カエルが15匹 カルラの相談ごと
それはですねと下僕は言いました。昨日なんか突然巨大二足歩行カエルに変身しちゃったのよネ、と相談を持ちかけてきた主人に、あくまでも落ち着き払って。
「わかりませんから、お父上に聞いてください」
「それができたら苦労しないわ」
しょんぼりうつむくカルラは、この役立たず! なんて女王様のごとく、下僕をどなってみたりはしませんでした。ちょっとやってもみたかったのですが、どうせカエルで実践したって威厳が足りません。
「できないのですか?」
地べたに座ったテオが、手のひらに収まる大きさの木材を、小刀でカリカリと削りながらたずねます。
カルラは悩みました。
「あ、あらためて聞かれると……どうなんだろ」
運試しとはそういうものだと勝手に思っていたのですが。どうなのでしょう。でも、できるとしたって。
「あたし、父さんがどこにいるか知らないし」
「お家にはいらっしゃらないのですか」
「うーん。まず家をどう探せばいいのやら」
運試しさえ終われば、無事に道が開けて帰れるものだと思っているのですが、普通にちょっと帰ってみようとなると、どうすればいいのか分かりません。
カルラの家は鈴蘭の咲く谷にありました。多くの人でにぎやかな王都とは真逆の、魔法使い以外に人などいない静かな谷でした。
――ただ、ほんの少し風変わりな。
家から離れ、どんなに遠くまで行ったつもりになっても、ぐるりと気付けば家の前。さらに、どれほど高い木に登ろうと、空飛ぶほうきで飛び上がろうと、村も町も何も見えないような、不思議な場所でした。
そのくせ、近くの町に行こうと魔法使いが決めたなら、谷からの道は一瞬で、数え切れないほどの多くの『近くの町』に繋がったのです。
どこかの町で友だちができたとしても、遊び疲れて家に帰れば、二度と再会は望めないくらいのたくさんの道でした。……されどそれも、魔法使いが手を一振りしさえすれば消え失せて。
流れる小川がどこに繋がっているかも知らず
丘の上から遙か遠く広がる森の果ても知らず
微かに見える灰色と白の山々の名前も知らず
そうして十七年、生きてきたのでしたが。
カルラは父親の顔を思い出し、恋しいような、さびしいような気持ちになりました。ちゃんと食事して、眠って、元気にしているかしら。
「……父さんは、魔法使いの家なんていうものは、どこにでもあるものなのだって言ってたわ。なんだっけ『森の魔女は森にいると決まっているが、必ずしもその森が人の知る森とは限らないだろう。家の扉を開けた先の森が、昨日や明日と同じ森である必要もない』もり……あれ……」
「それから?」
森々繰り返したせいで、自分がなにをしゃべっているのか、だんだん分からなくなってきたカエルに、テオが手を止めることなく続きをうながしました。
「う、もり、じゃなくて……『だから我が家も谷も森も、どこにだってあるものであって、わざわざどこかにある必要もないものなのだよ』とかなんとか」
幼いころ。父に連れられて谷の道から町に入って、後ろを見、今まで歩いていた道がなくなっているのに気付いたとき、カルラはひどく驚いたものでした。
だから「かろらのお家、どこにいっちゃったの」と父魔法使いの腕にしがみついたりしたのでしたが。
返ってきた森の魔女の例え入りの話は、どうもこう森がもりもり言っているだけに思えて、他のたいていの父親の話と同じく、さっぱり理解できなかったのです。結論さえいつも通り娘にとって意味不明でした。
それでも幼い彼女はぴょんと飛んで「ああ、じゃあへいきなのね!」と無邪気に安心したものでした。魔法使いがいてくれさえすれば家にも帰れましたし。
「……ええと、なにかわかる?」
考えなおしてみても、やはり意味のつかめなかったカルラは、とりあえず下僕に聞いてみました。その手元で削られ続けている木材は、だんだん何かの形を現し始めてきています。
テオはあっさり言いました。
「ようするに探しても無駄ということでしょう。森も谷も国中にありますし、この国の周囲なんて森ばかりです。――おれも昔同じようなことを聞きましたよ」
だから探すのをあきらめたのです。とそれでも声にちょっぴり失望のようなものを乗せて、変わらずに手を動かします。……探したかったのでしょうか。
「父さんを?」
「はい。おれは子供のころ、あのひとに拾ってもらったんです。あのまま生きていたら一生知らないままだったであろう、多くのことを教えてもらいました」
「それって船の上でのこと」
小刀を動かす手を止めて、ひさしぶりにテオが顔を上げました。懐かしそうに黄緑の目を細めています。
「船は拾われた場所ですよ。おれは密かに乗り込んでいて、とてもお腹が空いていて。そんなとき甲板でいかにもうまそうな菓子を手に、ぼんやりしてるひとを見つけて、我慢できずにかっぱらったのです」
カルラの脳裏に夕暮れどきの海が浮かびました。それを背景にして立っていたのは、まだとても若いころの魔法使いと、やせ細って薄汚れた子供です。
