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カエルが20匹 コルネリアの肖像

 ――翌日の昼前。

 もう我慢できない、とカルラは言いました。

 なんのことですか、と下僕(しもべ)はたずねました。


「あたしカエルなのよ!」

「ええ見れば分かりますが」

「カエルってツルツルよね!?」

「いえ、普通ヌメヌメしてますよ」

「そうじゃない! 髪の話!!」

「髪は生えないはずですが」

「そうでしょう!?」


 意見が一致したのでカエルはわめきました。


「普通は生えないの! そもそも二足歩行なんてしないし、夜中に突然成長したりもしないのよ!! 化けカエルじゃあるまいし」


 すでに化けた経験があるのですから、化けカエルを自称しても間違いではないはずですが。そもそも人間からカエルに化けていることですし。

 下僕のテオは主人をなだめる努力をしました。


「夜の、それも少しの間だけなのですから、あまりお気になさる必要はないのでは。巨大化しようと髪が生えようとヒゲが生えようとおたまじゃくしに退化しようと、すぐに戻るなら大丈夫でしょう」

「おたまじゃくしになったら息ができないわよ」


 えら呼吸ですからね。


「とにかくっ」


 キッとばかりにカルラは顔を上げました。


「父さんの魔法が失敗してるに違いないのよ! 呪いがどんどん変になってる。もう我慢できない。髪まで生えて……こんなんじゃマトモに戻れるかどうかもあやしいわ。――父さんに会わなくちゃ!!」


 木に寄りかかって座り、立てた片ひざに乗せた主人カエルを見やって、テオは冷静に聞きました。


「どうやってですか」

「なにかいい案ない?」

「さあ……。昔あなたのお父上の話を聞いて、探しても無駄だと察してから……探してみようとも思わなかったもので。たどり着く方法などないのだとばかり」

「そう……」


 なんとなく予想していた通りの返答ではありましたが、カルラはがっかりしてしまいました。

 そよそよと吹きゆく風に目を細めます。

 孤児院の中庭には、この時間テオとカルラ以外誰も出てはいませんでした。カルラの下僕は、子供たちに幾何学の授業をした帰りに、主人に相談ごとがあるのと誘われ、連れて出てきてくれたのでした。

 主僕のいる木陰の近くの窓の向こうには、院長とエーデバルトの姿が見えました。刺繍のある椅子にくつろいで座って、茶飲み話をしているようです。

 ここからでは話の内容は分かりませんが、カルラとテオが出ていくときには、ちょうど「王太子殿下が結婚するらしい」ということについて話しはじめていました。今はなんの話をしているのでしょう。


「あの絵……食堂から移したものですね」


 カルラと同じく、院長たちのいる部屋を見ていたらしいテオが、ぽつりとつぶやきました。

 絵――。その部屋に飾られている絵は大きなものでしたが、一点きりです。

 立派な額に入れられた肖像画でした。食堂にあるのと同じく、院長が描いたものでしょう。モデルも同じ、太陽の金髪に春の空色の瞳の若い女性です。

 コルネリア・グラナート嬢。

 ローゼティーネ嬢の夭折した伯母ぎみでした。こちらの絵では、すずらんの花束を口もとに寄せ、いたずら好きの妖精のように微笑んでいます。

 じっくりとっくりその顔を観察し、カルラは先日食堂で感じたのと同じ感想を抱きました。やっぱりこのひと、姪っ子のローゼティーネ嬢より……


「似ていますか」


 心を読んだようにテオが首をかしげて、ゆっくりとカルラに視線を戻しました。似ていますか


「あなたに?」

「…………ちょっとだけ」


 物語のお姫様みたいでお気に入りの髪色と、顔の造作がローゼティーネ嬢よりは、ちょっとだけ。残念ながら、カルラは肖像画の中の令嬢より鼻も低いし、肌色も濃いし、口も大きめです。

 もし人間の姿で絵の横に立ったとしても、間違える者はまずいないでしょう。魔法使いの血族らしい緑の目のおかげもあって、絵のモデルをまねてヘタに化けた、妖精か何かのように見えることうけあいです。

 似てると言ってもその程度のことでした。それでもコルネリア嬢というひとの顔立ちは、カルラが親近感を抱きたくなるものだったのです。あたしの母さんも、こんなひとだったのかしら、というような。


