヤが言うと、みんな、はそうだねと口々に言い頷いた。


「そういえばカグヤ、椅子さんは──」


「あぁ、まずは汚れをきれいにしなくちゃいけないから。まだかかるけど、大丈夫、きっとよくなるよ」

ホッと胸を撫で下ろす。

女の子が机の横でなにかパンフレットを見つけた。


「『あなたは運命を信じますか?』」


仲良く手を繋ぐカップルたちの写真が並ぶ表紙に大きく地球が描かれている。

カグヤは苦笑いしながらそれは親からもらったと言った。


「恋愛総合化学会たちは、今『運命のつがい』をテーマに運命を探してるみたい。運命のつがい、運命の人、いると思う?」


「運命は決まっているものじゃなくて、出会うものだと思う。

相手が生れたときから決まっているなんて、予言で恋をするなんてありえない」


心が運命にプログラムされてたから好きにならないといけないってあんまりだ。

最初から自由なんかなかったって、人生の全部がお芝居を演じていただけというようなものだ。それも、好き嫌いという固人を決める大事な部分さえ選ばせてもらえないことになる。

それをいくら美化しても、美しくないように感じた。


「運命とかそんなのじゃなく、ちゃんと自力で学習するべきじゃないかな」



私は強く否定した。運命だかなんだかというわからない予言でつがいを選ぶなんて残酷だ。

 そんなものがあるのならみんな誰も自分で好きにならなくて良いし、心が存在する意味もない。

 未来の恋人が見えるなら、恋なんか存在する必要が無い。ただ本能に従うだけじゃないか。

 けれど──椅子さんと出会うことは、運命な気がしていた。

人間同士がすべて決まっているという意味でないのなら、運命はあるのかもしれない。


「私も……運命があるなら、恋愛性ショックの発作にも、こんなに悩まない。家だって……ママだって……最初から救われる道があったなら、こんなことにはならなかったんだ! 

もしもそんな運命があるのなら戦わなくちゃ。

好きな人も嫌いな人も、運命が決めるんじゃないって、証明したい」



カグヤはちょっと驚いた、と目を丸くした。

「周りのみんなは、これを聞くと素晴らしいことみたいに言うから、驚いた。


…………遺伝子に操作されてますよって聞いてるだけの、何が素晴らしいんだろって」


ぽつり、こぼされた本音と共に、カグヤの瞳から雫が落ちた。


「私も、遺伝子に操られて生まれて、遺伝子や占いで相手が決められて、そんな、運命──むなしいだけだと思ってる。都合のいい妄想だよ。父はずっとそれを探してる。

相手を好きになろうとせずに、運命を探してる。運命があるなら、予言があるなら、恋愛なんかいらないのに」


 カグヤが近くの本棚から、アルバムを取り出して、机の上に広げる。

クラスの集合写真らしいが、リア充……クラスメートのほとんどには×がつけられていた。


「これ──クラスのやつらはみんなやられてるの。恋愛に操られ、ふわふわした運命を信じて化け物の手下になった。


 私は違う。生き残らなくちゃ。楽しい青春時代、なんて時代はおじいちゃんお婆ちゃんのときに終わったんだ。


操られたりしない。戦うの」


「私も」


「私も」


 三人が話し合っていたそのとき、下から「そろそろ支度が出来るよ」とカグヤの祖母が呼んだので、みんなはぞろぞろと一階に向かった。



(PM10:041月1日

















公民館の一室を借りて行われる定例会。禿げた男……タイクレーが壇上に立ちながら資料の紙を近くのスクリーンに映す。


「私はヒューマン以外と、異常性癖の持ち主のデータを役場と戸籍屋のツテで洗い直しました。

 まだ恋人届が出されていない三割のうち、1割近くの精神異常者や自殺者があります。精神異常者にも恋愛をさせますか?」


 椅子に座る会員たちがざわつく。精神異常者についても出来れば適当に相手を作るようにとなっているが、義務教育辺りまでの子どもと同じ引き延ばし措置をしている段階だ。

 しかし、当然処刑を恐れて精神疾患のふりをする者も居り、厄介な管理となっていた。


会長は、まぁあ、と口をおさえて驚いた。

「そうだったわ」

 どのみち自殺者を増やして居ては、国や支援者からも恋愛総合化活動が怪しまれる。


「精神に異常がある場合は、病院を勧め、幸せになるお薬を差し上げましょう」


「畏まりました、ボーレ製薬に手配しておきます」


 スキダを粉にすることで促進剤が精製出来ることは、学会の息がかかった製薬会社の惚れ薬の開発中に伝わっている。

 学会が風俗を利用して中身の無いスキダを提供することも出来るので取引が成立していた。

恋愛感情は無料で手に入る、人間にとって最も手軽な麻薬として重宝されあちこちに流行っている。促進出来れば出来るだけ良い金蔓になり得た。


拍手が巻きおこる。

 

「それって、大丈夫なんですか? 真の、真実の恋とか……じゃなくて……薬で」


 まだ会に入ったばかりの女性が挙手した。

禿げた男が笑顔を見せる。


「薬の心配ですか、合法なものですよ、ただ、深層心理の理解を深め背中を押してくれるだけのもの。それに、誰でも恋愛感情を持ち得ますからね、捜査の手がまさか恋心に及ぶことはありません。

プライバシーの侵害だかなんだかになります」


ほっ、と女性が胸を撫で下ろす。

 恋愛を強制的にでも決定し、世界をこの合法な麻薬漬けにすることは後の貿易の為にも、多幸感を増幅して魔を寄せ付けない為にも一番有効な手段でもある。

「恋愛を勧めることは恋愛学者がすでに行って居ますし、もし恋心が違法なものなら恋愛のれの字すら口には出来ません。私たちは幸せな恋愛で世界から悲しみを救済するのです」


会長がみんなの前まで来て、高らかに告げた。


「魔のものは、恋愛や幸福が嫌いなのです!

取り入る隙を与えないような恋をしていれば、怪物は現れない!」


 怪物を遠ざけ、世界を救済する。多幸感に満ちた人々は永遠の幸せを得る。

それが恋愛総合化学会の素晴らしい教えだった。恋愛には運命のつがいがいる、として恋愛がまだな人々も、多幸感のお裾分け《ギフト》などで勧誘している。

自分自身のせいではなく、つがいが現れていないからだといって慰め、多幸感からまずは高めようという具合だ。恋愛促進剤のお薬もこの一貫、幸せな救済措置なのだった。

「私にもつがいが現れますかね」


 まだ雑役だが大分馴染んだ男性が挙手をする。


「大丈夫ですよ。トリオキニさんがギフトで恋愛の素晴しさを広めれば必ず現れます」


「はいっ! がんばります!」


会を締めるときなどのコールが一斉に上がった。


「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」



















 運命のつがいなんてあるのなら、どうして恋愛があるのだろう?


わざわざ葛藤する価値もなく、わざわざ気に入られる価値もなく、わざわざ会話する価値もなく、わざわざ思いやる理由はなく、ただ、決められているからで済むはずだ。


 好きも嫌いも選ぶもの全てが運命なら、

どうして個人は存在するのだろう?

どうして、生きてゆくのだろう?

敷かれたレールに従って、示されたものを食べ、示されたものを見て、示された子孫を残すだけ、その為に示された相手を選ぶことが人類の使命であり、生命の役割ならば、あまりにも残酷だ。



それはあまりにも

人間の心を、根底から覆す、残酷な運命だ。











ふと、薄暗い地下でグラタンは目覚めた。

隣から自分のものではない圧し殺したような嗚咽が聞こえてきて、ますます意識が覚醒する。

「ここは……」


 身体中が痛く、ぼーっとするが、ひとまず生きては居るらしい。

隣に居たのはまだ若い、灰色の髪をした10代ほどの女の子だった。娘も生きていればいづれはこのくらいの年になるだろうと胸が痛む。

「おはようございます」

悲しみには触れないようにひとまず挨拶をする。彼女はビクッと肩を震わせたが、膝までかけた毛布を手繰り寄せてうなずく。

 地下の部屋は暗い。



 謎の男に誘拐され連れてこられた彼女たちは、3、4人ごとにそれぞれその牢獄に管理されて居た。

彼女もその仲間入りしたばかり。旅先の安価な船の中のような、薄くてざらついた毛布が二人で1つの割合で支給され、薄いビスケットのようなもので食事を済ませていた。


「おは……よう」

少女はかなり痩せこけていて、ここに来て一年は経ちそうだという。

「あたしたちの番はまだみたいだね」

呼び出された人の部屋の鍵が開き、順に地上で労働があるが、基本的に人気の者とそうでない者が居り、新入りはまだまだ雑役がメインだったので、忙しさよりまずは、暇、という言葉と、激しい不安にかられた。労働がない時間も逃げ出すことは許されていない為に、彼女たちはよく当たり障りのない範囲の話をした。


 嫁市場、品評会に出される為に管理されること、良い土地や見た目で価値が変動すること、スキダを奪われた者が多いこと。

ほとんどが誘拐であること。


「さっきは、うるさくしてごめんなさい」


彼女はグラタンよりもこの現実に慣れていたが、それでも夜中にこうしてこっそり泣き出すことがあった。まだ幼く、まだやりたいことが沢山あるだろうにとグラタンも気にするよりは同情のようなものを持っている。


「何かあったの?」





「売れ残り過ぎたら、奴隷にされるかもと考えてしまって」


「そう……」


それはあり得なくはなかった。

商品である価値が無ければ内臓を売るなり

本当に危険な仕事をさせるなり、処分するということも考えてしまっておかしくない。彼女は一年売れ残りなのだ。


「自分が何を好きかも、何も知らないで、

自分がどういう人間か何も判断出来ない

まだ知らない、知りたいこと、何も知らないで一方的に他人から好かれたり嫌われて点数を付けられて……」


「好きなものは、ないの?」


彼女は首を横に振った。


「好きなものがあるなら、もっと励みになるものが、生き甲斐になる勇気があったはず!

