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カエルが18匹 酔っ払いローゼ

 いと麗しき社交界の花であるローゼティーネ嬢は、どんな格好をしていようとお姫様に見えました。

 たとえその身を紫と孔雀色なんて組み合わせの上、庶民的な衣装に包んでいようとも。乳白色のなめらかな肌を、汚れたものに見せていようと。淡く輝く髪を帽子に押し込め、隠してしまっていようと。

 たとえ――ほとんど空っぽの酒瓶を抱え、大声で歌っていようとも。

 どうしたって彼女には、高貴な生まれを感じさせる雰囲気があったのです。やさしく揺れる花のようでありながら、妙にひとを圧倒するような……。

 彼女の歌を褒め称えていた酔っ払いたちの向こうから、幼いころからの知り合いが現れても、グラナート家の令嬢は堂々としていました。


「あぁらエーデばぁと様じゃあござーませんことぉ」


 ……多少ろれつは回っていませんが。

 問題はろれつなんて些細なことではないことくらい、カルラにだって分かります。当然エーデバルトは、それよりもっと分かっているはずでした。

 彼はさりげなく、彼女を人目からさえぎるような位置に移動しました。お城でそうするように「やあローゼ」と動揺を取り繕って、優雅に挨拶をします。


「こんなところで何をしていらっしゃるのかな」

「フリーダーのぉ姫君にかんぱぁいれふわ」

「その素敵な服はどこで?」

「休暇の女っ中から買い上げまひたの」


 自分の婚約者が、ものすごく珍しい表情を浮かべていても、ローゼティーネ嬢は少しも気にしていませんでした。微笑みすら浮かべて酒瓶をエーデバルトに手渡し、「れはご機嫌よふ」なんてお辞儀してふらふら去っていこうとします。

 エーデバルトは、近くの酔っ払いに酒瓶を押し付けて、そのきゃしゃな手首をつかみました。あまりの素早さに、周囲の見物人たちの中には、拍手を送る者すらありました。


「待って。どこ行くの」

「不愉快な顔をみらのれ、飲み直しれすわー」


 前半の発言をきれいに無視して「なら良い店があるんだよ」などと、にっこりするエーデバルト。半ば無理矢理婚約者を引きずって、広場を離れた彼の動きもまた、称賛に値するものでした。

 熟練誘拐犯だって、このときの王子の素早さには舌を巻いたでしょう。彼の肩にしがみついていたカルラは、瞬間移動でもしたような気分になりました。


「あら、どっこにいくんれふの……」


 やや足もとのおぼつかないローゼティーネ嬢。

 エーデバルトが向かったのは、営業を再開したリヒャルダのトレーネ館でした。玄関を入って酒場を通り過ぎ、奥の階段を上ります。

 彼が我が物顔で開けた扉の先は、女性のものらしき寝室でした。貴族的な雰囲気のある立派な部屋で、大きな寝台と、歪みのない鏡の乗った化粧箪笥がありました。床には真新しい敷物がしかれ、一辺の壁には、大きなつづれ織りの壁掛け(ヴァントテッピヒ)がかかっています。

 カルラは、ここはリヒャルダの寝室だろうと当たりを付けました。あちこち新品そうなのは、先日焦がしたり壊したりしたせいで、買い替えたために違いありません。そういえば化粧箪笥は昨日、エーデバルトとテオが運び上げていたものでした。

 その化粧箪笥の近くに置かれた長椅子に、エーデバルトがローゼティーネ嬢を座らせます。

 なにやら酔っ払い令嬢が、はっとしたように両手を口に当てました。ぎろっとにらまれる王子様。


「まああハレンチな! こうやっれシャウエルテ伯爵未亡人やら、ローデンブルグ侯爵令嬢やらを寝室に連れ込んれ、ちちくりあってらしたんれひょっ」

「……引き合いに出されるのがそのひとたちでなければ、ぼくだって、肯定するしかなかったかもしれないけれどね。相手がその二人の場合はえん罪だよ」


 放蕩者の第三王子は水差しの中身をグラスに注ぎ、毒味するようにひとくち飲んでから「よかった今日は酒じゃない」とつぶやいて、婚約者に手渡しました。


「ぼくが未亡人とばかり付き合っていて、未婚のご令嬢に手を出さないことは、とっくにご存知だろう。先代シャウエルテ伯爵夫人のリヒャルダは、未亡人とはいえ姉のようなものだし。ああ……ほらこぼさないで、ちゃんと飲んで」


