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カエルが4匹 東の寝室にて

 ――ぱちりと目を開けると、窓からこぼれる陽の光が薄布を透かして、カルラを照らしていました。目の前の籠のような編み目の向こうに見えるのは、白と金の知らない部屋です。

 敷き詰められた柔らかな布の上で起き上がったカルラが、最初に思ったのは「また父さんが変ないたずらをしたんだわ」ということでした。


 でも、そうじゃないことはすぐにわかりました。


 まず動かしにくい身体に、自分はカエルだったということを思い出し……、よたよたと白い柔らかな布の上を歩いて、果物籠らしきもののふちによじ登ったときには、自分がどこにいるのかも理解したのです。

 少し離れたところに、天蓋のついた立派な深緑色のベットがあり、黒髪の男の人が眠っていました。

 その真っ白なひたいに真っ黒な前髪がかかっている様子は、なんだか不思議と高貴で気高く見えます。


「エーデバルト王子」


 あまりの肌の白さに一瞬生きているのか不安になって、カルラは控えめに名前を呼んでみました。ここがエーデバルトの寝室なのは、まず間違いありません。

 たぶんお茶会から、この王子が盗んだ大盛りのお菓子を食べきったカルラは、魔法の道を通ってきた疲れもあって、そのまま眠ってしまったのでしょう。

 よく寝たせいか、目覚めた今はとてもすっきりしていました。たくさん食べたのにすべて消化されてしまったのか、やたらとお腹も減っています。


「ん、なに、カエルちゃん」


 小声だったのに、目を覚ましたらしいエーデバルトがむくりと起き上がりました。良かった生きてた、と内心バンザイしつつ、カルラは「おはよう」と挨拶します。


「おはよう。良かった、きみの目が覚めて。昨日は何しても起きないから、一瞬死んじゃったのかと思ったよ」


 部屋の色合いとおそろいの、白に金糸刺繍の寝間着をまとったエーデバルトは、絨毯の上を、はだしのまま歩いてカルラのそばにやってきました。


「気分はどう?」

「すごい元気、お腹がすいちゃった」

「まあそうだろうね」


 金の指輪のはまった長い指が、カルラの頭上を通って、窓を覆っていた薄い布を引き開けていきます。

 きらきらしたほんとうの緑と、青空が見えました。

 眼下には力強い白樺の林が広がっています。


 その下の黄色のじゅうたんは、たんぽぽ、きんぽうげ――それとも、昨日見たような黄水仙でしょうか?


 その向こうには、変わらず整えられた庭園も見えました。生け垣に囲まれた大きな道、刺繍されたみたいな花壇、優美な橋のかけられた広い池……。いくつか建物の屋根らしきものも見えました。みんな生まれたてのように朝陽に照らされています。

 カルラは、今まで王様のお城、とひと言で話されてきた場所が、ひとつの街であることを知りました。


「あたし、日の出が見える部屋って大好き」

「うん」


 エーデバルトは空を見て小さくあくびをしたあと、カルラの入ったかごのとなり、壁がだいぶ厚いためにかなり深い作りの窓台の端っこに腰を下ろしました。


「でも、いささか早起きすぎないかい。ぼくはまだ眠いよ。早起きの素晴らしさを教ようとしてくれた人たちもいたけどね、ぼくにはさっぱりわからない」


 カルラは肩をすくめる代わりに両手を上げました。


「父さんだったらこう言うわよ『わからないなら試してみるがいい。いちど試してわからなかったら、わかるまで。もしも人生が終わるまでわからなかったら、次の人生でもう一度試してみるべきだ、バカバカしくなるから』って。意味わかる? あたし、生まれてから十七年一緒にいるはずなのに、父さんだけはわからない」


