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たたかい


──あぁ黄色い『インコ』ちゃん。

どうやって活用してあげましょう?

 瓶に入れて持ち歩く?

アカシアのように帽子につける?

それもいいですね。

 前の大戦によりあの大樹の1つが滅んだとき、木は残らなかった。けれど、私は信じているのです。

どこかに、あの木の欠片は存在すると。

 そしてきっと形を変えて私のもとに現れるだろうと。

【コリゴリ】









 初めてスキダを向けられたとき。




 政略結婚したときにはなかった発作が、娘が生まれると途端に始まった。

部屋を荒らして、腕に切り込みを入れまくった。痛い、痛い、痛い。

わけのわからない刺激で完全に意識がコントロールをなくしていた。

 胸が熱く、情報の判断が出来ず、麻薬かなにかの作用ように辺りが歪み、ときに幻覚を見せ、世界ぜんたいから判断を迫り、詰られるようだった。


 カッと頭に血がのぼり、ただ、感じたことのない不安と聞いたことのない恐怖に支配されたときに、身体は思わずビルの窓際へと駆けていたほどだった。

 なぜ自分がそうしているのかわからないが、怖い、辛い、痛い、逃れたい。

ガタガタと身体中が震えて吐き気がした。

目が回り、発狂し、自分の壁を作らなくては死んでしまうというパニックに陥る。



 こんなものが、医学書に載っているだろうか?

── 恋は、本当に、病だったのだ。



最悪だったのは、 それが町中に行き渡り監視対象になったこと、そして私の病を市内の住民は嘲笑う対象に選んだこと。

それでも、私は生きてきた。

 旦那からときどき距離をとり、発作が起きないように薬を飲み、壁を作れるように努力してきた。

 そして、そんな市民にどう思われても構わない。だから仕事の合間に強制恋愛の反対を掲げた本を書いたり、チラシを配ったりと活動にも力を注いだ。

これからもきっと、この町、この国に理解されないだろうけれど私は満足しているのだ。



「今ごろ、あの子はどうしているかしら……」


 そんな日々を思いながら自動車庫の暗闇のなかで、椅子に縛り付けられたままに彼女は娘を思った。

 ややしわのある頬。肩まである薄い水色の髪は加齢でほとんど白くなっている。

────今の彼女は爆撃に合い、恋愛至上主義者に連行されてしまっている。娘が瓦礫の下にまだいるかもしれないが、今動くことは出来なかった。

 まだ幸いにもここに、私をスキダという者は現れず、発作は起こっていない。

インフルエンザの新薬の副作用のように、恋にも副作用があるのかもしれない。


「グラタンさん、静かにしていてください」


サングラスをかけた男がにやりとわらう。


「こうやってさらわれたのは、あなたが、それだけ、みんなから愛されているということですよ」


「どうでもいいわ。愛されていようといまいと、私は病気だもの。愛されているなんて知っても知らなくても、変わらない。娘は無事?」


「さぁー、どうでしょうね」


男があきれたようにわらう。


「大方、性被害が怖いのでは? あなた、男嫌いですよね」


「違う」


「うるさい恋愛嫌いは、男嫌いと決まっている!!!」


「キャアアアア!!」


 強い蹴りが飛んできて、椅子ごと倒される。咄嗟に頭をかばった。


「いいか、男嫌いだと言うんだ、殺されたくなかったらな!」


「誰が言うもんですか。同性も嫌いだわ」



「ふん、そう言ってられるのは今のうちだ」


 男はにやりとわらうと背後からなにか取り出した。

「これは、キム金属でつくられた特殊な片手でな」

ゴツゴツした固そうな義手が、わきわきと掌を開いたり閉じたりするのを見せたかと思うと彼女の姿に翳した。


「キムの手に抗える心があるはずがなし!」


キムの手が柔らかくしなりながら、彼女の方に向かう。


『チュキ…………』


「え──」



『チュキ…………チュキ…………チュキ……』


金色に輝く義手が囁きながら彼女の頬に、首に触れていく。

──なに、これ。少しずつ発光するキムの手は、ゆっくりと牙を向いた。

彼女の心臓部から、魚の形をしたクリスタルが少しずつ引き出される。


「──あぁ…………や、めて」


『チュキ…………チュキ……』


男はサングラスの目を俯かせ、表情が見えなかった。










「キムの手が役に立ったな」


 手のひらに乗せられたスキダは淡く水色に輝いていた。

しかしそれが彼を攻撃することはない。

キムの手があれば、他人のスキダは彼にとって無害化したクリスタルに過ぎないのだ。


 寒いコンクリートの地面の上、彼女の方は横たわったままで娘のことを考えてみていた。考えてはみたけど、なにか、大事ななにかが欠けてしまった気がする。

 起きるかもしれない発作に対する不安も急に、スッと収まったのと同時に、何かを無くした気がした。とりあえずは、ただ、帰らなくてはということだけを思って、入り口の方に目線をやる。

 そこに居る男は得意そうにキムの手を見せびらかして言った。


「あんたは死にゃしないよ。俺の前では、な。今は機嫌が良いから教えてやるが娘は生きている」


 彼女はわずかにホッとした表情を浮かべた。それさえわかれば、特に気になることがないような気すらした。


「しかし、あんたが目を付けられたハクナや恋愛総合化学会ってのは、気に入らない主張を見れば昔から相当やり込めているらしい。

 あんたは『恋愛強制化を目指す町で強制反対を謳った』

これは見方を変えれば今の市長や政治家にバックアップもしていた恋愛総合化学会には、邪魔な存在──つまり、戻ったところでどのみち追い回され同じような目に合うだろうな」


「そんな……!」


「次は殺されるかもしれない、次は娘にも……そうやっていけば、あんたのせいだ、あのとき死んでてくれたらと思うようになるだろう。

おっと、もうバラしてしまったから、より監視がきつくなるか……大変だ。

 戻らなきゃ良かったなんて思うかもしれないぞ」


「帰す気など、ないのでしょう?」


「──さぁ、俺は此処に来ただけの野次馬。奴らに帰す気があるのかはわからないが……そこで提案だ。

俺は普段嫁ビジネスをしている。

恋愛強制化で需用が急増した、嫁を販売する仕事だ」


にやり、と彼の白い歯が覗く。


「ここで無惨に蹂躙されて殺されるのより、マシだろ?」


「────」


 スキダを奪われた彼女には、嫁ビジネスが特に酷いものには感じられなかった。それに、どうせ旦那にあっても発作が起きるだけだ。娘は……どうなるかわからない。けれども自分が居ても、更にどうなるかわからない。まさか、恋愛総合化団体に目をつけられていたなんて話、近所に知られるわけにはいかない気がする。


「──し、にた、くは、ないです……」




「それなら握手だ。ここから出してやる」

 彼女はぼんやりした頭で伸ばされた彼のキムの手に掴まった。






・・・・・・・・・・・・・・




「青い子の嫁ぎ先が決まりました!

