カエルが16匹 賛歌祭のはじまり
予定より一日早く、その日のうちにリヒャルダの家の修繕と大掃除は終わり、住人たちは大喜びで晩のごちそうを作り、乾杯しました。
玄関扉を入ってすぐの広間も、今まで寄せられたりどけられたりと、たいへん忙しかった丸机と椅子がきれいに並べられました。ようやく落ち着いたそこは、どうやら普段酒場として使われているようです。
「ごっくろー! これで営業再開できる!!」
すべての原因であるはずの、家主のリヒャルダは特に大喜びでした。自分でまず一杯ひっかけたあとは、陽気にみんなにお酒を注いで回っています。
彼女と同じく、直した場所より壊した場所がはるかに多い用心棒ブルーノは、外に住んでいることもあってか、招待されてもいないようでした。
しかしリヒャルダの喜びようといったら
「マティルデ、ホッホ男爵とアンデルス伯爵が、それぞれ祭りの日に一緒に歌劇場に行かないかって――ああブリギッタ、あんたにも四通も手紙が来てたよ――アダ! いい飲みっぷりじゃないかい――レーヴェレンツ伯爵は明日あんたをご指名みたいだよペトロネラ――どこいくんだいハンナ寝るには早いよ」
とまあ、こんな具合です。隣に座っていたエーデバルトの盃だけでなく、カルラの前の深皿にまでお酒を注いで行きました。……ただしそれは、意を決して飲もうとしたカルラから、エーデバルトが「ちょっときみには無茶じゃないかな」と取って行って、飲み干してしまったのでしたが。
げんなりした様子で隅に避難していたテオも、リヒャルダに見つかって肩に腕を回され、どぼどぼとお酒をグラスに注がれていました。
「……苺の酒は嫌いです」
「じゃあこっちの杏酒混ぜてみるか」
「混ぜたらもっとまずくなるでしょう」
「そうかい? あたしゃ嫌いじゃないんだけど」
「おれは酒がそもそも嫌いなんですよ。なのにここは酒ばかり、もういいかげん別の商売しませんか」
「んじゃあ賭博場とかどうだい」
「どうしてそうなるんです。伯爵家からお金をもらっているんですから、もう少しどうにかこうにか」
「あたしの弟分のくせに小姑みたいにうるさいねえ」
しつこく姉貴分に絡まれたテオは、さっさと自室に引き上げてしまいましたが、それ以外のみんなは長いこと酒場に居座り、夜がふけるにつれてどんどん陽気になっていきました。
飲んだり食べたり飲み比べをしたり踊ったり歌ったり、お祭りみたいな騒ぎです。エーデバルト王子も楽しげに楽器を弾いたり、女性たちと踊ったりしていました。カルラも手を王子の指に乗せて、ぴょんぴょん皿とグラスの間を跳ねて踊り回りました。
「踊りが上手だね、カエルちゃん」
「カエルが踊れるとは思わなかったけど!」
「ぼくもだよ。楽しそうで何より」
帰るときのエーデバルトはなんと、上階の衣装部屋の窓から孤児院の塀を超え、カエルを手にぴょんと敷地内に飛び降りました。「うみゃっぷ」一滴もお酒を飲んでいないカルラが、急な落下に酔っ払いみたいな妙な声を上げました。
エーデバルトの言った「きみは悲鳴も楽しいね」というのは、はたして褒め言葉だったのでしょうか。やや酔っているのか、今夜の彼は部屋に戻ってベットに入るとき、カルラの寝床の籠をいつもの机の上から、なぜか自分の枕の横に持っていきました。
「……え、なんで?」
灯りの消えた真っ暗闇の寝室で、戸惑いの声を上げるカルラに「どうせ籠の中で眠るんなら、籠がどこにあっても同じじゃないか」とエーデバルトは返し、籠を抱き寄せて微笑みます。
「ね、きみはぼくの友だち。そうだろ」
「うん。でもこのベット籠が乗ると狭くない?」
「人間ふたりで使うよりは狭かないさ」
「そもそもこれひとり用よ」
酔っ払ってるわねと、カルラは籠の縁に掴まって顔を出しました。そんな緑の頭に、まるで見えてるかのように「おやすみ」と昨夜のように口付け、寝付きの良い王子様は、ことんと子供のように眠ってしまったのでした。