 ちゃんとすくめる肩のあるエーデバルトは、しかし肩をすくめられる幸せを実感する気はないらしく、「いかにも魔法使いらしいね」と、かすかに口の端を上げただけでした。


「カエルちゃんは、その父ぎみのところに帰らなくていいのかい」

「ええ……まあ……やることがあるから」


 何という魔法でしょう。呪いのことだけでなく、運だめしのことまで言えないとは。うっかりパクパク無駄に口を動かしてしまい、内心ため息をつかずにはいられません。メルヘンも楽じゃないようです。


「ふうん。やること」

「あたしの人生に関わるとっても重要ことなの。あたしだけじゃなくて、ひょっとしたらあなたの人生にも」

「ぼくの人生……?」

「そうよ」


 向けられた月のない夜に似たふた粒の瞳に、上向きのままうなずいて、カルラは確認し忘れていたことを聞きました。そうそう


「あなた恋人はいる?」

「さあ……あ、婚約者ならいるね」


 カルラはうっかりよろめきました。せっかく登ったかごのふちから柔らかな布の上に逆戻りです。ぼとっと落下して仰向けのまま固まっていると、ぎょっとしたらしいエーデバルトが、腕をのばして手のひらの上に乗せてくれました。


「どうしたのカエルちゃん」

「婚約者って……なに」

「結婚することになってるひと。ああ、当人同士で決めたものじゃないから、ちょっと恋人とは違うかも」

「ほとんど一緒じゃない」

「どうだろうね」


 どうだろうね、ではありません。黒髪をゆるりと揺らして首を傾げる仕草に、歯ぎしりしたくなります。でも貴重な歯に何かあると困るため、しかたなく代わりにカパッと大きく口を開けました。


「父さんの馬鹿っ!」

「え」

「阿呆!」

「は」

「どじ!」

「ちょ」

「唐変木!!」

「……」

「いたずらっ子!!」

「へ……」


 何かがおかしい、というようにエーデバルトが首をかしげますが、しゃがれ声のカエルは気にしません。


「天才!」

「うーん……」

「おちゃめさん!」

「……ええと」

「すご腕魔法使いっ!!」

「あの……」

「いよっ世界いちーぃ!!」

「……けなしたかったんじゃないの」


 慌ててカルラは口を閉じました。そうだった、いけない、いったいいつから褒め言葉を。


「父さんの馬鹿……」

「ぼくじゃないの」

「なんで?」

「いや…………きみって少し変わってるね」

「カエルだものね」


 悲しげに言葉を返して、カルラは体ごと後ろを向き身を伏せて丸くなりました。どうしよう、と悩み始めます。なんだって父さんは婚約者のいるひとを、あたしの『運命』なんかにしたのかしら。間違いかしら、それとも。はっ、として起き上がります。


「ねえ王子、じつは婚約者さんと仲良くないんでしょう。すっごい悪女さんだったりして」

「さあ。そんなことはないと思うけど、どうかな。きみも見ただろ? 忘れちゃったかな、お茶会主催者の薄い金髪の女の子。金色のバラみたいな子だけど」


 エーデバルトが最初に話しかけた、あの王女様のような女の人のことでしょうか。確かローゼティーネ嬢といった気がします。あのひとはどう見ても立派な淑女でした。絶対に悪女ではありません。

 がっくりしたカルラは、再び身を伏せて悩みだしました。ああどうしよう、絶対に父さんったら間違えたんだ、この王子をあのひとからとったらりしたら、このあたしこそが悪女になってしまう。そんなメルヘンはかなりイヤ。


「いったいどうしたのカエルちゃん」


 上から怪訝そうな声が降ってきます。


「ぼく何かきみの気に障ること言ったかな」

「いいえ。ただ、今ちょっと今後の人生について悩んでるのよ。なかなか深刻なの」


 このままではカエルのままで一生を終えることになりますからね。カルラはしょんぼりしました。よたよたと向き直りまた王子を見上げます。


「ね、ちょっとあたしにキスしてみる気ない?」

「えっ」


 しかたなくカルラは最終手段に出てみたのですが、何も知らない王子様は、当然ながら面食らったような顔をしました。しかし、すぐに「いいよ、カエルちゃん」とうなずいてくれます。


