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カエルが19匹 求めるものは

 唖然呆然愕然瞿然……。その場を支配した感情は、いったいなんだったのでしょう。


 ――王太子殿下を、オシタイしてる?


 カルラは目をしばたたきました。オシタイって何。

 ローゼティーネ嬢がわっとばかりに泣き伏します。


「愛しているんです! 心から!!」


 なんということでしょう。

 ぼとっと長椅子の肘掛けから落下したカエルを、テオがはっしと掴みました。ローゼティーネ嬢は目を見開くリヒャルダの前で、おえつをもらしながら枕に顔をうずめています。


「わたくし、初めておあ、お会いひたときから、ずっとずぅっとお慕いしておりま……っく……すのに」


 棚から新しい布をとったテオが寝台に近付いて、カルラを柔らかい場所におろしていきました。

 リヒャルダは、グラスの落ちた床をふこうとするテオに追いやられながら、理解が追いつかないといった顔をしています。カルラも同様でした。

 枕の横に下ろされたために、泣き続けるローゼティーネ嬢の顔がすぐ近くにありました。

 ええと。カルラは考えました。


 つ、つまりエーデバルト王子とは婚約してるってだけ――婚約に「だけ」ってありなの、結婚じゃないからまだ平気なのかしら――で、じつは婚約者の兄・王太子殿下が好きだったってこと? それってどういうことなの。なんで王子の婚約者なんてやってるの。


 先ほどローゼティーネ嬢を『とても大切なひと』と言った、エーデバルト王子の姿が脳裏に浮かびます。本当に心から大切に思っていることがうかがえる、誠実な口調と態度でした。

 カルラは王子の婚約者の、枕に埋まった横顔を見上げました。ね、どういうことなの。

 同じことをリヒャルダも聞きます。


「あの、そりゃどういうことなんですか。あなた様はエーデバルト殿下と幼いころから婚約を……」

「ええ、ええ、そうれすわ! わたくしが七つのときから、ずうっと……っく……婚約してまふの。八つも年上の、あんなろくでなしの殿下と……ああ、そう王太子殿下とは十五も離れているんらわ……それに、あのかたは!」


 あの、かたは……。ローゼティーネ嬢の涙が、枕にどんどん染み込んでいくのがわかるようでした。


「ただひとりを想い続けていらっしゃるもの――」


 だから、せめて妹に、と。ひどいと分かっているけれど、第三王子は誰ひとり愛してなんかいないのだから、つとめは果たすから、わたくしが妻でも構わないでしょうと。お姫様みたいなそのひとは言いました。


 構うわ、とカルラは思いました。

 王子はとても構うに違いないわ。


「ああ、王太子殿下は、そうか。そうでしたね」


 カルラの心の内など知らず、リヒャルダが寝台に座って、優しくローゼティーネ嬢の背をさすります。


「ずっとお辛かったんですね」

「は、い……。れも、もうそれもお終いれす。あのかたのお相手……うっく……に、王妃様が隣国の姫君を連れて戻られるそうです、から……もう……」


 続いた「飲まなきゃやってられませんわ」の語尾は消え入り、やがて寝息にかわりました。完全に寝入ってしまったのを確認してからも、リヒャルダはしばらくローゼティーネ嬢の、すらりとした背中をさすっていました。

 それから寝顔に涙ではりついた淡い色の髪を剥がしてやり、やるせなげなため息をつきます。


「ローゼティーネ様とエーディの婚約の年が、ちょうど王太子殿下のご成婚の年だったね。……もう十一年も前かねぇ。あんたも行列を覚えてるだろ、テオ」


 とっくに床を拭き終わって、退屈そうに壁にもたれていたテオが、はいと短くうなずきました。けれど目があったカルラのためにか、説明するように言葉をつけ足してくれます。


「確かお妃様になったのは、隣の院長の妹だったと聞いたことがあります。身体の弱いご令嬢で、何年もしないうちに亡くなったとか」

「そうさ。お妃様を亡くしたあと、王太子殿下は一度だって恋人を作ろうとなさったことはない。結婚話が本当なら、おめでたいことじゃあるけどね……」


 泣きはらしたローゼティーネ嬢の顔を見下ろして、リヒャルダは眉を寄せました。


「このお嬢様もかわいそうだ。エーディの考えは、あたしにゃいつも分からないけどさ。このお嬢様の想いをあの子は知っているのかねえ」


 きっと知らない、とカルラはうつむきました。どうしよう、知らないんだ。王子はぜんぜん素直じゃないし、他の女のひととふざけていたりするけれど、でもほんとは、とてもローゼティーネ嬢を愛しているに違いないのに。あんなに真摯に心配していたのに。


