3 魔法と予言と記憶と
星々に空を譲って西に沈んだ太陽は、結局いつも朝を連れて、東から顔を出すものです。細かな無数の天の輝きを、自らの輝きによってかすませ、追い払うようにして。
お日様の下でも変わらず真夜中色の真夜中姫は、昼食の時間を過ぎてから、ようやくベットから出てきました。
日傘を手に、散歩用のドレス姿で庭園に出たのは、それからまたやや太陽が位置を変えたころでした。日中出かけるときは、いつでもそうであるように、ぞろぞろとお付きのものたちが後に従います。
真夜中姫が向かったのは、人通りの少ない奥まった一角。木戸をくぐった先では、大理石の彫像が、植え込みの緑に、きらきらと陽光の欠片をまいていました。
その庭には小さな泉がありました。泉には先客がおりました。真夜中姫は、ちょっと目をまたたかせて、泉の前でしゃがみ込む後ろ姿を見つめました。
「まあコルネリア、何をしているの」
「お妃様……!?」
コルネリアはびっくり仰天したようすでした。慌てて立ち上がって、ぱたぱたドレスをはらいます。汚れていない肩やら髪やらまでもはらっているところに、動揺があらわれていると言えそうです。
「な、なんでもないのよ。ちょっとほらその、お妃様のところへ行く前の寄り道で」
「ここがこの前あなたがお話してくれた泉ね」
「えっそうだったかしら」
「ええ。大きなカエルがいたって」
真夜中姫は少し後ろを向いて、お付きの者たちを下がらせました。それからまっ黒の瞳で、コルネリアの泣きはらしたような目をのぞき込みます。
「でもあ、なたはカエルではなく、べつのものを探しているのね。そうでしょう?」
「……どうして?」
「あなたが悪魔か幽霊を恋人にしてるって、言っていたひとがいたわ」
真夜中姫は真率な口調で言いました。
「ねえコルネリア。あなたの想い人が靴磨きでも庭師でも犯罪者でも、悪魔でも幽霊でも妖精でも、わたくしちっとも気にしないのよ」
犯罪者やら庭師やら妖精やらは、仲良く同列に並べるような例えではないような気もしますが。けれど言ったほうも言われたほうも、そのおかしさには、気が付かないようでした。
しばらく真顔で見つめ合ったすえ、ついにコルネリアはうなだれて口を開きました。
「わたくし、お妃様が信じてくれないなどと、思っていたわけではないのよ。でも彼……魔法使いなの」
「魔法使い?」
「そう。さらわれたとき、助けてもらって。ここや別の場所で何度か会った。……あのひとはこの泉が好きだと言ったわ。おかしなひとよ。でも、わたくしは彼を愛さずにはおれなかった」
コルネリアはぽつりと続けました。あの人だって。
「だけど、行ってしまったの」
彼女が視線を向けた水面は、空を映して彼女の瞳と同じ色をしていました。ばら色の唇をかむ友だちに、真夜中姫はそっとたずねます。
「追いかけないの?」
「むりよ。見つけられない魔法をかけられてしまったの。……わたくしは賭けに負けてしまったから。わたくしはあのひとの名前を知らない」
魔法使いは、おとぎ話の悪役がしばしばそうするように、コルネリアに名前当てゲームをしかけたのでした。もしも名前を当てられたのなら、望むとおりにしよう。あなたを連れて行こう、と。だけど。
ハンス、カスパル、ルートヴィヒ……ルンペルシュティルツヒェン? いったい、この世にいくつの名前があると思っているのでしょう。
いいや、いいや、いいや。魔法使いの返事はこればかりでした。そうして、ついに当てることができなかったコルネリアは、置いていかれてしまったのです。
「それでももしかして、あのひとが気に入っていたこの泉なら、届くこともあると思って。ここでありったけの名前を叫んでいるの。もちろん、こんなことしていたってムダだってことくらい、ちゃんとわかっているわ。本当よ」
「コルネリア……」
「わたくしはあのひとを『あのひと』と呼ぶ以外に呼ぶ名前も持たない。それだけのことだったのよ」
泉にささやきかけるように言って。切なさを追い払うように、ふいに今度は握った両手に力を込めます。