お迎えありがとうございますっ

名前はサファイア!」


「やばいなー。分けられていないから、まず取ってきて扱う品物を把握するのが大変だ」


城の庭で、人だかりに混じって、挙動不審な男が辺りをキョロキョロして、そんなことを言っていた。角刈りに、黒い学生服のような服を着ている。


「んー、『闇商人オンリーのやかた』だとそれ前提で見れるのですけどな~」


 どうやら彼は盗人で、しかし城の広さであまりにもわからな過ぎて、何の作品なのかほぼ見分けがついていないらしい。


「あいつは、盗賊だ。

初めて盗んだのは『水色の金属』と言われる珍しい鉱石だと自慢していたのを聞いたことがある。キムの手という道具を使う」


近くにいた蛙が、びよん、びよん、と跳ねて俺の肩にのっかってきた。


「え? ああ、詳しいな、蛙」


この世界の蛙は喋る。なぜか知らない。

俺や特別なやつにだけ聞こえるらしい。


「まあな! 蛙は井戸のなかに関しては物知りなんだ」


蛙は得意そうだ。

きれいな敷石のタイルの上を歩きながら、その先に連なる階段を遠目にみている姿はどこか人間のようでもあった


「ピンクと紫のバイカラーサファイアがほしいのですけど、なかなかこれだーっていう子に出会えないな……」


「パパラチア様のチャレンジに敗れたソーティング付きのピンクサファイアちゃんとかにもすごく可愛い子が居たりするので侮れないですね」


「ピンクスピネルもかわいいのだけど、私オーバルカットにあまりときめかないという特性があるので、できれば他の形の子がいい」


 蛙が肩にのっかってきたまま、なんとか人だかりをかきわけ、階段を恐る恐る降りていくと、次々に飛び込んでくるのは婚カツ情報だ。


「この前、ミッドナイトブルーサファイアをお迎えできることになった王太子が居たな」


 みんな、婚約者のことを宝石で呼んでいるみたいだ。強制恋愛条例が招いたまず1つがこの、恋愛オークションではなく立場のあるものから順に、品定めした嫁をもらうという儀式。

 またの名を──品評会、嫁ビジネスとも言われている。











 女を連れて闇の中を歩きながら手元の懐中電灯で手のひらの物を確認する。

手に入れたスキダは、手にしっくりと馴染まないが、そのしっかり握っていなくてはならない感じが逆にマニアの心をくすぐる。

 倉庫を抜け出しながらキムの手、をそっと片手で掲げ、スキダに向けた。

すると、キムの手に変化が現れる。液体のようなものがじわりと染みていく。

「ん……? お、おお?」


 腕全体を包むように広がってきたかと思うときにはキムの手の汚れが剥がれ落ち、綺麗になっていた。

酸とか毒かと少し身構えてしまったが、ただ綺麗になっただけらしい。

「ほう。かわったスキダだ。

これは使うだけで洗ってくれるのか……」


 スキダが変異した物が攻撃や防御に使われることは最近知られているけれど、まさか、洗ってくれるとは。


「しかし、びしょびしょじゃないか……何を考えているんだ。この女のスキダは、あれは、どういう形をしてるんだ!? どんな感情があれば、あんな……いや、もらったものになにか言うのも無粋か」


嘆きながらも濡れた腕をそのままに、ドアを開け外に向かう……ところで、はっとする。

腕からなにやら疾風が巻き起こったかと思うといつのまにか乾いていた。

これには、にやけてしまう。


「フッ。これからも、使うからな……」

 使うだけで洗って乾燥機つきのスキダなどおそらくこの女のものだけ。


「みーんなに、自慢するンゴー!」


 隣にいる彼女は、虚ろな目で使われるスキダを眺めていた。

横をついてきてはいるが、なんだか、スキダが動いたときに余計に体力を消耗したような気がする。

 その場に座り込み眠ってしまいたい……そんなとき、男が叫んだ、自慢するンゴー!で意識をかろうじて取り戻す。

 これから、何処に向かうのだろう。

「……………………」


 帰りたい。けれどあの街には恋愛至上主義者しかいない。どこに? それに、 どうして?

っていうかンゴーって、何?


「そうだ、折角なので家族五人に、回して使うンゴー!」


デュフフ、と男はにやける。


「あぁ、名前を決めないと。

このスキダは特別だから、二号と名付けるンゴ! あのときの女と同じ、珍しい水色ンゴ!」


「あの!」


「なんだ」


男が冷静な口調になる。


「嫁ビジネスって……どこでやるんですか?」


「城のそばにある結婚式場の地下と、ホステスの居る店を購入しているン、だ。今日はもう遅い、ひとまずは小屋に投げ込む」


 夜中の道は寒くて、少し冷えてきた。男が身震いしたが、彼女の方は感覚が麻痺したまま、ただ頷いた。とにかく、今日は眠りたい。


キムの手2

 赤いバイクが走って来て、話をしていた二人の前に現れた。

「あのー、そこちょっと退いてくれます?」


「あ……すみません」


郵便局員が何かを配達にきたらしい。

 坂道の上、一番奥にあるのはあの家だけだ。

アサヒはぐったりした女の子を背負いながら、小さくお辞儀をして退く。そうか、この先の家に、配達なんて来るのか。

しかしそれはそうだろう。山のてっぺんにだって確か住所があれば手紙は届くんだ。


 女の子の方は、急に呼吸が苦しいと言い出したと思えば眠りに落ちてしまった。息自体は出来るらしいので眠たいだけだろうとアサヒは思った。また目覚めるはず。 

 バイクのあとを追って、そっと正面から家の方に向かう。

ビルの上にヘリコプターが居たりするが、郵便局員がどうこうするわけでもなく、ただ平然とポストに何かを差し込み、さっさと坂道を下り始めた。


 少し間を置いてからポストを開ける。そこには少し厚めの封筒、「国民恋愛調査国民は全員受けましょう」

と、一枚の紙があった。


「パートナー制度改正のお知らせに伴い、同性愛に制度がが広く適用されます。人類の恋愛、幸せに乾杯。



 また、国民恋愛調査を行っております。

 提出されないと恋愛制度の否定と見なされ、サービスが制限される場合もありますのであらかじめご了承ください。なお、募集期間中、提出の確認が取れない場合は回収員が伺います。 

 やむを得ず事故や怪我などに巻き込まれる場合につきましては、確認を取り次第、代理の方に書いて提出いただくことができます」



……家族。

背中にいるこの子の家に、確認を取るものが居るだろうか?