あの子は、手にお菓子を持っていたでしょうか? きっと持っていたのでしょう。先日見たあの過去の光景は、このひとのものに違いありませんでした。
テオは口もとだけで微笑しました。
「あのひとは運試し中でした。最初は牛脂入りの壺だったものが色々交換し続けたあげく、気付けば菓子になり人間の子供になってしまって、食い扶持が増えたとうんざりしていましたよ」
ふむ、とカルラは考えました。なるほど、それで『しかたがない、これも運命だ』ってわけね。
なら……もしかしたら、あたしが選ばなかったあと二枚の扉のどちらかは、このひとに繋がってたのかもしれないわ。父さんの運命に関わっていたのなら、あたしの運命にだって関わってるかもしれないもの。
何かの動物らしき形になりつつある木材を、ひょいと持ちなおしたテオは、また小刀を動かしています。
「おれのことを、あのひとが話しましたか」
「え? ああ違うの。見ただけ」
「見た?」
「うん」
不思議そうな顔をした下僕を横目に、主人なカエルはぺちっと片前足を振って、「そんなことより」と話題を変えました。
父魔法使いやら家やらを探すのは、どうやら難しそうだということが分かりましたので、相談ごとの続きをすることにしたのです。巨大カエルの謎はわからないと言われてしまったので、今度はべつの相談です。
……そう、このひと王子と親しそうだし。
「あたしの呪いを解いてくれるはずの『運命のひと』が、エーデバルト王子なのは気付いてる?」
「おそらくそうだろうとは。あの子があなたにするように、あんなにかいがいしく心から楽しげに、何かの世話をしているのを見たのは初めてです」
「そ、そう」
なんだか照れくさくなりましたが、同じ盗んだ皿のお菓子を食べた仲の友だちだしと、ここで自慢するのもどうかと思ってやめておきます。
話もそれますしね。
「とにかくね、あたしが幸せな『めでたしめでたし』の結末を迎えるには、王子も幸せにしてあげなきゃいけないわけだと思うわけよ」
「なるほど、それは難しいですね」
「そうそう……って……え、そんなはっきり言うほど難しい!? なに、まさかつんでれってそんなに深刻な愛への障壁なの」
「何の話ですか」
ため息をつくように、テオがふっと木材についた木屑を吹き飛ばします。
「難しいというのは、あの子が望んでるのは自分の幸せではないというところですよ。つねに破滅のとなりで、くるくる踊ってるようなところがありますし」
「ローゼティーネ嬢との婚約関係のこと? そうね。確かに破滅ぎりぎりな断崖絶壁で、なんとかつま先立ちしてる感じよね」
どう見てもローゼティーネの心の広さだけで、なんとか保っているような婚約ですものね。納得したカルラにしかし、テオは顔をしかめました。
「誰ですって。ああ、グラナート家の……エーディの婚約者でしたか。彼女のことは気にすることはありませんよ。あれは予言の娘ではありません」
「え、何そのかっこいいふたつ名の娘さん」
「お父上から聞いていないのですか。この国の第三王子エーデバルトには、本物の予言があるのですが」
「聞いてないわ」
予言……。なにやら、どうも最近どこかで聞いた言葉のような気もしなくもない感じではありますが。
「この国の王妃様は昔むかし、神秘的なものが大好きで、自称占星術師やら自称錬金術師やら自称魔術師やら、怪しげな者たちを大勢召し抱えておられた、ということは?」
「初耳」
「…………王妃様は自分によく似た息子が生まれたとき、その者たちに子供の運命を占わせました」
誰もが王妃様に気に入られ、より多くの褒美をもらうために、王子の素晴らしい運命を予言してみせました。美しさに賢さ、名声など、すべて世界一のものになるだろうと口々に言ったのです。
王妃様はたいそう喜ばれ、エセ予言者や占い師たちみなに褒美をとらせました。
けれどそれでも飽き足らず。
あるとき王妃様は、王都に訪れていたよく当たると評判の、若い占い師も末息子のために招きました。――――この者だけは本物でした。
緑の目をしたその占い師は、他の者たちと違い赤子の王子を褒め称えることはなく、ただ頭を振って「この王子は自分を初めて怒らせた娘と結婚するだろう。さもなくば子はできない」と予言したのです。
「わかったわ」そこまで聞いたカルラは声を上げました。思い出したのです。そう、やはり初耳ではありませんでした。あのひとつ目の過去の場面ことです。
これこそが最初に見た過去、赤ん坊の王子のそばで若いころの魔法使いと王妃様が、ごちゃごちゃと言っていた内容だったのでしょう。
王子のところへ続いていた道の扉、通ってきた黒い扉に書かれていた『怒らぬ者』の意味も、この予言の内容を指していたに違いありません。
まともに話を聞く気もなかったことを棚に上げて、カルラはこっそり父親を責めました。
まったく父さんたら。そんな重要そうなことは、早くはっきり教えておいてくれればよかったのに!
