蒼天に堕ちる
ごきげんよう、私、イヴリン。
今、飛行船の通気口に潜っているの。
うん、なにを言っているか、わからないよね。
私も現実逃避したかっただけだから、気にしないで。
ただ、通気口の中を移動しているのは本当のことだ。
ゴゥンゴゥンと腹の底まで響くような機械音が遠くから響いてくる。
膝立ちでしか進めない四角いトンネルは、鉄板がむき出しのまま果てが見えない。
前をふよふよと飛ぶアップルが淡く発光しているので、視界に困ることはないけど。
滑りやすい傾斜があっても、後ろにいるアダムが支えてくれるから、安全ではある。
まさか、優雅な卒業パーティーで、スパイ映画のまねごとをする破目になるとは。
おニューだった真っ白な膝丈ドレスが、今や埃で黒ずんでいる。
飛行船をジャックして、世界に我らの意思を示すのだ! とかなんとか叫びだした犯人一味がすべて悪い。
高等部の卒業パーティーは特別なもので、社交界デビューの縮小版といえばお分かりいただけるだろうか。
今まで家や血筋を抑えて平等の行動を求められていたけれど、卒業パーティーだけは違う。
実家の特産をアピールしたり、手持ちの企業のプレゼンテーションをしたりも許されているのだ。
そんな中。レトロな造りのスチームパンクに出てきそうな飛行船を、卒業パーティーに合わせて作ったお坊ちゃまがいたのよ。
まるでゲームの世界から抜け出てきたような、見事なスチームパンクの再現世界だった。
だから、飛行船の外観を見るだけでも心が浮き立っていたし、内装も凝りに凝った世界で、日常を忘れてゴージャスな気分に浸っていたのに。
乾杯の音頭と同時に、それまで配していたシャンパンや軽食を投げ捨て怒号が上がったのだ。
事象テロリストたちは従業員たちの一部に紛れ込み、ハイジャックを企てていたらしいけど。
彼らが「我らの意思を……」と叫んだあたりで、護衛機能付きの汎用アンドロイドの群れに取り押さえられていた。秒で拘束だったので、彼らの要求したかった要求はわからず、そこは法廷まで持ち越しである。
有料オプションも組み込まれた万能アンドロイドを引き連れたセレブの群れに、考えなしのテロリストが少人数で突っ込んでもね。
バカでしょ?
そして、ハイジャックなんてする大バカ者は、さらにバカなことをやらかすものだ。
ポチッとなの勢いで、手にしていたボタンを押したら、ドーンと激しい爆発音とともに飛行船の機体が揺れたのだ。
なにするのー?! である。秀逸なスチームパンクの飛行船を破壊するなんて!
要求をゴリ押しできなかったら全員を道連れに爆死って、頭が悪いよね!
「我らは死すとも、自由は死せず!」
なんて叫んでいたけどさ。
バーカバーカ、もひとつバーカ。
ここはまだ主要都市部の上空だから、飛行船が落下して爆発炎上すると、未曽有の大惨事である。
危機的状況のはずだけれど、乗客たちは落ち着いていた。
汎用アンドロイドたちは手分けをして人間たちの避難誘導を始めたり、犯人の護送をしたり、マスターの安全を最優先で冷静に行動していた。
この調子なら15分もすれば全員が船外に脱出できるだろう。
私? 私はといえばね。
犯人たちの「我らの意思は」のあたりで走り出したアダムに腰を抱かれていたし、ドーンと爆発したあたりで部屋の隅っこにあった通気口に押し込まれていたし、そのまま問答無用でハイハイで進まされていたから「自由は死せず」は遠くかすれていたよ。
「アダム? 何をするの?」
「こういうの、お好きでしょう?」
スパイ映画かよ! などと突っ込まなかった自分を褒めたい。
「いや、観る専門だから。映画は好きだけどね」
「では、避難を優先されますか?」
ちょっと思考を巡らせたけど、即座に避難案は却下する。
今日のパーティーは卒業者がメインで、クルーもパーティー仕様で特化しているはずだから、期待損傷に対応できる専門職は乗っていない。
パイロットは簡単な内部整備も習得が義務付けられているけれど、あくまで簡易の応急処置レベルだ。
爆発炎上レベルの機械トラブルに強い人間は皆無だろう。
例外が私だ。
天才博士の子供の私もそれなりに天才で、お父様ほどではないが得意分野である。
「このまま放置したら大惨事よ」
「では、このまま管制室まで行きましょう」
アダムがヘッド・ストーンを通して管理システムから得た情報によると、飛行船のメインエンジンが爆破されて、今は予備が作動しているそうだ。