誘拐する人がどんな気持ちなのかまるでわからない! 

あたしは誘拐されて、道端の石にさえ満足に触れなかったんだわ! 周りは、そんな好奇心すら嘲笑うように気軽にそれを投げつけてる」


毛布を抱き締めて、彼女は泣き出す。


「目の前にごちそうがあったのに、ごちそうごと、テーブルをひっくり返したみたいに、家が、そこで味わうはずだった

好きなものという仮定の話が頭から離れないの」


「……そうね」


彼女にも家族が居たが、どんな気持ちで想っていたのかは今となればよくわからない。好きとはなんだったのか。

 自分をそれの対象として他人が品評する行為が、自分にない何か欠けたものを使った優越感に満ちた贅沢な遊びである気がする。

「好きなものは、勝手にわいてくると思っていたけど、そうじゃなかった。

与えられている環境に合わせてそれをより生かす為に送られる快楽信号。

勝手にわいてくるのならこんな場所に居たって楽しいはず、それなのに、それなのに……」


 彼女の握りしめた拳に涙が落ちる。

地下室には、彼女たちのスキダの生まれる環境がなかった。ときにスキダは怪物になることがあると聞いたことがあるけれど、ここではその心配も、『発作』の心配も無さそうだ。

けれどいつまで生きて居られるかとか、そういった心配は尽きないし、出られるに越したことはない。

 同時に彼女は実感した。

与えられる環境に合わせて生まれる快楽信号で育つのがスキダなら、こんな風に誘拐されたり強奪にあわずに、馴染んだ環境でスキダを持てる人は恵まれている。


「好きなものが……欲しいよぉ」


わんわんと泣きわめく彼女に、グラタンもかける言葉がない。

好きなものが手に入らない、スキダも育たない、それでいて、他人は勝手に品評会を開くのだ。自分の環境で恵まれた自分を喜ばせるために。


ガチャガチャと鍵を開ける音がした。


「そこの女ども、仕事だ」


 ガタイの良い覆面の男が、乱暴に告げて鍵を開ける。少女は慌てて泣き止み、グラタンも覚悟をした。

結婚式場の地下からそのまま通路を歩いていくと、やがて繋がった地下通路から風俗店に通じる。地上での警察の取り締まりなどが強化されているためこのようなトンネルからの行き来は役立つ。

何よりも、ボロボロの姿で見知らぬ町を歩かなくて良いことは彼女たちにも悪いことばかりではなかった。

仕事を終えた後、彼女たちはまたボロボロの姿になって寝床に戻る。道中に見知らぬ人や見知らぬ町を見ていては、憎しみが募るだけだ。

何より、脱出しにくくしているのだろうけれど。


そんなトンネルを潜り、ネオンの煌めく怪しい店内、という地上が見えてくる。

そこは控え室とされており、スタッフしか近付くことのない部屋だった。


「いつみてもキラキラしてるなあ」

 少女が目を輝かせる。

彼女も苦笑しながら後に続く。先頭に居る男が売れ残りをじろっと見たがやがてスパンコールの目立つドレスを着た派手な女に二人を引き渡した。

彼女は夜会向けの派手な髪をかきあげながら見下すような笑みを浮かべる。

「はい、こんにちは、少し待ってな」


挨拶をされ、二人ともおずおずと挨拶するも、それを無視しながら壁の内線から電話をかけた。


「バンバン! 奴ら来たよ。あぁ、あぁ、そうだそうだ、バンバンがこの前に見せてくれた水色の……うんうんうん、それそれ」


しばらく立っているうちに、重みのある足音とともに男が現れた。


「っ────」


強い衝撃が彼女たちを揺さぶる。


「あ……あ……あぁ……」


彼は、義手にスキダを持っている。

少女がうっとりと腕を伸ばした。

「私の、スキダ……」

ふらふらと密に引き寄せられるように男に向かっていく。彼はサングラスをかけた顔でニコッと笑う。

「おやおや、モテる男は辛いな」

グラタンは警戒しながら彼を見た。


「お前も意地を張るな」


義手から綺麗な水色の光が溢れると、彼女の胸が痛くなって、勝手に涙がこぼれてくる。その輝きに目をそらすことが出来ない。スキダだ。

あれは自分が奪われたスキダだ。

本能が喜んでしまう。


「グラタン。お前のスキダは優秀だよ。

せめてもの礼にお前を品評会に出してやる」

彼は嬉しそうに笑って、義手を見せつけた。スキダで光輝くキムの手が彼女に伸ばされる。

頭が、頭が……ぼーっとする…………

少女が自分のスキダの輝きを放つもう片方の手に向かって吸い寄せられる。

「あたし……あたしは……? あたしは」





 意識が安定しない頭では少女がどうなったのかわからないまま、グラタンは男に連れられて部屋の奥へと向かって行く。

 ぼーっとした頭が、先程の女に似た顔に見覚えがあったなとふと思った。

なんだっけ。

なんだっけ。

サングラス。

義手。

キムの手。



「あ……」




昔、活動中に見た、恋愛総合化学会の幹部だ──

















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 ♥️8623株式会社 めぐみ友昭 、代表木村
















 アサヒは椅子を抱えながら奥にある部屋へと向かう。血まみれでボロボロになったそれは、物とわかっても心の痛むものだ。彼女の愛する椅子。

 彼女が──市役所で恋人届を出しにいくのに付き合ったのは単にあのときの観察屋の罪悪感からの罪滅ぼしみたいなものだった。

最初は、人が物に好意を抱くなんてにわかには信じられず、もしかしたら嫌がらせなんじゃないかと思って居たけれど、まさか本当に…………と考えて、受理を拒否されてからすぐ起きたクラスター発生を思い出す。


 悪魔、と呼ばれている彼女。『ああいうもの』と戦わされるから、恋愛が出来ないのだ。そして戦わされない為に孤独を受け入れていた。本来ならそれに関して自分が悩む必要はないけれど……

ないけれど……ないけれど。

 あのときすれ違った謎の男。部屋に散らばる愛してるが大量に書かれた紙。どろどろとまとわりつき、あの家を縛り付けている何か。

(そして、奴は紙に血で鳥居のようなものを書き、ここから帰るようにと促していた……)

 やって来るからには、帰ることも出来るという発想は目から鱗だった。だが紙と紙ならいざ知らず人が変化した物はもはや殺さないと無理なんだろう。


──自分が、今まで観察してきたものは何だったんだ?

何のために、あんなに見張る必要性が?

 やっと愛することが出来たのが椅子なのだから、あんなに必死な顔なのか。

また冷や汗をかきそうになる。

「もし、俺が……」


 友人だったらしいスライムが、怪物になり、彼女は自らの手で殺した。

それを──見ているだけだった。

 頭を振り、考えかけた何かを追い払う。

もし、俺が……

何かにとりつかれたように叫び、どろどろとまとわりつき、ただ彼女を取り込むだけの怪物に変わる自分を想像してみるとこんなにおぞましいものはない。



スキダアアアアアアアアアアアアアアアア──


「って、違う! 何を考えているんだ!さっき振った頭はどうした!」


「田中、よく来たな」


 椅子を抱えたまま、奥にある部屋に着いた。

 強い木のにおいが立ち込める室内。

そこら中にくずが舞う床。机には糸のこぎりやカンナ等が並んでいて、あちこちに作りかけの椅子や、やすりをかけているミニテーブル等があった。

カグヤの祖父が淡々と歓迎の言葉を述べる。

「俺はアサヒです……」


「そうか、吉田」


「……アサヒです」


「それでお前さんの椅子だが、そこで少し洗って来て」


 カグヤの祖父はすっと部屋の隅の方に備え付けられた蛇口を指差す。


「わかりました」


 そーっと部屋にお邪魔して椅子を抱えてそちらに向かう──辺りで、どくん、と心臓が跳ねる。

あれ。

(……?)

さっき椅子が、何か話したような。

まるで彼女のようなことを言う自分に戸惑いを覚える。椅子は椅子だ。

疲れてるんだ。折れた足の部分をそっと手にして──「すいません、スポンジ使

っていいですか?」

「優しく手早く洗え。もたもたするな」


「は、はい」


水を出して手早く洗いながらアサヒは考えてみた。あのとき自分もスキダが出せて戦えていたら──?