 ローゼティーネ嬢は、言われるままに素直に水を飲みました。もういっぱーいなどと、おかわりも要求して飲み干したくせに、なんでお酒じゃありませんのと不平を鳴らします。


「お酒をいたらけません? アルコホルれふわ、酒れも飲まなきゃやってられまへんのよ」

「やってられないって、どうい――」


 うこと、までは残念ながら言えませんでした。入室の許可を求められることもなく、性急に、そこそこ乱暴に扉が開かれ、さえぎられたのです。


「エーディ、あなたというひとは! 若い女性を連れていながら、酔いつぶれた別の女性をも寝所に連れ込むなんて、どうしてそう節操がないんです」


 遊び人のお坊ちゃまに対する口やかましいばあやのごとく、どどーんと現れたのはテオでした。後ろには慌てた様子のブルーノの姿も見えます。


「おいこらいきなり開けんじゃねえよ、せめて入っていいか聞いてからにしろって。ぜってえお楽しみ中なんだから。――あ、お楽しんでない」

「当然です。この上楽しまれてたまりますか」

「でもふたりも女がいて……って、ひとりしかいねえじゃねえか。おいテオてめえ何の話してんだよ」

「ひとりは心のみにくい者には見えないんですよ」

「じゃーお前にも見えねえだろ!」


 いいから入るなら入って来てよと、先ほどからえん罪をこうむってばかりのエーデバルトが、悲しげに言いました。「扉は閉めてね」

 言われたとおりに、娼館の用心棒ふたりは入室してきました。長椅子に腰掛けた酔っぱらいの美少女を、疑わしげに眺めます。

 美少女は、アルコホルアルコホルとぶつぶつ言いながら、ぐびぐび水を飲んでいます。うっかり正体に気付いたのは、面識のあったブルーノでした。


「げ、こりゃグラナート家のローゼティーネ姫じゃねえか。こんな格好させて酔わせて連れ込んで、なに考えてんすか坊ちゃん。捕まりますよ」

「ど――」

「なんれふって?」


 エーデバルトが「どうしてみんな、ぼくを悪者にしたがるんだい」と言い終わる前に、自分の名前に反応したローゼティーネ嬢が、焦点の定まらぬ目でブルーノを見上げます。


「あらぁフェルヒ家のブルーノ様ではないれふか。お久しぶりれふわあ」

「はあ、こりゃどうも」


 動作だけはまともに差しだされた手に、ブルーノが意外にも優雅な挙措で口付けます。ローゼティーネ嬢は満足そうにうなずきました。


「しょーもない殿下のお付きになったおかげれ、道を踏みはずひたってウワサれひたけど、お元気そうでなによりれふ」


 見ていたテオが「あれがエーディの婚約者ですか」と呆れたように聞いてきたので、カルラはとりあえず「綺麗なひとでしょ」とうなずきました。


「親戚だという話ですが、たいしてコルネリア様には似ていないようですね。しかし……大貴族のお姫様が街で酔っ払って、何をしていたんです?」

「――それを聞こうとしていたところに、きみたちがかここに乗り込んで来たんだよ」


 エーデバルトがカルラを反対側の肩に移しながら、ローゼティーネ嬢に近付きます。彼女はまだブルーノ相手に、一方的にしゃべっていました。


「それで、なにがあったんだい? ローゼ」

「何がって、わたくひのことでふの? 何がって聞かれまひてもねえ……――あああ!!」


 空のグラスを振って、へろへろ記憶をたどっていたらしいローゼティーネ嬢は、ふいに酔眼をかっと見開きました。


「そ、そうれひたわ。あのかたが! ……ああ、もうだーめ。らめれすわ。お酒をお寄こひなさーい」


 ほんとにダメそうだ、というようなことを用心棒たちはつぶやきましたが、エーデバルトだけは眉を跳ね上げました。


「あのかたってまさか、王太子殿下のことだとか言い出したりしないだろうね」

「ふ、ふへっ、そのまさかれすわ」

「何があった」

「――――結婚なさるんれふって!!」


 叫んで、震える手で水差しの中身をグラスに注ごうとして、水の残りをぜんぶ床にぶちまけます。

 しかしほとんど誰もが――エーデバルトとカルラとブルーノが――あっけにとられていたため、床の敷物に染み込んでいく水に、ほとんど気づかないくらいでした。「めでたいじゃないですか」と平然としているのはテオだけです。

 ふふへっとローゼティーネ嬢がまた笑いました。


「ほーんと、おめれたいれふわ。かんぱーいれふ! もういっぱーい……」

「ほんとに?」


 ふらふらとら酒を求めて立ち上がりかけたローゼティーネ嬢を、さりげなく押しとどめつつ、エーデバルトが自分の黒髪をかきあげました。


「ばかな。あのかたが結婚なさるはずがない。相手はどこのだ――」


 れ。まで言えなかったのは、やはり先ほどと同じく乱暴に扉が開かれ、さえぎられてしまったからです。とはいえ今度ずかずか入って来たのは部屋の主でしたので、もんくも言えません。


