ふさわしいひと 2
太陽の位置もすっかり高くなり、営業中に札をかえた階下の酒場に、ちらほらお客が入りだすころ。
カルラは女性たちに囲まれていました。
数は五名。彼女たちの顔が鬼の形相ならば「キャーいじめよ!」と通りすがりの誰かに言ってもらえたでしょうし、カルラの性別が男だったら「まあ見てあのひとモテモテよ!」とか言ってもらえたでしょう。
しかし残念ながら、彼女たちが浮かべていたのは悪意など少しもない、友好的な表情でしたし、カルラは女の子でした。室内のため、誰かが通りすがる可能性もあまりありません。
ただし、狭い室内で囲まれている、という点において、いじめのような雰囲気がありましたが……。
おまけに。
「ぶくく」と笑いをこらえる女性そのいちは、さりげなく扉の前に立ちふさがっていましたし……
「ふっふふっく」と変な笑いをもらす女性そのにと「くくくっ」と肩を震わせるそのさんは、退路をはばむかのように、それぞれ窓の前に陣取っていました。
残るふたりのかたほう、そのよんは遠慮なくお腹をかかえて「あっはっはっは」と壁をべしべし叩いています。
「笑い事じゃなくってよ……」
そのごだけが、頭痛をこらえるようにひたいを押さえていました。
「もういちど」
「や、やっぱり」
顔面蒼白のカルラはがっくり肩を落としました。自分が身に付けている、薄い布が渦を巻くようなドレスのすそを見下ろしながら、恐る恐る言ってみます。
「でもあの……ちょっと休憩しちゃ……だめ?」
カルラが情けなさそうに眉を寄せて指差し、周囲の女性たちがちらちら見てはついつい笑ってしまう先。見るからに高価そうなドレスのすそには、見事な裂け目がいくつもできていました。どれもこれも、ひたすらにすそを踏んだり引っ掛けたりして、びりびりっと作りだした裂け目でした。
女性そのごことペトロネラは、びりびのドレスに目をやって、深い深いため息をつきました。
「……そうしましょうか。このままじゃ伯爵夫人が笑い死にしそうだし。あなたも疲れたでしょ」
「や、やったあ」
カルラはへろへろと床にへたり込みました。
笑い死に寸前の女性そのよん、こと赤毛の伯爵未亡人リヒャルダが、笑い過ぎで息を切らせながら、棚の上におかれていた裁縫箱をもってきてくれます。
扉やら窓やらに張り付いていたリヒャルダの雇われ人たち、そのいちからさんまでのお姐さんたちも寄ってきて、水などを渡してくれたりしました。
残りのお姐さんたちは下の酒場で仕事中です。
「おつかれさま、カルラちゃん」
「努力していることは伝わるわ」
「ま、努力してることだけはねえ」
「大丈夫よ。努力はいつか実るから」
口々にあまりなぐさめられないなぐさめを言ってもらいながら、水を飲み干したカルラは「そうかなあ」とうたがわしげに師匠を見ます。
この部屋の住人でもあるペトロネラは、寝台に腰を下ろしながら、ぽってりした唇でちょっとほほえみました。
「最初よりはマシってとこね」
「そうそう、昔のあたしよりマシさ」
リヒャルダも手早く裾を縫ってくれながら付け足しました。裁縫の得意な彼女の手によって、もうほとんど裂け目はふさがれており、あと残っている部分はひとつだけです。
貧しい生まれながら、一度は伯爵夫人にまでなったリヒャルダは、実感をこめたようにつぶやきました。
「練習すりゃ、そのうちできるようになるよ」
「でも……そのうちじゃ間に合わないのよ……」
本番は再来週なのですから。カルラは一度ぎゅっと空のグラスを握りしめてから、近くにいたお姐さんに返し、勢いよく立ち上がりました。リヒャルダが合わせるようにプチッと最後の糸を切ります。
カルラは気合を入れ、姿勢を正しました。
「ええい、練習再開! お願いします!」
そうして再び『もと没落貴族令嬢ペトロネラ先生のお稽古その二・優雅なお辞儀とごあいさつ』の時間が始まったのでした。
しかし何をどうやればそうなるのか、カルラはすぐにまたビリビリという音を周囲に響かせはじめます。
