表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/37

カエルが26匹 運命を見おろし……

 隣国からの大切な客人であるはずの王女様と、自分の婚約者が危ない目に合うかもしれない日だというのに、エーデバルトは余裕しゃくしゃくでした。

 少なくともはた目にはそう見えました。

 慌てることなく冷めた朝食を食べきったあと。彼は部屋の中のものを見て回ったり、床に散らばっていた贈り物たちを、のんびり片付けたりしていたのです。

 ようやく行く気になったとき、エーデバルトは一度伸びをしてから、困ったように首をかたむけてカルラの顔を見ました。


「……やっぱりきみも行くのかい」

「とうぜん」

「危ないかもしれないよ」

「じゃ、やっぱり助けに入るの?」

「いいや。高みの見物のつもり」


 カエルを連れた王子は、質素な服の上に飾り気のない薄い外套をまといました。用心のためか、いちおう剣も持って徒歩でお城を抜け出します。

 途中、街で昼食らしい食べ物を買い込んで向かったのは、都の外れの明るい森の入り口でした。


「ここは狩猟用の森だよ。最近はあまり使われないところだけど……」


 エーデバルトは木立のあいだの、少し開けたところで立ち止まりました。きょろきょろとあたりを見回して、ここかなと小さく首をかしげます。

 なんのこととカルラが聞くより早く、エーデバルトは肩から下げた布のかばんを軽く叩きました。中で食べ物をつまみ食いしていたカルラに「ちょっと気をつけてね、揺れるから」と声をかけてきます。

 そうしてやはり返事も待たずに、近くのひときわ高い木の幹に手をかけ、あろうことか、リスのようにするすると登り始めたのでした。


「あんたってじつは王さまじゃなくて、木こりとかの子なんじゃないの……」


 またたくまに登りきって、枝に座り込んだエーデバルトに、かばんから顔を出したカルラが呆然としました。ご先祖なら木こりだったかもね、と手袋をはたきながらの返事が返ってきます。


「ここで待っていれば、そのうちいろいろ来るはずだよ。なかなか悪くはない場所じゃないかい。ひとが来たら静かにしていなくちゃいけないけどね」

「見つかると危険?」

「ぼくはね」

「……ふうん」


 白い指がかばんを探って、唯一小さな歯型のついていない、魚の燻製を抜き出していきました。


「ねえ王子、悪いひとたちはいつ来るの」

「悪いって決めつけるのはかわいそうだけど。これを食べ終わるころには来るんじゃないかな」


 楢の木(アイヒェ)ばかりの森はとても穏やかで明るくて。これから、恐ろしい誘拐劇が始まるのを予感させるものは、どこにもないように思われます。


「ほんとに来る?」

「来ないはずはないさ。護衛の三分の二と侍女、御者はみんなまとめて王太子派に買収されてる」

「へ……なんか、よく知ってるわね。そんな計画ダダもれしてると、さっぱり成功しなさそうじゃない。あ、もしや今ごろとっくに阻止されてたりして」

「まさか。これはぼくの……っと、静かに。来た」


 食べかすのついていた唇をぺろりと舐めて、エーデバルトが口の端を上げました。わくわくしているような笑みです。ひとの現れた木の下の空き地から、視線を戻したカルラは「こっちのが悪人なんじゃないの」などと思わず考えてしまいました。

 それも仕方がなかったかもしれません。

 武器を持つ人びとを見下ろす黒髪の王子の目は、ネズミを見つけた猫のように、みょうに生き生きとしていたのです。それに空き地に集まった十騎ほどの人馬、覆面の集団の中心にいるのは、どう見てもまだ十二、三歳の少年だったのでした。


「ここにフェオドラ王女が来るの、ですか?」


 耳をすませば聞こえる音量でしたが、おどおどした声に、ややなまりのある発音は聞き取りづらく、木の上で聞き耳を立てるには向いていませんでした。

 もちろんですともと首肯した男の声のほうが、布越しでくぐもっていても、発音のよさのために聞き取りやすいくらいです。


「ご案じなさいますな、閣下。われらにも益があると感じたからこそ、お力になると申し上げたのです。失敗などいたしません」

「うん。でも良いのでしょうか。こんな盗賊のようなことをして……嫌われてしまったり、しませんか」

「お気持ちはきっと王女殿下に通じましょう」

「そう、ですね」


 会話から察するにこの少年こそが、フェオドラ王女を追いかけてきた、王女様に恋い焦がれる隣国の貴族なのでしょう。大胆な行動のわりに、情熱的に見えないお坊ちゃまです。

 覆面の男たちは、その王女と自国の王太子との結婚を阻止したい、王太子派(のくせに王太子には無断)の貴族と配下たちでしょう。彼らはやがて散らばって、森の中に身を潜めたようでした。

 それからまた、かなりの待ち時間。

 黙ってるように指示されたために、食べ物がなくなってしまったあとのカルラは、ひまでひまで仕方がありませんでした。心のどこかで緊張しているのか、なんとなく自然を楽しむ気にもなれません。

