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カエルが7匹 はじめての舞踏会

 頭上では真鍮と鉛硝子の吊り装飾灯(クローンロイヒター)が輝きを撒き散らし、磨き上げられた床の上では、同じく磨き上げられた何百もの靴が行き来していました。

 楽団員のもつ弦楽器の弓がいっせいに上下して、美しい音楽を奏でています。


「カエルちゃん、大丈夫?」


 エーデバルトの今日の衣装は大したものでした。いつも立派な服を着てはいましたが、盛装した今の彼を見れば、いつもの衣装が普段着だということがよく分かるというものです。

 衣装の色こそ、黒と紫が基調で落ち着いた雰囲気でしたが、耳にも髪にも服にも宝石を付けており、それが動くたびに、シャラシャラと涼しげな音を立てています。

 カルラは着飾った王子の声も聞こえていないかのように、あ然として周囲を見回すことしかできません。今夜のエーデバルトは上着の前を開けていたため、彼女は胴着(ヴェステ)に入り、ひだ飾りの奥に隠れていました。


 ――なんて人、なんて光、なんて場所!!


 生まれてこのかた、こんな光景は想像したこともありませんでした。いえ、実際はおとぎ話を読んだり聞いたりして、こういう場所かな、と考えてみたことはあったのですが、ここには思い描いていたもの以上がそろっていたのです。

 お上りさんよろしく、ポカンとしながらキョロキョロするカエルに軽く笑って、エーデバルトはきらめきとざわめきの海の中を泳ぎだしました。


「これは殿下。お久しぶりですね」

「そうかな、つい先日トレーネ舘で会わなかった?」

「ははっそうでした。あそこは美人ばかりで素晴らしい。ご紹介いただき感謝しますよ」

「どういたしまして」


 若い男性に笑いかけ、


「あらエーデバルト様、どこかのいかがわしいお店に入り浸りだと思っておりましたのに。お会いできて嬉しいわ」

「ひどいですね、伯爵夫人。ぼくが入り浸っているのは孤児院ですよ。ただ周りに『いかがわしい店』が多いおかげで、誤解されて困っているのです」

「ふふ、子供好きとは初耳ね。でもいいわ、そういうことにしておいて差し上げる」

「ありがとうございます」


 貴族婦人の手に口付け、


「今夜はわたくしのお部屋にいらっしゃいません?」

「魅力的なお誘いだけど、やめておこうかな」

「あら残念ですわね。なぜかしら」

「きみの二番目と六番目の恋人が睨んでいるから」


 次々と話しかけてくる人々をうまくあしらいながら、いくつもの視線とざわめきを引き連れて、長い脚を動かして悠然と歩いていきます。


「まあエーデバルト!」

「ごきげんよう、お母様」


 奥のほうで貴婦人たちに囲まれて談笑していた王妃様が、最愛の息子を見つけてはしゃいだ声をあげました。王家の末息子が、母親と周囲の婦人たちに優雅にお辞儀を返します。

 王妃様はまず愛し子の今日の衣装と、自分の衣装について話しました。それから誰だかから献上された宝石の話や、貴婦人たちとしていたうわさ話の延長を。

 初めこそ、女性たちのとりどりの装いを、興味深く観察していたカルラでしたが、だんだん退屈になるのは止められませんでした。

 昨日は起きて親子の会話をじっと見つめていたカルラも、今日は二回目ということに加え、お腹がすでに満たされており、いつもならそろそろ寝る時間だということもあって、うとうとと船を漕ぎはじめます。


「――――ああ、そうだわ。ねえエーデバルト。わたくしの妹のひとりが、隣国シューンロースの王太子妃なのは知っているでしょう」


 エーデバルトの黒い上着の袖に、たおやかな白い手を置いていた王妃様が、唐突に話題を変えました。


「あの子の長男が結婚するとかで、お祝いに行くことになったの。あさって出立する予定なのだけれど、おまえも一緒にいきますか?」

「いいえ。わざわざ国境を越えてお祝いを言いに行くなんて、そんな面倒なこと。お母様はご立派ですね」

「そうよね、とても面倒だもの。埃は酷いでしょうし、馬車も揺れるでしょうし……音楽祭の歌劇だって見損ねるのだわ。ああ、考えるだけでもう嫌。わたくしも本当は行きたくなんてないのよ」


