カエルが2匹 泉で拾うは金の○○○
気が付くと、カルラはきらきらと光る水面を見ていました。頭上を大きな魚たちが通り過ぎていきます。
ここ、どこかの池か泉なんだわ。
そして自分はその中にいるのだと考えました。井戸なんかよりずっと大きな水面からは、光が差し込み、その向こうにある緑の木らしきものたちと、青い空をおぼろに透かしています。
カルラは水中で、大きな石の上に座っているようでした。いえ、変な姿勢でうずくまっているような気もします。さらに不思議なことに、上と左右には首が動くのに、なぜか下を向けません。なんだか自分の体ではないみたいです。
残念ながら、うまく首をかたむけることもできなかったので、ななめ横を向いて悩んでいると、また目の前をすーっと魚が泳いでいきました。
「なんて大きな魚! あたしくらいあるじゃない」
言って、ぎょっとしました。しゃべったのは自分だとはっきりわかっていましたが、自分の声じゃないみたいに、すごくしゃがれています。
そして口に手を当てようとして、その手を見たカルラは、さらにぎょっとしました。なんと手は緑色だったのです。先っぽのまあるい不思議な形の指は、四本しかありません。
これは…………カルラにはわかりました。家のまわりでも何度も見かけたことがあります。この手の持ち主は間違いありません。
父魔法使いいわく『ちょっと今どきはやらない使い魔』ランキングの第九位、緑が眩しいカエルくんです! なんということでしょう。
「つまり、魚が大きいんじゃなくて、あたしが縮んだのね。これが父さんの言ってた『呪い』なんだわ」
カルラは自分を納得させるためにつぶやきました。
「いいじゃない。小石とか植物になるより大分まし」
なんといっても動けますし、まだ口付けしやすそうな大きさですからね。そう思えば、自分がカエルになったことが誇らしいような気すらしてきます。
あたしって、なんて運がいいのかしら。このままじゃきっと王子様にもめぐり会えるに違いないわ。
さて、カルラは肝心なことを忘れていました。
「ごごっ……!」
急に襲ってきた息苦しさに、慌ててぴょんと後ろ脚で石を蹴り、水の中で飛び上がります。自分の今の姿を認識したため、しっかりと呪いが定着したのでしょう。どうもカエルはカエルでも、水棲カエルでは無いようです。
「ごぼぼっ……!」
必死に水面に向かって泳ぎました。運だめしで運命の人に出逢う前に溺死なんて冗談じゃありません。なんだって、魔法使いは、出口を水中になんかしたのでしょうか。
カルラは前後の脚を、無我夢中で動かしました。
途中で何度か魚と衝突しかけ(一度なんて大きな魚の口に飛び込みかけました)さらにポチャンと上から落ちてきた何かが、後ろ脚に引っかかったような感覚がありましたが、構ってなんていられませんでした。
「げぼごっ」
ようやく水面に顔を出したカルラは、まずぜーはーと息をしました。気分は「呼吸ってすばらしい、空気バンザイ」という感じです。それから、重たい脚を使い水際まで泳いでいって、つるつるした綺麗な石の囲いに両方の前脚を乗せました。
後ろ脚が異様に重いとはいえ、力を抜いてもほとんど沈む心配がなくなり、カルラはやっと少し周囲を見る余裕がでてきました。
くいくいっと頭を左右に向けて見回してみます。
そこは夢のような庭園でした。たとえ体がカエルであろうと、のどかな春の日差し、美しい景色や小鳥の歌声、風に乗って広がる花の匂いを楽しむことができるのは、とても嬉しいことでした。
もっとも、カルラの父親がここにいたら、少しもこの庭園を素晴らしいとは、思わなかったに違いありませんが。……このように人の手がたくさん入った場所は、たいていの場合、自然と共に生きる魔法使いとは相性が悪いものだと、決まっていますからね。
でも三角形に整えられた木々や、四角く刈り込まれた生け垣、黄と白と分けられた水仙の群れや真白い彫像たちは、確かに美しい風景つくり出していました。まるでカルラが夢見ていたお城の庭園のようです。
「すっごくきれい」
思わずそうつぶやくと、応えるように柔らかな心地よい笑い声が聞こえたような気がしました。
──いいえ。気がした、ではありませんね。実際に聞こえたのです。さくっとかすかに草を踏む音がして、誰かがカルラの視界に入ってきました。
最初はピカピカの靴先しか見えなかったその人は、カルラをよく見るためか、片膝を立ててしゃがんでくれました。なかなかの背の高い人のようです。
草の上に、緑と金の派手な、しかし庭園の景色によく溶ける上着の裾が優雅に広がりました。
上から、顔を見なくても微笑んでいると分かるような、どこか音楽的な声が降ってきます。
「やあ、こんにちはカエルちゃん」
「えっああええどうも……」
カルラはちょっと面食らいました。カエルちゃんですって? カエルになったのも初めてですが、カエルに親しげに「カエルちゃん」なんて声をかける人間に出会ったのも生まれて初めてです。
こんなしゃがれ声のカエルなのに、このひと性別がわかるのかしら。
そして、視線を裾から上等な服の上に向かって滑らせたカルラは、その顔を見てあ然としました。そこにいたのは、華やかで上品な雰囲気の美しい若者でしたが、べつに美しさに驚愕したわけではありません。
カルラは心の中で叫びました。
──やだ、さっきの赤ちゃんじゃない!