――けれど、やはり寝台は狭かったのです。
「あれ?」
エーデバルトの寝息が聞こえだしてからやや経ったころ。床に転げ落ちたカルラは昨夜に引き続き、不思議としゃがれていない声を上げました。
不思議と人間の子供の大きさの二足歩行カエルに早替りした、自分の緑の体を見下ろしながら…………
「あっれ――――!?」
昨日と同じく、長いことその姿でいることはなく、すぐに普通カエルに戻りましたが。だからといって、それで疑問が解消されるわけではありません。
むしろ謎は深まるばかりでした。なにしろ翌日の夜もまた、同じことが起こったのですから。
「なんでよ」
「何がだい、カエルちゃん」
三日連続で目覚めてすぐ、朝っぱらから不機嫌な悩めるカエルに遭遇するという、とても奇妙な不運に見舞われても、エーデバルトは微笑むだけでした。
「おはよう。今日も綺麗だね」
「おはよう王子、綺麗ってなんのこと」
「何か考えてるときのきみの目って神秘的だよ」
ところでなんで床になんかいるんだい、とどんなに夜中にカルラが頭を抱えていても、絶対に起きやしなかった王子様がたずねました。カルラは心の中で叫びます。
――あんたのせいよ!
どうやら、籠を抱えて眠るのがお気に召したらしい末王子のおかげで、カルラは大きくなる夜中に、いったん床に転げ落ちることになりました。……そこからもとの大きさになって上れなくなる前に、暗闇の中ですやすやと人の眠っている、広くもない寝台の上に戻る難しさと言ったら!
押してもつついてもエーデバルトは起きず、死んだように微動だにせずに眠りっぱなしですし、そうするとエーデバルトを踏まないかぎり上に戻れません。
一昨日はどうにかこうにかがんばって戻ってみましたが、昨夜は残念ながら失敗して、不運なカエルは床で寝るはめになったのでした。
カルラはムスッとしたまま言いました。
「あたし、床が好きなの。この床すごく理想的。明日から床に籠置いて寝かせてくれない?」
「結局籠で寝るならどこでも同じじゃないかい」
もっともな意見です。
「それに床じゃ危ないよ。ぼくが踏むかも」
ベットだとカルラが王子を踏みそうですが。
エーデバルトは床に足を下ろすと同時に、腕を伸ばしてカルラを床からすくい上げ、そっと籠の中へと戻しました。
顔を洗ってから、衣装箪笥の中から緑で縁取りした薄紫の服を取り出し、するすると着替え始めます。カルラが見ていようと見ていまいと、エーデバルトはいつも気にしないようでした。
もっとも、彼の触れると溶けそうなくらい白い背中を見た瞬間、いつもカルラは恥ずかしいような気持ちになって、後ろを向いてしまうのですが。
「今日はお祭りだよ、カエルちゃん」
耳や首を色石で飾って、最後に久しぶりに真っ白な手袋をはめたエーデバルトが、楽器を持ったのとは逆の手をカルラに差し出します。
「朝食を軽く食べて、礼拝堂で子供たちの本番の合唱をちょっと聞いたら、一緒に外に遊びに行こう。都じゅうが音楽に包まれるんだ。ぜひきみを案内してあげたいんだけど、まだご機嫌ななめかい?」
ご機嫌はともかくとして、朝食と子供たちがようやく迎えた本番とお祭りには、とても興味をそそられました。王都のお祭りなんて、きっと今まで行ったどこの町のお祭りより素晴らしいものに違いありません。
カルラは瞬時に悩みを棚上げしました。
「行く! 連れてって」
手の平に飛び乗ってきたカエルに、エーデバルトは小川のせせらぎのような笑い声を立てました。
ふたりが子供たちより遅い朝食をすませ、孤児院の礼拝堂に足を踏みいれたときには、すでに近隣に住んでいるらしい人びとが木組みの席に座っていました。
誰もがお祭りらしく思い思いに着飾って、子供たちが出てきてお祭りの開始を歌い上げてくれるのを、今か今かと待ちわびている様子です。
