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カエルが5匹 いにしえの歌

 部屋まで運ばれてきた朝食は、何種類もの肉や魚に果物までついた豪華なものでした。二人で食べてもまだ多いくらいの量です。朝からお腹がいっぱいになってしまったカルラは、着替えたエーデバルトを誘って、庭園を散歩することにしました。


「いいお天気だねえ、王子」


 寝室の窓から見えた白樺の林で、乗っていたエーデバルトの肩から地面におろしてもらい、よたよたと、自分の身長よりも高くなったたんぽぽの茎をよじ登り始めます。

 どうにかこうにか中ぐらいまで登ったころ、近くに腰を下ろした王子が聞きました。


「跳ばないのかい、カエルちゃん」


 それでようやくカエルがぴょんぴょん跳ぶものだと気がつきましたが、今の状況から、どうやって跳躍すればいいというのでしょう。

 しかたなくカルラは「前脚きたえてるのよ」などとテキトーなことをぶつぶつ言って、そのまま登り続けました。片手(脚?)ずつ上に伸ばしながら考えます。


 まったく、父さんたら、カエルにするなら、もうちょっと、カエルな本能とか、備え付けて、おいて、くれれば、よかった、のにっ!


 ぜーぜーしながら内心そう叫んでいたカルラでしたが、やがてなんとか無事頂上(てっぺん)にたどりつきました。

 黄色の花の上、ぐらぐら揺れながら顔を上げます。木々の向こうに建つ空色の屋根の館が、先ほどまでいた第三王子の離宮でした。

 息を整えて、そこの住人の王子を見上げます。


「王太子殿下はどこに住んでるの?」

「ここから東南にいくつかの庭を越えて行った先。国王陛下のいらっしゃる本宮にだいぶ近いところだよ」

「親子とか兄弟で別々のところに住むなんて、なんだか不思議な感じね」

「そういうのものだよ。兄上たちとはそれぞれ持っている領地も離れているし」

「ふうん」


 面白いのね、と感心して、こんどはぐるりと周りを見回します。近く遠くで伸びるたくさんの小花と緑色の草たちが、それだけでカルラにとっては森のように思えました。白樺は陽光を浴びて天をささえる金の柱のよう。どこかで雲雀(レルヒェ)が歌っているのも聞こえました。天上の歌、朝の歌です。

 カルラは目を閉じて、林の芳しい香りの中を胸いっぱいに吸い込みました。世界が生まれ変わったような瑞々しい匂い。目を開けて、白と金の衣装をまとい、地べたにもかかわらず、いかにも優雅に座っているエーデバルトに視線を移します。


「知ってる? こういう朝は世界が魔法にかかっているの。世界が魔法をかけているんですって」

「魔法使いの父ぎみがそう言ったのかい」


 真っ黒な瞳に苦笑が浮かびました。


「ただの朝だよ。どんなにすがすがしい朝も嵐や絶望の朝も、ただの朝には変わりないんだ。この世界にはもう魔法なんてないよ」


 それは単なる事実を述べる口調でしたので、言われたカルラはなんと夢の無い台詞かしら、とむっとするよりも先にあきれてしました。

 ……本物の王子様のくせに。


「あなたって、おとぎ話とか聞いたことないの?」

「読んだことはあるよ。大昔には、魔物も魔法使いも世界中にいたってことも知ってる。でも、もう今はいない。おとぎ話はおとぎ話でしかない」

「あたしの父さんは本物の魔法使いよ」

「言いたかないけど、今どき魔法使いなんて名乗るのは詐欺師だけさ。怪しい手品で権力者に取り入る」


 今度こそカルラはむっとしました。この王子様ってば、あたしの父さんも詐欺師だっていいたいわけ?

 しかし、当の王子によって文句を付ける前に話題を変えられてしまいます。


「そうだ。今日のお昼は母に招待されているんだけど、きみも一緒に行く? 帰りに食事だけとってきてあげるから、待っていてもいいけど」

「お母さんカエル苦手なの」


 エーデバルトは考えるように空を見上げました。


「どうだろう、たぶん興味ないんじゃないかな。一緒にいるであろうご婦人がたの中には、苦手に思っているひともいるかもしれないけど」

「じゃあまたあなたの上着の中に隠れてる」

「そう? それでいいならそうしようか」


 そよそよと、花の匂いを含んだ風が林の中を吹いてゆきます。カルラが風と一緒に揺れていると、手袋に包まれた指が伸びてきて、地面代わりにしていたたんぽぽを押さえてくれました。


 危ないよ……ありがとう……。声は穏やかな風に溶けていきます。静かな、優しい朝の時間。


 光の粉のような木漏れ日の中、エーデバルトが小さくあくびをするのが見えました。そして視線に気付いた王子に柔らかな微笑みを向けられたカルラも、安全になった黄色の椅子でまどろみながら、ぼんやりと「父さんはちゃんと朝食を食べたのかしら」などと考えたのでした。なるべく早く帰れるといいな、と。