「――魔法使い? ふざけないでほしいもんだわ。ただのタラシだったんじゃないの。わたくしの気持ちをもてあそんで!」
真夜中姫は日傘を放り出して、両手で彼女の両手を包み込みました。コルネリアは、ふと我に返ったように口を閉ざします。すぐに笑顔を――姫にも無理やりだとわかる笑顔を浮かべました。
「やだ。そんな次第だから、誰にも言えなかったのよね。ごめんなさい、お妃様。延々泣き言やら言ったりなんかして。ああでも、吐き出したらすっきりしたわ。お茶にしません?」
手を抜いて傘を拾い、歩き出そうとした友だちを、真夜中姫はなおも腕をつかんで引き留めました。驚いたように振り向いたコルネリアを見る、真夜中姫の顔には断固とした表情がありました。
「あなたに禁書閲覧の許可を差し上げます」
「お妃様? 禁書って、どうして」
「いにしえの本なら、なにか魔法使いの命名についての、ヒントが書かれているかもしれないもの。そうじゃなくても、めずらしい名前がたくさん載っているのよ」
「お妃様……それってつまり……。いいの?」
「当然よ」
コルネリアは一瞬呼吸も忘れたように見えました。
「――ありがとう」
じつはあなたは、わたくしを止めるんじゃないかと思った、とコルネリア。真夜中姫はそうかしらと、ちょっと考えました。
「あなたは離れても、お友だちでいてくれて?」
「もちろん。ずっと親友よ、約束したでしょう」
しかつめらしくうなずいて、真夜中姫はにっこり笑います。
「だから、わたくしも手伝うわ」
コルネリアはもう一度お礼を言いました。
心から。
それから毎日、この泉の前で長いこと座り込む、不審なふたり組の姿が見られるようになりました。ふたりして秘蔵図書館に通い、持ち出し禁止の本の中の名前をぶつぶつ覚えては、水面に向かって並べ立てるのです。
成果はちっとも上がりませんでしたが、コルネリアの顔は日々明るくなっていきました。
「わたくしね、どうして勝手に名前を付けて、それがあなたの名前だと言い張らなかったのかしらって、このごろ思うのよ。野良犬を拾って名前を付けてしまえば、自分のペットにできるものだし。野良猫だって十も二十も名前を持っているものだものね」
ある日泉から帰って来て、またいつもの木かげでお茶を飲んでいるとき、コルネリアはふとそう言いました。手はひざに載せられた小さな王子の頭をなでています。
木の根元に並んで座っていた真夜中姫は、すやすや眠る息子から目を上げてほほえみました。
「すてきな考えだわ。明日泉の前でやってみましょうよ。そうね『おまえの名前はハインリヒ』とかどうかしら」
「ハインリヒ? そんなまともな人のような名前、へんよ。……最近昔の魔法使いたちの名前ばっかり見ているから、むしろまともな名前がおかしいもの聞こえるって、あぶない兆候よね」
コルネリアはうんざりしたように、ハァとため息をつきます。
「もうカエル太郎でじゅうぶんだわ、あんなひと。わたくしたちをこんなに苦労させて」
「でも、あなたは追っていこうというのね」
「そうなの。われながら趣味が悪いと思うわ」
ふたりは顔を見合わせ声をたてて笑いあいました。
「でも、いにしえの魔法使たちの、名前の趣味の悪さも相当なものだと思うわ」とコルネリア。
「そうよね」と真夜中姫も同意します。「おもしろいわ。ほら今日見つけた『金ぴか鳥夫』とか『のっぽロバ』とか『桃色ずきん』とかも……あと……『半分なめ』……とか」
「えっ『半分なめ』なんて初耳よ」
「え? そうだったかしら」
真夜中姫は首をかしげました。
「今ぱっと頭に浮かんだの。たしかに本で見かけたのではない気がするけれど……何だったかしら……かなり前のことのような……」
「最近の変な名前の聞き過ぎで、お妃様がかとうとうご自分で考え出してしまわれたんじゃなくて?」
「そうなのかしら……? そんなことはないと思うけれど……」
でもそうなのかも……? なんて不安なことを言い出した姫に、コルネリアが責任を感じて顔を引きつらせます。わたくしのせいかしら、と思わず身じろぎした拍子に、膝の上のエーデバルトがころんと落ちかけました。