自分たち「観察屋」がリークし、家は爆撃に合い、恐らくまだ、ママは行方不明。


 住所があっても人が居なくては意味が無い。事前に根回ししてあれば、あの家を通ることはないだろうし、その可能がある。この子には手紙は来ない?


 見捨てる、というのが適切かはわからない。だがこうやって、さりげなく数字から外す市民が居る。

「くっ! 寝覚めが悪い」


 あぁ、そうだ、それよりも……

 封筒を戻してからアサヒは歩きだす。それよりも、コリゴリと、あいつのことだ。

とにかく合流しなくては。


(確か向こうの方に行ったような気がする……)

椅子に引きずられて行くのを見たばかりだ。しばらく歩いていると、彼女の方も椅子さんと共にやってきた。


「…………、あの」


どうしていいかわからないという風に、こちらをじっと見つめている。


「名乗ってなかったが、俺はアサヒ。観察屋をしていたが、今回の口封じでクビになった、本当に悪かった……さっきも、コリゴリが証拠を隠滅するために家を襲撃したみたいだ。あまり知らないんだが、コリゴリは、観察屋の中でも過激なやつだ。もしかしたら……特に悪いやつからの観察も引き受けているかもしれない、そういうエリートが恐らく居る」


「……そう、なんだ」


彼女は少し、何かを考えているみたいだった。


「あぁ。そのコリゴリは?」


「え? 見なかった。家のなかに居たのは怪物と化したスキダだけ、椅子さんが、逃げるようにって、だから私たち逃げてきたの」

「入れ違ったか……」


「まだ中にスキダが居る……私にいつも送り付けられる紙から生まれてしまった。

今までは抑え込まれてたみたいだけど、どうしてか急に────」


アサヒは冷や汗をかいた。背中にはまだ女の子が寝ている。


「あれ……その子、寝ちゃったんだ。あー、無事に脱出してくれて、安心したよ」


「……あぁ」


 目の前の彼女は、なんだか、そう、最初と変わらないはずなのにどこか、異質な感じがした。


「私の、家────」

確かめるように呟きながら、彼女は脱出した家を見上げる。


「スキダが暴れている。だけど、私がずっと暮らしてきた、大事な家────」


 覚悟が決まっている、というように彼女はもう一度アサヒを見る。


「私は──悪魔だから。きっと慣れるよ。なんの躊躇いもなくスキダを殺るから、そこに居て」


そう言って、再び中に入ろうとする彼女にアサヒは手紙が届いていることを告げた。

彼女はポストを確認して、アサヒと同じように、女の子の家族のことを思った。

話題にならないと言っても、さすがに、何かしら届くはずだ。

けれど───


「ハクナも、きっと見つけに行くから」女の子に囁くと、再び家を目指した。













・・・・・・・・・・・・・・


ベランダから陽射しが差し込んでいる。


寝ぼけながら目を覚ますと、相変わらずなにやら生物が目の前を横切っているので、二度寝したくなってしまうが、彼はしかたなしに寝室から身体を起こす。


「お弁当はエビフライにしてくださぁい」


朝から目の前の生物――、いやたぶん人物は言った。

しかし人物と、表して良いのかも正直なところわからない。

その人物は、少し前までは人魚だったらしいから。

とてとてと、子どものように乱暴でタドタドシイ歩き方で、部屋中を駆け巡る姿は、確かに陸になれていないようにも思うけれど、だからって、人魚。


「あなたは誰? どうしてこの家にすんでいるのかな?」

一応、これまで何回も質問したことを彼は改めて聞いておく。

「私のおうちをぶっ潰して建てられた人間のお住まいに、私が住んではならないのですか?」


たんたんと、無邪気な声が、返答をすることなく質問してくる。

毎度のことだ。

困ったな。

高校生になって独り暮らしを始めた彼がこの安アパートに引っ越してきて数日。

二階からごそごそ音がしたり、忙しくてほとんどシャワーで済ませるので、使っていないバスタブがやけに濡れていたり、不可解な現状でいつも悩まされていたのだが、まさか、やたらとそういうのに遭遇すると言う母上のように心霊現象ではないとは。


バスタブに浸かっていた、つやつやの、増えるわかめのような、個性的な髪質の彼女。


小柄で140センチくらいの慎重。

見えているのかわからない、曇ったガラスのような目は人間の色素とは違うのか、赤いような青いような、独特の輝きを放っている。

素朴さのある真ん丸の目丸い顔。歯は少しとがっているが、それくらい。

ある日、姿を見せてからというもの、彼の会話に噛み合わせる気もなく、エビフライがいいですを繰り返してついてくる。

「ねー、エビフライがいいです」

「はいはい」


朝から揚げ物なんか作る気力がない、と彼は考え、昨晩買っておいた惣菜コーナーからの逸品を冷蔵庫から出して差し出す。

その生き物は、不思議そうに眺めて 暖かくない、死んでます、と通告してきた。物騒である。


「おまえさ、もっと良いとこに行けよ? 俺なんか母子家庭で実家も正直貧しいし、バイトとかで今はどうにかギリギリ独り暮らしだぜ」


アルミホイルをしいた上にエビフライを二つのせて、トースターに入れながら言う。


ほやーんと不思議そうなリアクションをされた。

それから。

「湖が潰されたのでここから動けませーん」


地縛霊みたいな感じだろうか……


「そうなの? といってもな、俺は建設に関わってないからさ」

「ぼしかてーって、食べ物ですか?」

「両親の離婚や死別」


ぶわっと目に涙をためられた。リアクションが大きい生物だった。


「カワイソウな生き物です」

「そうかぁ? そう言ってくれんの、お前くらいだぜ。世間は冷たいからな」


 エビフライが焼き上がるとたんに、元人魚はしあわせそうに目を輝かせ、お皿にそれがのるのを眺めていた。

「本来は家を建てる前に、土地に挨拶すべき、なの、ですよ」

 むしゃむしゃと手づかみでエビフライを食べ始める。右手と左手両方にエビフライが握られていた。

いや……いいけどさ。

うまそうに食べるやつである。


「それなのに……ほんとに。人のおうちを、なんだと……むぐむぐ……すんでやったですね!」


 俺が生まれたときには建っていたこのアパートを建てた人の思想はよくわからないが……

確かにまぁ、その通りではあった。かといっても、俺に出来ることはとりあえずこうしてたまにエビフライを与えたりそのくらいである。今のところ害は無さそうだし、素直で無垢な目をしている。