しかし口に出しては偉そうにこう言いました。
「なるほど、それが予言の娘ってわけなのね」
「ええ。エーディの運命の相手です」
「王子は予言を知っているのかしら」
「当然ですよ。あの子は信じてはいませんし、否定するのに躍起になっていますが、未だにその証拠を手に入れられていないようですね」
「予言の娘はまだ現れてないの?」
テオは「当たり前でしょう」とややあきれたようにカルラの顔を見ました。確かに、すでに現れていたのなら、王子の『めでたしめでたし』は終わっているはずです。
怒らせた娘ねえ……。カルラは頭をひねりました。ローゼティーネ嬢は、図書館で王子に腹を立てていたようでしたが、相手が怒ったって仕方ありません。王子ってなかなかお間抜けだわ。
しかしこれで、カルラによるふたりの愛への手助けの方針は、かなり決まってきたような気もしました。ふたたびお城に帰るのが待ち遠しいくらいです。
予言された運命の相手は理想の相手! 完璧!
気分が良くなったカルラは、しゃがれ声でふんふん歌い出しながら、テオの手もとを覗き込みました。
「ところでそれ、なに作ってるの? くま?」
「カエルですよ。三階の部屋の掛け時計の飾りが壊れましてね、これはその代わりです」
「ふうん、カエルの飾りなんて珍しいのね」
「もとの人形はお姫様でしたよ」
「そっちのがいいじゃない」
「お姫様よりカエルのほうが素敵ですよ」
「ええー、お姫様のほうがいいんじゃ」
テオはまた唇だけの微笑を浮かべました。とはいえ彼の場合これはつくり笑いではなく、もともとこういう風にしか笑えないようです。
「笑いかた、へたね」
「そうかもしれません。あのひとは昔笑わなかったから、教わりそこねたのですよ。今は笑いますか?」
「父さんならしょっちゅう笑ってるわ」
そうですかとテオはへたくそな笑顔のまま、嬉しそうにうなずきました。
カルラはもう少し会話を続けようとしていたのですが、「父さんが笑わなかったってなんて本当のことなの」という質問はしそこねてしまいました。
比較的近くで、どんがらがっしゃーん! という恐ろしい不吉な音がしたためです。続いて音の発生源と思われる台所らしき場所の、木枠の窓が開いてリヒャルダが顔を出しました。
彼女は何事もなかったような顔で、ぐるりと自分の家の裏庭を見回しました。白い小花の房に埋もれるような井戸の脇に、ひっそりと座っていたテオに声をかけます。
「ちょいとテオ! なにしてんだい、あたしの新しい化粧箪笥をブルーノが持ってきたから、上に運ぶの手伝ってくれってエーディが呼んでるよ」
「ブルーノにやらせればいいでしょう」
「やだよ、あいつ部屋に穴開けたじゃないか。それにエーディがカエルちゃんに、おやつがあるから戻っておいでってさ」
呪いや魔法の話は、どうもエーデバルトに聞こえるところだと声にできなくなってしまうため、ふたりは彼が近くを通らない裏庭で話をしていたのです。
「…………意外と嫉妬深いんでしょうかね」
やれやれといった様子で立ち上がったテオは、小刀と木の人形をしまってカルラを持ち上げました。