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カエルが27匹 木から落ちたニセ魔女

 カルラは外套の中でちょっともがきました。腕を出し足をだし顔を出して、痛いところがないのを確認し歓声をあげます。


「ひゃあ無傷! 無傷って何? 傷がないこと!? すごいわあたし。飛び降りの天才。すべての運命があたしの味方!? ああどうしようステキなひとにお嬢さんツイてるねぇとか声かけられちゃったら」


 そのひとはたぶんステキなひとではなく、ちょっと怪しいひとです。うかつに付いていってはいけません。

 頭を打ってもいなければ飲酒してもいないはずなのに、カルラは変に大はしゃぎでした。

 それも当然でしょう。

 王太子の危機に思わずかばんから飛び出しはしたものの、落ちたらかなりの高確率で息絶えそうな高さだったのです。生きているのはほとんど奇跡でした。

 落下途中でなんとか鳴いて魔法を発動させ、ひと形になったのが良かったのかもしれません。魔法の力というものは、ときとして自然の力に逆らうようなところがありますからね。


「これは……驚いたな。衣装係の魔女殿じゃないか」


 魔女どの? 声をかけられて、カルラははたと我に返りました。そういやあたし、無傷に感動してる場合じゃなかったんだっけ。王太子殿下の危機!

 けれど犯人の侍女を見るとすでに縛られています。部下たちに「彼女は大丈夫だ。かよわい女性にそんなものを向けるんじゃない」と言いながら、カルラに近付いてくる王太子も無事。そんなものって何と見回してみたら、軍服の全員に剣を向けられていました。


「ひょえっ」


 謎の条件反射で両手を上げかけてしまいます。

 完全に上げきらなかったのは、外套が滑り落ちそうになったからでした。中がはだかのことを瞬時に思い出し、慌てて前をかきあわせます。この外套どこから現れたんだろ、なんて考える余裕もありません。


「みみみみ見た?」

「大丈夫だ。そんなには見えていない」


 年ごろの女の子としては、いまいち安心できない返答です。見えていない……でも……そんなに。


「どこからどこまでが『そんなに』に入るの。たぶん腕はそんなに、足もそんなに、胸は、お腹は……」

「ちらっとしか」

「見たのね!?」


 まだ落下の衝撃かなにかが残っていたのか、見られたことでさらに動揺が加わったせいなのか、カルラはあこがれの金髪の王子様の前で取り乱しました。


「いや――――ッ。信じらんない! あんたも見たの、そっちのあんたも、あんたも!?」


 頭を振ったせいで顔にかかった緑の髪の向こうで、赤い瞳がぐるりと動きます。目が合ってしまった軍人たちは、無意識に納めたばかりの剣の柄に指をかけました。魔よけの言葉をつぶやいた者までいましたが、カルラにはどちらも気に止める余裕はありません。


「ここ何人いるの、見たの何人! 正直に手をあげなさい怒るから。――ううん、いいっ!! やっぱりヤメテ本当にあげないで。あたしが悪かった話せばわかる、わかるから誰かあたしを墓穴に埋めてぇ!」


 大混乱です。とくに墓穴を掘ったという気持ちと、穴があったら入りたいという気持ちが合わさっての、墓穴に埋めて願いは周囲に戦慄を走らせました。

 あれは死人か悪魔か酷い瞳だそういや殿下が魔女と呼んでいたぞあの髪はなんだ……どよどよどよ。

 実際に口に出していたのは数人でしたが、その場のほとんどが、同じような気持ちを込めた視線を交わし合いました。目は口ほどに物を言うとはいいますが、目だけでなく、なにやら空気もどよどよ風味。

 ローゼティーネ嬢までもが血の気の引いた顔をしています。カルラの近くにいる者たちのうち、平然としているのは王太子だけのようでした。


「落ち着け魔女殿、大丈夫だ。わたしは忘れるし、部下たちもしっかり忘れる」

「……絶対?」おそるおそるカルラが顔を上げます。


 王太子は怯える動物を相手にするようにうなずきました。


「誓おう。――それで、あなたはこんなところで何をしているんだ? ほうきから落ちたのか」


 冗談を言われているのかと思いきや、濃紺の瞳はどこまでも真面目でした。しかも王太子は詰問しているわけではなく、心配してくれているようなのです。


「もしやわたしの危機に気を取られて落ちたのか。先ほど声をかけてくれたのは、あなただろう。おかげで助かったが、怪我はないか?」

「ええ……はい……あ」


 カルラは笑顔をつくりかけましたが、はたと自分が木の上でのぞきをしていたことを思い出し、顔を曇らせます。

 ここで感謝なんかされちゃ申し訳ないじゃない。あたしたち、さっきまで高みの見物決め込んでたっていうのに。……ん? あたしたち?

