第4話 Boys, be ambitious like this old man !
◇王子視点◇
「バート。なーに不機嫌になってるの?」
乳兄弟が僕を『バート』と愛称で呼ぶときは、完全プライベートな状態のときだ。
許嫁との面談を恙無く終え、着替えを済ませ夕餉を迎える少しまえの自由時間。
「僕は……不機嫌ではない」
「いーや! 不機嫌だよ? ってゆーか、拗ねてる?
珍しいこともあるもんだな。ここまで感情が乱れるなんて!」
王族教育の賜物か、はたまた生まれ持った素質なのか。
僕は常に冷静に振る舞い感情が表情に表れることがない。
もともと、感情の振り幅が小さいと自覚している。それは人としては欠陥かもしれないが、王族としてはマイナスではないと思う。
そんな僕の些細な表情の変化に気がつくのは、乳兄弟のジークフリード・フォン・ミュラーだ。僕のひとつ上の十五歳。今は僕の専属侍従として仕えている。
「サラ嬢との面談もいい雰囲気でできてたし、なんの問題もないと思ってたけどなぁ?」
そう言いながら僕の顔を覗き込むのはやめて欲しい。
こいつは僕の兄気取りのところがあって、ときどき鬱陶しい。しかも心配性だ。
悪気がないのは分かっているから強く拒否できないのだが。
「それで? 喜んでた?」
「……? なにを?」
しばし、沈黙。
やがて、呆れ顔のジークが口を開いた。
「なにをって……。あんなに悩んで商会の会頭をも巻き込んで散々迷ってあーだこーだ右往左往して選びに選び抜いた初めての贈り物、喜んで貰えなかった?」
!!!!!!!
しまったっっっ!!!!!
忘れていた!!!!!
「王家御用達のいつもの商会の会頭に、わざわざベッケンバウワー家と馴染みの商会に繋ぎをつけて貰ってサラ嬢の好みを聞き出してさ。それでも色々悩んでいただろう?
『初めから自分の色を纏わせるなんて独占欲を前面に押し出すのは如何なものか』とか。
『十二歳の少女に派手で重いネックレスなどすぐには使えないだろう』とか。
まー、よくあれだけ悩めると感心したけどね、俺は。
いつもは人に勧められた物を適当に選んでる殿下がこれほど悩まれるとはっ! ご婚約者さまは女冥利に尽きますねって会頭に呆れ……感心されてたし、話を聞いた両陛下もにっこにこでさ」
……なんということだ。
あんなに悩んで選んだ贈り物を、僕は渡しそびれてしまった……。
「ん? バート? 本当にどうした? 今度は迷子の子羊みたいだぞ?」
「……渡してない」
「え?」
「髪飾り……渡し忘れた……」
「ええぇっっ?!」
暫し、沈黙が満ちる部屋。
ジークも絶句している。
僕も僕自身にびっくりしてなにも言えない。
こんな失態を犯すとは夢にも思っていなかった。
初めて会う許嫁の令嬢に、今日の記念になればいい、僕のことも好意的に見て貰えたらいい……そんな願いを込めて選んだ物を、渡さないなんて……。
しかも、謁見の場から彼女を連れ出す口実に使ったんだぞ? ベッケンバウワー公爵のこちらを呪い殺しそうな視線が急に蘇る。怖い。
「今からでも、公爵邸へ送った方が良くないか? 手配しようか?」
「……今から、だと、もう、公爵も屋敷についてるころだろう……謁見の場から令嬢を連れ出す口実に使ったのに、公爵の帰宅より後に着く贈り物って、どう思われるかな?」
いつも飄々としたジークの顔がまじめになってる。事態は深刻だ。
「……公爵のお怒りを買いそうだな……。公爵閣下はご令嬢をそれこそ目に入れても痛くないほどの可愛がりようだと聞いたぞ……」
「うん……今日の謁見も凄い目で睨まれた……」
呪いができるなら、きっとあの人だろうなとは思うくらい。
「ってゆーか、そもそもバートはなんで不機嫌だったの? 俺がお茶の用意したときは近年稀にみるほど上機嫌だったよ? だからもう渡したとばかり思ってたのに」
そうだ。予定ではサラ嬢に贈り物を渡して、部屋で一緒にお茶をして、庭園の散策をして……と、段取りを考えていた。
だが思いの外楽しく会話を交わすことができて、段取りなど失念していたのだ。
「だって…………いい、なんてサラが言うから……」
「ん? サラ嬢がなんて言ったって?」
「サラが、僕のことを……って」
「うん? 肝心のとこが聞こえない。もいっかい言って?」
「サラが。僕のこと。可愛いって……言った」
ジークの目が点になってる。
呆れもするだろう。あんなに可愛いサラに! サラの方こそとっても可愛いのにっ! 年下なのに! そのサラに『可愛い』なんて言われるとは……!