「エーディお楽しみならよそ行っとくれ! でも来てたんなら用事もあってね。今ちょうど…………って、あんたたちまで何してんだい」


 リヒャルダは呆れたように、室内にいる面々を見回しました。そしてブルーノより素早くローゼティーネ嬢に気付いて、ぎょっと後ずさります。


「あ、あんたたちときたら、なんてひとに、なんて格好させて、なんて場所に……。しかも無理矢理飲ませたんじゃないだろうね、エーディ」


 エーデバルトはもはや何も反論しませんでした。みじめそうにため息をついて、カエルの頭をちょっとなでながら、何の用だいと首かしげます。

「ああそうだった」とまだローゼティーネ嬢から視線を外すことができないまま、リヒャルダが早口で用件を伝えました。


「今ちょうど、あー……例のお客さんたちが上に来ててね。あんたに話したいことがあるって言ってるんだけど。わかってる今は忙しいから無理だろうね」

「いや、行くよ」


 黒髪の王子は長椅子に上品に座り、背もたれにほどこされた刺繍を、指でたどっている婚約者をちらりと見ました。「たぶん同じ話だろうから」

 頼めるかいとカルラをテオに手渡します。それから愛を告げる物語の王子様のように、ローゼティーネ嬢の前で膝を折りました。酔いのために潤んで赤くなった目をのぞき込みます。


「ローゼティーネ嬢、どうかここで静かに休んでいらしてください。あとで必ず屋敷にお送りしますから」

「そうれふの? わーるいれすわねえ」

「いいえ、当たり前のことですよ。……ローゼが強いのは知っているけれど、本当に無事で良かった。――あなたはとても大切なひとなのだから、あまり軽はずみな行動をとってはいけないよ。ぼくが戻ってくるまでは、ここにいて」


 あなたに何かあったら、ぼくはどうしていいか分からなくなってしまうから。そう言って、たおやかな指先にキスを落としました。

 男女のどちらも王子様や、お姫様には見えぬ格好なのにも関わらず、その光景は一幅の絵のようでした。


「じゃあ行ってくるから、悪いけどしばらくローゼを頼むよリヒャルダ。ゆっくり休ませてあげて」


 立ち上がって振り向いたエーデバルトが、リヒャルダに微笑みます。カエルを手に乗せたテオにも、すれ違いざま「頼んだよ」と言い置いていきました。

 そして、おれも行きますよと後を追ったブルーノだけを連れて、部屋を出ていってしまったのでした。


 カルラのことだけ、すっかり忘れたみたいに。


 木製の水差しを覗き込んで、空っぽになっていることに気付いたリヒャルダが、階下に水をもらいに行きます。彼女が戻ってくるまでにテオは窓を開け、近くの棚から、先ほど水のこぼれた場所を拭くための布をとってきました。

 ローゼティーネ嬢は、なにやら長椅子から立ち上がって、部屋の中をふらふらしだしていました。

 テオは長椅子の肘掛けにカルラを置いて、床の敷物から水分を拭き取っています。彼女が扉から出ようとしない限り、とくに気に留めないようです。


「祭りに行ってきたのですか?」


 エーデバルトよりいく分か低い声が、穏やかに聞きました。カルラは無言のまま頭を縦に振ります。主人の元気がなくなっていることに気付いたテオは、いぶかしげな表情をつくりました。


「どうかしましたか」

「……わかんない」


 事実カルラには、どうして自分の元気がしぼんでしまったのか、分かりませんでした。エーデバルト王子が、出ていくときに声をかけてくれなかったから? そうかもしれません。けれど、どうもそれだけではないような気もします。

 首をひねって悩むカルラに、テオはそれ以上声をかけてはきませんでした。

 やがて、水差しを危なっかしく抱えたリヒャルダが戻ってきて、酔っ払いを放置していたテオに小言を並べました。そうしながら、くるくる踊っていたローゼティーネ嬢を捕まえて、寝台に座らせます。てきぱきと首元をくつろげ、グラスに水を注ぎました。


「薬も持ってきましたけど、飲めますか」

「ご親切にありがひょうございます、お優しいかたれふのね。わたくひ、あなたの悪いうわしゃを信じて、誤解ひておりまひたわ」


 ぐすっと美しい声になにやら涙が混じりました。


「申し訳ございまひっえん」

「いいえ、あたくしは噂の通りの女ですよ。ただ伯母ぎみのコルネリア様に恩があるだけなんです」

「れも、お母様みたいな目らわ。いつくしみにあふれていて、なにもかも言ってしまいたくなって――ああ、でもらめ! これはお母様にらって言えないことらのよ……………」


 酔っ払いの令嬢は続いて、さめざめと泣き出しました。リヒャルダがなだめます。


「大丈夫ですよ、ローゼティーネ様。話したいことがあるのなら、話しておしまいなさい。あたくしはお母様ではありませんからね」

「ああ……本当……? あの……あのね、わたくひ、ずっと昔から、お慕ひしてるかたがいるの……」

「エーデバルト殿下のこと?」

「いいえ! ましゃか!」


 このころになるとカルラも、自分の悩みごとにばかり、没頭しているわけにはいきませんてした。ましゃか……まさか? なんですって。

 ローゼティーネ嬢は続けました。


「王太子殿下れふの……」


 ぼと、っとリヒャルダがグラスを落としました。

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