ある精神異常者の独白
果てしなく続く、漆黒の闇。黒一色のその空間に一つ、小さな明かりが灯った。
その明かりはさながら地獄に垂らされた蜘蛛の糸のよう。一度触れてしまえば、千切れてしまいそうなほどに脆弱な蜘蛛の糸。
だから私は糸を掴まない。掴めば助かるかもしれない。だけども、それは危険すぎる冒険なのだ。
この糸はいつまで垂らされ続けるのだろう?
私、エヴァは心を開いた友達がいる。シャーロットという子だ。
最初に言っておこう、私の性格は真っ黒だ。
いつも感情のこもってない笑顔を顔に貼付け、周りにあわせて笑っている。
いつも努力はせず、明日からと引き延ばす。
いつも人肌に触れていないと不安だ。
いつも自傷行為をして、現実から逃げる。
いつも、いつも、いつも、人から必要とされない。避けられる。
「エーッヴァ!」
シャーロットに名前を呼ばれた。
シャーロットのことは大好きだ。私の性格を知った上で友達になってくれている。大好きすぎてしつこい! といわれる時も少々。大半の人はこれを読んだらこう思うだろう。レズビアンだ、と。……そう、私はレズビアン……ではなく! どこにでもいるただの女子中学生。
「何〜?」
返事をする。こうやって話しかけてくれるだけで物凄く嬉しい。
「実は……」
シャーロットから彼女の好きな人についての話を聞いた。ショックだった。友達、それも自分の性格を理解してくれている友達と、かぶった。好きな人が。
本当はずいぶん前から気づいていた。好きな人、アリフにちらちら送る視線。それから好きなんだろう、と気づいていた。ただ、認めたくなかっただけだ。
「あ。そうなんだ」
好きなのだろう、と思った点はそれだけではない。
一週間ぐらい前に聞いてきたのだ。もし、友達と好きな人がかぶったらどうするかと。質問には答えた、正々堂々勝負をすると。いつか知るのを覚悟していた。……していたのだけれど、いざ言われるとなるとショックだった。
「じゃあ、勝負だね!」
シャーロットに動揺しているのを悟られないように笑顔でそう宣言。その日はこのまま終わった。
次の日。
いつも通りに登校して上面だけの友達と他愛ない話をする。友達を本気で作らないのは万が一、自分の性格が周りに知られ、避けられても傷つくのを防ぐため。
ああ、自分って汚くて弱いなあと思う。今に始まったことじゃないけど。
今日は休み時間に結構でかい蟻が床を這っていた。
私の名前だけの友達、ジョンは蟻を間違えて踏んでしまった。目障りだ。そんな蟻など死ねばいい。
しかし、どうやらそう思うのは私だけだ。他の人は怒って蟻を助けようとする。蟻はもう死にかけているというのに。
助けるのは苦しみを長引かせるだけの行為でかわいそうだから死んだ方が楽なんじゃないか。試しにそう言ってみるとジョンが納得し、殺す。他の人はお墓を作ってあげている。人間てよくわからないな。すぐに自分の意見を変えることができる所とか。たった一人の意見でやろうとしていた事をやめる所とか。
この場にいると自分がどれだけ汚れていて、最低かがよくわかる。
私はほかの生物の命を平気で見捨てるゴミ屑以下なのだろうな。
その日はアリフとの進展らしい進展はなかった。
頑張って近づこうにも、シャーロットの顔が浮かんで出来ない。なにが正々堂々勝負だ。私は逃げているだけじゃないか。
空き時間に冷静に自分を振り返ってみる。すると自分はいろんな所が異常なのだなと気づいた。
例えば、自分を受け入れてくれる人への態度。
そう、シャーロットへの態度とか。彼女のことは大切だ。愛している。他の人と一緒に居てほしくない。例えそれが同性の十年以上の付き合いの幼なじみだろうと、生き別れの妹であろうと。自分だけと仲良くしてほしい。度を過ぎた愛情なのだろうか。いや、恋愛的な感情ではないはずだ。別にシャーロットと付き合いたい訳ではない。彼女と一緒に話して、笑って、食べて……そういうことが出来れば他に何も要らない。こんな異常な感情、知られてたらどうしよう。引かれたり、嫌われたりしたくないな。もしそうなったら、殺してしまうかもしれない。自分の物にならないなら、彼女を殺して、私も死んで。一緒に人生を終わらせたい。
もう一つの例え、それは恋愛的な感情だ。
通常ならば好きな人に対してその人と付き合いたい、抱きしめたいなどの思いを抱えるだろう。しかし、自分でも驚くほど私にはそういうのがない。付き合いたいとも思わないし、独占もしたくない。ただ好きだと思うだけ。こんなの本当の恋愛じゃないと言われてしまっても否定できない。むしろシャーロットへの感情の方が恋愛っぽいと言われてしまうだろう。シャーロットに対しては好きすぎて殺したいという感情を持ったり、シャーロットの周りに居る人に嫉妬したりしてしまう。
たぶんだけど、私がこうなった理由の一つは昔付き合っていた人達と関係するのだろう。トラウマになるようなことはされていないし、不満もなかった。ならばなぜか。それはたぶん別れるときの理由のせい。全て海外へ行くから、飽きたから、なんとなくみたいなしょうもない理由だった。