「あなたのお母上は、お元気ですか」


 読心術でも使えるのではと、思わず疑いたくなるようなテオの質問でした。どきっとしながらカルラは慌てて否定します。


「母さんは、あたしが赤ちゃんのころに亡くなっちゃったの。お顔も覚えてない」

「では絵を見られてよかったですね」

「絵?」

「亡くなったと知れば院長は泣くでしょうが……」

「え?」

「娘がいると知れば大喜びするかもしれませんね」

「ええ?」


 ちょっとまって、とカルラは下僕を止めました。

 ちょっとまって、それじゃあまるで。窓の向こうの肖像画を片前脚で指します。まるで、あのひとが。


「あのひとが、あたしの母さんだって、言ってるみたいに聞こえるんだけど」

「あれはあなたのお母上でしょう?」


 あまりにも簡単にテオは告げました。


「あの令嬢が現れてあのひとの運命になったから、おれはこの都に置いていかれたんですから」

「じ、じゃあ、ほんとにあのひとが母さんなの」


 カルラはあっけにとられました。

 突然に大きな事実を告げられたひとが、しばしばそうするように、ぽかぁんと。


「信じらんない」

「名前を聞いたこともなかったのですか?」

「父さんは母さんかモイスェンって呼んでたわ」


 おとぎ話に出てくる、子ねずみちゃん(モイスェン)みたいなひとだったからと。母のことを聞く娘にいつも、魔法使いはとても愛おしそうな目で微笑みました。

 けれど、あの娘にすらよくわからない父魔法使いの奥さんが、貴族のお姫様だったなんて。なかなか信じられることではありません。


「今にして思えば、あのふたりの恋物語はなかなか滑稽でしたよ。それも聞いたことはありませんか」

「ないわ、照れてたのかも」


 照れるなんて、あの父魔法使いに似合わないような感情ですが。それでも妻の話になると、いつも無駄に話の長い魔法使いは、口で語るぶんすべてを瞳に吸い取られてしまったように、無口になったのでした。

 しかしなにやら、魔法使いらしきひととお姫様の恋物語を、ごく最近聞いたことがあるような気も……。


「フリーダーの賛歌祭の物語」

「あ、それ」


 なにやら今日は冴えているのか、数十年間一緒に過ごした主人と下僕のごとく心が通じ合っているのか、やはり心が読めるのか。とにかくテオは『魔法使いらしきひととお姫様の恋物語』が何だったかを、主人に思い出させてくれました。

 ただ続いたせりふを聞けば、べつに心が通じ合っているわけでも、読めているわけでもなさそうです。


「お父上に聞いたことがありますか? あなたのお父上によると、あの物語の歌うたいは、ご先祖の魔法使いだそうですね。おもしろいものです。物語自体も、少しあのおふたりの顛末に似てるのですから」


 なるほどとカルラは納得しました。もちろんフリーダーの物語の歌うたいのことは、父親から聞いたことなどありませんでしたが、教えられていなかった理由は悟ったのです。賛歌祭に一度も連れて行かれなかった理由も。

 ――父さんたらじつは照れ屋なのね。母さんと関係のあることとなると、娘にも告げず、自分の心の中にばっかりしまっちゃうんだ。きっと照れくさいのよ。

 新しい発見です。


「ちょうど時期もこのころで……。おれは残念ながらおふたりの結末を見そこねたのですが、王宮で」


 どこかで魔法使いの血が混ざっていそうな黄緑色の瞳が、記憶をたどるように宙をさまよいました。視線が空や孤児院の壁に意味のない模様を描いて、最後に窓の向こうの人影で止まります。


「……グラナート家の令嬢としてのお母上は、王宮の泉で亡くなったとされているのですが。そういえば最後に姿を見たのは自分だと、あの院長が主張していたのを、聞いたことがあるような気がします」


 何か魔法使いのもとへ続く手がかりを、無意識にでも見ていて知っているかも。とテオは自分でもそんなことがあるとは、ちっとも思っていなさそうな口調で言いました。




 ――しかし人生には、時折予想もつかないことも起こるもので。なんと院長は知っていたのです。


「ぼくがあの日何か見たかってぇ? もちろんさ」


 外から窓を開けさせて、なぜかいきなり二十年も昔のことを聞いてきたテオを、院長は室内から見下ろして、ついでに器用にもふんぞり返りました。


「あのころはぼくもまだピチピチで、今より三割増しな美形で、俊敏だったからね。愛しいコルネリア姫を見かけるたびに、尾行することにしていたんだよ」


 なかなか立派な不審者です。

 話の合間に、ちょっと室内の絵を振り返って手を組み合わせ「おお、わが愛しの谷間の姫百合(コンバラリア)コルネリア!」とか身悶えながら叫んでいます。

 けれど、急におとなしくなり。


「……最後の日もそう。王宮庭園の奥でどこかの小姓みたいな少年と、何かを話しているのを見つけてね。でもあのひとはすぐに身をひるがえして、白いふくらはぎを見せつけて走っていった。誘っていたとしか思えない、ぼかあ当然追いかけたよ」