ハックも介入も強制上書きもお手のものみたいで、アダムは常に他のシステムより優位に立っている。
パパは天才だからってお父様がふんぞり返っていたから、お父様のお手製だけかもしれないけれど。
飛行艇の状態はというと、安定はしないものの失速することもなく、しばらくは飛行が可能な状態である。とはいえメインエンジンは炎上を始めているので、飛行場への帰還は二次災害を産む可能性が高い。
エンジンの爆破と同時に自動運転は解除されてしまい、パイロットたちは避難せず機体制御を続けている。
墜落しても人的被害の出ない海上へと行き先を定めたようだ。
炎上が本格的するまでに船体を、どこまで移動できるかが鍵だろう。
「ありがとう、アダム。そういうことなら自動運転を復活させて、パイロットを脱出させれば、ミッションクリアね」
幸いなことに船内の見学時に確認した限り、内部も難しい造りではない。
もしも自動運転のプログラムが吹き飛んでいても再構築するぐらい訳ないことだ。
な~んて、思っていたのだけど。
「燃えちゃってるわね」
「そうですね」
管制室のモニターから見える船内の様子に、遠い眼になってしまった。
システムからの指示を細部に伝えるためのコードが、途中で引きちぎられたり、遠慮なく燃えていたりする。
これは工場に戻って、指示系統はゼロから組み立てるレベルの破損度かもね。
「生きているのが、手動のアナログ機能だけってなんなの……」
これでは、運転できるものが犠牲になるしかない。
現状では、私とアダムの二人がその犠牲者候補である。
他の人員は避難が完了している。
ちなみに、管制室で頑張っていたパイロット二人はアダムが侵入すると同時に昏倒させた。
パラシュートを身に着けさせると、アップルが脱出シュートに飛び込み、その後にポイポイとゴミのように放り込んでいた。
なにするのー?! と叫ばなかったのは、走り寄った窓からパッと開いたパラシュートが見えたからだ。
人間は気絶していても、アップルの外部干渉でパラシュートのスイッチが入ったらしい。
意外といってはいけないけれど、超小型ボディーのくせに高性能なのだアップルは。
奇麗な顔をしているくせに、私以外には雑な行動をとるアダムが「幸運ですね」と言った。
淡々としたいつもの口調に「は?」とすごんだ私は悪くないと思う。
「爆発炎上中の飛行船の中にいるのに、幸運なの?」
「爆破をした連中はそれなりに知識があったのでしょう。人の手でしか動かせない部分は生きています」
ああそう、アンドロイドやロボットの否定派さんたちの仕業ね。
機械至上主義さんたちも面倒くさいけれど、人間至上主義の人たちもこうやって「人にしかできないこと」と示すために「人間」をためらいなく犠牲にする。
ふ~ん、そうですか。やさぐれた気分になっている私の体に、アダムは粛々とパラシュートを装着していく。
「アダム? なにをしているの?」
もしもし? とその手を叩き落とそうとしたけれど、鋼の腕を叩けば痛いのは私の手ばかりで、抵抗なんて意味のない強引さで装着を完了された。
「行ってください」
抱き上げられてそんなことを言うから、思わず息をのんでしまった。
たぶん、第三者から見ても、それが最善なのだろうけれど。
「死ぬ気?」
「私は人ではありません」
怖いぐらいの真顔。
いやだ、という前にアダムは自分の左手を見せつける。
表皮部分を強引に引き裂いたのか、人工皮膚の隙間からのぞいた細やかなパーツがキラキラと鋼の輝きを放っていた。
整備の時には目にしていたけれど、こうして会話で向き合いながら機械の証明をされるのは初めてだ。
私に見せつけるためだけに、アダムは自分の表皮を裂いたのか。
「だから残るのが当然って顔をしないで!」
カッとして叫んだけれど、アダムは問答無用で私を脱出シュートに放り込んだ。
中途半端な体制で投げられたからだろう。
私は奇跡的に降り口に右半分が引っかかった。
落ちかけても体の半分でしがみつき、右手と右足を縁に引っ掛けて必死によじ登る。
最善かどうかなんて関係ないのだ。このままじゃ納得できない。
踏ん張るところがないので、不格好な宙吊りみたいな格好になっていた。
スカートの裾がめくれあがって太ももが見えてしまっているけれど、そんなの関係ないよね!