そういう人と付き合ってしまってから色んな事が怖くなってしまった。他人とあまり関わらないようにしてるくせに、その人からどう思われるかを凄く気にするようになった。人から認められないと不安になった。人から愛されないのが怖くなった。褒められる事に対して異常な執着心を持つようになった。寂しいのが怖くなった。嫌われるのが怖くなった。突然愛されなくなるのが怖くなった。だから、それほど他人との仲を進展させないように、深入りしないようにといつも心にブレーキをかけていた。
シャーロットが私を受け入れてくれた今でも、彼女がいつか離れて行く事を恐れている。信用とか、信頼の問題ではないのだ。ただ、時々とてつもない不安に襲われる。いつか私の異常な性格や気持ちが全部バレて、嫌われて、避けられるようになってしまうかもしれない。だから絶対に誰にも、どんなに仲のいい人に対しても、親に対しても自分の気持ちの全てを曝け出さなくなった。平気な振りをして、馬鹿な振りをして、無知な振りをして毎日を切り抜ける。
ふと、鈍い痛みを感じた。どうやらまた腕を掻いてしまっていたらしい。血が流れ出ている。いつになってもこの自傷癖はなくならないな。
傷口を見て自分が狂っていることを実感する。みんなと同じように普通だったらな、と思うと同時に普通って何なんだろう、そんなものはつまらないだけじゃないのかとも思う。
……ああ、面倒くさい。どうせ答えられないのだからこんな無駄なこと考えなくていいのに。
思考を放棄して寝た。
気づけば四週間ほど過ぎていた。
ずっと抜け殻のように過ごしていた。
こんな調子じゃだめ。なにもおこらない。
ぼうっとする意識に沈んで行く中、私は決めた。
私は、失恋することを決意した。
失恋して、自分の性格を変えるのだ。少しでも強く生きていけるように。他人に依存しなくても生きていけるように。
失恋と言っても何もしないで勝手に終わる失恋ではない。それでは意味がない。告白して振られるのだ。
朝からそのことで頭がいっぱいだ。今日の授業は全然集中できなかった。
休み時間、緊張してしまって気づいたら休み時間が終わっていた。
昼休み、相手が勉強していたので無理だった。言い訳だけど……
放課後、やっと意を決した。
「あ、あの! 話があるからちょっといい?」
そう言って人気のない場所へ。一歩、一歩と進んで行くごとに心臓の鼓動が早くなって行く。大丈夫だ、何を言うかはもう決まっている。後はそれを口に出すだけ。何度も頭の中で繰り返す。
唇が震え、声が擦れてしまう。それでも、私は頑張って声を振り絞った。
「す、好きです。だから振ってくれませんか? 諦めたいので」
ひどい言い方だったかもしれない。だけど、これしか思いつかなかった。
馬鹿な事をしたのかもしれない。だけど、それでも私は前へ進むと決めたから。
「え?」
早く言い過ぎてしまったのか、それとも混乱していたのか、聞き返してきた。
震えながらもう一度言う。顔と耳が熱くなる。おそらく顔が真っ赤になっているだろう。二回繰り返すとは思わなかった。
「えっと、あなたが好きなのです。それで、振ってくれませんか? 諦めたいので」
さっきよりも早口だったし、声が自分でも分かるほど震えていた。言わなくてもいい事も言ってしまった。泣きそうな自分の声を聞いて思う。本当は普通に好きだったのかもしれない。だけど、もう、全て終わってしまう。もう後には戻れないのだ。
「ごめん、悪気はないのだけれども、俺は君のこと好きじゃない。好きになってくれてありがとう」
終わった。終わってしまった。人生で最初の告白。以外と、あっけなかったな。
「……ありがとうございます。時間とらせてすみませんでした」
機械的にそう答えて、表情を消す事を意識してその場を去った。熱が目元に集中して行く。ああ、私はちゃんと無表情になれていたのだろうか?
とぼとぼ歩いてロッカーに荷物を取りに行ったらそこにはシャーロットが居た。待ってくれていたのか。我慢できなくて、少しだけ泣き出しそうな表情を見せてしまう。辛くて、思わず顔を彼女の方にうずめてしまった。いつもはしてくれないのに、今だけ黙って抱きしめるのを許可してくれた。
ありがとう、シャーロット。あなたに依存しなくても生きていけるよう、頑張るよ。
「もう行かないと」
そう言って笑う。
荷物を取り、くるっと背を向けて無表情になる。気をつけていないとポーカーフェイスが崩れてしまう。
もう、シャーロットに依存してはいけないのだ。その事実を胸が受け止めきれなくて、張り裂けそうに痛くなる。
無理矢理笑顔を作ってシャーロットにお礼を言う。
「今までありがとね」
小さく呟き、すぐさまその場を離れる。
急ぎ足で歩いていると、ぽたぽたと小さな水滴が地面に垂れ、土の色をより暗く染めあげた。