 そもそもがたぶん人間ではなさそうなので、家賃も増えないだろうし、危害もないし、負担も自分のぶんくらいだから特に追い出す理由はない。

ただでさえ安いしな……


「えーと、それじゃ、学校行ってくるから」

 バスタブに水を張り、鞄を肩にかけてドアに向かう。

 そいつは、座ってエビフライをくわえたままこちらに緩く手を振っていた。

 特に触って危ないものはなかったよな?と出掛けてから思ったが、前の日にもいろいろ質問攻めにあっているし……人間生活に慣れてくるだろう。


「いや……」


 ちょっとざわつく気持ちに気付いて足を止める。

「きっと、そもそもが、大事な場所だったんだ……だから、本当に……」


 あいつには家族とか会いたいやつとか未練とかあるんだろうか。

今更俺が悩んでもどうしようもないが、それでもちょっとだけ罪悪感のようなものがあった。

いまはせめて、楽しく安心して幸せに過ごしてほしいものだ。










 なんとか遅刻しないように『学校』の門を潜る。

教室では44街のことが話題になっていた。


「もしも、将来強制恋愛条例が出来たらどうします?」

きちっと髪を整え、制服のボタンを上まできちっとつけた『眼鏡』が聞いて来て、俺は「適当に付き合えるワンチャン増えるだけなんじゃねーのか?」と返した。


 この頃はまだ、強制恋愛条例、なんて言われる条例はなかった。ただのおとぎ話だった。

何度も何度も決めるか否かで投票が行われ、白紙に戻って来た条例だ。

 けれど、44街にとっては『好きな相手がいる』ことを市民が互いに認識することにやたらと意義やら意味やらを見いだし、広く認知させ根強く計画を進めているので、いつかは強制恋愛条例が通ってしまうのでは、と俺も思っていたりする。

どんな理由があれば、人が相手を思うかどうかを強制出来るというのか?


 一説では人口の減少によるものだった。けれどそれは建前であり別の思惑があるのでは──と陰謀説を唱える人も居る。

特に、どちらが正しいとか有力だとかは俺には判らない。けれどそれでも得たいの知れない違和感のような何かは感じている。

 陰謀説のひとつが「隣国でキムの手が発見された為、国民を把握しやすくする処置らしい」

 というものだ。「キムの手」は強力な何かで出来て居て、この辺りに住むやつなら皆経験する思春期や青春──に起こり、悩ませられるスキダの発動。

それにより怪物的な概念体または異常行動も引き起こす。

その対処の過程で避けられない「告白」や「突き合い」をしかし問答無用で引き裂き突破するという都市伝説なのだ。


 そんなチートな武器が本当に存在するとすれば、市民どころか国民に成すすべがないわけで、恋が戦争として扱われる今の時代の常識が大きく揺らぐかもしれない。

今のところ俺にスキダは発動していないが、前の月に、ませた生意気な女子生徒とガキの権化のバカ男子生徒がバトルになり、そのとき男子生徒の「告白」によって、女子生徒の「スキダを消滅」させたのを見たときなどは大変だった。

 教室で共鳴したクラスターが発生したためだ。

しばらくは男子と女子という派閥に変わっての争いになっていた。

 スキダは闘争本能を呼び覚まし争いを起こしうる力なのだ。


「キムの手、かぁ」


 もし、万が一陰謀があるとしたら、その真相がキムの手の秘密を握っているのか。



 って、わけでHRのあと、眼鏡の席に行くなり俺は真っ先にその話をした。眼鏡はふむ、と相づちを打ち考察する。

「純粋なスキダを目立たせない為とか、そういう感じかのもしれませんね……」

「純粋なスキダ?」

「えぇ、自分も見たことが無いですけど、あるらしいんですね、普通のとは違うクリスタルが」
























コリゴリは意識をほとんど失くしかけていた。体が動かないし、あの生きものが今、どうなっているのかわからない。

 頭を打ったらしく、起き上がると考えるだけで後頭部が鈍く痛んだ。

目を開けるのも億劫だ。

部屋は思い切り荒れているし、それに、愛してると書かれた大量の紙……証拠の品々が、まだ、隠滅出来ていない。

早く戻って報告しなければいけないのに。



「──人を好きになって、それを自慢したい、他の人には出来ないことだから喜びたいのはわかるよ?」


ぼんやりした頭で、ふと誰かの声を聞いた。



「自分が偉くなった気がするんだよね、恋って。

周りからみたら、それって偉そうになっただけなのに」


体が、動かない。

これは、誰の声?

誰に、言ってる?


「私は──性格が悪いなんて、他人を好きなるような人から言われたくないし、あなたも、他人を好きになるような人────だから私は、あなたが嫌い。死んで、ほしい」



────告白!


 誰かが叫んだ。

それと同時にコリゴリは目を開く。


 少女が椅子を担いだ状態で、目の前に立っていた。


「告白───! 告白! 告白──────────っ!!」


「───イウナ……」


 その前にいる怪物は、頭を抱えて唸っている。

その足元に生まれている小さな怪物たちも怯えてひとかたまりになる。


「イウナアアアアアアアア!!!! ナゼイウンダアアアアアアアアア!!!」


少女の抱えている椅子が光りだし、怪物を殴りに行く。

しかしさすがに堅い。


「アアアアアアアア!!! スキダヨオオオオ!!!!」


「私は、嫌い──あなたが!!あなたなんかが大嫌い!!」


「あらぁ……可哀想に」

少しずつ落ち着いてきて、コリゴリはぼそ、っと呟いた。


「ギアアアアアアア────!!!! アアアアアアアアアアアア─────!!ジュンスイナオレノココロ!!!」


 手に数枚、散らばった紙を拾うと少女はそれを椅子に与える。


(──って、いうかあの椅子はなんなの!?)