アダムは困っているようだった。
動きが止まるのは珍しい。
パイロットを放り出してからそれなりに時間が経ったので高度が下がり始めたのか、機体がガクガクと揺れているのがわかる。
遠くから、ドン! ドン! と何かが破裂するような音も連続して聞こえてきた。
埒が明かないと思ったのだろう。
アダムは私の襟首を掴むとプラーンと持ち上げる。
そして、ちょっと考えてから、今度は丁寧にお姫様抱っこされた。
「イヴリン、お願いです。行ってください」
言い聞かせるような、優しい声だった。
至近距離で見つめてくるアダムに、一瞬だけ息をのんだ。
表情に言葉をつけるなら「愛しい」と呼べるほど、やわらかな微笑みだったからだ。
すうっと近づいてきた顔がぶつかると思った瞬間、私は目を閉じる。
唇に軽く触れた何かは、やわらかくて乾いていた。
人肌よりも冷たいけれど、やわらかくてサラリとしたそれがアダムの唇だと思いいたった直後に、体が宙に浮いた。
ヒュォッと激しい音を立てて通り過ぎる風と、滑り落ちる身体の速度に、脱出シュートに放り込まれたのだと理解した。
「嫌よ! アダム! アダムのバカー! だいっきらいーー!」
あふれだした涙が、風で後方に千切れ飛んでいく。
張り裂けそうな胸の痛みが、そのまま意味をなさない慟哭になる。
これが最期だとつげるような、アダムの声が遠ざかる。
長い長いトンネルの中を滑り落ちていき、暗闇は突如と終わった。
はためく衣服も、怖いぐらいにうなる風も、ここが空の上だと告げていた。
カッとまぶしい光の中に放り出され、一瞬だけ目がくらむ。
すさまじい速度で落下していく中でも、爆音が聞こえる方向を見れば飛行船が遠ざかっるのが見えた。
フラフラと不安定ながらも、まっすぐに海を目指している。
炎の中にアダムを残して、私は蒼天に堕ちていく。
空の青さと、果てにある海の青さと。
その美しく透き通った青さを憎いと思ったことは、いまだかつてない痛みを伴っていた。
ポンっと軽い衝撃が体を襲い、見れば白いパラシュートが大きく広がっていた。
ふよふよとアップルがいつもの調子で近寄ってくる。
アダムがそばにいないのに、白い毛玉はふわふわと空を漂っていた。
輝く太陽と、澄み切った青い空。
整備された建築物と、緑の遊歩道に憩う人々。
穏やかな人の営みが、眼下に広がっている。
世界はこんなにも美しいのに。
涙が止まらなかった。
これが最善だ。
これ以上の最善の方法なんて、きっとなかった。
だけど。
遠く、遠く、海上の果てで響いた轟音を、私は一生忘れないだろう。
私のアダム。
口づけだけを残して逝く貴方。
あなたがアンドロイドか人間かなんて関係ないから、ずっとずっと、ただ側にいて欲しかった。
会いたいとどんなに叫んでも、もう、声は届かないのに。
別れの言葉が耳に残って離れない。
「貴女が好きですよ、私のイヴリン」
最期に聞いたのは、優しく歌うような言葉だった。