ふさわしいひと 1
「そういえばね、カエルちゃん」
ある日の朝食の時間、ふいに王子様は言いました。
「王太子殿下たちの婚約披露が再来週にあるんだって。きみのドレスを注文しておいたから」
「え……」
ゆで卵を食べていたカルラは固まりました。べつにこれ以上ドレスを贈られると、衣装箪笥があふれるという理由からだけではありません。
――まさか、あたしに一緒に行ってくれってこと?
ひとの形に戻って数ヶ月。カルラはエーデバルトの離宮だけでなく、家やリヒャルダのトレーネ館や孤児院など、あちこちで過ごしていました。
つまり……夜会や茶話会、その他貴族たちがたくさんいるところ以外で。そういうところに、単純に出そこねた、ということもあるのですが。
カルラは悩みながら言ってみました。
「あたし貴族が踊るような踊りは無理なのよ」
「知ってるよ」
「貴族っぽい話術も心得てないわよ?」
「わかってる」
「そもそもの立ちふるまいもアレだし」
「アレって?」
「う……とっても庶民的、とか?」
そう、カエルのときも気付いていないわけではなかったのですが、ひとに戻ってから、カルラにはよく考えてしまうことがあるのです。
たとえば、庭園で令嬢たちの人群れを見たとき
たとえば、エーデバルトと関係があったらしい、美しい貴婦人が離宮にたずねてきたのを見かけたとき
自分と比べずにはいられないのです。
たとえば、笑いかた
たとえば、歩きかた
たとえば、喋りかた
手の動かしかたひとつ取ったって……
「あたしはどうやったってご令嬢に見えない」
「見せる必要なんてないよ。きみはきみなんだから」
「でも行ったって恥かくだけよ。たぶん、あなたも」
「誓うよ。きみにいやな思いなんてさせない」
エーデバルトはにっこりと優美に微笑みました。夢のようにまっ黒な瞳は、いつものように、世界一の美女でも見るようにカルラを見つめています。
「きみだって兄上とローゼを見に行きたいだろう? それとも、ぼくと一緒じゃ行きたくないかな」
「見に行きたい、けど」
カルラは居心地がわるそうに身じろぎしました。彼が約束したのなら、必ず守るということを知っていましたが、すんなりうなずくことはできませんでした。だって、と思います。
だって……ことはそう簡単じゃないのよ。
物語の中では、そのときがくれば、粉屋の娘でも木こりの娘でも、みんな王子様の相手として、それらしく振る舞えるものです。
けれど、カルラはやっぱりカルラのまま。呪いが解けても、急に美人になれたり賢くなれたり、お姫様になれたりしたわけではありません。
そりゃあ、いつかキラキラな王子様と結婚したいって、昔から夢見てたけど。
空想の中のカルラは、生まれながらのお姫様のように、恋人の王子様と踊っていましたし、あたりまえの顔をして貴族たちからの尊敬を受けていました。
けれど現実は、空想とはぜんぜん違うのです。
きらびやかなドレスを着てみたって、ほんものの姫ぎみたちを見れば、自分は立派すぎる服に着られているような気分になるばかり。恋人……だって。
「もう食べないの? 甘いものはどう。ほらすもものケーキもあるよ。きみ好きだろ」
「……あなたは?」
「ぼくが好きなのは、ケーキよりきみに決まってるじゃないか。ほら、おいしそうなハチミツ色」
カルラの髪を白い指がもてあそびます。どんなに鳥肌が立ちそうに寒くて歯の浮くような台詞も、この王子の蜜のような声と微笑みには、違和感なくよく合いました。洗練された物腰に、夜色の美貌の王子様。
「どうしたんだい、カエルちゃん」
あまい声音。人間に戻ったカルラに、彼はいつも優しい笑顔を向け、信じられないほど甘やかそうとします。おとぎ話の中の幸せな恋人同士みたいに。
けれど、そうされればそうされるほど、カルラはいつも、どう反応すればいいのかわからなくなりました。愛おしげ目を向けられるたび、心の奥でなにかがうずくような、変な気分になるのです。
最近、もしや自分は途方もなく、お子様なんじゃないかという気がしだしたカルラです。
もうカエルではないカルラを、エーデバルトが『カエルちゃん』と呼び続けるゆえんも、そのあたりにある気がしました。
――でも、このままでいいはずがないわ。
この際とりあえず中身は置いておくにしても、立ちふるまいだけでもどうにかしないと、エーデバルトと一緒に貴族たちの中に出て行くわけにはいきません。
彼が自分のせいであなどられると想像するのは、とてもいやな気分になるものでした。エーデバルトがカルラのせいで少しでも恥をかくくらいなら、カルラが自分で百倍恥をかいたほうが万倍ましです。
カルラは決然とした表情を浮かべ、握ったままだったさじを置いて、すっくと立ち上がりました。よし。
「ねえ王子」とカルラ。
「なんだい」と末王子。