「折れなさい!!あなたのジュンスイナココロ!!」


 椅子が紙を溶かしながら取り込むと、それが火をつけて吐き出され、怪物に向かって飛んでいく。


「嫌い! 嫌い! あなたが大嫌い!!あなたに嫌われるためなら、私は何度も言う! 心底嫌いなの! あなたが、邪魔で仕方がない」



怪物は耳を塞ぎながら呻く。

火をつけた紙のいくつかが怪物の体につくとその部分を燃やし、穴をあけた。


「イウナ……イヤダ……イヤダ…………イヤダ……イウナ……イウナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ミトメナイイイイイイイイイ!!!」


 しかし怪物は多少穴が空いたくらいでは死なず、叫びながらバタバタ音を立てて跳びはね、壁を殴り付ける。

 壁を殴り付けた衝撃でカレンダーが舞い、棚から皿が溢れ、テーブルに数枚散った。

思わず耳を塞ぎたくなる。

 同時に窓の外に様子を伺いにいっていた怪物の体の一部も少しずつ部屋に戻ってくる。


「アーアアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー!ジュンスイナオレノココロー!!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアジュンスイナジュンスイナオレノココロー!!」


腕を巨大化させると、少女に向かって振り下ろす。椅子が盾になり、直撃を免れるも彼女も壁に背中をぶつける。


「聞きなさい。

他人を……好きになれるのは、才能よ。あなたには他人を好きになる才能があった……けれど、今はたまたまそれを間違って使ってしまった」


「ナンナンダヨソレナンナンダヨソレーアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


体ををぶつけた衝撃で、前へ歩きながらも、少女はよろける。テーブルに脇腹がぶつかり、痛そうな悲鳴をあげて踞る。

 そのときにちょうど、コリゴリと目が合った。


「あ……コリゴリ」


無表情で、でも少し安堵したような眼差し。

 なにも言えずに居ると、少女はまた怪物の方に向かっていく。


「キミハア! トクベツウウウウウウウウ!!!」


 苦しそうに叫びながら怪物が少女にまた腕を伸ばす。両腕を巨大化させて挟み込む。

うまく避けられずに抱えられた少女は、怪物に笑顔を向けた。


「で・も・私・に・は、あなたがトクベツじゃない!! あなたに私がトクベツだとしても!!みんな、私を悪魔だと言っているから、みんなにとってそうなの! 何にも響かない!! あなたは、周りとおんなじ!」


 怪物の光る目が少女に向けられる。彼女はそれを冷めた目で見ている。


「スキダヨオオオオ────! チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキ」


「このっ、鳴き声!」


コリゴリは口から血を吐き出しながらも思わず口にした。


「目を合わせちゃだめ────!」


コリゴリは立ち上がる。

頭がめちゃくちゃ痛い。

気分もよくない。だけど、だけどあれは。

あの鳴き声は、聞き覚えがある。

忘れもしない。あれは。



 怪物が不気味に笑い、その顔から大きな禍禍しい瞳がのぞく。

いつのまにか怪物の顔はほとんど目になっていた。


「……チューキッ……ンーマッ!!」


少女は腕を固定されたままだったが抱えた椅子で、怪物のひざ辺りを強く叩いた。

 バランスを崩した隙に、と思ったのかもしれないが、小さな怪物が群がって怪物の足を固定する。


────クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ

 体をによじ登ろうとするそれを、なかなか振り払えない間に、怪物の目が更に強く光始める。

「チュキ……チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキ……チュキチュキチュキ」


「ぐっ……」


少女が苦しそうに呻く。これでは身動きが取れない。


「……うるせえ雑音!! 大っ嫌い! 私は嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い」


 コリゴリはテーブルの下に居たまま、冷や汗をかいていた。

あの鳴き声は──昔の現場で聞いたことがある。

コリゴリは声を振り絞った。


「お嬢ちゃん、それは……そいつは、言葉など通じない、たぶん、それじゃあ、倒せないのよホォ」


「……」


一瞬、少女と目が合う。


「あれはね──」


少女は少し悲しそうに、コリゴリと同時に答えた。

「「キム」」


キムが何なのかは誰も知らない。

噂に寄れば戦時中に行われ隠蔽された呪具の類いで、今でもときどき姿を見せるのだという。

 可愛がった子どもを殺し、金属に血や肉を混ぜて作ったもので「好き」のある場所に寂しさから現れる。愛の反対、さみしい、こわい、いたい。


「楽しそうな場所に、昔はよく現れた。おじいちゃんが、言ってた」


「……そう」


「スキに、集まって、スキになろうとして、なれなかった──永遠に、なれなかった」


生きることも、死にきることもなく、何にもなれなかった、それがずっと長い間、争いに使われた。


「だから、わかっては、いるの。

仕方がないんだよ」


「!?、……!?」


少女を捉えている怪物が目を見開きながら驚いている。なにかをしようとして、出来ないでいるらしい。コリゴリも不思議に思った。

彼女はまだ平然としている。(あれ? 昔新聞やニュースを騒がせたキムの手は、問答無用でスキダを取り出すことが出来たのに……)


「残念だったわね、私は────スキダを人間に対して発動させたことがない」


コリゴリは今なら、と腕を伸ばし、小脇に抱えて束ねていた紙束を渡す。



「これを!」


意図を汲んだらしい。

椅子から触手が伸びて紙を次々に飲み込んだ。

──かと思えば、棘のある触手に変化し、怪物にのびていく。

 キツく怪物の腕を捻りあげていると、少女を抱えている力が抜けたため、彼女は椅子を抱えたままそこから抜け出る。

「助かりました」


 少女がコリゴリになにか挨拶しようとしたが、それもそこそこに、怪物はまたすぐにぐにゃぐにゃ蠢きだした。

「ではまた」

彼女を捕まえようと動き回る。部屋のなかを二人がかけまわりしばらく鬼ごっこが続いてい

た。


「はぁっ、椅子さん……」


「わかっているわよ」


「キム、見たのは、さすがに初めてかもしれない」


椅子と話している……?

しかしコリゴリに聞こえるのは少女の声だけだ。


「スキダになれず、キライダになれなかった物、だよね……

今、効いたのは、送りつけられた紙に火をつけたものくらい」





それから……告白を異様に恐れているみたいだった。

コリゴリの方を見ていたようだったが、周りに人が居ることと告白を使うことになにか関係があるのだろうか?

(もしかするとこいつは誰かが周りに居るとうまく力が出せない?)