 ヒュプシュ王国の王妃様は、東の国から嫁いできたひとでした。黒い髪に黒い瞳……それはそれは美しい、いつまでも少女のようなひとでした。


「まあエーデバルト! よく来てくれたわ、わたくしの可愛い息子。ほら、よく顔をお見せなさい」


 白くて細い、宝石のついた指輪がたくさんはまった指が、同じように白いエーデバルトの頬に触れます。


「ふふ、本当に美しいこと。わたくしと、わたくしの家族と同じ顔立ちだわ。良い子ですね」


 その王妃様のうっとりとした表情を、カルラはエーデバルトの胸の、ひだ飾りの奥から眺めました。

 王宮の泉にたどり着く前にかいま見た過去の光景にでてきた女の人。お化粧のせいか、ほとんど年をとっていないかのように若く見えますが、間違いなくその人です。

 浮かべている表情は違っても、エーデバルトにそっくりな顔立ち。髪の色も瞳の色も何もかも、ただ性別だけを変えたかのようによく似ていました。


「お会いできてうれしいです、お母様」


 エーデバルトは頭ひとつ低いところにある王妃様の顔を、完璧な笑顔で見下ろしたようでした。王妃様はまだうっとりと息子の頬をなでています。


「まったくだわエーデバルト。おまえったら蝶々みたいにすぐにどこかへいってしまうのだもの。それは美しいのだからしかたがないけれど、どこかの未亡人とかばかりじゃなくて、わたくしの所にもたまには遊びに来て頂戴ね。この綺麗な顔を見せてくれなくては」

「ええお母様。おおせのままに」


 カルラはなんだかぞわぞわしてきました。このひと、自分にそっくりの息子の顔しか見てないみたい。

 それでも柔らかく微笑んだままらしいエーデバルトは、ほんものの作り物の人形のように、しばらく触れられるがままになっていました。

 ようやく手を離した王妃様は、次に自分の人形を見せびらかす幼い女の子のように、エーデバルトを連れて客人たちのいる部屋に連れて行きます。


「皆さま、ご覧になって! わたくしの最愛の息子エーデバルトが参りましたのよ」


 カルラはずっと黙っていました。会話と笑い声の隙間を縫って、器用に渡される食べ物をせっせと口に詰め込む間も、王都で有名だとかいう歌姫が歌う間も、ずっと黙って。――――そうして見えないながらも、終始笑顔を浮かべているらしい王子と王妃様を観察していたのです。


 でも、王妃様や他のご婦人がたにせがまれて、エーデバルトが楽器を演奏したときだけは別でした。彼の弦楽器(ガイゲ)の腕前は、周囲の人々が口々に褒め称えた通りに素晴らしく、またカルラの耳には小声で演奏に合わせて歌う、夢のように綺麗な声まで拾うことができたのですから。――聴き入らずにはいられません。

 不思議なことに、王子が弾いたのはカルラも知っている、魔法使いの好む古い曲のひとつでした。まだ世界にたくさん魔法使いがいたころのものです。エーデバルトの低い小さな歌声に合わせて、カルラもしゃがれ声でもっと小さく歌ってしまったほど、よく耳に馴染んだものでした。



  「生きる理由は ここになく

   わたしの空も ここにない

   麗しの森 清き泉と 青い海

   小鳥の歌聞き 風の声聞き 果てなき旅路

   求めてやまぬ ただひとつ

   魔物よりほか 知る者はなし……」



 弾き終わったエーデバルトは、くすっと笑って一瞬ふ、と指でカルラの頭をなでました。


「歌が上手だねカエルちゃん」


 それから盛大な拍手に優雅に一礼して、王妃様とその客人たちにいとまごいをしたのでした。


「明日の舞踏会には出るのでしょう、エーデバルト」

「はい、もちろん参ります。お母様」


 王子が帰ってしまうことを聞いた人々の落胆の声を背に、王妃様の応接間を出て庭園に出ます。そこからさらに人のいない小道まで戻ったエーデバルトは、ようやくカルラを上着の中から出して、風に当ててくれました。


「ごめんね、退屈だっただろう」


 少し疲れたような声音と微笑みでした。カルラはエーデバルトの耳の下で揺れる黄色い宝石を眺めながら、ううん、と顔をくきくき横に振ります。


「楽器、うまいんだねえ。うっとりしちゃったよ」

「そう……?」


 珍しく、王子の声は照れたような響きを持っていました。


「師匠にはまだまだ下手だって言われるんだけどね」

「ふうん、王子様には音楽の師匠がいるものなんだ」


 エーデバルトはちょっと驚いたように瞬きました。


「……まあ、どんな王子にも数多くの教師がつけられるものだよ。もっとも、ぼくは十歳のとき以来彼らの話をまともに聞いたことはないけれど」

「なんで?」

「能無し王子だからね」


 王子様はくすくす笑います。自虐的なセリフをいっそ得意げに聞こえるように言えるのは、何かの才能なのかしら、とカルラは密かに考えました。良い才能なのかは知らないけれど。

 カルラが黙っていると、エーデバルトはふと笑いをおさめ、ひょいと彼女を手のひらの上に移動させました。口付けするかのように形の良い唇が近付きます。


「……さて、ぼくの用事は終わったけれど、カエルちゃん、きみ何かやりたいことあるかい」


 はいっとばかりに小さな緑の手が上がります。


「王太子殿下見物!」


 黒い長いまつ毛がぱちぱちと上下して、軽い風がカルラの頭上を撫でていきました。


「兄上?」

「うん」

「きみがそうしたいなら、まあいいけど。でも……この時間はどこにいらっしゃるかな。――ああ」


 空を見上げたエーデバルトは、次いで木々の向こうに目をやり、図書館か、とつぶやきました。

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