 自分が着ている外套を見下ろして、カルラはようやくのぞき共犯者エーデバルトのことを思い出しました。

 首をのけぞらせて彼がいるはずの頭上を振り仰ぎます。見えたのは、遥かな梢と、空を覆い隠すような緑の葉だけ。


「…………どこに」


 目に入らないところにいるだけでしょうか。

 ここにあるのは外套だけだから、落ちてはいないはず。けれどどれだけ目を凝らしても、黒髪の王子の姿は見えません。急に空を見上げて不安そうな顔になった魔女に、王太子が怪訝そうに眉を寄せました。


「どうかしたのか、魔女殿」


 空に視線をやった王太子の目も、カルラの目と同じく何者の姿も捉えることはありませんでした。代わりとばかりに耳に入ってきたのは、馬蹄の響きです。

 全速力で馬を駆けさせてきた軍服姿の騎手は、下馬し終えないうちから口を開きました。片手に何かの紙を握っています。


「王太子殿下! ご命令通り密かに王后陛下の十三の衣装室に端から潜入し、『箱』を捜索しておりましたところ、七番目の部屋で発見いたしました。なななんと、その中には――」


 はっとしたようにイイところで口を塞ぎました。言葉がもれないようにか自分の口を、紙を持っていないほう片手で押さえたまま、王太子に駆け寄ります。手を外して、なにごとかを耳打ちししました。

 渡された紙にも目を通した王太子の顔色が、瞬時に変わりました。ただごとでは無いのを察し近付いてきたローゼティーネに紙を渡した王太子が、ひとりの人物に険しい眼差しを向けます。


「なにかございましたか」


 もともと不機嫌そうな顔立ちの侯爵が、視線に気付いて、さらに不機嫌そうな声音でたずねました。

 王太子にお礼を言われたときも刻まれていた眉間のしわは、先ほど侍女が捕らえられたときに深まっていました。降ってきたカルラに向けたのは、ほとんどのご令嬢がネズミや毛虫に向けるような嫌悪の表情。

 その表情のまま顔を向けられた王太子は、眉をしかめて片手を上げ、部下に命じました。


「捕らえろ。どうやらわたしは運がよかっただけで、間抜けにもひとの手のひらの上で踊っていたようだ」

「なんのことでしょう」

「とぼけるな。アンデルス伯爵や甥のホッホ男爵らとはかって、わたしを亡き者にしようとしたのだろう」


 軍服の男たちに囲まれた初老の侯爵は、慌てもせずに片眉を上げました。気の弱い者だったら裸足で逃げ出しそうな仕草です。


「証拠は?」

「あなたが伯爵らと交わした書簡がここにある」


 王太子は険しい顔で、ローゼティーネ嬢に返された紙を振ってみせました。


「ほかにも証文や証拠品が大量に見つかったそうだ。今回のことについても、あなたが行ったその他のことについても」


 そうだなと声をかけられた先ほどの連絡係が、背筋を伸ばして短く肯定の返事をしました。

 侯爵は酷薄そうな目を動かして、王太子の手もとで止めます。


「書簡とやらを拝見しても?」


 いいだろう、と王太子は言いました。ひとに任せずに自ら近付くために踏み出された足に、侯爵の口の端が狡猾そうな弧を描きました。


 ――いけない。


 末王子を探すのをあきらめて、黙ってなりゆきを眺めていたカルラは直感しました。なんだか分からないけれど、だめ、危険だわ。

 侯爵が密かに自分の外套の中をさぐりながら、包囲の向こうがわにいる騎士に目配せします。王太子の斜め後ろの位置にいた騎士が動いたのと、カルラが声を上げて駆け出そうとしたのは同時でした。


 だめっ!