 けれど、危ないような。

スライムのときも私とスライムが居るだけだったし……


私が椅子さんを構える。

椅子さんが紙を構える。

 睨み合っていたスキダは一旦私たちを追いかけるのをやめたかと思えば突然叫び声をあげた。同時に、テレビや電子レンジ、ラジオが急に作動する。


「なにこれ、電磁波攻撃……!?」


 なにもない空間を暖める電子レンジはすぐに停止し、また回り始める。


「───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています」


 奥の部屋ではテレビのチャンネルが勝手についたかと思えば切り替わり、ラブストーリーを大音量で流す。


「いやあああ!!! ラブストーリーなんて!!なんで聞かなくちゃならないの!?」


 私は耳を両手で覆って踞る。

ラブストーリーは嫌いだった。後ろに何かが居るんじゃないか、ドアを叩かれるのでは、怖くて震えてしまう。

 テレビの画面から、ずるずると登場人物とは関係のない、ピエロのようなものが這い出てきたかと思えば「好きでーす! 好きでーす!」と言い始めたので、卒倒しそうになった。

 紙から出てくるくらいだ。好きがある場所から這い出てきたって、不思議ではない。

ないけれど……



 テーブルをちらりと見る。コリゴリはテーブルの下で固まっている。

(どうしよう、部屋が囲まれた……)

 まだ彼は奥の部屋のテレビに気が付いていないみたいだった。

……?いや、また、気を失って

るのか。


 叫び続ける一番大きなスキダに椅子さんが燃やした紙が飛んで行く。しかし電磁波がバリアのようになっているのか今度は無惨にも叩き落とされた。

「そんな───」

 ずし、ずし、と重たい音と共にスキダはにじりよってくる。

それがだんだん近付いてくる程に恐怖が増していく。


「他人を好きになって、何がそんなに面白いのよ……」


 背後でラブストーリーが盛り上がりを迎える。


「他人を取り込んで、自分を壊していく。それで、みんな悪魔になっていくんだ!!!!」


 ラブストーリーが盛り上がりを迎えるほど私の怒りが増幅されていく。

 スライムも私を取り込もうとした。

もはや理性はなくてとにかく私を倒すような勢いで、一体化しようとしていた。

あれが恋。

あれが、恋愛の姿。

 スライムは恋で怪物に変わってしまった。私がスキダを与えてしまった。スライムが感情を間違えてしまった。

殺した。

感情なんか、なかったらいいのに。


みんなが感情なんか持たなかったら、みんな楽しく暮らせるのに。



感情なんかなかったら、互いを殺さなくていいのに。


スキダなんて生まれなかったのに。




 電子レンジが停止し蓋が勝手に開くと同時に熱くなった小さな塊が、とろけながら此方に跳んでくる。

「きゃあ!」

 あわててしゃがむが、私には当たらずにそれは大きなスキダの元に貼り付いた。

それが何なのかを考える前に私は気付く。スライムのときは、近くにスライムが居た。

けれどこれには居ない。


「まさか──紙と電磁波を通してスキダが存在できるの?」


 テレビや電話を本体の代わりにするなんて在るのだろうか。

けれど電化製品を壊すわけにもいかない。

 生活に必要だし、それをしたら町まで買いにいかなきゃならない。私は悪魔だ。

今、悪魔が買い物に行ったら、どんな噂をされているかわからない。


「私ね、どんな嫌がらせもあってきた、でもみんな私を心から嫌ってたから耐えられた!!

スキダは最悪よ!人を好きだなんて一番最低な嫌がらせ!」


 スキダは先程よりも何か心なしか尖った姿になっていた。

目の下に、口が生まれ、そこから冷たい息を吐く。

 近くにあった新聞や本棚が凍りつく。

そしてスキダは目をキッとつり上げ「ツメタ!!!」と叫んだ。怒っているらしい。

部屋が急に冷却された気がする。

あっという間に2、3度くらい体感温度が下がっていた。


「ツメタイ! ツメターイ!!!!」


「こっちは、さむ、い……!」


椅子さんを振り下ろそうとした。──が、寒さでうまくからだが動かせない。

「さ、さ、寒い……」

恐怖と寒さで半ば錯乱する。

 ──感情なんてなかったら。

そう思うと、ますますそう願わずには居られないような気がした。感情がなかったら。

感情が、なかったらいいのに。


「あなたの持ち主のところに……帰りなさいよ……

勿体ないでしょう!! 他人を好きになる才能を、こんなところで無駄遣いして!!」


 木にしか見えないくせに、どんな素材なのか椅子さんはなぜか凍らない。触手を動かして、スキダに伸ばしている。


「椅子、さん?」


 そのままスキダが椅子さんと見詰めあった途端にスキダは、イヤだイヤだと抵抗して少し冷気を下げる。


──ガタッ! ガタッ!!!


 椅子さんはなんだか怒っているようだった。

叫んでいるなんて初めてみた。

 しかしスキダはすぐに我に返り、再び電磁波のようなものを流し、雄叫びを上げた。


───イヤダアアアアアアアアアア!!!!



私は椅子さんごと転がる。

「これじゃ……近付けないよ……!」


「ツメタイイイイイイイ!! イヤダアアアアアアアアアア!!! イヤダアアアアアアアアアア!!!!」


どたばたと壁にぶつかり、物が倒れてくる。部屋がまた荒れた。

 だんだん疲弊してきている。スライムのこと、それから今からのこと。考えたいことがたくさんあった。無慈悲なキムを見ていたら、本当は感情なんか無いんじゃないかって、たまに思ってしまう。無かったら、もしかしたら怪物にならないかもしれない。なんて。

(どうして、他人を好きな才能を他の、世の中のためとかに使えないのかな……すかれたい人は、たくさん居るんだよ?)


「ごめんね、大丈夫?」


 強風と、落ちる雑貨の盾になった椅子さんを気遣って声をかけながら起き上がる。


──大丈夫だよ。


椅子さんがふっと笑ったときに

急にスキダの攻撃が止んだ。





「え──」

 思わず顔を上げる。椅子さんに言ったのにスキダは嬉しそうにもじもじしている。脳は主語を理解できない、なんて言葉があったけれど、もしかして勝手に思い込んで攻撃をやめてくれるの?

わけがわからなかった。

 攻撃なら攻撃すればいい、倒すなら早く倒せばいい。

それなのにこんな中途半端なことが。

だけど、もしかしたら────


 と、突如外でチャイムが鳴る。

「もしかしてアサヒたちかな?」

しかしだったら入ってくればいいのに、チャイムがただ鳴らされるだけだった。

「誰?」

玄関のドアの方を見ながら、私は問いかける。返事はなく、ただチャイムが鳴る。かと思いきや突如電話のそばのインターホンからノイズがかかったような声が聞こえた。

「かわいいピエロ……」


「え?」


「好きになりなさいよ」


──なんだって?


