カエルが22匹 魔法使いの手助け
なにはともあれ、とりあえず魔法の通路を通ってきたふたりを、家に招き入れた魔法使いは、まず濡れネズミの王子を浴室に追いやりました。それから娘を連れて、大きな窓のある居間に戻ります。
父親に帰ってきた理由をたずねられたカルラは、エーデバルトがないうちにと、早口で最近の困りごと話しました。聞き終えた父魔法使いはうなずきました。
「ふむ、二足歩行カエルとはおもしろいな。それに巨大化に声に髪……この呪いを構成するそれぞれの魔法のうち、これとこれを外すとそうなるのだろうな。それともこれが緩んだのか両方か。いやこちらかもしれん。この単純に見える呪いが、どれほど複雑に絶妙につくられているか、じつによく分かっておもしろい」
娘をじろじろ眺めたりひっくり返したり、珍獣扱いの魔法使いが手を軽く振るたびに、家の魔法が働きました。空間が書斎とつながり、何もないはずの頭上から変な文字らしきものやら、星やら謎の図形やらが描かれた紙が、ひらひらと降ってきます。
紙たちは床に触れることなく、ちょうちょのように魔法使いの周囲を舞いました。自分を見てもらえるのを待っているのです。すでに目を通された紙も同様でした。
紙とカエルに夢中の魔法使いは、呪いの分析かなにかに目を輝かせて上機嫌でしたが、呪われている娘のほうは明らかに不機嫌でした。
ゆったりと椅子に座った父親のひざに、ちょこんと乗っていたカルラの頭を、ぱさささっと一枚の羊皮紙なでていきます。ばかにされているような気がしたのは、彼女のひがみ根性というやつでしたが、自覚しても腹が立っただけです。
「で――――つまり、どういうことなの?」
「その二足歩行やら巨大化やら何やらは、呪いが変質したことによる症状ではなく、中途半端に呪いが解けた状態だということだ」
冷静な返答にカルラは憤激しました。どっちだって同じじゃない、中途半端に解けていたですって。
かぱっと口を開けて食ってかかります。
「やっぱり父さんの魔法が失敗してたのね! 呪いのかけかたが甘かったんだわ」
「なにを言う」
ひじかけ近くを飛行中のちょうちょ紙を、無遠慮に捕まえようとしていた魔法使いの手が、むっとしたように止まりました。
「わたしのせいではないよ。呪いは完璧だ。そうでなくては、中途半端に解けてしまったものが、ちゃんと今のようにもとの形に戻っているはずがない」
ようするにカエルの呪いは、形状記憶仕様になっているようでした。ちょっと何かの事故で、ヘンに解けかけてしまったりしても、すぐにもと通り〜というわけです。しかし
「そもそもヘンになるのが変じゃない。事故なんて、べつになんにも起こってないはずなのに」
「ふむ……呪いはどうすれば解けるものだ?」
「もちろん心のこもったキス……あ」
頭に浮かんだのは、毎夜籠を抱いて、キスを落として眠るエーデバルト王子のことです。彼がそうして眠るようになったのは、いつからだったでしょう。
「まさかあのキスで? でも最初にキスしてもらったときは、何も変わらなかったけど。それにキスされてから変身するまで、ちょっと時間が開いてるから、違うような気が……」
「いや、それだ」
カルラが今まで生きてきた年数の、倍以上前から魔法使いをやっている男は断定しました。
「時間のずれがあるのは、不完全な解呪ゆえの不具合に違いない。最初のキスとやらで何も変化がなかったのは、相手の心が伴っていなかったのだろう」
「ってことは半端でも解けるようになったのは、築き上げた友情の成果ってやつね」
「……解呪が半端なのも、相手の問題だな」
口もとに浅黒い手をやって熟考する父親を見上げ、カルラも悩みます。相手の問題って、なによ。
「もしかして友情じゃだめなの? キスも口にしないといけないとか、何か決まりがあったりして」
「決まりなどというものは存在しない。呪いを解くのに肝要なのは心だ。口付けはそれを伝える手段のひとつであって、かならずしも必要なものではないよ」
心だって、それが真実ならばどんな想いでもかまわないのだと、口から手を離して笑います。友情でも愛情でも恋情でも、慕情、色情、憐情、嫌悪でも憎悪でもかまわない。うそいつわりの無いものならばと。
「本来ならば、難しいものではないはずなのだが」
ぱたぱたを目の前をよぎっていった、ちょうちょみたいな動きの紙を捕まえようとしてか、ふいに魔法使いが身動きしました。
足もとを揺らされたカエルが落ちました。