 頭を撫でられる気配にエーデバルトを見上げると、秀麗な横顔にもう笑みはなく。黒い瞳は、黙考するように木の葉を見すえているだけでした。


 ――ローゼティーネ嬢を心配しているのかしら。


 カルラはふとそれに思い当たりました。なんてことない顔をしているけれど、心配なのには違いないわ。エーデバルト王子は、ローゼティーネ嬢を『大切なひと』だと言っていたじゃない。

 理想のひとで、運命の相手かもしれないひと。


 でも……ローゼティーネ嬢は、エーデバルト王子を好きじゃない。あのひとが愛しているのは、焦がれているのは、王子のお兄さんの王太子殿下なのだもの。


 心とは、なんと複雑で、難解なものなのでしょう。本物の王子たちなのですから、もっとおとぎ話のように、夢のように生きてはいかれないのでしょうか。

 悄然と目を伏せたとき、頭をなでていた長い指がぴくりと跳ねました。

 カルラははっとして森の入り口を見ます。

 ――来た!




 ガラガラと幅のせまい小路をやってきた馬車は、矢を受けて空き地で止まりました。あっというまに木々の合間から飛び出してきた、覆面の集団に取り囲まれます。馬は隠したのか、今度は全員が徒歩でした。

 王女の護衛らしい、馬に乗った者たちが剣を抜きましたが、その切っ先の三分の二は同僚に向けられていました。先ほど王子が言っていた通りです。


「お前達、なにを……」と護衛そのいち。

「すすすすみません先輩」と護衛そのに。

「あっバカここで泣くなよ」と護衛そのさん。


 とりあえず一対二の護衛たちに、切り合いをはじめる様子はありません。

 それを見やって、覆面の男のうちひとりが、窓の内側にぴっちりと目隠しの布が閉められた、装飾過多の馬車に近づきました。扉に手をかけます。


「失礼いたしますよ」


 しかし失礼なことをされたのは、どちらかと言うと覆面の男のほうでした。扉に隙間が開いた瞬間、内側からぶち破られたからです。したたかに扉に顔を打たれた覆面そのいちは、ばたんと地面に倒れました。

 あっけにとられている護衛と周囲の覆面たちを見回して、衣装の裾をなおした淡い金髪の淑女は、紅薔薇色の唇を開いて静かに問いました。


「これは一体なにごとです」


 本物の王女よりも王女らしい――というよりむしろ、女王のように威厳たっぷりの空色の目に気圧されたのか、声もでない様子の一同。

 そんな中、覆面たちの奥から意外にも自ら進み出てきたのは、あの隣国の恋する少年貴族でした。


「あのぅ、おさわがせしてごめんなさい。でもあの、こちらにフェオドラ王女はいらっしゃいませんか」

「あなたは?」

「ぼく――いえ私は」

「あら公爵!」


 侍女らしき女性に止められながらも、ローゼティーネ嬢の横から顔を出したフェオドラ王女が、ぱあっと明るい笑顔を見せます。呼ばれた少年公爵のほうも「あっフェオドラ」と嬉しそうな声を上げました。


「ひどいよフェオドラ。あと五年したら、ぼくのお嫁さんになってくれるって言ったのに」

「む? そうだった?」

「そっそうだよ、なのにちょっと綺麗な伯母さまに誘われたら、さっさとついていっちゃったりしてッ。そりゃ確かにこの国の王太子殿下は素敵だし強いし大人だし……しょうがないからかけ落ちしよう!」


 おどおどしたところが消えて、きっぱりと言い切りました。「まあ、いいわね」と王女様。侍女の腕から抜け出して「かけおちって一度やってみたかったの」とやる気を出しています。

 馬車から飛び降りようとした王女様を止めたのは、ローゼティーネ嬢でした。


「なりません、フェオドラ様。王女というものには責任がございますのよ。ここでかけ落ちなんてなさったら、どれほどの者が困った状況になるのか、どうかお考えになってくださいまし。――もっとも」


 冷ややかな目で覆面集団を見回します。「それを望んでいる者たちもいるようですけれど」

 先ほど少年と話していた、いちばん偉そうな覆面男が進み出てきました。物騒にも抜き身の剣を手にしています。


「同乗者は王后陛下だとばかり思っておりましたよ。王女殿下をお離しくださいませんかね、お嬢さん」

「もちろんお断りいたしますわ」

「では仕方がありませんな」


 男が指を鳴らして合図をしました。覆面集団が動いて、無理やりローゼティーネ嬢と王女を引き離そうとします。彼らは今しがた馬車の扉をぶち破り、仲間のひとりを昏倒させた強者が誰だったか、綺麗に忘れていたようでした。

 素手の美人に返り討ちにあった覆面たちが、きゅうと倒れ伏すのを見て、王女様と少年公爵が思わず拍手を送りました。近くの木の上でもカエルが一匹、心の中で惜しみない拍手を送っています。すごいすごい!