「あたしがここでローゼティーネ様を見てるから、テオあんたは戻っていいよ。あんまり女性の寝顔を眺めてるもんじゃない」


 テオは興味のなさそうな目で、眠り姫のようなローゼティーネ嬢を一瞥し、背を壁から離しました。枕元から元気のないカルラを持ち上げて


「では少しエーディの様子も見てきますよ。水差しやらグラスやらを倒さないでくださいね」

「……割らないように努力はするさ」

「まず倒さないでください」

「できるかぎりはね」


 しっしっと虫でも追い払うように、手を振るリヒャルダに見送られて、彼女の寝室を出たのでした。




 扉を閉めたテオは、エーデバルトがいるという上の階に続く階段に向かう前に、少し立ち止まって、手のひらに乗せた主人カエルを覗き込みました。


「気分がすぐれないのではないですか」

「ううん大丈夫……。ちょっと情報量に頭がついていってなくて、くわんくわーんってするだけ」


 頭の中はローゼティーネ嬢の泣き声と、王子の真剣な声と、やるせなさそうなリヒャルダの声がぐるぐる混ざって、何かの生地でもできてしまいそうです。

 テオは考え込みました。


「じゃあエーディを見に行くのは、やめたほうがいいでしょうかね。考えすぎで頭が爆発してしまうかも」


 爆発したらもとに戻れるかしら、と変な考えが一瞬頭の隙間をよぎります。壁に叩きつけられて呪いが解けるカエルも世の中にはいるんだから、爆発してドロンともとに戻るカエルもいるかもしれないわ。

 酷使した脳みそは二度と使えそうにないですが。


「王子は何の話をしてるの? だれと?」

「相手は第三王子派の貴族たちでしょう。話はいつも通り王太子をどうやって失脚させるかとか」

「な、なにそれ」

「ようは謀略をめぐらしているわけです」

「でも王子には、王太子殿下をおとしいれる気なんてこれっぽっちもないでしょう」


 どうも王太子本人やら婚約者やら、色々な人びとには誤解されているようですが、エーデバルトはあんなに兄を敬愛しているのですから。

 カエルの下僕は、そうですねと唇の両端を吊り上げました。


「でも王太子さえいなくなれば、次期国王として指名されるのは、間違いなく王妃のお気に入りの第三王子エーデバルトです。――母に甘やかされ、女遊びにふけってばかりの王子をお飾りの王にして、甘い蜜を吸いたいと考える愚か者は、存外いるものですよ」

「けど王子にそんなつもりは……」

「もちろんありませんね」


 エーディ自身が計略にかけようとしているのは、王太子ではありません。言って、テオは表情をやや陰らせました。


「まったく。穏やかに見えて苛烈で、愚かな子です。――やはり、頭が爆発してしまいそうでも、見に行ってくださいませんか。あの子のために」

「王子のため?」

「エーディを『幸せにしてあげなきゃいけない』と思ってくださるのなら、見ていてやってください」


 よく分からないながらも、カルラは「わかったわ」と答えました。テオは嬉しそうにうなずきました。


「よかった。あの子はほんの少し、あなたのお父上の昔を、思い起こさせるようなところがありますから」




 しかし数分後。下僕に連れられ、エーデバルト王子と第三王子派貴族との密談現場を覗き見していたカルラは、だんだん後悔しはじめていました。


「ですから……すべては王后陛下のご親類を王太子妃にすえることにより、その発言力が高まることを危惧している王太子派の仕業としてしまえばよいのです」

「すこぅし手駒を潜りこませてやればわけもない」

「殿下は何もなさらず、敵が自滅していくのを、ゆるりとお待ちくだされば良ろしいのですよ」


 なかなかイヤな感じの会話です。昼間だというのにわざわざ薄暗くしてある室内で、こそこそ交わされるのにはぴったりな、空気を読んだおしゃべりであるとは言えますが。

 奇妙な主僕は、王子たちのいる応接間だか会議室だかに続く、物置きのような小部屋にいました。扉に張り付き、ばれない程度に室内を覗いています。

 とりあえず、密談中の人びとには気付かれてはいません。ただ扉の向こう、すぐ近くで、腕を組んで壁に寄りかかっていたブルーノにはバレて、先ほどにやっと笑顔を向けられてしまいましたが。


「ふうん……悪くないね」


 退屈そうに彫刻のある会議机の上で両腕を重ね、白手袋に黒髪を散らす第三王子が、いかにも興味なさそうな口調で感心するという器用なことをしています。


「ぼくが何もしないでいいっていうのが、特にすてきだ。それでいこう……うん、もう完璧な計画だよ……ふぁ……成功を祈ってる」


 半分も話を理解していないような顔で、あくび混じりで応援されても、普通は嬉しくないはずです。なのに机を囲む三人の貴族たちは、「恐れ入ります」とか「お任せください」とか、さも嬉しそうに口々にお礼を言いました。