「ぎゃっ」
「おっと」
ぼとっべちゃっと硬い床に衝突する前に、魔法使いが指を鳴らしました。カエルは突然、ぽんっと床に立つ二足歩行カエルに変化します。
助けるついでに、魔法使いは『故意に中途半端に呪いをといてみよう実験』をしたようでした。子供くらいの背たけと、大きな頭と長い脚。金髪はありませんでしたが、ほとんどいつもの夜の姿です。
「ほほう」
椅子から身を乗り出した魔法使いが、ばっと手を振って、すべての紙をどこかにもと通り片付けました。おもしろくなったようで、ぱちぱちぱちんと続けて指を幾度も鳴らします。
「わ、ひゃ、ぎゃ、ぎゅ、げ、ぎょ!」
ふさふさ髪生えカエル、カルラ等身大カエル、肌色カエル、人面カエル、半人半カエル……。さながらカエルの七変化です。どうやってもどこかしらカエル。カルラの父親はげらげら笑いました。
「なんと変化に富む呪いだ! 呪いも魔法の組み合わせだが、その魔法ひとつ解くだけで、こんなにも笑わせてくれるとは」
カルラは怒りにぷるぷる震えました。またパチンと指を鳴らした父親が、笑ったまま怒れる娘をひざに抱き上げます。ついでに現れた大きな布を身体に巻かれたのには、わけがありました。
「ふむ。わたしは呪者であって『解くべき者』ではないため、これが限界だな。しばらくは保つだろう」
自画自賛しているような表情で、魔法使いが大きな鏡を出現させます。姿見に映っていたのは、緑の目の父親に抱えられた、緑の髪の娘でした。もとのカルラにも見えますが、いささかカエルに似た顔をしています。
布からはみ出た手足もなんとなく緑色。鏡の向こうから、赤珊瑚色の目がじっと見返していました。
「これでも、抱きしめて頭をなでるには十分だ」
笑いをおさめ鏡を消した魔法使いが、よしよしと娘の頭をなでます。お節介なひとが見たら、もっと幼い子供用のなでかただと忠告するような仕草でした。
ところが、それほどしないうちに魔法使いは、扉の影に泥棒ネズミでも見つけたときのように、ぴくりと眉をひそめました。娘をよいせと抱えなおします。
「しかたがない。運試しの手助けもまた、魔法使いの役目」などと頬ずりするように耳もとでつぶやいて。
「おまえの『運命』の第三王子はどんな人間だ?」
「さっき見たでしょ。黒髪黒目の、ぜんぜん王子様らしくないひと。お兄さんの王太子殿下は、金髪碧眼で本物の王子様なのに」
しゃがれていない声は、もともとのカルラの声でした。彼女は父親に王国の末王子の説明をします。
「とっても変な人よ。綺麗でしょっちゅう笑ってて、親切でおもしろいところもあるけど。なに考えてるのか全然わからないひと。おとぎ話も魔法の夢も、魔法使いも信じちゃいないの」
……なんにも、信じてはくれないの……。
「最愛の娘。それでおまえは、魔法を信じないのが何だというのだね」魔法使いは首をかしげました。
娘はまばたき、口を閉じました。ほほえんだ父親が耳もとで何かの呪文をささやいて、パチンと指を鳴らし、驚き顔のカルラをもとのカエルにもどしました。
ちょうど廊下に続く扉がギィと音を立て、湯上がり姿の王子が現れたからでしょう。
彼は置いてあったはずの着替え用の服ではなく、もとの服を着ていました。とはいえ浴室の魔法の棚に置いたのか、すっかり乾いてはいましたが……。
髪だけはまだ湿っていて、水滴が金剛石のように光っていました。
「……」
室内に入ったエーデバルトは、漆黒のまつげの奥から、一瞬、感情の読めない瞳を父娘へ向けました。けれどすぐに視線は問うようなものへと変わり、布の隙間でもぞもぞしている娘のみに向けられます。
父のひざ掛けに早変わりした布から、なんとか完璧にはい出たカルラは、王子に前脚を上げて挨拶しました。まだ自分の中に、水に飛び込む前の、もやもやした感情が残っている気がしています。
「……頭乾かさないとカゼひくわよ」
出だしは親切でしたが、続いた口調はいどむようでした。
「これはあたしの父さん、魔法使いハルプアオス」
「半分おわり……。なるほど魔法使いらしい名前だね、これ以上なく変わってる。ぼくは――」
カルラに向かっては、エーデバルトはまったく平常通りでした。彼女が気抜けするくらい。しかし、一旦全部その父に視線を向けたとき、黒い瞳の奥ににじんだものは、敵意に似ていました。
魔法使いは、長い間会わないでいるうちに成長した子供を見るように、目の際にしわを寄せて微笑しました。
