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おかえりなさいませ

「おかえりなさいませ、イヴリン様」


 出迎えた姿に、私は硬直した。

 黒くて長い髪に、綺麗な黒い瞳。

 額に輝くヘッド・ストーンは美しい青。

 見慣れるというには美しすぎるけれど、見慣れすぎた青年の姿がそこにいる。


 イヴリンはその瞬間に現実逃避をした。

 本当に目の前で起こっていることの意味がわからない。

 脳内が「私」でなはく「イヴリン・フォワース」という第三者目線に剥離した。

 この一週間ばかりの入院生活をすさまじい速度で思い返す。


 飛行船爆破事件があり、そこでアダムとは永遠の別れになった。

 パラシュートからの着地も問題なかったし、アップルの救難信号は優秀で、救助も早かった。

 ただ、ちょっとした擦り傷はいくつもあったし、何よりもメンタル面のダメージが大きかった。

 なんと食事と睡眠がまともに摂れなくなり、今日までの一週間は病院のベッドの上で点滴生活をしていたのだ。


 寄宿舎に帰るよりは、いったん実家で穏やかに過ごしたほうがメンタルの回復も早いだろうと言われ、実家に帰ってきたのが今。

 大事なことなのでもう一度言うが、壮絶体験でやつれてしまった体を引きずり、思い出に満ちた自宅のベッドに倒れこんで、回想しながら泣きぬれるために帰ってきたのが今。


 そのはずだったのだが。

 爆死という壮絶な最期を遂げてイヴリンのメンタルに大ダメージを与え、泣きすぎて入院中の一週間を赤い瞳に変えた原因が、不遜なまでにすました真顔で立っているのは、心の許容範囲を超えていた。


 これは、都合の良い夢だろうか?

 それとも、同じ形状で造られた、新しいアンドロイドだろうか?

 しかし、それにしては不遜な態度そのものも、見慣れたものなのだが?

 どこからどう見ても、アダムにしか見えないのだが?

 え? え? とイヴリンは混乱の極みで、実はまだ病院のベッドの上で、私の肉体は寝ているのかもしれない……などとあらぬ方向へ考え出す。


 目を白黒させている私に、出迎えに出ていたお父様がハッハッハッと快活に笑いながらふんぞり返る。

 歴史に残ってもおかしくないぐらい得意気な顔であった。


「身体の中身は最新ボディーだが、お前のアダムだよ。なんのために、うちの地下が3階もあるか知らなかっただろう?」


 日常生活の中にある膨大な経験や、日々蓄積される知識のデータを搭載するには人型ボディーは小さすぎる。

 なので、ヘッド・ストーンを通して実家の地下三階分をしめるお父様特製のサーバーに、逐一送信して、微細漏らさずに記録していた。

 今この瞬間も、映像データとして地下に保存されていると、フォワース博士は悪びれなく笑った。


「もちろん、アダムとアップルの二つ分だからね。サーバーの増設もおいおい必要になるだろうけれど、まだまだ容量に空きはあるから心配ない。君と出会った日から、何一つ記憶の欠けていないアダムだ」


 人、それをバックアップと呼ぶ。


「え? でも、その身体は?」

 そう、それもまた疑問である。


 新しくゼロから組み立てるとなると、お父様の手でも半年はかかるだろう。

 都合よく同じボディーがあるわけないし、汎用型のアンドロイドを使用するにもアダムは色々と特別仕様すぎて、多分、移植すると同時にボディーのほうが情報過多でオーバーヒートするはずだ。

 そんな疑問にも、お父様はケロッとした顔でいた。


「うん、そろそろ新しい機能も試したいから試作を重ねていてね、イヴリンの誕生日に合わせて丸ごと取り換える予定で、チマチマと造っていた奴」


 ちょうど試運転をしようと思っていたんだ! なんてご機嫌である。

 今度もすごいんだよ! などと無邪気な子供みたいに胸を張っているので、なんだか気が抜けて怒る気もうせてしまった。


「丸ごと取り替えるって、ボディーを服みたいに……」

「イヴリン様、私の体は整備の度に部品を交換されていて、5年もすれば何一つ同じものはありません」


 アダムの鋭い突っ込みに、私は頭をかき乱したくなった。

 確かに、腕や足といったパーツは丸ごと付け替えることもあるし、胴体の内部とかもチマチマチマチマ、お父様は実家に帰るたびにいじっている。

 もちろん、修理のためじゃないよ!

 お父様の新しい閃きを形にしてくっつけてるだけだよ!