 ところが彼女の口は息を吸い込んだだけで、言葉を発する前に塞がれてしまいました。後ろから腰をさらわれて無意味に五、六歩ぶん足をばたつかせます。

「大丈夫だよ」と耳もとでいつもと違う、でも聞き慣れた声がしました。もうすっかり耳に馴染んでしまった音。「こっちに」

 彼らしからぬ乱暴さで引き寄せられて、太い幹の裏に連れて行かれます。視界の端で侯爵に目配せされたはずの騎士が、王太子ではなく侯爵本人に向かって行き、その手から短刀を叩き落としたのが見えました。

 裏切られたらしいほうと、助けられたほうが騎士の顔を見てそろって瞠目します。同じくらいの驚愕を込めて。


「「ブルーノ・フェルヒ!?」」


 誰にも気付かれることなく紛れ込んでいた、末王子のもと護衛騎士にして娼館トレーネの用心棒は、ふところから縄を取り出しながらにやりと笑いました。


「罪人は縛っておかないと危険じゃないですかね、王太子殿下。ご自分が国一番の剣の使い手だからって、油断しすぎてるとうっかり刺されますぜ」

「侯爵はともかく、お前にならば刺されても斬られても恥ではない。……しかしお前がいるということは、やはりエーデバルトも関わっているのか」

「証拠は見つけたんでしょう?」


 視線を向けられた連絡係がカクカクと首を縦に振りました。「そのようだ」と暗い声の王太子。


「わたしはわたしの弟を捕らえねばならないらしい。あの末弟が、わたしを殺したいほど憎んでいたとは、信じたくないものだが」


 お前もいちおう捕らえておかねばならないと、どんよりした空気をまとった王太子が部下たちに命じます。侯爵の手首を縛り終えたブルーノは、素直に彼らに両腕を差し出しつつ、器用に肩をすくめました。


「信じたくなきゃ、べつに信じなくていいんじゃないですかね。事実じゃないことだし」

()()がわたしを好いていないのは事実だ」

「そりゃ策にはまってるだけですよ。――まァ、おれも黙ってるつもりだったんですけどね。けど……最近のあのかたは、ほんとに変だから……」


 ブルーノが一度目をきつくつむります。再び開かれたとき、瞳には決意が込められていました。


「申し訳ございませんエーデバルト殿下、誓いを破ります。いつか気が向いたらお許しください」


 天に仰いでつぶやくと、手首を縄で拘束されたまま王太子に向き直りました。瞳と反対に唇には不遜な笑みがあります。


「私がここにおりますのは、エーデバルト殿下に王太子殿下の御身をお守りするようにと、おおせつかったためです。証拠を集め王妃様の衣装室に隠したのも、今朝手紙を書いたのもエーデバルト殿下なのです」

「なに……?」


 王太子の顔には動揺が浮んでいました。


「だが、あの弟は……」

「あのかたは幼いころから、あなた様に忠誠を誓っております。決して、あなた様に刃を向けるようなことはいたしません。どうか――」

「だまれ」


 騎士の言葉をさえぎったのは、金髪の第一王子ではなく、黒髪の第三王子の鞭のような声でした。誰ひとり彼が発したものとして聞いたことが無いような、苛立ちと激しさを織り込んだ響きです。

 空き地にあったうち開いているすべての目が、吸い寄せられるように一本の木に向けられました。正確にはそのかたわらに立つ、質素な服装の高貴な若者へ。

 魔女めいた女性の腰に腕を回した若者は、自身が魔王であるかのような口調で言いました。凍えた闇を固めたような瞳に、怒りの火を燃え上がらせながら。


「だまれブルーノ。くだらないことを申し上げるな」


 この――――うそつきが。吐き捨てるように言って、怒り狂った目で空き地のすべての人を順々に見回しました。隣国の王女様もローゼティーネ嬢も。そうして最後に目を止めたのは、長兄の顔でした。


「今お聞きになったのはすべて冗談ですよ兄上。ぼくは、あなたがグサッとやられるのを見物しに来たんです。さっさと捕まえてください」


 王太子は息を呑みました。会うことが少なかったとはいえ。二十五年以上兄をやっていたにも関わらず、彼はこの末弟が、こんなに烈しい目をすることを知らなかったのでした。

 内心どうしようもなく、うろたえて。

 さして重要でもないであろうことを聞きました。


「その、魔女殿は?」


 弟王子は信じられないほど苛烈な目をして、あまりにも冷やかに言い放ちました。


「こんな娘は知りませんね」


 けれどその腕は、彼の腕以外のすべてに逆らうように、あまりにも優しくカルラを抱きしめたのでした。

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