カエルが29匹 ほんとうのこと
エーデバルトの言った「なんだかよくわからない事態」は、日を追うごとに加速していきました。
彼が今までせっせと集めていたらしい、暗殺計画に関わるものやら不正やらの証拠の書類や物品たちは、大いに役に立ちました。王様の命令で王太子が指揮をとり、あれよあれよという間に、あちこちで大勢のひとが捕まっていきました。……ここまでは、たぶんエーデバルトの当初の計画とかわりなかったでしょう。
問題は、それらが末王子の集めたものだということがバレたために、かんじんの彼が捕まえてもらえなかったということです。
それどころか、彼は能力を隠して国のために暗中飛躍していた、一種の英雄のようにたたえられることになりました。話を聞いた王妃様はもちろん、王様も大いに喜び、息子に褒美をどっさりあたえました。
どこからもれたのものか、前シャウエルテ伯爵夫人リヒャルダも今や、末王子に協力して奸臣や賊臣を一掃するのにひと役買ったと、称賛のまとです。
「どうもローゼティーネ様のおかげらしいね。王妃様のお茶会にもお呼ばれしちまって『息子がお世話になりますわね、またいつでもいらして』とさ。あたしみたいなのがねえ」
ある日離宮に来たリヒャルダは赤毛をかいて、照れたようにしながらも、なんとなく嬉しそうにそう話しました。報告には来ませんでしたが、ブルーノも近衛騎士団に戻り、出世もしたそうです。
そんななか、エーデバルトひとりがいかにも不幸そうな顔で、離宮に引きこもっているのでした。人に褒められれば褒められるほど、悲しげになるのです。
どう考えても、あわれっぽい顔つきをすべきなのは、彼によって捕縛されることになった人びとです。彼自身ではありません。
王太子の手腕とフェオドラ王女の協力によって、隣国の王女誘拐未遂事件はなかったことになりました。あったのは王太子暗殺未遂事件だけ。少年公爵は一足先に国に戻り、王女様もイマイチ頼りにならなそうな護衛たちを連れて、先日帰国の途につきました。
「おかしいなあ。ほんとなら今ごろ、この腕には縄か鎖が絡みついてるはずだったのに」
最近離宮の周囲の庭に人通りが増えたからと、露台の床に座って風に当たるエーデバルトが、両手を見下ろして、心から残念そうにぼやきました。
あの日からこのふた月ほどの間に、カルラは同じセリフをもう幾度も聞いたのでした。げんなりしながらこちらも毎度同じセリフを返します。
「縛られたかったの? 変わった趣味ね」
「まあね……」
何が「まあね」なのか、エーデバルトはわびしげなため息をつきました。ひざに乗せたカエルを見下ろし、長い指でつやつやした頭をなでます。
「きみいつもそう聞くけど、そんなにぼくって縛られたがってるように見えるかい」
「あんたが毎回おんなじことを言うからでしょ。それに…………暑いのよ。ものすごく!」
「そう?」
平然とした顔で小首を傾げた王子に、カルラは「そうよッ」と叫びました。
夏至祭やら他の催し物やらも「行くと褒められるからやだ」という、謎すぎる理由ですっぽかした彼は忘れているかもしれませんが、今は夏なのでした。
庭園の木陰で涼もうというのならまだしも、風にあたろうと露台に出るのは明らかに間違っています。ここにいてあたるのは風より断然陽光なのです。
帽子をかぶった彼は気にならないのかもしれませんが、カルラには直接太陽の光がさんさんと降り注いでいるのです。今日は特に陽が強く、暑いったらありゃしません。
そしてひとは、暑いといらいらするものです。
「そんなに捕まりたいなら、ちょっとその剣持ってどこかで強盗でもやってきたら? やい金を出せーとか言って」
「すてきな案だけど、事件自体を握りつぶされるのがオチだろうね。そもそもぼくはお金に困ってないし」
「じゃ、そのぶん世のため人のため尽力してみようって気概はないわけ」
「……ぼくが捕まるのが、世のため人のためだと思ったんだけどな」
ぼくが優秀だと王太子殿下のお立場を悪くするし。愚かでいても、それはそれで王位につけようとして、兄上を害しようとするやつらが寄ってくるし。領地に引っ込んでみても、宮廷じゃそこで謀反でも企む可能性を考慮して、警戒してなきゃいけないだろうし……。そもそも母がぼくを手もとから離すわけがないし。
一本ずつ指を折って、ひとつひとつ後ろ向きの可能性を数え上げたエーデバルトは、五本ぜんぶの指の開ききった手を振ってカエルに風を送りました。
「ね、ぼくみたいなのは一生幽閉でもされてるのが、世のため人のため――兄上たちのためじゃないかい。 今回ついでに王太子殿下にあだなすやつらを道連れにできて、ちょうどいいと思ったのに」