空いている椅子に座ったエーデバルトが、肩に乗ったカルラに、なんとなく得意げに耳打ちしました。
「けっこう人気なんだよ」
人びとの期待が伝わったのでしょうか、院長の挨拶のあとに、最初の全員合唱用の隊形に並ぶ子供たちはかなり緊張して、固くなっているように見えました。
でも、おそろいの孤児院の制服に、おそろいの帽子をかぶって静かに並んでゆく子供たちは、清らかな天使の集団のような印象も周囲に与えたのです。
その歌もまた、音の渦のように響き渡り、重なりあい、いつもよりいっそう清冷なものに聞こえました。
歌の始まりが、カルラにとっての――礼拝堂に集まったひとたちにのっての、お祭りの始まりでした。
全員合唱が終わり、組ごとの曲をいくつか聞いてから、エーデバルトは席を立ちました。入ってきた女性に椅子を譲るためです。そのころには礼拝堂の中は人であふれ、だいぶぎゅうぎゅう詰めといった様子になっていました。
「もう少しいたかったかな、カエルちゃん」
「ううん、大丈夫。練習もいっぱい聞いたもの」
孤児院の門の外の、いつもより雑然としたような空気を吸い込んだカルラは、にぎやかな通りに目を移しました。そこはとても陽気でにぎやかな、楽しそうな雰囲気です。どこもかしこも派手な、色とりどりの服装の浮かれた人びとで、あふれかえっていました。
いいえ。色とりどり、とは言えないかも。
薄紫に濃紫、赤紫、淡紅、白……。
それぞれ微妙な色の違いはありますが、人びとの着ている服の色は、ほとんどそのあたりにまとまっています。その色を奇抜な組み合わせにしてみたり、ひらひらジャラジャラいろんな飾りをつけてみたりして、派手に見せているのでした。
エーデバルトの服装が地味にすら見えるのは、なかなか新鮮なことでした。ただし彼の場合、それゆえに引き立つようなところがあるわけですが。
「服の色って決まりがあるものなの?」
喧騒に紛れ込ませるように、紫水晶のついた耳にカルラがたずねると、緑と薄紫の服のエーデバルトは「どうだろう」とかすかに首を傾げたようでした。
「べつに決まっているわけではないと思うけどね。ただ、ほら、これはフリーダーの賛歌祭だから」
「? ……あっ花の色なのね」
言われてみれば街角や花屋、屋台もまた人びとの服と同じ色合いの、フリーダーの花であふれています。
ごちゃごちゃの話し声や笑い声、ごたごたの音楽や歌の間で、優しい懐かしいような香りを風に舞わせる、もみの木のような房咲きの小花。そういえば、子供たちの帽子についていた造花もこの花でした。
「でもこの時期他の花だってたくさんあるのに、どうしてフリーダーなのかしら。ちょっと今さら聞くのもどうかと思うけど、これってどういうお祭りなの?」
今度こそエーデバルトは明らかに首を傾げます。
「知らないひとは珍しいな。きみの住んでたところのあたりには、このお祭りはなかったのかい」
「うーん。行って忘れてるのかもしれないし、なかったのかもしれないし、あっても行ったことないのかも。父さん気まぐれだから」
カルラが行ったことのあると胸を張って言えるお祭りは、じつはあまりないのです。連れて行ってくれる父親は確かに気まぐれでしたし、行ったところで祭りも町ごとに違ったりしましたし………。
おかげで、まともに由来やら意味やらを知っている祭りなんて、たぶん新年祭とか夏至祭とか魔女祭りとか、そのくらいです。
とはいえ、エーデバルトはべつにカルラが祭りを知らなくとも、気を悪くした様子も馬鹿にした様子もありませんでした。それどころか「じゃあ歌劇を見に行こうよ」と楽しそうに微笑んだのです。
「賛歌祭がどういうお祭りなのか知るには、一番手っ取り早いし。それに、じつはお祭りになったら、きみにぜひ見せてあげたいと思っていたんだ」