真っ白な肌と黒い髪はさっき(もしくはずっとずっと過去に)魔法使いと話していた女性とよく似ていますし、その今まで自分が黒という色を本当に知っている、と思っていたことすら恥ずかしくなるような見事な黒い瞳は、間違いなくあの赤ちゃんのものでした。
でももう、あたしよりけっこう年上になっちゃったみたい、とカルラは残念に思いました。あんなにちっちゃくて可愛い赤ちゃんだったのに……。
「しゃべるカエルに出会ったのは初めてだな。でも、ねえカエルちゃん。なんでそれを拾ってきたんだい」
若者は手をのばして長い指を水に浸し、ひょいとカルラの後ろから何かを拾い上げました。重かった後ろ脚が急に軽くなります。
次いで、きらきら光るものが近くに置かれたので、カルラはよく見ようと石の上に這い上がりました。頭上に若者の視線を感じます。
下肢にもやっと太陽を浴びることができてほっとしながら、光るものに近寄ってみると、それは太い金の指輪でした。これが脚にひっかかっていたものでしょう。高価なもののようで、とても繊細な花の細工がしてありました。
「こりゃあ重いわ」
でもきれい。カエルの細い脚にはめるには少々大きすぎる指輪を、しげしげと眺めていたカルラは、これがポチャンと水中に落ちてきたものだったことを、ようやく思い出しました。顔を上げて「これ、あなたが落としたの?」と聞きます。
「あぶかったねえ。沈むとこだった」
良いことをしたと喜ぶカエルに、若者は黒い瞳でただ笑い、指輪を拾って自分の指にはめました。
「そうだね、ありがとうカエルちゃん」
「どういたしまして。──で、ちょっと聞きたいんだけど、ここはどこ?」
あたしは誰、と続けたら記憶喪失、続けなかったらただの迷子。というわけで、カルラは迷いなく迷子になることにしました。記憶はばっちりありましたからね。
「ぼくのうちの庭だよ」
「へー……」
カルラはもう一度若者の背後の景色を見回しました。ちょっと気軽に「うちの庭」というには大きすぎるような気もしますが、庭は庭ですから、そんなものなのかもしれません。
「王様のお城の庭みたい」
「うん」
「そうそう、あなたも、もし金髪に青い目だったら王子様だと思ったかも」
黒髪の若者はちょっと驚いたような、おもしろがるような顔をしました。
「王子様っていうのは、金髪に青い目のものなの?」
「うん」
うなずくように、上を向いていた頭をかくっともとに戻して、カルラは自信を持って答えました。
だって、お話の中じゃ大抵そうだもの。
「じゃあ王女様は?」笑いながら若者が聞きます。
「王女様も金髪に青い目って決まっているの?」
小さな子供からかうような口調に、カルラは少しむっとしました。むすっとして答えます。
「さあ。決まっているとは限らないけど、だいたいそうなんじゃない? そのほうが高貴な感じだもの」
「高貴な……ね」
ふふっという笑い声。若者の黒髪と正反対の、真っ白い手が差し出されました。舞踏会で淑女を誘うような優雅な仕草です。もっとも、カルラは舞踏会なんて行ったことはありませんでしたし、本物の紳士や淑女も見たことはありませんでしたが。
「いいよ。じゃあおいで、カエルちゃん。きみの言う本当の王子様を見せてあげる」
ここに乗れ、ということだと理解して、カルラはよたよたと手のひらの端に前脚をかけました。まだむっとはしていましたが、お姫様を誘うみたいに手を差し出されては、なんとなく断れません。