(けれど俺の……俺のスキダは……)

アサヒのスキダは、わけあって発現しない。だからといって、あのとき逃げたことは彼の中のプライドにも傷を残した。

 男が行ったあれができたら戦えない代わりになるのでは。でも、素人でも出来るのだろうか。ああいう術遊び半分で気軽にやってはいけないとかも聞くし。

そもそも奴は誰なんだろう。


「洗えたか」


「あ……はい」


「早く拭いて」


「はい……」


「少し待ってなさい」



 カグヤの祖父が丹念に椅子を拭いて、

台に寝かせる。そして足の接合部を見た。

「この組み方、今は44街辺りではあまり見なくなったが……釘を使わずになるべくしっかりと嵌め込まれてある、余程この木に対する思い入れがあるのだろう」


「……そう、なんですね」


「これを、どこで?」


「空から、降ってきました」


「──空から? そうか」


バカにするでも笑うでもなく、彼は神妙な顔付きで首肯く。


「家具には魂が宿っている──こともある」

「え?」


「武田よ、じつはわしも昔、これとよく似た椅子を見たことがあるんだ」


「アサヒです……え────?」


「空こそ飛んでは居なかったものの、城から城へ、家から家へと、繁栄の象徴や厄除けとして、かつて、44街が出来るよりずっと昔は、そういった特別な家具が多かったんだよ」


「その椅子は──どこで、見たのですか?」


「家の──本家だ。44街に統制されるずっと昔は、領主の城があちこちにあり、そこにうちは家具を、献上していた」


 44街がずっと昔、もう少し小さな町だったころがある。

その頃はまだ、個人の時代で、個人的な自由を主張する人が多く、一人で食べ歩く、一人で出かける、なんて今ではありえない遊びが流行った。

それより、さらにさらに昔。


「まさか……こんな、こんな、懐かしいものを……治せるとは……冥利につきる」

 カグヤの祖父は感激のあまり目に涙を浮かべた。アサヒは考えた。ガールズトークに混ざっているのもなんとなくそわそわして落ち着かず、こうやって呼ばれたのを理由に手伝いに降りて来たのだが、彼女に聞かせてやりたい。

そして、聞きたい。

(本当にお前の家、どうなってるんだ?)


 家具が空から降って来たことも、悪魔と呼ばれている彼女があれを一体化させられることも、あの家だけがなぜか44街では強制的に孤立させられていることも。

「厄避けか……」


 あの椅子は、戦っていた。

彼女のために、彼女と共に。

それはつまり、あの家具に宿される彼女のスキダは怪物にならないということか。

「礼が言いたかったのだ。ここからはわしが治しておく」


「はい、よろしくお願いします」


めちゃくちゃ感謝されてしまった。彼女に伝えなくてはと思いながら部屋を抜けると、ちょうど降りて来たらしい彼女たちに会った。


「もう、ご飯出来るって!」


カグヤが手招きする。


「あぁ……」


「椅子さんは、大丈夫そうだった?」


『彼女』が心配そうに聞いてくる。


「まぁ……な、大丈夫だと思う。ちょっと組み方が特別な椅子らしいから、少し時間がかかるみたいだが」

「そう」

 胸を撫で下ろす彼女。隣に居た『女の子』が「アサヒ、顔色、よくないね?」と聞いてきた。


「あとで……話したいことがある」

アサヒがみんなに向けて言うと、みんなも頷いた。


「私たちも、アサヒがいない間に話したこと、話すね」


「あぁ、わかった」


カグヤの家は、ハクナの構成員。二人とも打ち解けているがアサヒは複雑だった。観察屋や戸籍屋と手を組んで裏でこそこそと何かを、隠してる。何かをかぎまわっている。アサヒを狙ってコリゴリが口封じに派遣されたほどだ。

もしかしたら、罠があり、食事に毒でもあるかもしれない……そう思うとあまり笑顔になることが出来ない。




20211/2614:50







「以上のことを、纏めると────」


男が眼鏡をくいっと押し上げながら、ボードに指し棒を叩きつける。


「スキダの生成環境や健康的なスキダの発達以外の要因とは別に、生物には異性や同性、その他対象を対象とする為の識別、選択する為のみの能力が備わっているという仮説がたちます。

 フェロモン、相貌認識力、空間把握力など多岐に渡るものであり──

簡単にいうならば、何を持って相手を認識するかですね」


 市長は、彼の姿を固唾を飲んで見守る。

恋愛史や、44街に関することについて何かあれば逐一報告するようにというのが定例会を行う主な目的だが、今回はある理由、ある目的のために個別に話を聞いている。


「何を持って相手を認識するか、これは簡単なことのようで、とても複雑なことなんですが……

恋愛は大まかには『好き、嫌い』という感情と、本能や生理的な衝動によるもの、またはそれに付随する遺伝的な要因という考えが44街では一般的でした」


「それが、違うというの?」


恋愛総合科学会では政治利用などを視野にスキダの生体調査なども、秘密裏に行われていた。眼鏡はその辺りを仕切っている。

彼は手にした資料を彼女の机に並べながら

極めて冷静に説明を続けていた。


「元は地上に住んでいたとされ今は深海に住む44コイも、普通のコイとは異なり、ひげに触れた電波からしか相手を認識しないため、地上種とは交尾を行いません。

相手を認めるまでに、外的な、選択能力がスキダの誕生以前に、まず先に存在しているんです」


 市長は、深く息を吸い、言うことを考えた。考えて、また息を吸い込む。胸騒ぎのような、何か、落ち着かない感覚を覚える。総合科学会はここ数日、市長の命令で戸籍屋の手を借りてヒューマン以外の者や、異常性癖を持つものを洗いだしていた。

 そしてそのリストにあがった中に、ハクナが襲撃した、強制恋愛反対デモの首謀者の女の存在があった。

彼女は恋愛性ショックという病を抱えていたが、厳密には正式に難病と認められているものではないし、例が極めて少なかった為、強制恋愛条例を推し進める市長たちには邪魔でしかなかった。

 スキダ、という名前の通りに感情から生まれる筈のクリスタルが生まれないものは、単なる感情の欠如した異端者だが、感情さえ育てば良いはずだ。それすら真面目にやろうとしないどころか、強制はおかしいなどと言い、周囲に公演を開いたり騒ぎを起こしていたのだから排除されてしかるべきだと、そう考えられていた。


 外的な選択能力────?


──44街のあの古い民話。


──排除されてしかるべきだと、そう、考えていた。

誰が?


運命のつがいが、私たちを、幸せに導いてくれる────


「そうですか──なるほど、」


運命とは、何?

感情を動かされるもの?

身体を、動かされるもの?


 なにか、いけないことを、したのではないかという、漠然とした焦り、不安、恐怖。

市長は精一杯に笑顔を作る。


「報告、ご苦労様です」


眼鏡が一礼して部屋を出ていくと同時に、市長は叫んだ。


「うぅ、う、あああああああああ───!!!!! 間違ってない!! 私は間違ってない!!!! 間違ってない!!!!」


 彼女が学会長になって、もう10年は経つ。恋愛、運命のつがいが、人類を幸福にすると、本気で信じてきた。

スキダが両親を殺した日。

居場所も財産もなにもかも無くした彼女は恋愛総合科学会によって救われ、彼女の運命のつがいであった前会長によって、救われた。

 だから今も本気で信じている。

運命が、恋愛が、つがいを、幸せを作る。

彼女が恋愛によって自分を生まれ変わらせたように。


 スキダは自分の入り込めない相手に奇生することはないはずだ。そう、完全に正解でなくてもいい、44街はこの強制力により、今も怪物から守られている。

少しでも、守られているはずだ。

みんなが、気持ちをひとつにしさえすれば、もう、誰も怪物に殺されないと、そう、信じていたって────

(信じて、いいのかしら?

 どうやら、最近スライムがクラスターを起こしたことなどで、疑心暗鬼になっているらしい。この今まで経験したことのない想定外の事態に、四苦八苦している。

彼女は必死に自分を弁護した。

大事なのはこれから先だ。

 どれだけ抜け無く、パーフェクトな対応が出来るだろう。

トップが責任感の抜けで「またか……」などとみんなに慣れられては示しがつかない。いつも堂々として、会長が居てくれるから安心という安心感で居なくてはならないのだから。


「ああ……あぁああ……しっかりして!!!! ただでさえ!!みんなあなたの失態のために日夜対応に追われ、あなたのために大変な想いをしているのよ!!」


会長は自身を鼓舞しながら、目を潤ませた。あの人に会いたい。あの人に……


「あなたは責任ある立場でしょう? 一般の何倍も影響力がある……人一倍配慮をすべき立場だ。逆にいえば、あなたのとる行いには、通常より何倍も重い過失、責任がジャッジされ、くだされて当たり前なのよ?」


 彼女は自身を鼓舞し、宥め、諫めて、自分を抱き締めるようにしゃがみこみ、頭を抱えた。








定例会などを重ねるごとに彼女の厳しさが、後ろめたさの裏返しなのは上層部をはじめ、みんなが気付いてきている。他人の恋愛をつつきやすいのは、はっきりいうなら結局のところは私利私欲のため。

建前であった、恋愛による幸福までもが、今まさに、揺らぎかけている。

なんて、無様だろう。

なんて、残酷なのだろう。

(とんだ恥知らず者……裸の王さまね)

痛くて苦笑いしてしまう。

────いや、まだ、研究所もスライムのスキダが変異した理由の特定には至っていない。

だがもし……万が一、恋愛が、なにかの対外的な要因で大きく歪むとしたら。

(抜け目なくパーフェクトな組織を形成できる自信はある?)

こんなに混乱ショートしかけている思考回路で。


──いいえ、私はやりとげなくては。

ハクナの罪は、会長の罪。

私は、その罪により今まで甘い汁を啜りつづけてきた。

これからも。だから。

『悪魔』は、この手で再び、封じ込めてみせる!!!!



 会長は覚束無い足取りで、手にした資料のリストにあった悪魔の家の写真を握りしめたまま立ち上がると、建物内の自室から、どこかに電話をかける。電話はすぐに繋がった。



──はい。用件はなんでしょうか。


「……今日、サーチの結果をもらいましたが、観察部隊が尾行に使っていたナンバーの車、ヘリが、まだまだ活躍しているようです。アサヒを仕留めにいったという、コリゴリも帰って来ないし……

あれを置いておくと動かぬ証拠になります」



──わかりました、探させましょう。

他に?