「知っている。ヒュプシュのウルリヒの第三子エーデバルト。会うのは三度目だが、覚えてはいまい」
「その緑の目を……どこかで見たことがある気はしますよ。ずっと昔か、夢の中で。だけど、魔法使いなんて嘘でしょう? そんなものはもういない」
「娘は、緑の目は魔法使いの持ちものだと信じているがね。海の向こうのエンゲルラントの伝承だ」
――ながく、また遠く、はるかな時代から語り継がれるおとぎ話、つくられた寓話と記録された神話。
父親は世界中から集めたそういうもので、たったひとりの娘を育てたのです。だからカルラには、たくさん信じているものがあるのでした。
王子様は金の髪に青い瞳
お姫様の瞳はたまに黒
魔法使いの目は緑色
魔女の髪は黒か赤
紅の瞳は魔の瞳
カルラはそんなふうに信じていました。
けれど黒髪の王子は、どれもこれも過去のことと切り捨てるのでしょう。やわらかく微笑して、こう繰り返すのです。
「魔法使いはもういない」
なぜいないほうが良いと思うのかと、緑の目の魔法使いがたずねました。エーデバルトは、奇妙な質問を受けたような顔をしました。
「いないほうが、いい?」
「存在すると不都合があると考えるのだろう」
「……その通りです。魔法使いなどが本当にいたら、たまったものじゃない」
「なんでもできるからかね」
「ええ」
たったひとりで城中の人間を眠らせ、ひとを石に変え、どんな傷も病気も治し、ご殿を建てて。
「まるで人間や、その努力をあざ笑うようなことをするから」とエーデバルト。
戦場に魔法使いがひとりいれば、すべてがひっくり返り、城に魔女がひとりいれば、国の存亡にもかかわります。なにもかも簡単に手中に収めて。
「記録を見るたび、なんて嫌なモノだろうと思っていたよ。それじゃあ世界も人間も、そいつらのおもちゃ箱の中身みたいだ」
彼は悲しげに本音を言いました。
「魔法使いがいるなんて、必死に生きてる人間たちへの、ずいぶんな侮辱じゃないか」
ましてやこの王子は、魔法使いのニセモノたちに囲まれて、幼少期を過ごしたのです。怪しげな者たちに心酔する母、自称なんとか師たちのだまし合い、つきまとう――これだけは本物の――予言。
カルラの父はうなずきました。
「だから魔法使いは姿を消していったのだ。拒絶、迫害……魔女狩り。われらもまた自らの求めるただひとつを探し、生きていただけだったのに」
エーデバルトは押し黙り、魔法使いは穏やかに「もうおかえり」と言いました。愛娘を彼に手渡し、その指にはまる金の指輪にちょっと目を細めて。
「泉と金の丸いもの。カエルにはとてもぴったりな出逢いだ。――おまえはとうの昔に、自らの運命を見出しているのだが、気付いているかエーデバルト」
カルラははっと王子の顔を見上げました。運命? それは、ローゼティーネ嬢のことでしょうか。彼はまだ、予言の通りに怒ったことはないようだけれど。
エーデバルトは表情を変えませんでした。
「そんなものは知りません。でも、ただ……ぼくは最近、緑色の夢を見る」
「夢は夢だ」
笑顔の魔法使いが片手を上げると、居間の壁にもう一枚扉が現れました。「行きなさい」
黒髪の王子は扉の取っ手に指をかけました。一瞬だけ、もう片方の手に乗せたカエルを見下ろして。
「あなたの娘は、なぜカエルなのですか」
「なんであっても、娘は娘だろう」
扉の向こうに現れたお城の庭園は、離れてからそれほど時間が経ってはいないはずなのに、不思議なことに夜になっていました。
ふたたび扉の消えた居間に残されたのは、緑の目の魔法使いだけでした。彼は大きな窓に歩み寄り、押し開けて、すずらんの咲く谷を見下ろしました。
入ってくる風が頬をくすぐります。
「…………魔法使いにもできないことはある……」
つぶやいたのは、亡き妻の名前でした。
娘も王子も、彼女と同じ道を通ってきたはずなのに。どちらも彼女のことは聞きませんでした。カルラは過去のことなどたずねませんでした。
さびしいような気がしたようにも思います。
でも、運試しとはそういうものでしょう。魔法使いにたずねるのは、自身の未来のためだけであるべきなのですから。過去を覗くのは、すべて終わって帰って来てからでいいのです。
「行っておいで、ちいさな、わたしの最愛の娘。おまえが選んだのは、どうやら最も困難な性格の男への扉だったらしい。……行っておいで、それでも」
呪いはもうすぐ解けるだろう。
つぶやきは、花の香りの風に溶けました。




