お父様と私
お父様と直接顔を合わせるのは長期休暇ぐらいだ。
週に二回はモニター越しに顔を見て通話して、年に二回は直接顔を見るために実家へ帰っている。
この十二年間、そのサイクルは変わらない。
「イヴリンはやりたいことがあるかい?」
高等部の卒業が迫っているので、そんなことをお父様は尋ねてきた。
進路の話は今更確認するまでもないだろうに律儀である。
「一番良いのは、お父様の研究所を手伝うことなんだけどね、ダメ?」
エスカレーター式で大学に進むか、他の大学を受験するか、電子工学系の専門学校か、いくつか選択肢はあるのだけれど。
私はどれもピンと来なくて、一足飛びにお父様の助手をしたかった。
もちろん、秒で切り捨てられたけれどね。
私の恨めしい上目遣いに、はっはっはっとお父様は笑った。
「いくらパパが天才でも無理だな。研究所という建前上、大学卒業者が雇用条件なのだよ。悩むなら今のまま安全な場所にいなさい」
うん、結局はそこに落ち着くのだ。
セキュリティー面が最優先されるので、他の学校は視野に入れられないのが現実である。
専門的な知識はお父様に教わっているから、たぶん今の私の専門知識は、下手な大学の講師より上だ。
お父様目線の必要事項なので、恐ろしく偏っている気はするけれど。
「汎用アンドロイドたちの進化を目の前で見ることができるなんて、お父様も学生になりたいぐらいだ」
それはやめてほしい。
お父様が口にするとシャレにならないので、秒で切り捨てておいた。
汎用の大量生産型とはいえ、思考するAIは自ら行動を選んで進化する部分が大きい。
すなわち、年数を経れば減るだけ、環境による個体差が大きくなる。
販売元に伝手のあるお父様は、私の通う学校にお得意様が多いことを知っていた。
閉鎖空間である学校は試験牧場みたいなものに見えても仕方ないだろう。
アンドロイドの個体差はマスターとの関係性や与えられた情報量の差に他ならない。
だから大学部への進学も、お父様や私にとっては研究の一部かもしれない。
学園を体の良い実験場に使わないでほしい、とちょっと遠い眼になってしまう。
「そういえば、お父様。中等部のお嬢様が買い物先でひったくりの現場を見て、誰か捕まえて!って叫んだ瞬間、付き添いのアンドロイド君が犯人をお手玉にしたって」
そう、ひったくりを取り押さえるのではなく、むんずと掴んでポーンと宙に放り上げたらしい。
落ちてきたのを受け止めてはすぐさま宙に放り投げ、ポンポンとボールのように天井スレスレまで投げながら警察を待っていたそうだ。
指示したお嬢様も、荷物を盗られたおばあちゃんも、お口ポカーンでしばらく動けなくなっていたとか、なんとか。
そんな愉快な大騒ぎなら私も見たかったのだが、思うだけで口にはしていない。
「犯人は目を回していたけど、怪我はなかったみたいよ」
アダムだったら簡単に取り押さえて終わりなので、人間お手玉は斬新である。
お父様は思い当たる節があったのか「ああ、なるほど……それはパパも見たかったなぁ」とクツクツ笑った。
「イヴリン、ロボット三原則を覚えているかい? たぶん、その子は必要な技能をインストールされていなかったんだよ」
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
自己をまもらなければならない。
言われてみれば……と私は三原則を思い出す。
ロボットやアンドロイドの基本理念ではあるけれど、それが様々な制約を産んでいる。
このお手玉事件もその弊害らしい。
「つまり、犯人を無傷で取り押さえる技術を知らなかったのね」
「そう。それに、犯人を放せば逃走されるだろう? 捕獲に失敗したらマスターに危害が加わるかもしれないし、アンドロイドの力で押さえつけたら犯人は全身骨折間違いなしだし、抵抗されたらその子自身が故障するかもしれない。一瞬でそこまで判断して、導き出した結論が人間お手玉だろうね……素晴らしい思考だと思わないかい?」
実に愉快だと笑い転げるお父様に、護衛機能に入ってないの? と尋ねたら、有料オプションだよと真顔で答えられた。
「お金で解決できると説明されているのに、それをしなかったのはそのお嬢様たちだ」と悪びれない。
「大丈夫だよ。思考型AIは物覚えも良いし、経験で身に着けさせるか、インストールでパパっと終了させるかの差だよ」
うん、なるほどね。
実際にその場にならなくてはわからない事って多いからケチったのか。
それは仕方ないかな~とも思ったけれど、有料オプションの値段を聞いて「は?」と二度聞きしてしまった。
結構なお値段だった。
白い眼でお父様を見てしまった私は悪くないと思う。
この商売上手め。やっぱりお父様は悪魔の親戚だと思う。
「まぁね、うまく入力できれば最強のSPだ。アダムは強いだろう?」
コクリと私はうなずいた。
学園で起こった王子様襲撃未遂事件を思い出す。
事件が起こる前に、アダムが解決してしまった。
なによりも、誰もケガをしなかった。
狙われた王子様も。他の生徒たちも。マッチョの不審者たちも。
突如わいた非常事態を、アダムは全員無傷で解決したのだ。
「ところがどっこい。人とロボットを守るはずの三原則が枷となって、医療的な分野にアンドロイドは参入できない。思考型アンドロイドはそのために開発が始まったのに……皮肉なものさ」
もともと、人を模した思考型アンドロイドが求められたのは、医療・看護や介護の分野だ。
シーツの取り換えとか、器具の洗浄とか、カルテ整理とか、掃除とか、そういった雑務は問題はない。