ひとつ息を吸って、カルラは言い放ちました。
「あたし、ちょっと修行の旅に出ることにしたから。ぜったい探さないでちょうだい。いいわね」
「え」
無論いいわけがありません。しかし呆気にとられたエーデバルトが何か言う前に、彼女は迷いのない足どりで、食堂を出ていってしまったのでした。
残された王子は、壁際に控えていた召使いたちと顔を見合わせました。旅ってどこに、というより
「修行……って、なんの?」
簡単に荷造りして、離宮を出たカルラがてくてく向かったのは、『旅』と称したにしてはやたら近場でした。王都内、とある孤児院のとなりに建つ、酒場らしき建物の扉を叩きました。
吊り看板に書かれた屋号は『トレーネ館』です。
「すみませーん!!」
閉店中の札が下がっているのを無視して、カルラは扉を無遠慮にどこどこ叩きます。まるで医者の家に、急病人が出たことを知らせに来た人のような、鬼気迫る勢いでした。
「すみませーん! たのもー!!」
なんだか年ごろの娘として間違っているような呼びかけになったころ、ようやく扉がギギィ……と、油の足らなそうな音を立てながら開きました。
「何を頼んでるつもりなんですか」
「いろいろよ。おはようテオ」
「はあ…おはようございます」
まだ寝ぼけているような目で、トレーネ館の用心棒兼カルラの下僕のテオは、さわやかに挨拶してみせた主人をぼんやり眺めました。正確には、背中にしょった大きな風呂敷包みを。――泥棒?
とはいえ朝に弱いらしく考えるのも面倒そうに、とりあえず彼女を、閉め切っていてまだ薄暗い店内に招き入れました。
「……ああカルラちゃん」
「どうしたのぉ、こんな朝はやく」
「エーディとケンカした?」
「その荷物なあに」
扉を叩く音に起き出して来たらしいお姐さんたちが、階段の手すりにもたれてカルラを歓迎してくれました。朝っぱらから……と世間では非難されるほどの時間ではすでにありませんでしたが、夜遅いお姐さんたちにはまだ早い時間なのです。
「おはよう、お姐さんたち。ペトロネラさんに頼みがあって来たんだけど、起きてる?」
カルラは夜着姿のお姐さんたちを見上げました。近くに店主のリヒャルダの姿も、お目当てのお姐さんの姿も見当たりません。手すりにもたれるお姐さんたちは、階段の上を見上げました。
「ペトロネラねえ、どうだろう」
「起きてはいるんじゃない?」
「ああ、彼女身支度終わらなきゃ下りてこないから」
「じゃ部屋に行きゃいいんだね。案内するよ」
口々に言って、ひとりが手招いてくれます。お礼を言ったカルラは、荷物を背負い直してから、姐さんたちの後に付いてやや急な階段を上りはじめました。
階下では、すぐに残ったお姐さんふたりとテオが食事の準備と、掃除を始める物音が聞こえだしました。
「おーい、ペトロネラ、カルラが来てるよ」
部屋のあるらしい三階まで最初にたどり着いたお姐さんが、コンコンコンと扉を叩きます。中からは「はーい」という返事が返ってきました。
それからすぐに扉を開けて顔をだしたのが、トレーネ館でも一二を争う美女ペトロネラです。唯一きちんと朝から身だしなみを整えている彼女は、ぽってりした官能的な唇に驚いたように指先を当てました。
「あらま、ほんとにカルラちゃんじゃないの」
どうしたのと聞いてくる背の高い美女を前に、カルラはぐっと背筋を伸ばしました。そして背中の荷物を放り出すように床におろして、力いっぱい頭を下げたのでした。
「弟子入りさせてください!!」
弟子入り志願されたペトロネラの反応は、ごく当たり前のものでした。つまり「えっ、なんの?」です。
「ペトロネラさんは貴族の娘なんでしょう」
「え、ええまあ……昔は」
「昔でもいいんです!」
カルラは早口で説明しました。
再来週に王太子の婚約披露の式があること、エーデバルトに恥をかかせたくないということ、少しでも、王子の隣に立つのにふさわしくなりたいということ。
ようするに、カルラの思いついた『修行』というのは『令嬢修行』とでも言えるようなものだったのでした。うっかり師匠として、白羽の矢が立ってしまったのがペトロネラです。
彼女の父親は、昔何かの事件で爵位を剥奪されたそうですが、れっきとした貴族だったそうでした。
そして以前リヒャルダが話していたことによると、ペトロネラは以前、王宮で女官をしていたこともあるとのことです。リヒャルダいわく「さすが、今でもあたしより貴族との付き合いかたは心得てるよ」とのこと。となれば。
思いつめていた中、それを思い出したカルラが適任
だと突撃したのも、仕方がないことでしょう。
困惑顔のペトロネラに、お願いしますとカルラはもう一度頭を下げました。
床に落ちた荷物からは、高価そうな刺繍の入った布地のはしが、ちらりとのぞいていました。




