カエルが14匹 ひとつの理由
魔法使いのしもべのお決まりは、黒猫ちゃんやカラスちゃんやフクロウちゃん。鏡依存症なお妃様はのしもべは、たぶんたいてい猟師さん。
さて、では――カエルのしもべは?
――――普通いません。
しかしなんだか、いきなりの下僕志願者におののいている間に押し切られ、見事下僕ができてしまったカエルというのも、この世にはまれにいるものです。
そのカエルはその夜、そのことを寝支度の終わった友だちに得意げに報告しました。ふんぞり返って話の口火を切るか、恥ずかしそうにおずおず話し出すか、いちおう悩んだ結果です。
「あたし今日下僕ができたの」
剣の授業が終わりしだい、まだ状況の飲み込めない主人を置いて娼館に戻ったはずの下僕本人に、まだ聞いてはいなかったらしいエーデバルトは、不思議そうにぱちくりとまばたきしました。
「それは……良かったね。カタツムリちゃんとか、テントウムシちゃんとかかい。コガネムシちゃんとか」
フッとカルラは格好つけて鼻で笑ってみようと、無駄な努力をしました。カタツムリちゃんですって? 馬鹿にしちゃいけません。
「残念だけど女の子じゃないの」
「ふぅん?」
「そ・し・て! 人間なのよ」
「人間……誰かな」
「テオ」
そのときのエーデバルトの顔といったら見ものでした。手に何か持っていたら確実に落としていたでしょうが、あいにく何も持っていなかったので、全部の驚愕分を表情で表さなければいけない、というような様相だったのです。
「テオが? どうして?」
どんな表情をしていても、決して見苦しく見えることない彼は、呆然と目を見開いたまま聞きました。
考えていた以上の衝撃を相手に与えてしまった気がして、カルラはややたじろぎました。
目が落ちちゃいそう。
「ええと……あたしの父さんに昔世話になったとかなんとか。そ、それでその娘の下僕になりたいって言い出すなんて、変わった、ひと、よ、ね?」
語尾は途切れて、てんでにばらけました。視線の先の黒髪の王子の表情は、まばたきにも満たない時間に傷付いたようにすっと冷え、鉄のようにつめたく硬く変化しています。こぼれ落ちるのではないかと心配した目も、もとより細いくらいになっていました。
「テオとしゃべれたの、カエルちゃん」
何もしてなくとも思わず謝りたくなるような、ぞっとする暗闇色の瞳で、彼は悲しげにカルラを見下ろしていました。
首肯することすらためらわれる表情に、カルラはひどく悪いことをしたような、後ろめたい気持ちになります。なんとか絞りだした「そうよ」は、弱々しくかすれていました。
「ふうん……」
それきり王子は黙り込み、代わりのように静かに窓を開けました。外の空気を入れるにはまだまだ寒い季節にもかかわらず、かなりの時間、夜の冷気をまとって沈黙したままだったのです。
暗闇のどこかで、小夜啼鳥が鳴いていました。
「――魔法使いなんて、いていいわけがない」
どのくらい経ったでしょう。ふいに、そんなひそやかな声が聞こえた気がしました。話しかけることもできずに、王子の後ろ姿をぼんやりとながめていたカルラは我に返ります。……どういうこと、王子?
