第9話 感情の制御は難しい
◇令嬢視点◇
恥ずかしいっ。
とてつもなく恥ずかしくて堪りませんっ。
あぁ、周りのおとなが生温かい目で私を見守っています。
遡ること、ほんの少し前。
王妃さまが外務省の大臣執務室にふらりと立ち入ったことから【私の羞恥の時間】が始まりました……。
私は王妃さまから、呼ばれるまで入ってはいけないと指令を受けていますので、外務省内に王妃さまの侍女たちと待っていたのですが。
えっと……少々説明いたしますね。
外務省内は結構広いお部屋でしてね。
壁には資料棚がずらりと並んでいます。そして事務机? みたいなのが十? 十五組くらいかしら、等間隔で置いてあります。
今日、ここにいる外務省職員の方は、さきほどご挨拶をいただいたルイ・スミスさまを含めて五名。
……フレックス出勤なのでしょうかね? 勤務形態は分からないけれど、机数に見合った人員でない辺り、まぁ……フレックスか出張か、その辺りでしょう。
で、その省内の奥にまた扉がありまして、そこが外務大臣専用執務室になっているらしいです。
王妃さまはそこへ入っていきました。
扉が開け放たれているので、中での会話はここにいる皆さん(事務官五名、王妃さま付きの侍女ニ名、私付きの侍女アン、そして私の計九名)に、丸聞こえなのです。
私は専用執務室の扉のすぐ傍に、王妃さま付き侍女の皆さんと並んで待機していたのですが……。
な、なんということでしょう!
王妃さまがなんとも楽しそうに、ウキウキと弾んだお声で語っているのは昨日の王子殿下がどのようなポンコツ具合だったのか、ということではありませんか!
これって殿下にしてみれば、恥ずかしいお話ではないのかしら?
それをご自分のお母上に暴露されるって……。
殿下。お察し申し上げます。(心の中で合掌)
でも私には嬉しいお話です。
王妃さまは、殿下がいかに私と会うことを楽しみにしてくださっていたのかを、滔々と捲し立てていらっしゃいますが……。
これって、お父さまへお聞かせする形でいて、半分は私に聞かせているのだと思いますもの。
ちょっと……いえ、だいぶ嬉しいかも……と思ったときに、周りの目に気が付きました。
省内の職員の方たちはお仕事中なのです。
書棚の前で書類整理していたり、お机に向かっていたり……。
皆さまそれぞれなのですが、そのどなたさまも私を見ているのです!
それも、ずいぶんと温かい目で……。
ニコニコ(慈愛)と。
人によっては、にやにや(からかい)と。
みなさん、目で私に語り掛けています。
『お嬢さま、良かったですね』
『お嬢さま、殿下と両思いですね!』
こんな所で空気を読む特技を遺憾なく発揮する私って……!!
自分の能力が仇になってます!
恥ずかしさが過ぎますっ!
「そんなに大騒ぎして、娘への贈り物を選んでくださったのですか?」
お父さまのお声も、なんだか浮かれてますわね。
なんだかんだで娘に激甘なお父さまにとって、娘が好かれてる(?)状態はおおむね満足なのでしょう。
「そうよ。いつもの王家御用達のヘルメス商会の会頭を呼んで相談したのはいいけれど、あぁでもないこうでもないと迷いに迷った挙句に、えぇと、なんといったかしら? 公爵家でも贔屓にしている商会があるでしょう?」
王妃さまのお言葉に合わせ、職員のお一人が『あー、大騒ぎしてたなぁ、バタバタと商会の人が出入りしてたっけ』とばかりに、遠い目をしながらうんうんと頷いています。
「うちの贔屓? ジューン商会ですかな」
「そう! そこの会頭まで呼び出してね、頑張って令嬢の好みを聞き出したのですって。あちらの会頭も四苦八苦していたそうよ。顧客の個人情報をホイホイと漏らす訳にもいかないから、『ご令嬢なら……こちらを選ぶかと、推測します』とか『こちらのお品ですとご令嬢には重たすぎるでしょう』なんて、明言しない曖昧な言い方でね。大変だったと思うわ。でも王子宮で新たな販路を広げたいあちらとしては、無下にもできず……と、ね♪」
まあ、そうだったのと思いながら、ふと、隣に立っている侍女の皆さまを見ると……。
彼女たちも私を見ていました。
その目が語っています。
『あのときの殿下は大変でしたよ』
『あのときの会頭は冷や汗かいていましたよ』
どちらもうんうんと頷きながら私と目を合わせています。目が微笑ましい物を見るように柔らかいです。
……なんでしょう。
『いたたまれない』とはこのことですね……。
「ほほう」
「そうしてやっとの思いで手にしたお品を、毎晩寝るまえに大切そうに眺めて机の引き出しに仕舞う、という日々を送っていたそうなの♪ 我が子ながら健気で健気で……わたくし、涙無しにはとても聞けませんでしたわ」
「ほうほう」
侍女の一人がそっとハンカチで目元を拭っています……。
もう一人も深く何度も頷いてます。
いやだ。スミスさまも口元を手で押さえてますよ……。ぽつりと「青春……」と呟いたのを私の耳は拾いました。
書棚の前に立っていた職員さんは、とてもよい笑顔で遠い所を見ています。ご自分の十代のころにでも思いを馳せているのかしら。
たしかに、夜ごと寝るまえにプレゼントを見ている殿下を想像すると……。
なんでしょう……なにやら胸のあたりがソワソワします。
自分の顔に熱が集まっているのがはっきりと分かります。
どうしよう。すごく……すごく嬉しいです!