ぼくがばかなことをして捕まれば、ローゼも婚約者を裏切ったや捨てられたなんて、汚名を着せられることもない。彼女にとってごく穏やかに婚約は白紙に戻り、周囲にも結婚せずにすんで良かったと言われながら、王太子殿下と幸せになれるだろうしね。とエーデバルトは儚げな微笑をたたえて付け足します。
カルラは風を送ってくれる白い手から、帽子のつばの陰になっている顔に視線を転じました。うれいをおびて、長いまつ毛を伏せるようにしていると、彼はいささか宗教画の聖人のように見えるのでした。
そういえば、ローゼティーネ嬢と王太子殿下は今どうなっているのでしょう。エーデバルトとの婚約は解消されたのでしょうか。
――もしかして、王子がここに引きこもってるのには、王太子殿下とローゼティーネ嬢が一緒にいる姿を見たくない、っていうのもあるのかしら。失恋の痛手から立ち直れていないんだわ。
いいえ……失恋、なんて言葉であらわせるものなのかしら。このひとは、ただひとりの、運命のひとに裏切られたというのに。でも、それでも。
「ねえ王子」
「ん、なに?」
「あなたって、ばかね」
「そうなんだよカエルちゃん。知らなかったの?」
「そういうことじゃなくって……わからないの?」
わかってるよ、とエーデバルトは帽子に手をやりながら言いました。
「ぼくは兄上の敵にはならないと人々にわからせるために、馬鹿なふりをして。それで生きようとしたのにうまくできなかった。ならいっそ兄上に仇なす者たちをあぶり出して一網打尽にしようと、ついでに一緒に捕まってやろうと思ったのに……。ぼくは自分でぶちこわして、ぜんぶ無駄にしてしまった」
カルラはどきりとしました。わからないの、と聞いたのはそういう意味ではなかったのですが。しかし、捕まりたかったのだと聞いたとき、彼女だって自分が彼の計画をだいなしにしてしまったことに、気付かなかったわけではありませんでした。
エーデバルトは自身のせいだと言いますし、あの日カルラがかばんから飛び出して行ったことを、ひとことも責めません。ひとの形になれたことを隠していたことについても、あれ以来ひとの形にならないこともなんにも言いません。
うしろめたさと、自分を責めない王子への苛立ちともどかしさと、もともとの暑さが混ざりあって、カルラは地団駄を踏みました。
「そういうことじゃなくて……! いくら王太子殿下が命の恩人で大好きで、お母さんをとっちゃった負い目があるからって、そこまで自己犠牲に突っ走るのは馬鹿だって言ってるの!!」
下げた帽子のつばで表情を隠したエーデバルトは、「うん」と返しました。うん、ぼくもそう思うよ……
「だけどね、自己犠牲のつもりなんかじゃなかったんだよ。計画はぼくの怠惰にもとづいていたのさ。――真実兄上たちのためを想うのなら、他にいくらでもやりようがあった。母をいさめ、兄たちを補佐をすることを明言し、まっとうに役に立つような道がね」
「…………なんでそうしなかったの?」
「カエルちゃん、ぼくは……ほんとはね……」
本当はずっと
「うとましかったんだ」
ほとんどが唇の動きだけの言葉でした。――うそつきばかりの王宮も、うそつきの自分も、無邪気な母もあまりに清い兄も。全部がうとましくて、嫌で嫌でしかたがなかったんだ。自分にできることをやるだけやって、逃げてしまいたかったんだ。ずっと前から。
「ああ、馬鹿というより、ぼくは怠惰で臆病で自分勝手なんだね。……加えて狭量。きみの父ぎみのところから帰ってからしばらく、きみの存在をまともに認めることもできず、きみを遠ざけ、避けてた。きみはぼくを軽蔑していい」
「あなたは……」
カルラの手に力が込もり、エーデバルトの絹の服に小さなしわをつくりました。あなたは、だからって、どうしてそうなの。もどかしくてもどかしくて、震えそうなほどでした。
「あたしのことはどうでもいいから、ぜんぶ不満やらなにやら本音を出してみなさいよ。みんなに本音を隠して、どんな気持ちも押し殺して生きてるから嫌になるのよ。王子の計画は失敗したし、ずっとここに引きこもってるわけにもいかないでしょ。いいからためこんでたぶん全部吐き出して、すっきりして、いいかげん前進しなさいよ!」
王妃様についての愚痴でも、兄王子たちの苦手なところでも、運命の相手を手放したことへの後悔でも。なんだって聞いてあげるのに。
王子はいつも最後まで言いやしないのです。
「全部本音で真実なんだけどな、カエルちゃん」
「べつにそれは疑っちゃいないけど。最後まで明かされない中途半端な真実じゃ、イライラするだけ」
「じゃあ、きみはなにを知りたいのかな。きみが望むならなんでもしゃべるよ。きみはぼくになにを言わせたい?」
「……あなた好きな人いるでしょ」
エーデバルトは虚をつかれたように一瞬黙り込み、抽象的だねと軽く肩をすくめました。手を離した拍子に帽子が脱げて、抜けるような真っ青な空を背景に、黒白の美貌があらわになります。