「好きに、なりなさいよ」


──なにを、たしか、かわいい


「かわいいピエロ」


心臓が暴れだす。胸が苦しい。


「好きに、なりなさいよ。好きに、なりなさいよ、好きに、なりなさいよ…………かわいいピエロ、かわいいピエロ、かわいいピエロ、ラブストーリーが、やっていたでしょう? ラブストーリーが、やっていた、でしょう? ほら、今、やっていた、でしょう?」


「な───に」


今やっていたかどうか、なぜ外から確認しているのだろう。


「受信──受信───受信──受信──」


「……っ」

 何気なく足元の「愛してる」が羅列された紙の残りを眺める。いくつか燃やしたから、ちょっと足元の床が見えるようになってきていた。

そういえば、この近くに居た小さなスキダたちの姿が見えない。


「ワァーーイ!! ワァーーイ!!」


 振り向くと、少し成長し、ピエロの姿になった集団のスキダが──大音量で流されるラブストーリーの……テレビの前に集まっていた。背中に嫌な汗が流れる。慎重にテーブルの下に腕を伸ばしてコリゴリを揺さぶる。

「あの、起きて──ください」


無視している合間にもインターホンがしゃべり続ける。けれど気にしては居られない。

「早く、ここから逃げましょう……」


 何回か声をかけていると、コリゴリはうっすらと目を覚ます。具合が良くないのかもしれないが此処で寝ていられても私にできることは少ない。


 ドアを叩く音がして、男とも女ともつかない声が続く。

「スキダを受信しに来ました───!」

ドンドンドンドン、激しいノックの後

再びその声は繰り返す。

「スキダを受信しに来ました───!」


 外、に逃げても平気なのか?

でも家の中も今荒れに荒れている。

スキダは、受信しに来るものなの?


「……クラスター、か」

 コリゴリが小さな声でぼそっと零したので、私は思わず聞き返す。

コリゴリはそれ以上は言わず、疲れた表情でぼーっとしていた。

 私は倒れた雑貨を避けながらも慎重に奥の部屋を目指した。スライムのときとは違い、家の中というのはそれはそれで心が痛む。物が。私の長年大事にしてきた数々が、こんな風にスキダに蹂躙され

ているんだから。

 部屋を進み、ドアを開け、ローテーブルに置かれたテレビのリモコンを手に──しようとしているのだが、ピエロがわらわら群がって来る。

 今はとにかくまずテレビを消さなきゃ、と思うのに、なかなかたどり着くことが出来ない。

「うぅ、遠い……」


 脳裏で、かわいいピエロ、好きになりなさいよが再生される。どうかわいくても私にはむかない。代わりにスキダが私に引き付けられて余計邪魔する。

 家で、大人数に囲まれるなんて経験、そう無いと思う。無いほうがいい。

 椅子さんを抱き締める。

私が唯一信じられるのは、物だ。



 ちらりと視界に映す大きなスキダは攻撃を止めてただそこにいる今だが……この状態でまた動きだしたら更に大変だ。


「あらぁああっ!!?」

 コリゴリが急に立ち上がる。そして吸い寄せられるようにテレビに向かっていく。

「あーん、もう! みなみちゃんじゃない!? あぁん、かわいいー!」


 驚異のジャンプ力で、部屋を跨ぐと、くねくねしながら、スキダをものともせず、テレビの前に向かう。

画面では女優と俳優が映って一緒にひつまぶしを食べていた。


「えっ」

 ふわっ、とコリゴリの胸からクリスタルが輝き始める。クリスタルはテレビ画面に溶けていき、すぐに画面の中から、ピエロではないスキダが這い出てきた。

 目の前に現れた目は曇っているがみなみちゃん、そっくりな人型のなにかに、コリゴリは興奮する。

「うわぁっ、やだー!」

 みなみちゃんそっくりなそれは他の小さなスキダの興奮も高めた。私の周りから離れてそちらに向かっていく。しかしこのみなみちゃん、小さなスキダをひとつ手にすると、口にほうりこんだ。


「えっ──」


 スキダが、食べられた?

それを期に彼女?の周りにいるスキダだけを、バリバリと音を立てながらみなみちゃん?が飲み込んでいく。

ただ、すぐに満腹感を得たようで、テレビのなかに戻っていった。


「なん、だったのホォ……」

 クリスタルが、ぽんとテレビから飛び出して床に着地する。コリゴリはそれを拾い上げてフッと寂しそうに笑った。

スキダを投げても世界が違う。


「突き合うことは出来なくて、中途半端なスキダだわハァ……」 恋愛をして戦えば世界が変わるかもしれないのに、という響きを含む、さみしい言葉だった。

私にはよくわからない。そんなことがなにか、変えるのだろうか。

 うろついていたスキダが減ったので私はどうにかテーブルからリモコンを手にし、電源を切る。恐怖でぎこちなかった空気が、さっきのことで散らされたスキダを目の当たりにして和らいでいる。


「ありがとうございます」

私が言うと、コリゴリは気まずそうに苦笑いする。クリスタルは少し成長しているみたいにやや大きくなっていた。さっき食べたから?


「にしてもこの部屋、急に寒いんだけどホォ……なんなのなんなの?」


 私とコリゴリが話した途端、叫び声が背後から上がった。


イウナアアアアアアアアアアア───!!


 椅子さんやテレビのみなみちゃんと話をする自体には反応しないのに、近くの人間と話すとそれが引き金になるらしい。玄関の向こうから同時にまたドアを叩く音がする。

「スキダを受信しにきました──!」

近所のおばさんのような声が「あら、逃げたの──?」と笑いながら響く。

「ラブストーリーは終わらないのに」

ハッハッハッハッ!