 うわぁっと奇声を上げたくなった私は悪くないと思うんだ。


 色々そうだよね! わかってたし、わかっているけれどさ!

 顔がパンパンに腫れるぐらい泣いて、入院までしちゃったんだもの。

 私の涙を返せって、思うぐらいは許されてもいいと思う。


「ああ、でもね。二人とも、こんな無茶はこれっきりだよ。予備のボディーがいつでもあるとは限らないから」


 はい、と私は素直にうなずいた。

 丸ごとボディーの存在があったのは、本当に奇跡的な偶然だった。

 今回はたまたま運がよかった。

 それは確かなことだから。


「まぁでも、今回の件は有名になったからね。アダムが普通に大学に顔を出してくれたら、それだけで研究資金が自動的に増えるね。良い事だ」


 バックアップ機能を本格的に売り出すつもりらしい。

 そのための準備もとっくにできていて、あとは企業から売り出す段階に入っていると、お父様は得意そうだ。

 研究のためには資金は絶対に必要なものだけどね。

 未来を予想するお父様の笑顔は悪魔だと思う。


 とりあえず、部屋で休むことにした。

 お父様の「新しくなったアダム」自慢が始まったら、何時間も語りを聞かされることになる。


 それとたぶん、安心したのだろう。

 壊れてなくなってしまったと思っていた日常が、私の手元に戻ってきた。


 眠くてまぶたが閉じそうだ。

 ここ最近の無理がたたって、どっと疲れが出てきただけかもしれないけれど。

 ちょっと寝てきますと言って、自室に移動する私の後ろを歩きかけたアダムを、お父様は呼び止めた。


「ねぇ、アダム。イヴリンを脱出シュートに放り込むまでの5秒間で、何をしたんだい?」


 ほんの数秒のことだが、強固なプロテクトがかけられて、情報開示ができなくなっていた。

 それが外部からの働きかけではなく、アダム自らが施したプロテクトだと、フォワース博士にはわかっている。

 それを咎めるつもりもないし、そこまで進化したのかという、純粋な驚きもあった。


「イヴリン様と私だけの秘密です」


 アダムは涼しい顔をして、予想通りの答えを返してきた。

 やっぱりね、と表情で表して、フォワース博士は肩をすくめる。


 実を言うと、アダムだけでなく、アップルにも記録させている。

 アップルが二人の側にいたなら、アップルの目を通して得た情報は問答無用で閲覧できるのに、今回ばかりは外に飛び出した後なので、アダムとイヴリンから物理的に離れていた。


 二人きりになったほんのわずかな空白に落ちた秘密。

 知る機会は永遠に失われてしまったけれど、何があったのか予想はついているのがなんとも言えない。


 感情と、行動は、密接だとされているけれど。

 それは、人だけのものではなくなるのかもしれない。

 人と、アンドロイドの差は確かにあるのに、常識はいとも簡単に覆される。


 心とはいったい何だろう?


 それを知る機会を持つのは、自分ではなくイヴリンだろうな、とフォワース博士は思う。

 仲良く肩を並べて歩く二人が廊下の果てに消えるのを、なんとも言えない表情で見送るのだった。


 自分の部屋に入り、扉を閉めてからイヴリンは唇を尖らせる。

 また会えてうれしいわと言えるほど、素直な性格でもない。

 すねた顔そのもので、アダムを上目遣いで見上げた。


「なんで、あんなことしたの?」


 ファーストキスがアンドロイドだというのは、なんとも言えない気分だった。

 苦しくて、悲しくて、切なくて……それを押しのけて湧き上がってくる感情が心を惑わす。


 突然だった別れのキス。

 いやではないけれど、何かが違う気がする。

 けれど、アダムは悪びれなかった。


「ああいうの、お好きでしょう?」


 手を伸ばすとスルリと指先で、とがった唇をなぞる。

 そして何もなかったように背を向けて、イヴリンが横になって休めるように寝室の用意を始めた。


 虚を突かれて固まっていたけれど。

 見る見るうちに、イヴリンの顔が赤く染まってほてりだす。


 好きなのは映画やドラマであって、現実に求めているわけではない。


 それなのに。

 それなのにこうやって、いとも簡単に翻弄されるのだ。


 イヴリンの好む行動を選び、イヴリンが喜ぶ言葉を選び……アダムの行動原理はイヴリンが基盤。


 指先で触れた唇には、あの日の口付けが染みついて離れない。


 アンドロイドに感情があろうとなかろうと。

 アダムに向ける感情は、いつしか鮮やかな色彩をまとっていた。







参照:(ロボット三原則の出典:アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳、早川書房)

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