 そして追いかけて行き、見たのだと言いました。ふんぞり返るのをやめ、声を落とし、この院長には似合ってほしくないような、どこか空虚な遠い目をして。


「あの泉。愛しいひとは水面に向かってさんざん何かを言ったあと、何か――ハルなんとかだったか――叫んで、まばたきをする間に消えてしまった。みんなは、あのひとが溺れてしまったんたろうって、話していたけれど。そんなはずはない。消えてしまったんだよ。…………だからぼかあ、あのひとがまだ生きているって信じてるのさぁ」


 消えた令嬢、『ハルなんとか』という鍵らしき言葉。それだけ聞いたテオは、わざわざその後の彼女の話をして、失望させるようなことはしませんでした。お礼を言って外から窓を閉めます。

 閉まった窓の向こうで、まだまだ話し足らない様子だった院長が「あれえ?」というような表情をして、肩をすくめる王子に顔を向けるのが見えました。




 木陰に戻り、下僕とその手から膝の上に移された主人は、顔を見合わせました。テオはかなり意外そうな表情をしています。


「よかったですね、予想以上の収穫です。道への鍵らしいハルなんとかは、あなたのお父上の名前のことでしょう。『愛しいコルネリア姫』のことだと本当によくしゃべる」

「聞いてみるもんねえ……って、あんなにあっさりしゃべってくれるのに、なんだって今まで聞いてみたこともなかったの?」

「聞いたら探してみたくなってしまうでしょう」

「ああ泉ね……。探さなくちゃ、どこの泉だろ」


 お城のとほうもなく広いあの庭園に、泉はずいぶんあるはずです。その中からただひとつの探すというのは、ずいぶん骨の折れる仕事に違いありません。

 けれど下僕は首を振りました。


「泉のことじゃありませんよ。泉はエーディなら知っているはずです。たぶんあの子はあれで、といいますか、ふらふらするふりをして、城の隅々まで知りつくしていますから。社交界の花が落ちたとされる場所ならば、有名でしょうしね」


 ふうん、と相づちを打つ主人に、テオが相変わらずへたくそに微笑んでみせます。


「あの子は遅くとも、今日の午後には帰ることにするでしょうから、明日あたり行ってみるといいですよ」

「テオは一緒に行かないの」

「行きません。ここに残りますよ」


 カルラはその悲しげにも見える表情に、くいっと首をかしげました。「どうして? 父さんに会いたいんじゃないの」聞けば、なぜかカエルの下僕などになりたがった、不思議なひとがこたえました。


「おれはいいんです。おれは魔法使いの運試しの物語の端役で、とっくの昔にあのひとの舞台から退場した人間ですから。ふらふら会いに行くべきじゃないことくらい、もともとわかっています」


 だからちゃんと探しても無駄だと諦めたんですよと、魔法使いみたいによく分からないことを、当然のように話しました。


「すっかり諦めていたせいで、あなたのお役に立てなかったことは、心苦しかったですけどね。手がかりが見つかってほっとしてますよ。――あなたのお父上の運試しでは、おれは役立たずの端役でしたけど、今回は少しでもお役に立つことができました」

「……ええと……運試し物語の端役が嫌だったから、下僕になったの?」


 下僕も端役じゃないですかと、テオが気分を害したように眉を寄せました。たしかにそんな気もします。


「違いますよ、ただ最後に『使い魔のようなしもべならば、わたしに属するものだから連れていくが、お前は自由なものだ。わたしは行くから、お前も行くといい』とあのひとが言っていたものですから」

「……は」

「もしいつか、あのひとに属するものが現れたら『しもべ』になろうと、ずっと決めていたんです」


 さすが父さんに育てられただけあるわね、とっても変わってるわ。と自分がその娘であることを棚上げして、カルラは感心しました。そんな謎すぎる理由があったとは、まったくもって予想外でした。

 魔法使いの家にもお城にもついて来ないらしいくせに、下僕だというテオは主人に願いました。どうしてもぎこちなくしか見えない微笑を浮かべて。


「だから、もしめでたしめでたしの結末を迎えて、大手を振って帰れるようになったら。そのときこそ連れて行ってくださいね、おれの姫ぎみ」


 うん。とうなずいた主人は、けれど続けて「ところで父さんの名前、ハル……の先なんだっけ」と下僕にたずねて、大いに呆れた顔をされたのでした。


 やがて木陰の向こうで、先ほど閉めたはずの窓が開き、エーデバルトが帰ろうとカルラを呼びました。

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