 自分によく似た息子の顔に指を伸ばしながら、はふう、と哀しげなため息を吐いてみせます。


「でも妹にも会いたいし、だいじな用事もあるのだから、しかたがないのです。これも王妃のつとめ。見送りには来てくれますね、愛しいエーデバルト」

「はい――」


 黒髪に黒い瞳の王子は、同じ色彩の母王妃を見下ろし、完璧な、非の打ち所のない微笑を浮かべてみせました。それが王妃様の一番好きな、息子の微笑みかたでしたから。


「――ええ、もちろん参ります、お母様」


 カルラがなんとか聞き取れたのはここまででした。こっくりこっくり眠気に逆らうのも、そろそろ限界だったのです。

 だから足場が安定していることを確かめた彼女は、もうむり、とひとこと心のなかでつぶやくと、今度こそしっかりと目を閉じたのでした。



 …………次に目を開くと、カルラはなぜか花の中にいました。正確に言えば花弁の小山の中で、今までぐっすりうずくまっていたようです。

 前脚を使って体を起こすと、薄紅色の花びらが数枚背中を滑り落ちていきました。体の下にも、同じ花びらが、たっぷりと敷き詰められています。


 ――どこよ、ここ。


 見回してみると、すぐ右隣に太い幹、頭上には枝と緑と薄紅の花。幹とは逆の左隣には、陶器のような低い壁がありました。どうやら、どこかの鉢植えの中のようでした。

 鉢植えのフチらしき陶器の壁によじ登ってみます。楽団の奏でる音楽が耳に入っていたため、まだ舞踏会の会場にいることはわかっていましたが、カルラをここに連れてきてくれた黒髪の王子がいません。


 眠りこけてて危ないから、ここに置いていってくれたのかしら。花びらをおふとんがわりにして。


 すべすべの植木鉢から顔を出して、周囲を見回しますが、残念ながら、すぐ近くにふたりほど人がいたため、あまり遠くまで見ることはできませんでした。

 しかし


「いやあ、先ほどから弟殿下は踊り通しですな。ちゃらんぽらんで勉強嫌いの上、武術もからきしなのに、踊りと女性の扱いだけはうまいとは」

「……そう言ってやるな。あれでも幼いころは、わたしよりより数段デキがいいと言われていたんだ」


 ふたり目の男性の苦笑混じりの声が聞こえた瞬間、カルラはその声の主を見ようと上向き、うっかり足を滑らせて花びらの上に落下しました。

 陶器の壁をにらみましたが、もう一度登ってみても、どうせよく見えないのは分かり切っていました。踵を返し、今度は気合で細い木を登りはじめます。


「おお、そういえば昔、あなたを差し置いて王太子に、とかいう声もありましたな。おもに王妃様から。甘やかされてダメになっちゃったわけですが」

「あの弟は王になりたいのだろうか。もしや、わたしが嫌われているらしい原因はそれか?」

「さあ。嫌われていらっしゃるのが、ずいぶん昔からなのは確かでしょうが。しかし――それなら、あなたと対立している貴族たちが、あの殿下を担ぎ上げようと近付いているという噂も聞きますし……お命を狙われているやもしれませぬよ」


 そんなわけないじゃない。


「ま、いくらあなたが嫌いだろうと、あの殿下に、そんな大それたことができるわけがありませんが」


 男性の笑い声は不愉快です。

 だいたい嫌ってなんかいないわよ、と心のなかで突っ込みながら、よじよじ、よじよじ、とカルラはいい枝をさがして木登りを続けています。

 もう片方の声が話題を変えました。


「そんなことより、グラナート嬢はどうしたんだ。本来なら去年結婚しているはずだったのに、エーデバルトは昔の占いがどうのと、母上に泣きついて引き延ばしたと聞くぞ」

「ほう。私が耳にしたのは、兄君たちにお妃がいないのに、末子の自分が先にするわけには、と陛下に言い張ったとかいうほうですが」

「う……いや、とにかくあの弟は、今夜も婚約者(グラナート嬢)とは最初のほうに一曲踊ったきりだ。別の女性たちとばかり踊って、わが弟ながら嘆かわしい」

「…………よく見ていらっしゃいますな」


 ようやくカルラは低木のてっぺん近くに、張り付くのによさそうな枝を見つけ、そこに座り込みました。ここなら葉に隠れながらも、お目当てのひとを観察するのにぴったりです。