「テレビ局が彼女の家を模して芸能人に訪ねさせて、視聴者ゲストに笑わせる番組を流しましたが──ヘリが万が一周辺に墜落していた場合、ハクナが関わっていることが奴らにも気取られてしまいます」


──わかりました、局には口止めをしておきます。


「いいえ、局だけではだめ。そこにいたタレントも、じっくり、ゆっくりと沼に浸からせなさい……違和感を口にしないかよく見張らないと」


──わかりました、事務所にも話をしておきます。


「小林を呼んでも構わないわ」


──わ、わかりました。

考えておきます。


 スライムがクラスターを発生させたとき、近くに居たのはあの悪魔だった。

スライムは当初の健康診断では異常が見られなかったし精神も普通の範疇だったと保険関係者の調査から聞いている。

要は、あの悪魔にこそ、なにか秘密がある。会長は疑っていた。とにかく隔離してみないことにはわからないけれど────


──ところでその、観察している悪魔の家があった場所、なんか、報告によればすごく荒れてるらしいですけど人が住んでるんですかね……あっ、帰ってきた。

調査員が今来まして、

どうやら、スライムに引き続き、悪魔の家を訪ねたコリゴリが変異したまま亡くなったと───


「……あ……あぁ……あぁ」


二度あることは、三度ある。

会長は蒼白になりながらも悲鳴を堪えた。

彼女の望みは恋愛と運命のつがいで世界を幸せにして怪物を退けること。 

(────対外的な、選択能力……なんて)


嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

24時間朝昼夜、いつでも観察部隊を呼びつけられる。いつでも。危険性を察知したらすぐさま、他人の淫らかつ冷酷なスキャンダルを報告できる。片手ひとつで、誰であっても消し去ることが可能だ。

それでも、怖い……

 彼女によって人生を翻弄され奪われた犠牲者の叫び声が聞こえてくるかのようだった。あのタレント、あの政治家、あの資産家、あの弁護士、あの研究者、あの活動家…………みんな消し去ったが、露見することはなく、今でも平和はつづく。

(いけない、何震えてるのかしら、放送も、フライトも、私が命令したことでしょう?  恋愛総合化学会長の私が悪いからな。理性ある行い、大事にしないと、もし、恋愛が感情のみで引き起こされるわけでないとしてもそれは少数の不具合にすぎなくてつまり)────



──会長?


「あ、いえ……よろしくお願いします」


──わかりました、それではまたなにかあればお申し付けください。



通話が切れる。悪魔を追い詰めていけば、いつか自殺する可能性だってないことはない。あれだけ観察していても、警察やらBPOの手が全てに回りはしない。


「はぁ……私は会長なんだから、しっかりしないと」

罪は、完全には裁かれない。それは不完全な人間と同じく、いつも不完全に存在する。

 悪魔の家に証拠隠滅にいったコリゴリが亡くなっているとなれば、誰かがさらに証拠隠滅にいかなくてはならないが、同時にそれはアサヒを取り逃がしたこととなる。

ハクナが荒れそうだな、と会長は考えてみた。

 ハクナは総合化学会が元々市民の恋愛の様子などを監察させていた部隊だった。

いつの間にかそれが裏金や暴力関係へと繋がり、今の形に発展を遂げた。

 監察部隊の活躍で資金が潤い始めると、それだけ立派な宣伝が出来る。一気に会員も増えた。何であれ、彼女の目的には沢山の会員が必要だ。資金の流れは会長にも流れてくるが、今では当初と目的が変わったとはいえ、無くてはならない部隊である。


 固定電話から離れ、ふらつきながら机に向かう。今はただ、目的に集中していたかった。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








「うわー! 美味しそう」


台所ではしゃぐ女の子や私たちに、カグヤのお祖母さんが嬉しそうにこたえる。

 テーブルにはコロッケだけでなく、肉汁たっぷりそうなハンバーグやサラダ、魚介が入ったスープなどが並んでいる。ごちそうだ。

「テレビでね、有名シェフたちが、ファミレスやコンビニの料理を査定していたの。それを見ていたら、絶品と言われていたハンバーグを是非食べたくなって……私なりに作ってみたの」


カグヤが笑みをこぼした。


「最近はコンビニのでも美味しいもんね、うわぁー、人が来るとちょっとご飯が贅沢になって良いね!」


「オホホ、毎日ではないわよ……今日はたまたま、食材があったの」













「すごく美味しいです!」

私やみんなが口々に言うとカグヤの祖母は穏やかに微笑んだ。

「良かった、まだあるから沢山食べてって」


「ありがとうございます」

女の子が笑顔を見せる。私やアサヒも礼を言った。

「ありがとうございます」


わきあいあいと食事がすすむ。

こんな風景、何年振りだろう?

10年くらいは知らない気がする。胸の奥が、ざわざわ、落ち着かないさざ波を立てたけれど、表に出さないように笑顔につとめた。女の子やアサヒは純粋に楽しんでいるみたいに見える。カグヤも、みんなに合わせて話したり、醤油やソースを取ってあげたりして楽しそうにしている。


 カグヤと私と女の子はダイニングに来るまで、ちょっとだけ秘密の話をした。ハクナの構成員だという彼女の父の話。私たちの話。

仲良くなった、はずだけど、本当は心のどこかで、まだ恋愛総合化学会の勧誘を恐れている。

 女の子も、活動家の家の子なだけあって、感じるものがあるのだろう。楽しそうにするものの、時々視線をさ迷わせて、表情が暗くなる瞬間を私は見ている。

────だけど、だからといって、あの演説、あの出会いを忘れたわけじゃない。

距離をはかりかねながらも、友情にも似た何かが生まれようとしていた。


「それで、みんなはどこから来たの?」

 盛り上がりに──突然、水が刺される。

カグヤの祖母の言葉に空気が凍りつく。

 社会からそっと隠されている悪魔、強制恋愛に反対する活動家。観察屋。みんなそれぞれ、さすがに気軽く情報を知るものを増やす気にならなかった。


「あ……えっ、と」

私が何か言おうとしたタイミングでカグヤが「同じ塾の子なの」と言った。

「あら、そうなのね」

祖母はあっさりと信用する風に見えた。

「あ、そうだ、それならその人は誰の恋人?」

 祖母は次の質問とばかりに、アサヒを指差す。女の子も、私も、一瞬戸惑った。アサヒは驚きはしたものの、異性がこの場に一人だからだろうと、納得したらしかった。納得はしてみたらしいが、しばらく考え込む。


「あー、もしかしてそこのあなたが彼女?」

 私に話を振られて、ええっと戸惑った声をあげてしまう。

「あ──あの……その」


 頭によぎるのは、椅子さんと恋人届けを出そうとしたら沢山の人が群がって来た光景。

スライムが暴れて、追いかけて来た光景。燃え盛る炎。

人を好きになり、怪物になった者の末路。私を好きになり、怪物になった者の末路。怪物が、怪物を殺した痛々しい物語。

椅子さんが恋人だなんて市民に到底口に出せるわけがない。

かといって、アサヒに嘘をつかせる気にもならない。

 私は、自分が悪魔だということを、忘れたわけじゃない。

周りのような誰かを幸せにする為に誰かを愛する立場ではないのだ。


「あ──あの……」


 だから。なんて言おう。

どうしよう。

カグヤの祖母は見た感じ、私たちよりちょっと前の世代──超恋愛世代の生き残りだ。この、個人の心にずかずか入り込むような質問も、彼女たちにとっては、かるいじゃれあい、一種のコミュニケーションでしかないのだろう。

 迷ったまま、チラッ、とアサヒを見る。

アサヒは酷く冷静に、だけどちょっと寂しそうに言った。

助け船だった。

「──いいえ、俺、昔に恋人が居たんですよ」


それは、初めて聞く話だ。

「昔に?」

カグヤが興味を示した。

私もじっと聞き入った。

「別れたんです、その、性格の不一致で……ははっ……」

 アサヒの指が、わずかに震えている。私も、カグヤも、カグヤの祖母も深く追及しなかった。女の子は、じっとアサヒの方を見る。

カグヤが慌てて明るい声を出す。

「まあまあ、元気出して! たーんと食べてね」

「そうそう、召し上がって」祖母も何か察したように笑顔を向けた。私たちも明るくして食事を再開した。





 食事を終えると、カグヤが私たちを呼び止めた。


「さーて! 部屋で話をするわよ」

「あ、うん……」

私はアサヒの反応が頭から離れない。女の子も、何か、思うことがあるみたいだった。

アサヒは、みんな暗い顔してどうしたんだ? なんておどけて見せる。

 階段を上り、部屋に入る途端に、私は思い切って、アサヒに聞いた。

「あの。恋人が居たなら、スキダは──?」


 アサヒは異性だから余計に、怪物になるような気がしていてずっと気になっていた。アサヒのスキダはどんなクリスタルなのか。スライムのときだって、女の子が戦っていたくらいだけど、アサヒは何だか思うところがありそうに見えつつも戦いはしなかった。