殿下。
そんなに私のことを考えていてくださったのですね。
そう思いながら、つい、周りを見ると……。
皆さまが。
それはもう、ものすっごくいい笑顔で私を見ていらっしゃるのですっ!
特にアンがっ!
口元は手で隠しているのですが、もう、目がっ!
嬉しそうなのです。しかもバックに花が咲いてます。あなた、こんな所でその特殊能力発揮しないで!
これ、なんて辱めですかっ?
嬉しいのに恥ずかしいってなんですか?
公開処刑ってこれなんですね!
「そしてね、昨日の夜は、そのせっかく用意した贈り物を渡し忘れたことに気が付いて、それはもう! 今にも死にそうな顔をしていたとのことなのよ。いつもはきっちり計画立てて、それをさも当然のこととさらりと熟して、勉学も剣術も教師陣から太鼓判を押される『有能王子』なんて宮廷内では噂されているこのヘルムバート第一王子が、よ? こんなポカするなんて、わたくしも陛下も耳を疑いましたわ!」
「ほっほっほ」
『有能王子』の評判は私の耳にも届いています。
すべてをパーフェクトに熟す天才王子だと。
こっそり『AIなんじゃないの?』なんて思っていたから、昨日、無表情の殿下が怖かったのです。うっかり殺人機械人形とかを連想しちゃったんだもん。
それに王妃さま。そんなポカと仰っても……。
たぶん、殿下がミスをしてしまったのは、私のせいです。
私がなにか、自分でも知らないうちに殿下のご機嫌を損ねるなにかをしてしまったのです。だから、殿下は――。
思い起こせば。
昨日、別れ際の殿下はちょっとだけ、本当に微かにだけど、不機嫌でした。
あれは、AIでも完璧王子でもなく、年相応の。
等身大の、ヘルムバートさま……でした。
あぁ、どうしましょう。
感情の制御が難しいです。
すごく嬉しいのに、いたたまれないくらい恥ずかしくて。
なんだか胸の奥がソワソワと落ち着かなくて。
でも殿下に申し訳ない気持ちもあって。
昨日思った『殿下に嫌われてしまった』っていう悲しい気持ちも蘇ってきたりして。
私の気持ちはどうなっているのでしょう? もう、訳がわからないですっ!
「ですからね、公爵。この子もこの子なりに、いろいろと精一杯だったのです。わたくしの顔に免じて、お怒りを収めてくださいませ」
王妃さまのそのお言葉を最後にお喋りは止み、執務室の中はシン……と静まり返りました。咳払いの一つもしません。
当然、こちらの省内の皆さまも口をきくどころか身動き一つしません。
皆さま、視線の先は王妃さまたちのいる執務室へ向かっています。
これからどうなるのかしら、と思ったら突然。
「あぁ、そうそう。聞いていたかしらぁ? 入ってきていいわよぉぅ」
王妃さまのお許しが!
これって私への呼びかけですよね?
侍女の方を見れば、お二人揃って頷きながら
『さぁ、中へ!』
『王妃さまのお呼び出しですよっ』
と、目で語り掛けてきます。
省内の皆さまも私に頷いています。
『さぁ! お嬢さま!』
『いってらっしゃいませ!』
皆さま。無言なのに雄弁ですわね。
これも一種の才能かしら。私が空気を読む才に長けているからだけでなく、皆さまの【目で語る】能力がずば抜けているせいだと思うわ。
目は口ほどに物を言うって、昔からいうものね。
私は一度振り返ってアンを見ました。そして行くわの気持ちを込めてひとつ頷くと、アンも頷いてくれました。
私はおずおずと執務室に入りました。
なんだか足が震えて早く歩けないのです。
緊張しているから、でしょうか。
執務室の中に応接セットがあって、そこの長いソファに王妃さまと王子殿下が座っていらっしゃいます。
対面の一人掛けのソファにお父さまが。
お父さまはびっくりした目で私を見ています。私が来ていたのに気が付いていませんでしたね。
王妃さまはにっこり余裕の笑顔。
そして殿下は……。
ぽかん、と口を開けて。
目もすっごく見開いて。
立ち上がって。
『さ、ら』と呟きました。
ふふっと笑った王妃さまが私に手を差し伸べます。
「サーラ。聞いていたわよね? どう? うちの息子。気に入ってくれた?」
あら。
私ったらいつの間に。
王妃さまが差し出した手を取っています。
王妃さまのお手は温かくて柔らかくて……。あぁ爪の形も綺麗……色もつやんつやんだわ……。
「さーら?」
王妃さま独特の、甘く優しいお声に促されて。
ついさきほどまで私の感情の大混乱大混線大渋滞は続いたままで。
「わたし……でも……殿下に、き、嫌われた、から……」
そう、すなおに答えてしまいました。
そうしたら。
耳に痛いほどの沈黙のあと。
「「「「「はーーーーあぁぁぁぁぁぁぁぁあ???????」」」」」
部屋の中からも外からも疑問形の叫びが、同時多発の大合唱で聞こえてきまして。
そこから阿鼻叫喚……と申しますか、だれもが一斉に喋り始めて(えぇ、特にお父さまと王妃さまと殿下が)、だれのなにを聞いていいのか、もう、本当に大混乱で目の前がチカチカするほどでした。
冷静な侍女が一言「みなさまっお静まりあそばせっ」と喝を入れてくれなければ混沌の坩堝でしたねぇ……。