と数人が笑う賑やかな声。


「なかなかクラスターが散らないみたいね……たぶん家の外、囲まれてるわハァ」


「クラスターって、なんですか?」


コリゴリはしばらく考えていたが、あなたになら、話していいかもしれないと言い、此方を向いた。


「恋愛総合化学会が──ううん、そのバックアップで当選している今の市長も──恋愛至上主義者の国にするために放った、洗脳活動家、工作員、観察屋も、もとはその一環だった」







恋愛総合化学会と観察屋に繋がりがあるとしてもコリゴリがなぜそんなに詳しい事情を知っているのだろう。

私は思いきって聞いた。


「あの、そういうのって、勝手に聞けたり漏れたりするもんなんですか?」

「うぅーん……察しがつくというのかなハァ? 今あなたに話しているのも、あなたにはなんだか、このことを話すべき気がするから」

コリゴリは言う。


「その前に教えてちょうだい。あの怪物、それにスライムと戦ったときの怪物、やっぱりスキダから生れたのね」


 スライム……私の胸がずきっと痛んだ。


「わ……からない」


「え?」


「私のせいなのか、スライムのせいなのか。わ、私……ただ、ずっと、此処で、誰とも会わなければ防ぐことが出来るって……誰からも好かれないなら、ずっと、なにも生まれないって、思ってたのに」

 スライムが、私に異様に執着したのは事実だ。本当は昔からそうだった。スライムだけじゃなく、他にも異様に執着することがあった。 私に会うと干渉すると我を忘れたようになった人が、襲い掛かって来る人が居た。人から、好かれるたびに、私は戦わなくちゃいけなかった。


「もう、そんなこと──起こらないんだって信じてたのに……」


 本人たちに自覚は無くて、意識も無くて、ただ、ずっと、私を追うのをやめなくなる。そうなると相手は自己制御が全くできない。小さいときに誰かに呼ばれ始めた「悪魔」の言葉を背負い、私は何年もこうしてひっそりと誰にも会わずに暮らしてきた。

それ以外に、避けられる方法が、ひとつを除いて、ないのだから。


「そう」


コリゴリは部屋を見渡しながら呟く。


「前にも、同じことが」


 私は、ただ逃げて、叩くしか出来なくて、言葉は通じなくて、異様なまでの暴走から、逃げて、逃げて逃げていた。

彼らに理性など残って居なかったけれど、好きだと言われれば、罪悪感もある。それに犯罪規制法も追い付いていなかった。



──誰が来ても、みんな、嫌いって、言うの。そうすれば、大丈夫───

そうすれば大丈夫、のはずだったのに。

 スライムの視界に入らない相手を想っても、スライムは遠ざけられない。

スライムの意識に入らない相手など、スライムには関係がない。


────誑かして、罪を作る。


だとしたら、私は──



「……。あなたはどうして、悪天候のフライトまでして、観察屋なんてしているんですか?」


「それしか無いから。好きと嫌いの円環からも外れた自分には、こうやって身体を張るしかないから、かなハァ」


「……そうですか?」


なんだかそんな風には見えないけれど、余計なことは言わない方が良い。

 シンプルな生き方、好きと嫌いから外れた生き方。私が探してきたものだけど、そんなの結局──無いも同じ。

ただ、それでも、それしか無いものというのは何にだってあるんだろう。

そうだ、のんびりと話してる場合ではない。動悸がまた激しくなる。

嫌わないと。

 人に好かれたらまた、あれが発動して、戦わなくちゃいけないかもしれない。

「私にはわからないけど──大変ですね」

「ありがとう」

極力冷ややかに言うが、コリゴリは大人の対応をしていた。……まあそんなもんか。

「けど、まさか知らなかった。工作員が送り続けた、私たちが撮り続けていた紙や写真から、あの化け物になるだけの力が生れていたなんて……」


「化け物……あ。キムを、知ってるんですよね」


「昔、ちょっとね……仕事で、見たのホォ、似たような泣き声を上げる怪物。


──私たちはそのときもさまざまなルートに観察した対象の概念をばらまき続けてた。

若い……女の子だった。

でも、そのときは何もわかっちゃいなかった。自分たちが作り上げたものが何を意味するものなのか、まるでわかっちゃいなかった。そのときの子は死んじゃって、怪物だけが何年も、街に現れた。 いつの間にか、ぱったり話を聞かなくなってたけど──


数年前に、キムの手が隣国で発見されたニュースが話題になった頃から、

 今まで鳴りを潜めていた恋愛総合化学会が急にまた話題になり、工作員を募集し始めてた。今考えたら既にそのときには何か知ってる人が居たんだわね。


それでー、私は、それに志願したのホォ」


「……何か、知ってる人……キムを、暴走させたキムを、そのままに……」


亡くなった人。、還る場所のない、行く場所のないスキダたち。キムの手。


「なるほど。概念体は、つまり昔の人たちが放置した部分も合わせてより強化され防ぎ切れなくなっている。なのに今なお工作を秘密裏に続ける為にこうして政策として市民に発令したってこと?」


「まさか。そんな風には考えないわよホォ、悪魔が、勝手に襲ってきた、それだけ。悪いのは怪物」


「……コリゴリは、違うんですか?」


「正直私もそうだった。死んでもまたやってくるなんて、ゾンビかなにか、怖い怖い。そう思ってた。けれど──あれは、これだけ間近でみたら、さすがにわかる、あれは、そんな可愛い存在じゃない。あれは、私たちが産み出した。

 安易に、好きだ、嫌いだって、ただ執拗に騒いだ、まるで誰かを呪うように、誰かを捕らえるためだけに、写真を送り続けた……」



コリゴリは顔を両手で覆う。

 それは感情なのか。感情とはなんなのか。言葉は、感情なのか。感情とは言葉なのか。



「それでも、私にはこれしか……これしかないのホォ……」


 嘆くような、揺れる声。痛みが伝わる声。

私は少しだけ動揺した。まさか、私が戦う間にそんなに、思い詰めていたなんて───


「これからも、写真を撮って、撮って、撮って、以来主に送って、送って、送って、記事が書かれ、記事が書かれ、誰かがそれでどうなったって───これしか、できない……」



なにか──言おうとした。

少しだけ、コリゴリに近付こうとした。

私の肩はぐっ、と後ろに引かれる。


「椅子さ……ん」


触手のようなものが伸び、私の肩をとらえている。


──だめだ


「え?」


 私が進もうとするも、椅子さんはただ止めるだけ。代わりに更にもうひとつ触手を伸ばして、コリゴリに近付ける。

なんだか、コリゴリの様子が、おかしい。ずっと俯いたままだけれど────


「ウアアアアアアアアアアアアア────────!!!!」


突然叫びだした声に、私は思わず身を竦める。キムかと思ったが、どうも前方からの声だ。


「ア───────ッ!!

アア─────────ッ!!!

アアアアーアアーアアー──────!!!ゴメンナサアアアアアアイ!! ゴメンナサアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!ゴメンナサイ!!ゴメンナサイ!!ゴメンナサアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!」



 突然立ち上がったコリゴリが、目を見開き発狂していた。

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