アサヒはスキダを発現出来ないのではないか。

けれど、それは、私が知る中では私くらいなものなはずだった。


「俺のスキダは────あいつと共にある。だから、発現しない」


「どういうこと?」


「誘拐、されたんだ……行方不明だが、犯人はわかる」


「誰なの?」

私が聞くとアサヒは少し悲しそうに答えた。


「恋愛総合化学会」


驚き、はしなかった。

他の人もそうだったのかもしれない。


「まだ、ハクナの活動をそんなに力入れてなかった頃に、嫁市場って闇市場が出回ってて、それがハクナが隣国と手を組んでるってずっと言われてた」


カグヤが真剣な顔つきになる。


 それにしても目から鱗が落ちる。スキダ、発現しない要因は、相手が行方不明ということ。好きな相手の存在がわからない場合に、うまく現れないことがあるだなんて。

「誘拐に、手を回してたってこと?」カグヤが聞く。

学会員が、とは彼女は言わなかった。

「なんで、関係あるみたいに言うのよ」

「彼女は、44街に、突如恋愛総合化学会みたいなのが政治のバックにつく前から、強制恋愛に、反対していたんだ──

そして、対外的な要因で恋愛的判断に狂いや乱れが生じる、今でいう恋愛性ショックが、

病気である可能性について論文を発表していた。

やつらが動く動機は充分あった」

「私の、病気だ……」

女の子が、目を丸くする。

「その人って」

「マカロニって名前だったかな」

 女の子の瞳から、雫がぽたぽたとこぼれた。

「お──おかあさ、ん……おかあさん……」


「おかあさん、マカロニさんなの?」


カグヤが聞くと、女の子は首を横にふる。昔っていってたから確かに時系列があわない。

「でも──わかる……おかあさんは、たぶん、そこにいる……」


 あの日、爆発した家の瓦礫の下から、彼女の家族は見つからなかった。だけど彼女は直感したのだろう。彼女の母親も活動家で、同じ病気の話をしていて、ハクナに目を付けられていたのだから。

 爆破された家、さらには観察屋があそこまで執拗に、私の家を見張り、探り続けていることも含めて、そこまでするハクナに可能性が充分あることを感じ取っている。

「なんで? その論文がなぜ狙われるの」

カグヤが首を傾げる。

「恋愛総合化学会が、

恋愛を感情論だけで謳っているからだ」 


 部屋の机の下に滑り落ちていたパンフレット。そこには、運命のつがい、幸福を感じる日々を手にする、感情の浄化、などが謳われていた。















──なにかを好きな人が、妬ましいね。


──なにかを期待し続けられる人は、憎いね。

──生きてても、出来ないなら、どうして

私もあなたも、生れたのかな。

とても不公平だわ。


──好きなものを、守り通すこと


──好きなことを、守り通すこと


それはとてもとても、遠い場所にあって、とてもとても儚く脆い願い事。

誰かが夢見たこと。

ずっと、夢見たこと。

何もかも、あらゆる全てを使ってでも、誰かが叶えたかったこと。

何もかも、あらゆる全てを使ってでも、誰かに届かなかった、とても困難で、残酷な願い事。

 ちょっと泣くだけで済むやつと、

これから先未来の無いやつの痛みが同じだとでも言うのか。

死者は死者として可能性を見せつけられ続ける。


悪魔の家。

 10年ほど前、悪魔と言い触らして、44街が直々に「悪魔の住む家に他者が近付かないように」とお触れを出した。そして今もなお、観察屋やハクナが徹底的に監視している家。



「コリゴリがアサヒを取り逃がした。

夜になるから引き上げたが……アサヒが『コクる』までにはどうにか捕らえねば! コクってからでは取り返しがつかない」


会長は部屋で一人、ハクナの指揮をとる男の言葉を思い出していた。


「悪魔の周辺で、スライムに続き、コリゴリまで亡くなった……」

 コクられるというのが本当なのかは会長は知らない。確かなのは、あの家でなにかがあったということだ。

会社を建て、日陰に追いやるように隠し続けてきた悪魔の家。

 悪魔の彼女を、そうやって蚊帳の外にして、強制恋愛政策を強引に進めてきた。

スライムのクラスター発生を予測出来なかったのは本部のミスだ。

 観察され続けるとはいえ、外出は出来るし、役場に出向いて恋人届を出すくらいなら悪魔にもいつでも可能だったのだから。

しかし、(『代理の彼女』が働かないってことよね────?)

彼女が何かアクションをするときには、代理の彼女、を横に設置し、人間のみんなは本人じゃなくても代理の彼女に話しかけることで悪魔と会話したことにしてもらえる制度も出来ていた。

なのに……観察屋によると役場に訪れた彼女が出した恋人届けは、普通に提出され──だからこそ、クラスターが発生したのだ。

この時点で不審に思わねばならない。

なぜなら。

「代理の彼女」が、彼女と同じ動きを出来なかったのだから。







「アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!!!!

人を好きになれなんて────人を好きになれるなんて──!! 

そんなやつが、居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、目の前に居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、


他人に、何か喋るな!!!


これ以上、これ以上その言葉をお前が使うな!!






 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「って、何気なく聞き流したけど、あなた、病気なの?」

私が思わず率直に聞くと女の子ははにかみながら頷いた。

「うん……普段は発作が出ないようにしてる」

あの薬ケースは、あの子の、それを抑えるものだったのだ。

「そっか……」

気付いていたらすぐに届け──られはしないか、コリゴリやキムと戦わなくてはならなかったのだから。

「あのときは、ありがとう」

「うん……」

女の子が少し恥ずかしそうに首肯く。

「……でも、スキダに体力、なくて、あまり、助けてあげられなくて」


「いいの──私は、悪魔なんだから。

誰にも映らないし誰にも関わらない私に気を遣わないで。

みんながそうしてるのに、変だよ?」


 恩義でも感じてるんだろうか?

悪魔に気軽にそんなことをしていたら、憑かれてしまうかもしれない。

みんなのように、排除しようとしないのは変なことだった。私が違和感を口にすると、女の子は曖昧に頷いた。

あ……そっか、悪魔だなんて自分で言うから引かれちゃったかもしれない。


 それに恩など感じなくても、そりゃ嫌なこともあったけど、聞いて欲しい。


「今、私は夢みたいな時間を過ごしているの」


「えっ──」


もしあなたが現れなければ、一生私に機会が訪れなかった幸運。


「ほら、椅子さんとも会えたし」


────それに、なななんと!

「観察されないでちょっとの時間過ごして見たかった」という夢が叶っている。

生まれてからずっとかなわなかった夢が!

少なくともあのファックスは届かないし、変な番組を見せられたりしない。

沢山のスキダに絡まれたりしない。

果たして、こんなことがあっても良いのだろうか?

悪魔が、こんな幸せな夢を、見ても良いのだろうか?

あまりに幸せ過ぎている気がする。

ここ最近までの人生で一番の幸せかもしれない。ちょっと怖いくらいに。

「──私ね、今が、今でもまだ、信じられないほど幸せなんだ。だからお互い様、ねっ?」


女の子はきょとんとした。

「わかった」


「アサヒ──」

私はアサヒに声をかける。

「もう少し、嫁市場の話が聞きたい」


アサヒが何か言おうとしたときだった。カグヤがおもむろに壁の時計を見上げながら立ち上がった。

「あ──ごめぇん、みんな、夜バイトあるから……支度したいんだけど」


「そうか」

アサヒが慌てて身体をずらしてドアを開けられるようにする。

「って、あぁ……! 洗濯物……!

ちょっと下行ってくる、話してて~」

 彼女は何かに気がついたように廊下に出て階段を降りていく。私は何となく、彼女の背中に何か感じた。

「アサヒ」

「アサヒ」

女の子も、私と同時にアサヒを呼んだ。

どちらも真剣な声音だ。アサヒは何か察したのか「俺が」と短く返事をして、階段を降りていく。ぞろぞろ降りても変だ。

だけど……だけど……。

「アサヒ、私も! 椅子さんが気になるの」

「お姉ちゃんが行くなら、わたしも行く」


三人で、ひとまず、家具屋に続く部屋に向かうという口実、半分本気だけど、それを持って、そーっと階段を降りることにした。




















─────■■年前





俺の教室では、44街のことが話題になっていた。


「もしも、将来強制恋愛条例が出来たらどうします?」

きちっと髪を整え、制服のボタンを上まできちっとつけた『眼鏡』が聞いて来て、俺は「適当に付き合えるワンチャン増えるだけなんじゃねーのか?」と返した。


 この頃はまだ、強制恋愛条例、なんて言われる条例はなかった。ただのおとぎ話だった。

何度も何度も決めるか否かで投票が行われ、白紙に戻って来た条例だ。

 けれど、44街にとっては『好きな相手がいる』ことを市民が互いに認識することにやたらと意義やら意味やらを見いだし、広く認知させ根強く計画を進めているので、いつかは強制恋愛条例が通ってしまうのでは、と俺も思っていたりする。

どんな理由があれば、人が相手を思うかどうかを強制出来るというのか?