「よくわからないけど、それできみの人生の問題が少しでも解決するのなら手伝うよ」

「ありがとう。でも婚約者さんに悪いから口以外で」

「……うん」


 ぎゅっと目をつぶったカルラの頭に、ふ、と柔らかくて温かいものが触れて、離れました。

 いち、に、さん秒。

 何も変わりません。口ではないからでしょうか、いえ、やはり心がともなっていなくてはだめなのでしょう。カルラは失望しました。


「カエルちゃん?」


 手のひらの上のカエルの暗いどんより気分を察知したのでしょうか。エーデバルトが困ったような表情を浮かべます。


「ねえ、きみの重要なやることってなんなんだい」

「……わかんない」


 運命のひとに婚約者がいた場合、『運命』が正しくなかった場合、いったいどうすれば良いのかわかるはずもありません。だって、そんなお話は聞いたこともありませんでしたから。


 いえ、もしかしたら『運命』の意味が違うのかも。


 運だめしにおける『運命のひと』というのは、べつに、『結ばれるひと』と同じではない可能性もあります。うん、きっとそれよ!

 カルラは再びきりっと黒髪の王子を見上げました。

 このひとは、あたしに助けられる運命とか、あたしの力が必要な運命だったりするのかもしれないわ。

 それで、あたしのおかげでどうにかなったら、心からの感謝と友情を込めたキスで、呪いを解いてくれるのよ。


「ちょっと王子」

「……なにかな」


 エーデバルト王子は、いきなり暗い空気をすっ飛ばしたカエルに、かすかにたじろいだようでした。カルラは気にせず片手を差し出します。


「あたしたちもうと友だちよね。同じ盗んだ皿のお菓子を食べた仲だもの」

「うん?」

「そうそう、だから困ったことがあったらなんでも言うのよ。相談するの、いいわね」


 ほら、と差し出した片手をばたばた上下に振ってみせます。妙なカエルを前に王子様はまさしく妙なものをみたような表情をして、それから苦笑をもらしました。


 「本当にきみってよくわからないね」


 つぶやいて、カルラを乗せている手とは逆の手の人差し指で、小さな緑色の手を下からすくいました。変な握手ですが、カエルと人間ですからそんなものでしょう。


「これって友だちの握手?」

「そう。恋愛指南でも料理指南でもなんでもあたしにおまかせ! 友情をもってしっかり助けてあげる」

「それは頼もしいな」


 カエルがにっこり、王子もにっこり。カルラはとてもとても満足しました。こっちの方向なら本当にうまくいきそうです。

 きらきらした光に包まれてもとの姿に戻る場面、夢の金髪碧眼の王子様と結婚式をあげる場面まで脳裏に浮かぶようで、うっとりしてしまいます。

 しかし……金髪の王子様?

 ふと思い当たって、ちらっと探るように、近くにある黒いまつげに囲まれた闇色の瞳を見つめました。


「昨日の王子様には恋人とか婚約者さんいる? あなたの上のお兄さん、ええと……第一王子様、殿下?」

「王太子殿下、かな。婚約者はいないよ。恋人も」

「奥さんも?」

「……いない」


 それなら安心です。カルラはひとりでニマニマしました。不思議そうな視線を感じても(カエルがにやけていても無表情のときとの違いなんて普通わかりませんからね)そっともといたかごの中に戻されても、気にしません。幸せな未来を想像すると、自然と嬉しくなってしまいます。

 にまにま、にこにこ、にまにま。

 しばらくじっとカルラを見ていたエーデバルトでしたが、ひとつ伸びをしたあと、白い手にどこから取り出したのか、同じくらい白い手袋をはめながら「まあいいか」とつぶやきました。


 そうして、ふたりは朝食を運んできた女中が扉を叩くまで、ずっと無言のまま窓際で座っていたのでした。

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