僕の容姿は整ってるとは思う。両親ともに美形だから。
もちろん、妹のアンネローゼも将来有望、美人確定の美幼児だ。
とはいえ。僕は男なのに! 王子なのに! よりにもよって『可愛い』なんて形容詞が適用されるとは思ってもいなかった。
「あぁ――はい、はい」
ジーク。頭ぽんぽんするな。不敬だぞ。
それになんだ、その顔は。
仕方ないなぁまったくこいつは可愛い奴めって顔するなっ!
おまえまで僕を『可愛い』なんて言うなよっ?!
思ってても口に出すなっ!
「ウンウン♪」
だから、頭ぽんぽんするな。
「あのね、バート。女の子の言う『可愛い』は、俺たちが思うところの『可愛い』と範囲もカテゴライズも違うんだ」
「は?」
なんだそれ。
「彼女たちは口癖のように『可愛い』を多用するからそれを真に受けてはいけない」
「真に受けては、いけない」
ほんとうに?
「そう。到底可愛いとは思えないモノにも平気で形容する。その範囲は広く深くジャンルを問わず、付いていける男は猛者と言える」
「猛者」
それはすごい。
「それと一つ、朗報だ。女の子が『可愛い』というときはだな、その対象物になんらかの好意を感じている証拠だ」
「え」
好意を、感じている?
「おめでとう。サラ嬢はバートに好意を持ってくれたみたいだね♪」
本当に? だとしたら嬉しい。
あの可愛い子に嫌われるのは嫌だ。それは避けたい。もっと仲良くなるにはどうしたら良いだろうか。あの子の笑顔がもっと見たい――。
僕はこのとき、またしても失態を犯していた。
二人で僕の失敗の対応策を話し合っていたはずなのに、気が付けば話題は流れ流れて違うところに着地して、ろくな解決案も出せず時間だけを浪費していたことに気が付いていなかったのだ。
晩餐を済ませ夜の日課である剣の鍛錬のときに、護衛のヨハンが恐る恐る一言『お花でも贈れば宜しいのでは……』と言ってくれたとき、やっと気が付いて、顔面蒼白になった。
が、もう遅い時間で、まさに『時すでに遅し』『後の祭り』状態で。
その後、後手後手の対応にならざるを得なくなるのだ。
あの公爵閣下を相手に。
翌日早々、公爵閣下は王宮に上り、国王陛下に謁見を申し入れた――というより、勝手知ったる従兄弟の家、とばかりに王家のプライベートエリアへズカズカと乗り込んできた。そして大声で怒鳴った。
「オスカー!! キサマの息子に会わせろっっ!」
ちなみにオスカーとは父の、国王陛下のファーストネームである。
公爵閣下は、王宮のど真ん中で、国王陛下の名前を敬称も付けず大声で連呼し続け大騒ぎしたのだ。
王子宮にいる僕の耳にそれが届いたとき、僕はまだ朝食を取っている最中だった。
侍従のジークを始め王子宮に勤める家臣一同、心臓が止まった瞬間であった。