 一説では人口の減少によるものだった。けれどそれは建前であり別の思惑があるのでは──と陰謀説を唱える人も居る。

特に、どちらが正しいとか有力だとかは俺には判らない。けれどそれでも得たいの知れない違和感のような何かは感じている。

 陰謀説のひとつが「隣国でキムの手が発見された為、国民を把握しやすくする処置らしい」

 というものだ。「キムの手」は強力な何かで出来て居て、この辺りに住むやつなら皆経験する思春期や青春──に起こり、悩ませられるスキダの発動。

それにより怪物的な概念体または異常行動も引き起こす。

その対処の過程で避けられない「告白」や「突き合い」をしかし問答無用で引き裂き突破するという都市伝説なのだ。


 そんなチートな武器が本当に存在するとすれば、市民どころか国民に成すすべがないわけで、恋が戦争として扱われる今の時代の常識が大きく揺らぐかもしれない。

今のところ俺にスキダは発動していないが、前の月に、ませた生意気な女子生徒とガキの権化のバカ男子生徒がバトルになり、そのとき男子生徒の「告白」によって、女子生徒の「スキダを消滅」させたのを見たときなどは大変だった。

 教室で共鳴したクラスターが発生したためだ。

しばらくは男子と女子という派閥に変わっての争いになっていた。

 スキダは闘争本能を呼び覚まし争いを起こしうる力なのだ。


「キムの手、かぁ」


 もし、万が一陰謀があるとしたら、その真相がキムの手の秘密を握っているのか。



 って、わけでHRのあと、眼鏡の席に行くなり俺は真っ先にその話をした。眼鏡はふむ、と相づちを打ち考察する。

「純粋なスキダを目立たせない為とか、そういう感じかのもしれませんね……」

「純粋なスキダ?」

「えぇ、自分も見たことが無いですけど、あるらしいんですね、普通のとは違うクリスタルが」






「さっきアッコさんから電話が来ててね、あの子たちに悪いけど……」

「おばあちゃん、でも、私──友達になったのに」

 台所の奥の方から、祖母とカグヤの話し合いが聞こえている。

三人は固唾を飲んで見守っていた。

「会員で無い人だしねぇ……私たちを悪く思ってるかもしれないし」

「でも、おばあちゃん!」

「あの男の子の方も、恋人じゃないらしいじゃないか」


 やっぱり、あの問いはわざとだったんだ。

背筋にぞっと冷たいものが走る。

カグヤの祖母は柔らかい笑みを浮かべていそうな、柔らかな声で、当たり前のように話を続けていた。


「『独身』で、更に『非会員』じゃあ、ここに置くと何するかわからないからね? 友達が、大事だろう」


「嫌、私、勧誘なんてしないからね!」

「カグヤ!」

「友達に勧誘なんてしない! 普通の子はそうだもの! あのクズ親父の居る宗教に友達を送り込むなんて誰がするか!」


「カグヤ、誰のお陰で、命が助かったと思っているの? 誰のお陰で、こうやって今幸せに暮らして────」


「知らない! 皆が勝手にやったことだもん、勝手に、あのクズ親父に恩を売る為に! 勝手に! 私……知らない!」


「カグヤ……それだけ、お前を愛しているとは、思えないのかい?」


「愛してたら何やったっていいの? 恋をしたら何やったっていいの? 

クズ親父みたいに、いろんな家庭をめちゃくちゃにしても! あのおばさんみたいに、いろんな男を食い物にしても!」


「カグヤ……それはね」


「あぁ! もううんざり、だったら、死体や物や動物を好きになる方がずっとマシじゃない! 彼らの方がずっと誠実に相手を思いやってる! それがおばあちゃんたちが言う罪な相手でも、振る舞いさえ普通なら、ずっと真面目でまともな人だわ!」


 ドタバタと激しい物音、足音がして、やがて少しの間、静かになった後、奥の部屋から微かに洗濯機の動く音がした。

 その間に、三人はそーっと家具が置いてある作業場の方に向かった。

 祖父はもう眠りについているようで、

作業場は暗くなっていた。

勝手に構ってはならないものもあるだろうと、明かりをつけず、なるべく入り口付近から様子を伺う。

「椅子さん」

私が小さく呼び掛けると、椅子さんは少しだけ返事をした。

──あぁ、おはよう


「椅子さん……」


椅子さんが生きている。それだけで、心の中がじんわり温かくなる。


──心配をかけたね


「うん、でも……良かった、ありがとう……」


ごめんなさいと言いたかったけど、それも違う気がした。


──時期に、カグヤがバイトに出る。


「え?」


──カグヤがバイトに出る。すぐ隣だから話を聞いていた。ついて行くと良い。


「わ、わかった」



椅子さんはふわっ、と台から起きあがり、こちらに向かって来た。


「わ……」


そして、私の腕の中に収まる。

恋い焦がれた感覚だ。

数時間離れただけでも、ひどく懐かしい。


──幸いにも、ちょっと足を治してもらってどうにかなった。


「そう……嬉しい」


 このままずっと抱き締めていたい。

だけどまた足音が聞こえてきて、カグヤが近付くのを察知すると、椅子さんは一旦作業場に隠れた。


「あ──カグヤ」


カグヤも私たちを見つけて、少し決まり悪そうに目を逸らすが、再びこちらを見据えながら「あなたたちも来て」と言った。


「バイトって、何やるの?」

女の子がきょとんとして質問するとカグヤはなんてことないように答える。

「学会関係」


「あっ、そうだ、今度北国に行くんだけど、お土産居る? バイト代で買うから」


「旅行……一人旅?」


家族旅行をするように見えなくて私が聞くとカグヤは首を横に振った。


「奉仕活動。さっきのパンフレットに載ってたでしょう? 貧しい国に食料を配ったり……ゴミを拾ったり……ボランティアよ。宗教の理念にも、まず困ってる人に施しをするようにあるから」


非会員を追い出したい祖母の話を認知した上でこれを言う彼女に複雑な気持ちのまま、私たちはそれぞれ頷いた。

なんとなく「すごく簡単に、スキダが手に入りそうだな」と思ったけど、言わなかった。アサヒがなぜか目を輝かせる。

「アサヒ?」

 女の子がアサヒを見ると、彼はあとで話そう、と言った。


────外は月が浮かんでいる。

歩く人もまばらで、ときどき、スキダが色んな家の窓の外から魚らしく飛び跳ねているのが見える。

 これだけの民家を初めて見たけれど結構すごい景色だ。

「あー、それちょっと恥ずかしいよね」

カグヤやアサヒは私の反応とは違ってむしろ顔を赤らめていた。女の子も金魚すくいみたいで面白いねとはしゃいでいる。

「夜になると、こうやって発光してて……小学校とかは夜中に児童が出歩かないように言ってる。だから私もよく、好奇心に溢れた連中とこっそり見に行ったなあ」


「花火みたいで、楽しいのにな」


女の子が不思議そうにする。

 私もちょっと不思議だったけど、見ていたらなんとなくわかった気がした。魚スキダが跳び跳ねて、一瞬怪物のように大きくなって、また小さくなって、二匹、三匹と、じゃれあって、窓から光が丘消えていく……

 誰かのスキダと誰かのスキダが混ざりあっている姿が、確かにあまり義務教育中の子どもにはいい影響ではないだろう。



「……アサヒ、さっきの話って?」


女の子が改めて聞いた。


「行くのさ、北国」

私と女の子はええーっ!と同時に驚いた。


「確か北国に、『闇商人オンリーのやかた』がある。普通に行くだけじゃ危険だが、学会についていけば……」


「でっ、でも! 怖すぎるよ、洗脳されたりしたら戻って来れないかもしれないじゃない」


「っていうか何そのやかた」

女の子が冷静につっこむ。


「盗品を売りさばくやかただ。嫁品評会に出入りする盗賊、サイコがよく訪れる。

サイコの居る所に、嫁品評会の情報もあるはず」

しばらく黙って道を歩いていたカグヤが、「でも私、実は勧誘しろって言われて断っちゃったんだよね……」と言うのでアサヒは「いいや、伝ならある!」と言った。


「お前らも洗脳されず、伝に出来るやつが……たぶん、おそらく……」

「大丈夫かな?」女の子が私に囁く。「さ、さぁ……」私もわからない。

















 ハクナで、スキダの生体調査などを行っている男は、眼鏡をくいっと押し上げながら思案していた。

研究しよう。

どのような研究をしよう。

どのような方法で…………


 今、44街のある研究所、研究員たちの間では、スキダの生成環境や健康的なスキダの発達以外の要因とは別に、生物には異性や同性、その他対象を対象とする為の識別、選択する為のみの能力が備わっているという仮説がたつのではという報告が相次いでいた。


 フェロモン、相貌認識力、空間把握力など多岐に渡るものであり、簡単にいうならば、何を持って相手を認識するか。

 地上に住んでいたとされ今は深海に住む44コイも、普通のコイとは異なり、ひげに触れた電波からしか相手を認識しないため、地上種とは交尾を行わないという。

相手を認めるまでに、外的な、選択能力がスキダの誕生以前に、まず先に存在している。

人間でもまた、スキダが通常と異なるものが居る。彼らは通常のシチュエーションにも通常の相手にも興味を示さない。

まるで深海の44コイだ。


──スキダは本当にその名前通りの存在なのか?

怪物化の鍵がここにあるような気がする。


 会長にあった翌日の朝から、ずっと「眼鏡」はしばらくスキダを機械にセットしたまま見つめ続ける重大な作業をしていたのだが……昼間妙な胸騒ぎを抱えて、一旦研究所の休憩室に向かう。

 携帯アプリでなにか癒されるゲームでも探そうとしていると、着信アイコンが点滅した。


「はい……44街恋愛研究所……アサヒ!」


「久しぶりだな、眼鏡」


アサヒは観察屋をしている旧友で、たまに話をする仲だった。今もあちこちの空を飛び回っているはずだ。

ちょっと懐かしくて嬉しい。

「どうしたんだ、急に?」



「眼鏡、前に言ってたけど、スキダの変異を探してるんだろ、もしかしたら手に入るかもしれない」


「──ほほう、取引か。何が望みだ?」


「まあまず聞け、実は今度北国に行こうと思ってるんだ、マカロニのことを知っていそうなやつが居る。北国にはハクナや学会員も行くらしい」

「──まだ、あきらめて無かったか。

そうみたいだな、いつものボランティアだろう?」

「訳があって、今は俺はハクナの……移動ルートを知らない。どうせ懇意にしている児童養護施設辺りをめぐるだろうが、万全を期したい」

「ルートの確保か……わかった、考えておこう……スキダの生体調査と称することも出来るからな」

「眼鏡っ!」

はしゃぐ声。

本当に、変わらない……

マカロニが居なくなった頃から、ずっと。
















  アサヒが電話を終えて端末をポケットに戻す。

「あとは、うまく行けば良いんだが……」



 しばらく、空飛ぶ魚を眺めながら街を見下ろしていると、突如カグヤがなにかを見つけて手を合図するようにあげた。

「来たっ!」

 道路の向こう側から、トラックが走って来る。スピーカーが取り付けられた、いわゆる街宣車。そこに運転する少女と荷台から拡声器を使う少女が居た。

 歩道に居るこちらをちらりと見ると手を振り、そしてスピーチを始める。

 《───皆の者! よく聞け! 我等は他者を好きになる感覚がわからない! 