あわててコルネリアが引き寄せると、真夜中姫もその末息子の、黒い髪の毛に手を伸ばしてなでました。眠り込む王子が、うにゃ……と丸まります。姫はうっとりしました。
「子猫みたいじゃなくって? この子ったら」
「かわいらしいには違いないけど、わたくし犬派なのよ。それにしても、お妃様は第三王子様ばかり可愛がられるのね」
「あら、だって、この子だけはわたくしと同じなのですもの。光の色の王宮の中で、たったひとり」
金髪のコルネリアは、黒髪の真夜中姫を見ました。見つめ返す真夜中姫も真顔でした。
「もちろん金の髪も好きよ。あなたの髪も太陽をつむいだようで、大好き。とてもきれいだわ」
「じゃあ、兄王子様がたのことも、きらっているわけではないのでしょう?」
「…………あの子たち、陛下に似ているのよ」
ため息をつくようにつぶやいて、ふたたび末息子の寝顔に目を落とした姫は、コルネリアが「まあ、だけどお妃様」と言い終わる前に、はっと顔を上げました。
「ああ、確かこの子の予言をしてくれた者の名前だわ!」
「なにが?」とコルネリア。
「なにがって」真夜中姫ははしゃいだような声を出しました。「さっきの『半分なめ』の名前のひとに決まっているわ!」
続けて嬉しげに「そういえば、あの者は魔法使いとか名乗っていた気がするわ」なんて言い出したりしたので、コルネリアは「あのね」と自分のひたいに手をあてました。
「お妃様が召し抱えるのって、サギ師とか誘拐犯とか、ニセモノばかりじゃないの」
「あら、あの予言をした者は本物だったのよ。エーデバルトは本当に怒らないのだもの」
「それは……そうだけど」
生まれてすぐに『怒らせた娘と結婚するだろう』という予言を与えられたエーデバルトは、実際何をされても怒らないのでした。同じ年ごろの子ども達と遊ばせてみても、その子たちがケンカを初めても、巻き込まれたって。
考え込んだコルネリアは、口の中で聞いたばかりの名前を転がします。
「そうね『半分なめ』ね……ハルプ……」
ぶつぶつ言う友人を、真夜中姫は楽しげな表情のまま見ていましたが、ふと、梢の向こうを少年が横切って行くのが目に入りました。
誰かの小姓のようでしたが、なんとなく不思議な雰囲気の少年です。姫は思わず後ろ姿をじっと見つめました。すると気付いたようすのコルネリアも、つられるようにそちらを向いて。
「あっ」と声を上げました。
「あの子、あのひとが連れていた子よ。どうして、なんでこんなところにいるのかしら」
コルネリアはすぐさまスカートをたくし上げてでも、追って行きたそうな気配を見せました。けれど、ひざに頭を乗せて眠っているエーデバルトの存在に、ちょっと眉を寄せて思い留まります。それでも砂漠の遭難者が商隊を見つけたかのように、視線が少年の背を追いました。
「コルネリア……?」
いちど立ち上がったら、友だちも家族も他の大切なものも何もかも忘れて、永遠にどこかに走り去っていってしまいそうな表情でした。
せっぱつまった眼差しでした。
見つめる真夜中姫は、二、三度手をちょっと動かしては戻すというのを繰り返して。いちど爪を手のひらに食い込ませるように、きゅっとこぶしを握ってから、とうとう眠る息子に腕を伸ばしました。
黒い頭を自分のひざに移して言います。
「行っていらっしゃいな」
「お妃様?」
「あの子とお話ししてきたいのでしょう。いいわ、わたくしここで待っているから」
コルネリアの青い目が、いちばんの友だちの顔を見ました。姫がうなずくと、土を蹴り上げる勢いで立ち上がります。ふみ出された足の下で、すずらんが一輪、くたっとつぶれました。
「ごめんなさい。それじゃあ、ちょっとだけ行ってくるわ。ありがとうお妃様」
そうしてコルネリアは、太陽のような金髪をなびかせ、走り去りました。風のように去って――――……二度と戻ってはきませんでした。
日が沈んで夜になっても、夜が明けて朝になっても。一週間たち一ヶ月たち一年たち、十年たち……どれだけたっても戻りはしませんでした。
だから、これが真夜中姫がコルネリアと話した、本当に最後のことだったのです。