それに「本物の王子様」という言葉も気になりました。若者はとても上等の服を着ていますし、こんな広い庭園のある家に住んでいるのですから、もしかしたら貴族で、それも王族にも気軽に会えるような高い身分の持ち主なのかもしれません。
──洗濯とか掃除とかしたことなさそうだものね、きっと詩集とかお菓子とかしか触ったことないに違いないわ。あとは貴族のお姫様の手とか、そのくらい。
なんて考えながら手のひらによじ登ったカルラは、驚いて目を丸くしました。白い肌に似合わない、厚い手の皮と硬いタコ。魔法使いなのに剣もやっていた父親のものと、よく似ている手でした。何年も剣を握って、まめが何度も何度も潰れてできた手です。
カルラは心の中とはいえ、若者を馬鹿にしたことを、こっそりと恥じました。
「……あなた、騎士なの」
手からさらに肩の上に移され、そこで流れていく庭園の景色を眺めながら、カルラは聞きました。すいすいと黄色の花の間を歩きながら、白い手袋をはめていた若者は柔らかな口調で「ちがうよ」と答えます。
「ぼくはただのごくつぶし。民から税をしぼり取り、それで食べ、遊ぶだけの最悪な坊ちゃんのひとり」
「貴族のお坊ちゃまがそうなら、王子様もごくつぶし?」
「いいや、貴族も王子も人それぞれさ。第一王子は陸軍の総司令官としての仕事を、第二王子は神官として貧しい者たちの救済をしているよ。末っ子の第三王子だけは確かにごくつぶしだけどね」
皮肉げにも恥じているようにも、もちろん怒っているようにも聞こえない、本当に柔らかな口調でした。だから、カルラは「ふうん」と相づちを打つだけにしました。
本当は何か────例えば疑問や否定の言葉なんかを言いたかったのですが。しかし、この若者は、貴族や王子がどうあろうと、自分がどう思われようと、きっと心底どうでもいいと思っているのです。
まあ、出会ったばかりの若者の考えることなんて、実際のところは分かりゃしませんが。
「見に行くのはどの王子様なの」
「一番上の王子様。第二王子は国中を飛び回っていて不在だし、三番目の王子は見てもべつに楽しくないからね」
空色の屋根の建物や塔だらけの建物、緑の迷路やいくつもの噴水のそばを、若者は足音も立てず歩いていきます。人には不思議と出会いませんでした。
「こんなに広いのに誰もいないなんて、不思議」
「本当はたくさんいるよ。ぼくは昔っから、誰もいない場所を見つけるのは得意なんだ」
「なんだか怪しい人みたい」
「そう?」
若者はまた笑いました。そうしてしばらく歩き、ようやく人のいるところに出ました。灰色の、いかにもいかめしい建物の前です。若者は扉の両脇に立つ衛兵に制止されることなく、なれた様子でその建物に入っていきました。
中に入った若者は、まるで自分の家のように迷いなく進んでいきます。階段を上り、廊下を進み、今度の階段は下りて……。
建物の中は、皆そろいの軍服らしきものを着た人たちばかりでした。忙しそうなその人たちはしかし、ひとり優美な服装の若者を見ると、驚いた様子ながら、必ず道を開け礼を取りました。
このひと偉いのかしら、貴族だから。
自分がお姫様か何かのような気分になったカルラは、若者に聞いてみたくてしかたがありませんでした。でも、この親切な若者が「人語をしゃべる不気味なカエルと話す不気味な人間」と見られるのは忍びなく、ぐっと我慢します。
緑の衣装の上で、保護色のような緑のカルラは、そうして若者がどこかの扉を開けて、誰もいない部屋に入るまで装飾品みたいにじっとしていたのでした。