ところがだ。
正確無比な執刀が期待されていた手術分野は、人を切り裂くのでNG。
点滴や注射の針を刺すことは、人の体を傷つける行為になるのでNG。
導尿や機関確保の管を入れることも人体を損傷させる可能性があるのでNG。
医師の指示があったとしても、麻酔のような薬剤投与が患者の身を助けるものか損なうものか、アンドロイドに最後の判断が託せないのでNG。
もし、マスターに医療行為を強引に命令された場合、安全装置が働いて機能が停止する仕様になっている。
病理を治療するための行為でも命にかかわるゆえに、三原則の抜け道はまだみつかっていないそうだ。
だけど私は、お父様はその抜け道を見つける気がないと感じている。
関わる内容で人命に影響が出れば、アンドロイドは即解体処分になってしまうからだ。
以前、ICUにいる患者の褥瘡防止のため、アンドロイドが体位変更をした一時間後に死亡した例がある。
もともと予断を許さない状態であったけれど、アンドロイドの行為は医師の指示で行われた体位変更で、残されたデータを見ても死亡との因果関係は皆無だった。
それでも処分されたのだ。
因果関係を示す証拠はなかったけれど、同時に因果関係が皆無だという証拠もなくて、可能性はゼロではないとされた。
俗にいう悪魔の証明というヤツだ。
結局のところ、死亡者の家族の訴えと感情をおもんばかって、アンドロイドを処分して早々に決着をつけてしまった。
そのことを知ったお父様は、発狂したように頭を掻きむしって、一週間ぐらい部屋から出てこなかった。
それは誰も悪くない事件で。
アンドロイド自身に何の咎もなくて。
当たり前だが亡くなった患者にも罪などなくて。
悲しみをぶつける先にアンドロイドを選んだその家族だけは罪深いとは思うけれど、人間はそういう生き物だから。
ただ、先駆けであったが故の、悲しい事件だと私は思っている。
アンドロイドがそれほど周知されていない時期で、現場に出るタイミングも早すぎたのだろう。
三原則に抜け道はないとお父様は言い張っているけれど、それが真実とは思えない。
問題のある機体は即処分になる現状では、三原則を覆す一手はないとして慎重を期すしかないだろう。
不幸なアンドロイドが増えないのは、お父様の功績だと思っている。
アンドロイドは機械で、ロボットも機械で。
人権とか尊厳とかを持ち合わせない。
だからと言って、簡単に処分されるのは違うのだ。
私の側にはアダムがいる。
学友たちの隣にも思考型AIを持つ汎用アンドロイドがいる。
マスターの側に控えるのが基本条件だけど、休憩には本を読んで、休日には映画を一緒に見て、トイレやお風呂にはついてこないでって私が怒ると肩をすくめる。
表情こそは淡々として変化は少ないけれど、彼らはとても人に近い。
蓄積された情報や経験で、日々変化していく彼らを、動くだけの機械だとはとても思えない。
思考型AIを持つアンドロイドたちはものすごく個性豊かで、本当に感情や心がないのか悩んでしまう。
「人間は相手の行動を見て、その心や感情をおもんばかる生き物だからね。イヴリンの悩みは当然のものだよ」
危険が迫ったときに他人をかばうのは、助けたいからだ。
他人が泣いている時にハンカチを差し出さすのは、慰めたいからだ。
感じ取るのは受け取る側の人間だが、人間が人間相手に行動を起こすときには、なんらかの感情が後押しをしているのは確かである。
好意的な働きかけには愛が根底にあると感じるし、否定的な働きかけには悪意を感じてしまう。
それを知っているから、相手の心や感情をおもんばかり、次に取るべき自身の行動を選ぶ。
感情を基盤にして生きる人間の行動原理と、アダムたちアンドロイドの行動原理は違う。
人をかばうのも、泣いている時にハンカチを差し出すのも、正しい行動だとインプットされているから。
正しい行動以外を選ぶことは空白で、すべて機械的な反応に過ぎない。
そのはずなのだけれど。
「ねぇ、イヴリン。感情ってどこにあるか知っているかい? 人間は感情のままふるまうけれど、アンドロイドは正しいと思われる無数の選択の中から、膨大な演算の果てに行動を選び取っているだけだ。だからと言って、彼らが心を持ち合わせないって信じられるかい?」
「私にはわからないわ、お父様」
アダムの反応は人間とかわらない。
眠れなかった夜には、寝付くまで背中をトントンとあやしてくれる。
私が泣いていれば戸惑いをみせるし、特別だと言ってデザートを用意したり、気分転換のいいからと散歩に誘ってきたりする。
そのすべてが、機械的な反応だとはとても思えない。
状況に応じた最適解を選んだだけだと言われれば、そうかもしれないのだけど。
普通の人間よりも、よほど優しい。
その行動の奥に心がないと、どうして言えるだろう。
確かに表情は薄いけれど、視線が交わったときに、アダムは微笑むことすらあるのだ。
「うん、パパにもわからない……思考と感情の差は知っているつもりでいたのにね。心ってなんだろうね」
お父様はどこか遠くを見つめている。
私に対する言葉というよりも、深淵をのぞき込んで零れ落ちたため息みたいに聞こえた。
いつものように「パパは天才だから」なんてことすら言わず、途方に暮れた迷子みたいだ。
「わからないから、それを知るためにも私、お父様と同じ道を歩いていきたい」
そっか、と言ってお父様は笑った。
うん、と言って私も笑った。
私の生涯も、お父様と同じで、アンドロイドとともにある。
それだけは確かだった。