「きらってる人はいないよ。兄たちのことも両親も愛してる。でもそういうことじゃないんだろうね」
「うん、すっごく特別な意味で好きで、大切なひと」
「きみ」
「真面目に言ってるの。あなたの予言の相手よ」
白い手がすべり落ちてきた帽子を受け止めて、体の横に置きました。吹いてきた涼風がその位置をかすかにずらします。エーデバルトはそれにちょっと眉を上げて、またもとの位置に置き直しながら答えました。
「予言の相手ね……ぼくを怒らせた娘?」
「そう」
あなたが愛しているひと――ローゼティーネ嬢。
再び風が吹いて、カルラは目を細めました。帽子が露台の上を滑っていきます。
「ぼくはどうしても、予言とか運命とかいうのは好きになれない。でも……あのとき、兄上は『死ぬかと思った』っておっしゃったね。ローゼを喪うかとお考えになったとき」
「ああ、うん」
「ぼくは喪うかと思ったとき、そうは考えなかったんだよ。というより何も考えられやしなかった」
「うん」
運命のひとを――どんなかたちであろうと――突然に喪うというときは、きっとそういうものでしょう。絶望すらその後からやってくるものなのですから。
エーデバルトは風の去った方角を見ていました。
「だからきみが変化したとき、とっさに外套を投げたのは、ほとんど無意識だったんだよ。あれだけは称賛されてしかるべき行為だった」
「うん、ありがとう」
真面目に話すときでも、このひとは話を脱線させずにはいられないのね。カルラは内心あきれましたが、エーデバルトのほうでは、べつに脱線させたつもりはないようでした。不思議と長兄に酷似した生真面目な表情で続けます。
「落ちて――落ちて――無事に着地してくれたとき。ぼくはかつてないほど安堵して、それから思った。…………なんて馬鹿なんだろうって」
「うん?」
何かがおかしいとカルラは思いました。ばか? 話の主役も、ローゼティーネ嬢ではなくなっているような気もします。どういうことでしょう。
「よくわかったよ。愛情がなきゃ、あそこまでの怒りっていうのは湧かないものだね。あのとき……ぼくは喪うべきではないものを喪いかけた。怒りはその原因になったものに向かった。つまり、あのとき自ら落っこちてったきみ自身に」
気がつけば、黒ぐろとした瞳が間抜けずらのカエルを映していました。表情は楽しかった過去の出来事を思い出しておもしろがるように。口調はいたずらっぽく。
「あのときのぼくの気持ちがわかる?」
カルラは口ごもりました。彼女を映す目だけは、さっぱり笑っていなかったので。それに、これじゃなんだか、王子があたしに特別な感情を持ってでもいるみたい。
「……でも王子はあのとき、王太子殿下にあたしなんて知らないって言ったじゃない」
「きみをぼくの仲間だと思わせるわけにはいかなかっただろ。ま、結局はばれちゃったわけだけど。――ずっと気にしてたの? ごめんね」
「べつに……そういうわけじゃ……。でも、あの、王子……もしかしてなんだけど……ええと」
もごもごと口ごもります。あたしのこと好き? なんて聞いてみて盛大な勘違いだったら、とてつもなく恥ずかしい気分になるだろうなんていうことは、わかりきっていることでした。
というより、エーデバルトには嫌いなひとがいないそうですから、簡単に「もちろん好きだよ」とでも返ってくる予感もします。
かといって友達相手にいきなり「あたしのこと特別愛してる?」なんて聞くのは、ちょっとどうかという気がしますし。……外れていてもいなくても、たいへん恥ずかしい思いをすることうけあいです。
――ど、どうすれば。
迷って体色ごと顔色を変えていくカルラに、気付いているのかいないのかエーデバルトは、何を思ったか唐突にカルラを手のひらに移動させて、立ち上がりました。
「……衣装、もとのところに戻しといたのに、きみはちっとも着てくれないね。兄上には見せたくせに」
脈絡もなくそんなことをつぶやいた黒髪の王子は、太陽に背を向けて屋内に入りました。飛んでいった帽子はもはや放ったらかしです。
廊下を進み階段を下りいくつもの扉、カルラの部屋の前も通り過ぎて、彼は玄関扉を開きました。二ヶ月間ほとんど引きこもっていたくせに、それが夢であったかのごとく優雅に草を踏んで歩を進めます。
以前に増してひとに会うのを厭うように、細い道をてくてくてくてく歩き続け――。
たどり着いたのは魔法使いの家に続くあの泉です。
エーデバルトは水面を覗き込むように地面に膝をつきました。水をすくうような形の両手に、ちょこんと乗せたカルラににこりと微笑んで。彼は困惑する彼女にやっぱり脈絡なくこう言いました。
「ここんとこずっと考えていたんだけどね、カエルちゃん。ぼくはやっぱり魔法は嫌いだな」