腰を落してお辞儀をするたび、尖ったかかとがひっかけ布地を引裂き、歩こうとするたび、つま先が裾を踏んづけて破りました。
「ぎゃっ!」
「あーあー……」
「ぶくっ……しょうがないねえ」
お姐さんたちが、うら若い娘が自ら服を破いていく姿を、うっかり用心棒や、近所の誰かなどにさらすのは見るに忍びないと、扉や窓に張り付いてくれます。
窓の見張りは三階だからいらないんじゃ……という気もしますが、突っ込んではいけません。お姐さんたちには取っ手や窓枠が必要だったのです。
「恋人のためにとはけなげじゃないか」
「ほんとにね。エーディは幸せものだよ」
「彼にふさわしくなりたい! 恋だわぁ」
などと本気で思って応援してはいても、人間にはついってものがあるのですから。
ビリっと音がするたびについつい吹き出しそうになって、なんとか笑い転げるのをこらえるためには、何かにしがみつかずにはいられないのです。
休憩の終わった室内は、またしばらくペトロネラのため息と指導の声と、ビリッ、ぷくく、ビリリリ、ぶはっなんてへんてこな音で満たされたのでした。
さて、そんな感じで七日が過ぎました。
朝から晩まで師匠ペトロネラを付き合わせ、リヒャルダたちに笑われ励まされしながら、カルラは少しずつ、礼儀作法や話し方などを上達させてゆきました。
前の晩にペトロネラに「綺麗なお辞儀だわ」とようやくお褒めの言葉をもらえて、ほくほく顔で寝台に入った翌、八日目の朝のことです。
物置き、というより隠れ家風の屋根裏部屋でカルラが目を覚ますと、王子様がいました。まだ夢を見ているようです。カルラはうめきました。
「さ、さいあく。とうとう夢にでてくる『王子様』まで黒髪になっちゃったなんて……」
少し前までは、王子様といったら金髪だと頑固なまでに信じ込んでいたのに。今では、カルラが真っ先に思い浮かべる王子様は黒い髪をしていました。
こうして夢に出てくる『王子様』も彼。
カルラを恋人のようにあつかい、でも何を求めるでもなく、いつも好きにさせてくれるひと。「探さないで」を忠実に守って、探しにこないひと。数え切れないくらい、カルラの耳に好きだとささやく末の王子。
だけどカルラはまだ一度も彼に「好き」と伝えたことがないのです。伝えられたことがない、のに。
「……夢に出演させてるってちょっと……」
寝台の横に膝をついて、カルラの顔をのぞき込んでいるような白い頬に手を伸ばせば、夢の中の王子は切なげに目を細めました。
頬に触れた手に大きな手が重なり、ずらされて、手のひらに唇が押し当てられます。温かな体温。
こんな風にはっきり夢で再現できてしまうほど、あたしはこの感触を覚えてしまっていたのかしら……とカルラはぼんやりととらわれた手を眺めました。それから、とらえている形の良い手を。
「指輪を、してないのね」
「ん……ちょっとね」
普段より甘さを増した声が、吐息と混じって、手の平をなでます。ぞく、と身震いすれば、うつくしい唇は弧を描き、やがて手首から腕におりていきました。
腕から肩、肩から鎖骨へ、首すじへ。まるで物語の吸血鬼が生き血をすするかのように、熱い舌が喉元を這い、長い指が夜着の上をすべります。
胸もとのリボンがほどかれかけたところで、うっかりされるがままになっていたカルラも、ようやくハッと我に返りました。ちょっと待って。
これがあたしの夢って、どういう夢よ。
いまだかつて(というほど、人間に戻ってからの付き合いが長いわけではありませんが)エーデバルトにここまでされたことはありません。……となると、コレはカルラの妄想ということになるのでは。
ひいぃぃと目をかっぴらいたカルラは、赤なのか青なのかわからない顔色で自分をののしりました。
「ヘンタイ!!」
息がかかるほど至近にあった唇が、ぴたりと止まりました。がっかり。まさにガッカリといった感じで、首の横にぼふ、と頭が落ちてきます。