 これまでの頭領たちは皆

 人類に等しくそれがあるという幻想を広めた!! 》


 学・会・関・係。

 確かに言葉として間違ってはいない。カグヤは晴れ晴れとした笑顔で私たちに言う。

「私、ちっちゃな頃からあの家が嫌いなの。だからこうして、恋愛思想をゴリ押すのがいかに害悪かを広めてる」


 《お前は、昔の自分かもしれない──などと勘違い甚だしい言葉を吐くやつに限って、誰かを好きになる経験があって、ボケている!!》


 次第に、何人もの人々が、街宣車を遠巻きに見物にやってきた。

「そうだ! そうだ!」


 《先日も、強制恋愛に異議を唱えたグラタン家が爆破された! 彼女は恋愛性ショックという難病を抱えていたにも関わらず、44街はその事実を隠蔽しようとした!》


 グラタンさんの写真の入ったチラシがまかれる。私も近くから身を乗り出してそれをもらった。やつれ、淡い水色の髪、が白くなりつつあるが、横にいる女の子を彷彿とさせる綺麗な瞳と、繊細そうな白い肌をしている。

 彼女が恋愛性ショックの可能性について本を出したり、活動していたことを、改めて生々しく感じる。

 そしてその意見ごと、彼女はなかったもののように扱われ、家を爆破された。

(まるで、『活動していたこと自体をやめさせるのでは足りなかった』といわんばかりに、その家をも襲撃した)



 私と、同じだ────

 存在する、そのこと自体を認められなかった。

 私は生まれてから今まで、何も感じようとしていなかった。けれど他人がされているのを見て、ようやく気付いた。

 例え立場は違っていても、家まで壊すことなんか、無いんだ!

 家まで壊す必要なんか、無いんだ。

「う──うぅ…………」

 勝手に涙が溢れてくる。自分のときには、何にも感じなかったのに。

 私は悪魔だから、独りだろうが、迫害されようが、今まで、何も、辛くなかった

 。辛くなかったと思っていたのに。

 ただ、論文を提出しただけで、爆撃に合っているなんて、報道すらされないだけで、実際に起きているんだ。


「酷い……酷いよ! おかしいよ、こんなの……活動が嫌なら、ただ手続きを踏んで活動をやめさせれば良かったんだ! どうして、強制恋愛を断っただけで、そこまでする必要があるの! 

 そんなこと、何処にもないのに!これじゃ子どもの喧嘩以下だわ! 

正当な理由すらない!一方的な搾取よ」


アサヒが「辞めて改めてわかるが、こんなやつらに、和解も対話もないだろ」と吐き捨てる。

 実際、確かに向こうの目的で勝手に始まっただけのものに、和解もなにもないといえばその通りである。


 女の子がじっと、私を見つめた。


「うん。それが、ハクナがやってること。学会が、見ないふりをしてきている真実──弁護士も、政治家も、この前テレビから急にいなくなった芸能人もみんな、活動していたことよりも存在すること自体を許されなかった」


 このデモ?を見に来た人たちは少なくともみんな、心のどこかでは違和感に気付いているのだろう。

 論文を消すだけでは足りなかったからこそ、家を襲っている……


「そして、みんなに参加してもらって、いじめる為には、個人の人格の問題にしなくてはならない。だから対象の性格や容姿にわざと話をすり替えている!」


 チラシの裏に、姑息!と見出しをつけてグラタンさんを貶すようなタイトルの本や、番組表が書き留めてある。


 カグヤが、街宣車に飛び乗る。


「それじゃ────漁を始めますか!」



 ぱちん、と指を鳴らすと、すかさず上空からヘリが飛んできた。

 近くに待機していたらしいそれは、ゆっくり旋回し、街の上空中央に飛んでいく。そして、なにかを撒き散らし始めた。見物人があわてて傘をさす。


「リア充───撲滅☆」


 空のあちこちで見えていたスキダが、ふわっと浮き上がり、少し街宣車の方に反応を示す。やがて、通報をうけたのか、街宣車を捉えようとする車があちこちからやって来た。私と女の子とアサヒは急いでトラックの荷台に乗り込む。

 同時に民家のあちこちで、「きゅーんきゅーん!」と子犬みたいな声が発せられている。

 夜の、暗闇。

 花火みたいに打ち上がるスキダたち。

「ちょっ、何あれ」

「学会がスポンサーやってるテレビ番組のせいよ。CMに合わせてきゅーんきゅーんってしぐさが入るんだけれど、運命のつがいと一緒に同じポーズをとる時間~とか言われてて、おつとめみたいなものね」

驚いていると近くに居た見物人が答えてくれる。

「アホらし……パントマイムかなんかか」

「ちょっとしぐさがあってなくても、みんな無理して対象の動きに成りきろうと、必死に演技しているんだから」


 近くにいたおばさんがたしなめる。

浮き上がってくる魚にあわせて、カグヤたちが網を広げる。


他人を好きになる才能に恵まれなかった。

他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──


生まれたときから敗北が決まって居た。

生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。



「仕方ないさ、他人を好きになることは、最初から生まれつき才能で決まるからね」


 私たちを認めてくれたのは、どこかの旅人が言っていたその言葉だけだった。

才能が有るもの、無いものが居る。

その事実自体に、なんて素晴らしいのだろうと感じた。





人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて

「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。


 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。

──これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。

私たちだって人間だ。

私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。


他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。

 理不尽だった。



才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?


そんなに偉いか?

他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?


「うわああああん!! うええええん!!! 私が、好きだって言ったああああ!!?」


──血に染まった部屋で、私はずっと、泣き続けていた。

「あああああ──ああああああああああああああああああああ────!!!

私は──誰も好きになれないのに!!

ああああああああああ────!!

わあああああああああ!!!

誰も好きになれないのに────!うわああああん!うわああああん!

もう嫌だよお!! 嫌だあああああ───!!才能だって言ったのに!?

才能だって、最初から、生まれつき、才能だって言ったのに裏切ったあああああああ────!!」


犬の首に、刃を突き立てる。

私の心に、刃を突き立てる。



「ああああああ────!!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

恋愛は特別な才能なんだ。

見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。

「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……

そこまでして私が、現実世界で!!

誰かを、わざわざ、わざわざ、わざわざ!!」


犬が死んだ先に、犬を救おうとして、

棍棒で打たれ眠っている男が居た。

私が好きだから辞めてほしいと、

だったら、この、『恋をしてみた』ごっこを、黙って見ていれば良いのに、辞めてほしいと言った。その上で。


「わざわざ!! わざわざ!! 私に、才能がないことを!!!わざわざ!!」


 プレゼントの箱にマッチで火を付けると紙なだけあって、よく燃えた。

ちょっとだけ嬉しくなる。

犬を殺している(好きになるごっこをしている)方がずっと幸せなのに。


「あーあ、やっぱ、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ。私がどれだけ現実が嫌いなのかも知らずに!!」



恋の病っていうでしょう?


恋愛が、病気なら良いのに。

そしたらこんなこと、しなくて済むんだ。

隣にいた子が、大丈夫かと聞いてくる。

純粋に労っているみたいだった。 

一部始終を見届けたのに、血だらけの私に、臆することもなく、話しかけてくる。


「他人を好きになれる人って、当たり前のように、みんなにそれを押し付けるよね?」


──どんなに他人を好きになれないと言ってきた人たちも、結局はすぐに裏切ってくる。何回も、何回も。今回だって。

例え最初は違っても、次第に嘘をつき始める。

 愛情なんかなければ、犬を殺したって、別に構わないはずなのに。通りすがりの  『   』は、そう言わなかった。



「あなたもっ、私なんか……」


「昔、本で読んだんだけど、嘘かほんとかわかんないんだけどね、失音楽症って病気があるんだって。音楽が、わかんなくなるの」

「音楽が──」

「あたまの、なかの、音楽を理解する部分がね、あるかもしれないんだって。だから、恋愛だってきっとそうだよ! 恋を理解する部分が、あるはずだよ」

「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。

それが気持ち悪かった。

それが、気持ち悪かった。

ふわふわした、わけのわからないものを、

当然のように。


「それなのにみんな、精神論ばっかりやってるんだよ、わけわかんない、ふわふわした言葉で、全人類に通じるわけがないのに」


万本屋北香(マモトヤキタカ)……」


感情を動かす意味やふわふわした形のないものという意味では、恋は音楽と似ている。わけがわからない。わけのわからないものなのに、誰も疑問を持とうとしない。



・・・・・・・・・・・


「ひゃああああああああああ!?」


トラックがすごいスピードで走る。

荷台に乗っている私たちは必死にしがみついた。



「武器を捨てて、投降しろー!」

同じくスピードを出して追いかけてくる車も拡声器を持っている。

見た目は乗用車っぽいが、パトカーかなにかだろうか。それとも学会員?