「しかし、ローゼティーネ・グラナート嬢ですか。ああ、あそこにいらっしゃる。聡明でたいへんお美しくて、金の薔薇(ロセ・アウルム)と呼ばれているとか」


 飲み物のグラスを揺らしながら、軍服姿の男性が隣に話しかけます。


「らしいな。おもむきはかなり違うが、やはりこういう場所にいると、どことなく彼女の伯母ぎみに似ている気がする」


 同じく軍服姿の王太子殿下が、生真面目な様子で男性にうなずきました。動くたびにシャラシャラ音のつきまとう今夜の弟王子と違い、余計な装飾品は一切付けていません。

 それでも金の肩章のついた純白の礼装は、王太子の凛とした姿を、すばらしく引き立ています。カルラは見とれずにはいられませんでした。


 なんて素敵なんでしょう! と。


 ただしカルラが熱を込めて見つめている王太子も、その話し相手も、なんだかしんみりとしています。


「彼女の伯母ぎみというと、コルネリア・グラナート嬢ですか。王妃様の親友だった社交界の花。亡くなって、もう二十年になりますか……懐かしいですな」

「わたしたちの憧れの花だったな。あのひとと母上が共にいると、どちらもあまりに美しくて、近寄りがたくて、そこだけが別の世界のようだった」


 懐かしそうに目を細める横顔。綺麗になでつけられている王太子の髪は、会場の灯りで、いつもよりも明るく輝いているように見えます。


「母上はグラナート嬢が亡き親友の血縁で、顔立ちも似ていたから、最愛の息子(エーデバルト)の婚約者としたのだろう」

「言わせていただけるのなら、あの末王子にはもったいない女性ですな。彼女には伯母ぎみよりも貴婦人らしい、妙な威厳がある」


 カルラは体を伸ばして、ふたりが話題にしているらしい、ローゼティーネ嬢を探してみました。位置が悪いのか、残念ながらローゼティーネ嬢も、エーデバルトも見つけることができません。


「とはいえ、コルネリア嬢には、貴婦人らしいかどうかなどとはまったく関係のない、特別な魅力がありましたからね。未だにあのかたの崇拝者は多いそうですよ。未だ結婚せず、想い続けている男性もいるとか」


 軍服の男性はそこで片眉を上げました。


「まさか、あなたもそのひとりなどということは」

「馬鹿を言うな」


 王太子は不愉快そうに言下に否定しました。ちょうど近付いてきた召使いのお盆から、飲み物を取り、ひとくち嚥下します。


「お前が知らないはずはないだろう。それとも忘れたのか。わたしが結婚しないのは――」

「いいえ、おっしゃらずとも結構。冗談が過ぎたようで申し訳ございません。存じておりますから、やめましょう。死者の話ばかりはこの場所にふさわしくない」

「…………そうだな、すまない」


 友人か部下らしき男性の肩に手をのせ、謝罪と共に浮かべた自嘲するような表情は、驚くほど末弟にそっくりでした。

 カルラは例によって首をかしげる代わりに、斜め横を向きます。いったいなんの話なのでしょう?


「さて、では気を取り直して踊りの輪に加わるとしますかな。参りますよ」

「は、わたしもなのか」

「ローゼティーネ・グラナート嬢が、婚約者に相手にされず気の毒だとおっしゃるのなら、婚約者の兄として代わりに相手をつとめればよろしいのでは?」


 よくわからない話をするだけして、王太子たちは行ってしまいました。その背をしばらく目で追ってから、カルラはよたよたと木を下り始めます。

 わからないことは、あとで帰るときにエーデバルト王子に聞けばいいや、という考えです。



 しかし、木を下り終わったころに、ちょうどやってきたエーデバルトには、帰る気がないようでした。


「――違うよカエルちゃん。うそいつわりなく、ぼくはきみと帰りたい。だけど来たからには遊びつくすことが、放蕩王子には大切だからね。しかたないんだ」


 どこからくすねてきたのか、カルラがちょうど入るくらいの、からっぽの宝石箱に、数枚の花びらごと彼女を詰め込みながら王子様は言います。


「ちょうど、離宮から手伝いに来ていた女中がいたから、彼女にきみを連れ帰ってもらおうと思って。きみやっぱり眠そうだし、早く帰って寝たほうがいいよ」

「あなたは?」

「まだまだ夜ふかし。なるべくぼくも、早く寝かせてもらえることを願ってるんだけど」


 じゃあおやすみ、とエーデバルトは微笑み、少し隙間を残して箱のふたを閉じました。


 ひとに預けられたカルラは、離宮に戻って、窓辺のかごの寝台で眠りました。たっぷり眠って、起きて、朝食を食べて、寝室の中を冒険します。

 そうして、ずっと待っていたのですが……部屋の主の王子は、なかなか帰ってきやしなかったのでした。

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