くせのない黒髪が頬をなでました。寝台に顔をうずめたまま、彼は心底わびしげに息を吐きました。
「…………ごめん。ずっと会いたくて、がまんできなかったんだ。七日も会ってないだろ。きみはもうちっちゃなカエルちゃんじゃないんだから、閉じ込めておくわけにはいかない、そうするべきじゃないって、わかってはいるんだけど」
怒ってる? と心配そうな声。
怒ってない。と思わず答えながら、カルラはこの台詞もあたしが夢の王子に言わせているのかと、ひそかに落ち込みました。あたしって……。
しょげ込むカルラの横で、逆に少し気を取り直したらしいエーデバルトが顔を上げます。
「それにしても、父ぎみのところにでも行ったのかと思ったら、どうしてここなんだい。きみがここにいるって聞いて、どれだけ気を揉んだか」
「どうして? 今までだって結構来てたじゃない。紹介したのあなただし。なにがいけないの」
「いけなくはないけど」
エーデバルトはカルラの頬に触れようとして、ためらい、かわりに髪を一房すくって苦笑しました。
「そうだね、ここは娼館だから。きみがここで誰となんの『修行』をしているのかと思うと、ちょっとね」
「ああ、そういえば」
ほとんどただの酒場風ですが、このトレーネ館は正しくは酒場兼娼館なのでした。最近お姐さんたちが料理に力を入れているらしく、さらに娼館感が薄れ気味な気もするのですが。
「あたしがなんの修行中だと思ったのよ」
「……きみがペトロネラに弟子入りして、なぞのご令嬢修行始めたって下で聞いたんだけど、本当かい」
「なぞのって表現がひっかかるけど、本当よ」
「ふうん」見事話をそらすのに成功したエーデバルトは、はちみつ色の髪を指先でもて遊びながらたずねました。「ぼくのためだとか聞いたけど、それも?」
カルラはたじろぎました。
「じ、自分のためよ」
「そう? ならいいんだけど」
「なにがいいって言うの」
「ドレスが一着、ぼろぼろになるくらい努力してるって聞いたから。ぼくのためにきみが犠牲を払うなんてこと、あっていいわけないだろ」
犠牲という響きは、なにかイヤです。
「でも王子、女の子が自分にふさわしくなろうと努力してくれていたら、嬉しくなったりしないわけ?」
「きみにふさわしくないのはぼくだろ。黒髪だし」彼はそこで急にすねたようにぼそりと言い足しました。「……変態だし」
「変態なの!?」
エーデバルトはますます顔をしかめました。
「きみが言ったんじゃないか。ついさっき」
「え……あっ」
違う、さっきのはあんなことを夢で王子にさせるあたしに対してで……と慌てて弁明しだしたカルラは、ようやくここで疑いを持ちました。
いや、待って、コレは本当に夢?
夢の中でこんな誤解が起こることって、あるでしょうか。ない気がするとカルラは思いました。たぶん。じゃあこれは。
「げ、現実だってのね」
「…………きみが夢だって信じるなら夢だよ。ぼくのかわいいカエルちゃん」
なんだか笑顔になった王子が唇を寄せてきたので、カルラはさらに確信を持ちます。絶対に夢じゃない!
エーデバルトを押しのけて寝台から出ると、窓の向こうに、すでにいつもの朝より上の位置にある太陽が見えました。お寝坊です。
師匠役を引き受けてくれたペトロネラは、カルラが来てから毎日早起きするようにして付き合ってくれ、ついでに朝食係までやっているというのに。
青くなったカルラは大慌てで身支度を開始しました。夜着をぬぎ、服――練習用のドレスではなく普段着――に袖を通し、髪には簡単にブラシを入れます。
髪を後ろひとつにまとめるついでに鏡を見るまで、綺麗さっぱりエーデバルトのことは忘れ去っていましたが、彼は紳士的に壁とにらめっこをしていました。
よくわからないひと。思って、カルラは慌てて首を横に振りました。
断じて見られたいと思ってるわけじゃないのよ、そう、見られて嬉しいステキ体型なわけじゃないし。
そして勢いよく扉を開けながら、エーデバルトに「もういいわよ」と声をかけたのでした。