 実際は内容を、すっかり理解しているのだろう王子と違って、カルラは自分の頭が煙やらプスプス音やら、危険信号を出し始めている気がしていました。

 頭の使いすぎです。


 ええと、なに? 隣国のお姫様には、熱心な求婚者がいて、そのひとが王太子殿下との結婚を阻止しようと、この王女様を誘拐しようとしてる――あれかけ落ちだっけ――のよね。

 それで王太子殿下を支持している中の、いささか過激な大貴族やらが、王太子殿下にも内緒で、その熱血求婚者にひそかに協力しようとしてる。で、これが王妃様のことを嫌っているひとたち。

 ……うん、ええ。ここまでは大丈夫。たぶん。

 この人たちの下っ端の中に、王太子殿下を狙う者も紛れ込ませて、気付けば必ず自ら追ってくるだろう王太子殿下を、すきを見てグサっ! 王太子派のひとたちが、自分たちが支持してるひとに刃を向けるはずがない、と楽観視してるだろうから簡単簡単。

 ここで失敗しても、王女様の誘拐の責任を取らされたり、自身を支持する有力な貴族を失ったりするわけだから……あーと、王太子殿下は窮地に立つ?

 成功したときのグサって何よ、具沢山の略?


 カルラは自分に理解できないのは、この密談を最初から聞いていなかったせい、もしくはカエルになっているせいだと、思い込むことにしました。

 しょうがないじゃない、脳みそもカエル大に縮んでるのよ。それがすべての原因。間違いない。

 ……呪いにかかるというのも、言い訳のネタが増えて嬉しいものですね。


「それじゃあ決まったことだし、そろそろ解散にしようよ。レーヴェレンツ伯爵はペトロネラを待たせてるし、ホッホ男爵とアンデルス伯爵は、マティルデと三人で歌劇に行くんだろう。ぼくも待たせてるひとがいるからね。――――じゃあ候爵によろしく」


 エーデバルト王子がもう飽きた限界、といった様子でひらひらと手を振って、席を立ちます。傍観していたブルーノが無言で後に続きました。

 最後に声をかけたのはいちばん若い貴族でした。


「あの殿下、その候爵が『どうしても末娘をもらってくださらなくては』と申しておりましたが……」

「また? 彼女七人も恋人がいるじゃないか」


 末の王子はつまらなそうに肩をすくめました。


「いいよ。ぼくがローゼティーネ・グラナート嬢と結婚したあと、ふたり目の妻としてでいいならね」

「おそらく構わないでしょう。申し伝えます」


 そのほかは誰も何も言いませんでした。テオは扉から離れ、カルラを連れて小部屋から出ました。

 部屋の外で顔を合わせた四人(もしくは三人と一匹)は、そろって階段を下りてリヒャルダの部屋に戻りました。


「……聞いてたのカエルちゃん」

「見てたわ」

「うわ、相変わらずヤな鳴き声してるぜ」

「相変わらず失礼な!」

「頼んだよって言ったじゃないか」

「べつに危険なことはないでしょう」


 彼らが廊下で交わした会話はこのくらいです。リヒャルダのところに着いてからも、大した話はしませんでした。できなかった、が正しいかもしれません。

 リヒャルダが水差しを落としてうっかり粉々にしていたため、テオはカルラを危険のなさそうな棚の上に置き、大忙しだったのです。その間に王子は、ブルーノに馬車の用意をするように言い、眠るローゼティーネ嬢をさっさと抱き上げて、行ってしまいました。

 だからエーデバルトとカルラが、次にまともに会話を交わしたのは、すっかり夜になり、孤児院の寝室に戻ったあとのことでした。



「とんだお祭りになっちゃったね。怒ってる?」


 また籠を抱き込んで眠ることにしたらしい王子が、優しく聞いてきます。ううん、と答えながらもカルラはなんとなく、エーデバルトの顔を見ることができませんでした。

 彼が想っているローゼティーネ嬢が、彼を愛していないことを知ってしまったからかもしれません。彼が結婚したあとまだ他のお妃をつくるつもりだと、聞いてしまったからかもしれません。もしかしたら、婚約者を大切そうに抱き上げて送っていくとき、またカルラは忘れられていたから、という理由かもしれません。


 ……とにかく王子は、ローゼティーネ嬢が、王太子殿下を愛しているってことを知らないんだから。


 あたしはどうするべきなんだろう。運試しって、こうも脳みそを使わなきゃいけないものなのね。と悄然とするカエルを、しばらく眺めていたエーデバルトでしたが、やがて「まあいっか」とその緑の頭にふっと唇を落として、眠りに落ちていきました。


「おやすみ……」


 そして残されたカルラは、悩みすぎたためか、今夜は金髪まで生えた巨大カエルに変身し、悲鳴を上げることもできずに固まったのでした。

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