「さて、と」


 令嬢にぎろりとにらまれた護衛そのにとそのさんは、もはや無言で剣を捨てました。そのにはベソベソ泣いて、そのさんと剣を突き付けられていたがわの、そのいちとの両方になぐさめられています。

 うえーんここ怖いよう……ばか泣くなって……でででも先輩ぃ……わかった気持ちはわかるから……。誰ひとり護衛の職務をまっとうする気はなさそうです。

 ローゼティーネ嬢は、あきらめたようにため息を吐きました。転がった覆面男のひとりの手から剣を奪い取り、偉そう覆面に向き直ります。最後の覆面男は少年を盾にするように、今度は数歩下がりました。


「な、なかなかやりますな」と覆面男。「だが、貴族の姫君らしからぬ特技とも言えますぞ」いちおう剣を構えながらも、自信がないのかすでに逃げ腰です。

 ローゼティーネ嬢は得意さ半分の顔をしました。残りの半分は切なさか寂しさです。


「むかし、あるかたにあこがれて習いましたの。騎士を目指そうと考えたこともありますのよ」


 彼女が動いたのと、覆面男が少年を突き飛ばしたのは同時でした。隣国の大貴族を、慌ててローゼティーネ嬢が抱きとめます。その間に、覆面男は木々に紛れて、いちもくさんに逃げ出したのでした。

 すぐにどこかで馬のいななきが聞こえました。馬車が来た道のほうに向かって、馬を走らせていく気配もします。追いなさい、とローゼティーネ嬢は護衛のひとりに命じました。「いいかげん泣きやんで」

 指名されてしまった護衛そのには、鼻をすすって馬を走らせて行きました。

 しかし彼は、姿が見えなくなってそれほど経たないうちに、全力で駆け戻って来てしまったのです。


「たたたたた大変です!」


 なにが大変かは聞く前にわかりました。馬蹄のとどろきと共に、彼の背後に三十騎ほどの騎影が現れたのです。隣国王女の護衛とは違うそろいの軍服。

 突風のように表れて、空き地まで駆けつけてきた集団の先頭、誰より必死な顔をした男性の髪が、陽光に王冠のように輝きました。

 信じられないほど青ざめた王太子殿下は、倒れ伏す覆面の集団を一瞥すると――しただけで――馬から滑り降りました。


「ローゼティーネ!!」


 部下たちに指示を飛ばすの忘れ、隣国の貴族も王女も何もかも無視して、彼がとった行動は驚くべきものでした。ローゼティーネ嬢が持っていた剣が、カランと落ちる音が小さく響きます。

 きつく抱きしめられた令嬢の目が、茫然と見開かれました。でんか、とかすかな声。王太子はもう一度彼女の名を呼びました。ローゼティーネ……


「死ぬかと、思った」

「……あの……わたくしが?」

「そうだな。あなたと――わたしが」


 王太子はやや腕を緩め、春の空色の瞳をのぞき込みました。「無事で良かった」たぶん、その吐息のような声よりさらに、深い色の目のが何倍も多く語っていたのでしょう。

 殿下、とローゼティーネが王太子の首に抱きつきました。何度も王太子の名を呼びます。呼ばれたほうも名をささやき返し、ふたたびきつく抱きしめました。




 王太子の部下たちはたいへんに優秀でした。彼らは自分たちの上司が、弟の婚約者と恋人同士らしく抱き合っている間も、隣国の貴人たちと話している間も、ずっと仕事をしていました。

 逃亡していた偉そう覆面が捕えられ、戦闘不能状態の覆面集団とまとめて、きゅっと縛り上げられています。やましいことがありそうな態度で、こっそり逃げようとしていた御者も捕らえられました。

 隣国の少年公爵に覆面の数を確認させていた王太子に、覆面をとった偉そう覆面が「すべてはあなた様を思ってのことなのです」などとわめきます。


「こんなことをせなばならぬと、お前たちが思い詰めるほどわたしは頼りないのか」


 わめかれたほうはそう悲しげに頭を振りました。共に馬を走らせてきた中で唯一、軍装ではない男性を振り向いて自嘲気味に笑います。


「ともかく侯爵、あなたが情報を掴んで来てくれたおかげで助かったな。勇敢な女性のおかげで、わたしたちの出る幕など無かったわけだが。感謝する」


 侯爵と呼ばれた初老の男性は、あまり面白くなさそうに頭を下げました。「もったいないお言葉です」

 そうして、なんの危険もなく茶番劇(じけん)が終わろうとしたとき。――――馬車の中で何かが動きました。


「危ない! 後ろ!」


 声は天から降ってきました。

 魔女めいたしゃがれ声の警告に、王太子は瞬時に反応して動きました。ローゼティーネを部下たちのほうへ突き飛ばしてから、銀の刃を手に馬車から躍り出てきた侍女を取り押さえます。

 ほぼ同時に――後方。近くの木の下に転がしてあった覆面男たちのうち、運の悪いひとりが、転がった姿勢のまま天を見上げて小さく声を上げました。


「ぎゃっ」


 悲鳴に視線を向けた人びとが目にしたのは、華麗とは到底言えない着地。そのくせ無傷な娘の姿を、続いて降ってきた外套がふわりと覆いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