閑話
まだ私が幼かったころ。
お母さまに連れられて公爵邸ではない、どこかのお茶会に参加したことがありました。
三歳くらい……でしたでしょうか。
そのときには、もう転生者の自覚がありました。
毎夜毎夜、前世の光景を夢に見るのです。
たいがいは無機質な病室。たまに自宅。ごくたまに学校。
前世の私はあまり身体が丈夫ではなかったようです。ろくに学校へも通えず病院に併設された学校モドキで義務教育を終え、通信教育で高校卒業資格を取りました。
いつも普通の生活をしたいと願っていました。
両親は……特に母は、私に謝ってばかりいました。
『丈夫な体に生んであげられなくてごめんね』
涙を滲ませた黒い瞳。優しく私の頭を撫でるカサついた手。
私こそ、普通に生まれなくてごめんなさい。貴方達に迷惑ばかりかけてごめんなさい。
成人してもパートかアルバイト(それも短期のものばかり)で、きちんと社会人として社会貢献できませんでした。
だれかに面倒かけてばかりで、胸を張って生活できませんでした。
子どもを生み、次世代に命を繋ぐという生命体としての本能も全うしませんでした。
ごめんなさい すみません
そんなことばかり繰り返し夢に見た私は、今世では公爵令嬢として生まれたのに卑屈で遠慮ばかりした内気な少女だったと思います。
どんなにお父さまが私を可愛がっても。
どんなにお母さまが私を諭しても。
どんなに兄さまが一緒に遊んでくれても。
口癖は『ごめんなさい』『すみません』
乳母のハンナが私に優しく『お嬢さまは公爵家のご令嬢なのです。私どもに謝る必要などございませんよ?』と諭してくれても。
どこか、なにか。
いつも……申し訳なく感じていました。
今思えば、幼児らしくない幼児でしたね。
そんな私を連れてお茶会に出席したお母さまは、剛の者と言っても過言ではないでしょう。
案の定(?)参加していた子ども同士で集まっていたときに、私はトラブルに巻き込まれました。
一人の男の子にひどく怒られたのです。
「おまえはっ! なぜそんなに謝ってばかりなのだ? 卑屈になるなっ! 見てるこっちまで不愉快だっ!」
ビックリしました。
私が『ごめんなさい』と言うのは既に口癖になっていました。
なにも思うところなく使っていた言葉が第三者を不愉快にさせるなんて、考えてもいませんでした。
それに、そのときの私は『ごめんなさい』を『ありがとう』の意味で使っていたことに気がついたのです。
そうです。
私、本当は『ありがとう』って言いたかったのです。
生んでくれて、ありがとう。
可愛がってくれて、ありがとう。
いろんなことを教えてくれて、ありがとう。
一緒に遊んでくれて、ありがとう。
つまり、言葉を間違えていました。
その場は……。
男の子がいきなり大声を出したことで、ほかの子が泣き出しました。だれかが泣き出したことに釣られ、つぎつぎに泣き出す子どもたちが現れました。
阿鼻叫喚の四文字熟語が脳裏を過ぎりました。
慌てた様子のお母さまが私たちの方に近寄ってきて……その後、どうなったのかしら? 記憶が曖昧です。
でも……あの子に怒られたことは、いわゆるエポックメイキングになりました。
お母さまに『わたしを生んでくれてありがとう。お母さま大好き』と言えました。
お母さまは『わたくしもあなたと逢えて嬉しいわ。大好きよ、愛しいサラ』と優しく抱き締めてくれました。お母さまは、柔らかくていい匂いがします。
お父さまに『いつも可愛がってくれてありがとう。お父さま大好きよ』と言ったら、満面の笑みで高い高いしてくれて……その後ギュッと抱き締められました。
お父さまはイケメンなのに涙脆いって、このとき初めて知りました。
お兄さまにも言いましたよ。『お兄さま、大好き! またご本読んでくれる?』そう言って抱きついたら、そのまま抱き締められて絨毯の上をゴロンゴロン転がって……二人で大笑いしました。
ハンナには……やっぱり、ちょっとだけ謝ってしまいました。『今まで困らせてばかりでゴメンね? いつもありがとう。ハンナ大好きよ!』
ハンナも優しく抱き締めてくれたこと、よく覚えています。
その後、お母さまとお兄さまと一緒に私は公爵家の領地へ引っ越しました。
お父さまは王都と領地を行ったり来たり。
単身赴任のお父さんって感じでしょうか。
そんな生活でも私の弟がちゃんと生まれたのだから、夫婦仲は良好だったのでしょうね。
大好きなお母さまと大好きなお兄さまと大好きな可愛い弟と(ときどきお父さま)。
優しい公爵家の使用人たちに見守られて、私はやっと前世の呪縛を断ち切りました。
『ごめんなさい』と下を向くより、『ありがとう』と言って笑顔で上を見ました。笑顔を向けると笑顔が返ってきます。嬉しい連鎖です。
だから。
あのとき私に怒ってくれたあの男の子にも。
私は『ありがとう』って伝えたいのです。
顔も覚えていないし、名前も知らないけれど。
ありがとう。あのとき私に第三者の目を教えてくれて。ビックリしたけど、怖くはなかったよ。
わたしの野分の君。
いつか、貴方に会える日がくると良いな。
日本人は『ごめんなさい』を多用し過ぎる。と思う。