「げっ、万本屋北香マモトヤキタカ!」


カグヤの横に居たツインテールの子が叫ぶ。

「……あいつ、まだ……っ!」

運転席の金髪の子は、どんどんスピードを上げていた。荷台の網には、薄い体の

中身のなさそうなスキダがたくさん詰まって、ピチピチと跳ねている。













 万本屋北香は、急に目を見開いた。


「悪魔の子────!」

カグヤたちがえっ? という顔をする。

「──代理は?──嘘、どうして……」

万本屋北香は、代理のことを知っていた。私はそれに驚いた。たぶんハクナでも、そこそこの地位がないと私の代理が居ることは知らないはずなのに。

「代理? っていうか誰?」

女の子が首を傾げる。

「まさか、ハクナに居るとはね、万本屋北香ぁっ!」

ツインテールの女の子がびしっと指をさす。


万本屋北香は追い掛けてきながらも、拡声器を通して車の外に呼び掛ける。

「あなたたちの不要不急のスキダの散布は、許可されていませんよ!」

 

 後ろから万本屋、そして前から万本屋の仲間の車が走って来る。

挟み撃ちしようというやつだ。

 なのでトラックは急速に進路を変えて右折した。


「ってか今、悪魔の子、って言ったけど!」

 カーブを曲がって落ち着いたあたりで、カグヤが辺りを見渡しながら叫ぶ。

車がアスファルトを踏みつけながらもガタゴトいっていて、正直掴まってないと転がってしまいそうだった。ちなみに普通はあまり荷台に人間を乗せて走るものではない。

──女の子が、ぎゅっと私の手を握る。

悪魔の子。

 なんの躊躇いもなく普通にそう呼ばれた。慣れているはずなのにちょっと悲しい。

大丈夫という意味を込めて握り返す。


「ね、44街がこっそり隠してるっていう悪魔の子ってのは、そう周りにわかってるものなの?」

 カグヤが急に振り向き、こっそり聞いてくる。

苦笑するしかなかった。


 揺れる荷台の上で必死に身を屈めていると、目の前の網に目が向く。

中身がある意味無さそうな、つまり無害そうな魚──スキダが大量につまれていた。どうやらヘリコプターが撒くあれは何かの促進剤とかで、散布するとスキダがよってくることもあるらしい。

 何度か道を曲がると一旦車両が追い掛けて来なくなる。彼女たちの仲間か誰かが曲がり角の道をふさいでくれたようなのだが、時間の問題だ。

 と、車が止まったのを見計らうように荷台にヘリコプターが近付いて来る。彼女たちは馴れた様子で足に網をくくりつけた。それを合図に大漁のスキダを持ったヘリコプターが、やがて空の向こうに向かっていく。


 荷台のメインが空になると、彼女たちはいそいでトラックを降りて近くの店に入っていった。







 カランカラン。

ドアを押し開いたと同時に鳴った呼び鈴が団体客の入店を知らせた。

──ここはどうやら喫茶店らしい。

コーヒーの独特な香りと、何か甘い香りが空気中を漂っている。ツインテールの子がカウンター席のひとつに座ると、運転席の子もカグヤも隣に座る。

「座んなよ、今日のところはおごるから」

ツインテールの子が、さばさばした口調で私たちに声をかける。

 足元に、小さな黒板……みたいなメニューボードがあって飲み物が書いてある。それをコンコン、と指で叩きながらどれ? と問われた。


「え、あ……はい」

私と女の子とアサヒもあわてて彼女たちの近くの席につく。

どれにしようかな、と考えていると、カグヤが話しかけてきた。


「そいや『あれ』、何してるかわからなかったでしょ」


「え? あぁ……確かに、ちょっと」


「スキダを狩る、恋愛狩り。

本当は風俗とかで回収するんだけど……学会のスキダのまだ信心が薄いものもまた、私らが回収できるわけ。この前定例会だったからちょうど今のタイミングが狩り場だったのよ」


カグヤが得意気に笑った。


「まあ、難しい話はおいといて、スキダは基本的に金になるからね、粉にすれば麻薬に変わるし、うまく利用しないとって、売ってんの」


(怪物にならないスキダもあるんだ)

それはなんだか新鮮な話だった。

恐れているものが、恐れていたものが、

こんなに簡単に粉になるようなものだなんて。

「どうして、私たちを、連れてきてくれたの?」

 エプロンをつけた店員がやって来て、ご注文を伺いますというと、金髪の子が何やら注文をする。

「何飲む?」

こちらに聞かれて、私はひとまずアイスティーと答え、女の子はカフェオレと答え、アサヒもアイスティーと答えた。

店員が去っていってからカグヤは言う。


「何となくだよ、椅子さんを心配したんだけど、でも、ちょっとやな思い、させちゃったし……あんな家──」


「そんなこと──椅子さんを気にかけてくれて、嬉しい、ご飯も、美味しかったし……」

 少し胸が痛むのは、嘘ではないが、それでもそれは、仕方ないことで、カグヤの気持ちは伝わった気がする。

「悪魔の子なんて、嫌な呼び方ね」

カグヤが言うと、カグヤのさらに奥に座るツインテールの子がすかさず、それなんなのと聞いた。

「……知らない、ものなんだ、そっか……」

 なんだか意外だ。私は、多くには理由も知らされず44街から避けられているのか。

「ハクナも知ってるなんて、あなたの家にも、悪魔扱い以外の何か、あるの?」


カグヤに真剣に聞かれて、なぜか逆に戸惑った。観察屋の話まで始めると、かなりの長話になるし──『彼ら』は隅々まで何もかもを観察しているから、ほとんど生き恥みたいな話になってしまうので、あの大量の愛してるの紙や、キムの話、その他、色々……まあ、あまり楽しくないだろう。


「えっと……なんて言っていいかわからないけれど……ハクナが、今のように、観察部隊に力を入れ始めてから──ずっと私、見張られている、の。向こうがなぜか知っているみたいで、私を悪魔って呼んだりされてた」


「ふーん、ハクナにも目的があるのかしら。で、代理って?」


「──悪魔と」


何か言おうとして、心臓がドキドキと暴れた。生まれてずっと、こんな風に、観察屋を気にしないで、走り回ったり、自由に遊んだりというのがほとんどなかった気がする。

──クラスターが発生した日のことを、今でも昨日のことみたいに思い出せた。


「あ、悪魔と──話しちゃ、いけないから……」


スライムやコリゴリが死んだことを、今日みたいに思い出せた。


「──44街が、私の身代わりを、作って……その人に話しかければ私と話したことにしようって決まりが生まれて、

 学校とか、街の集会とかで、何か私が意見したり私が動く役になると……

代わりにその人が喋って、その人が輪に私として置かれて、私は関わらずに済む間隅で見ていたんだけど……」


沈黙が続く。

──なんだか変な感じだった。

私たちがビルの裏側にすんでいるなら、カグヤたちは日向側にすんでいるわけだが、彼女たちはさほど、悪魔だとかの認識を考えていないらしい。


「でも前からちょっと変なの。

この前椅子さんと私の届けを出そうとしてクラスターが発生したときも、

今、こうやってみんなでいるときも、

代理の私が間に入らないでいる。だから驚いてるんだと思う」


「何それ」


しばらくだまっていた金髪の子が呟く。


「……自分で出来ることを、他人にさせて。そいつも、自分がやることより他人のことさせて」


 はぁ、と息を吐くと場にやや緊張が走った。ただ、そのとおりだ。

『代理の私』が、代理をするのはほとんど、自分でも出来るような些末なことだけで、正直言って、行動範囲を狭められているだけという気もしないでもなかった。

「何のために、そんな制度が……? 役場の仕事なら役場が担当を呼んだはずだし……町内会の仕事なら町内会も担当を呼んだはずだし……

やはり、あの万本屋北香が知っていたことからも、ハクナが独自に代理を用意していた可能性があるね」


金髪の子がニヤ、と冷ややかに笑う。

あの、って言われてもわからないが、万本屋北香と何かあったのだろう。


「万本屋はクラスメートだよ。ちょっとした仲だったんだ。私が、恋愛がどういうものかいっこうに理解しなくて浮いて

たんで、よく注意してくれていたなぁ」

「私も、椅子さん以外のことはわからないです」

 私は思わず身を乗り出して言う。

そのときにちょうど注文の品が届き、配られた。女の子は大人しく飲みながらもこちらをうかがっている。アサヒはしばらく何か考えたままでいた。

「椅子さん?」 


ツインテールの子が食いつく。

「はい、椅子さんは、椅子なんです! とっても素敵な椅子なんですよ、私、あまり人間を好きになったことなくて」


「私んちで、お客として椅子さんのメンテしてたのよ」

 カグヤが言うと、二人は納得したようだった。

「椅子さんって、家具の? そうなんだ。人間やっぱ無理?」

ツインテールの子が聞いてくる。

どう答えれば良いのかわからなかった。

 心に入り込んで破壊する悪魔。

私は私を好きになった人を、怪物にしなかった経験がない。昔、人間は無理かもと思っていたときに知り合った、スライムすら、ああなってしまった。

物はいつも優しく、いつも慰めてくれた。あのような力を受けても変質しない。

「椅子さんは──特別、なんです」

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