しかし、聞き間違いだったのかもしれません。ようやく窓を閉め、もとの椅子に座ったエーデバルトは、いつも通りの微笑みを浮かべていましたから。
「昔、女官たちがよく子供には新鮮な空気が必要だって、ぼくの寝室の窓を開けっ放しにしてたんだ。でもあれは湯たんぽや火があったから平気だったんだね。……部屋がすっかり冷えちゃった。寒くない?」
寝床である籠に入っていたカルラは、布にくるまっていましたから寒いはずがありません。
「平気よ。――むしろ」
じろりとエーデバルトを見上げます。彼は寝間着の上に何も羽織っていませんでした。冷えたのか、少し青ざめているようにも見えます。
むしろ、寒そうなのは王子じゃない。
そう言おうとして、でもやっぱり、なんとなくやめました。寒さの話ばかりしていると、もっと寒く感じてしまうかもしれませんからね。
寒そうなくせに、エーデバルトはベットに入る気もなさそうでしたから、カルラはせめて気分だけでも、あたたかくなりそうな会話をしようと決めました。
手始めに、にこっと(どうせカエルですから分かってもらえないでしょうが)朗らかに(したってしゃがれ声ですが)おだててみます。
「すごいねえ。子供のころから、お世話してくれる人たちがいっぱい付いてたなんて、確かにお城の王子様って感じよね。すてき! 乳母もいたんでしょ?」
「うん、いたよ。ぼくをたいそう甘やかしてくれた」
春の花を揺らしていくいたずらな風のように、エーデバルトがくすっと小さく笑いました。
「ただ十歳のときかな、王宮の泉に落っこちて溺れたぼくを助けようとして、一緒になって溺れちゃって。そのせいで…………」
「し、死んじゃったの?」
春風が冷風に変わりました。気温がさらに下がった気がします。あたたか話作戦が逆に作用してしまい、カルラは内心頭をかかえました。あ、あたしの馬鹿。
エーデバルトは机の上、籠の置いてあるすぐ横に頬杖をつきました。自己嫌悪にもぞもぞ布製の花びらに抱きつくカエルを、そっとのぞきこむようにします。
「泣いちゃくれないの? 同情してなぐさめてくれたりとか。あなたが生きててよかったとか」
「う、言ってほしいの」
「いいや、べつに。でも女のひとはみんな、ペラペラといろいろ言ってくれるもんだと思ってた。…………今日は、よけいな演技をしてないからかな」
小首をかたむけたエーデバルトは一瞬、哀れっぽい表情を作ってみようとしたようでした。けれど気を取り直したように、ひょいと肩をすくめます。
「ちなみに『そのせいで……』の続きは、責任とるとか言って辞職しちゃったんだ、なんだけど」
「は?」
それはまたありきたりなオチでした。加えて「泣いてる女性にじゃないと、ばらしがいがないな」なんて言われた日には、カルラがぷちっときれるのも無理はないでしょう。
「ぼくが泳げなかったのがいけなかったのにね。こんな話で、がっかりした? カエルちゃん」
「あなたの指を思いっきりがぶってしたい」
「うん、ごめんね」
王子は怒れるカエルにやわらかく笑んでみせます。
「きみには特別に秘密をしゃべるから、許してよ」
エーデバルトはひと呼吸ぶん置いて、物語るように話し始めました。
「…………泉に落ちたぼくを見つけて助けてくれたのは、王太子殿下だったよ。乳母を救ってくれたのは第二王子のアルベアト殿下。陸に上がったぼくはひどく驚いた。――それまで、あのお二人とまともに言葉を交わしたことが、あまりなかったから」
今もだけどね、と王子は付け足しました。ぼくだけが母のお気に入りで、手元におかれていたから。
「それまで、遠くから憧れを込めて見つめることしかできなかった、兄という存在が、ぼくを水中からひっぱり上げ、大丈夫かって名前を呼んでくれた……」
「嬉しかったんだね」カルラがささやきます。とっても? 末の王子は肯定しました。
「そうだよ、そう。ぼくはもとから少なかったであろう、お二人に対する母から愛情というものを、根こそぎ奪ってしまったのに」
それなのに、それだから。そのとき、ただただ本当に嬉しくて、たまらなくて、涙が出たのだと。長いまつ毛を伏せました。
「だから、ぼくは返さなくちゃいけないんだ」
「………………なにを?」
「なにもかもを、だよ」
頬杖を倒し、その上に頭を乗せて、エーデバルトは薄く笑いました。
「だから第三王子は放蕩王子なのさ」
カエルの皮膚より冷たい気のする指が、造花を押しのけて、つやつやした背中をなでます。意味が分からないわとカルラは思いました。夜風にあたったせいで熱でも出たんじゃないかしら。
顔色の悪さを見れば、心配にもなってきます。
「早く寝なさいよ。風邪ひくわよ」
「ん……そうだね」
自分が眠いことをようやく思い出したかのように、とろりとした目で言いつつも、エーデバルトは立ち上がる気配は見せませんでした。あくびをして、片手でカルラの入った籠を引き寄せます。それから
「きみが人間だったらいいのに……」
ほんのわずか、唇を緑の頭にふれさせて。ろうそくを吹き消して黒い目を閉じました。
ことん、という音が聞こえてくるような子供のような寝付きに、カルラは固まらずにはいられません。
「ねえ、風邪引くってば、ねえちょっと」
籠からはい出してぺちぺち頬を叩いてみますが、もう起きる気配はないようです。せめて何か上にかけてあげたくても、ベットは遠く、たとえたどり着けたとしても、カエルが毛布を運べるはずもなく。
「おきてってば……。あれ」
しかたなく、もう一度声をかけてみようと手を上げたカルラは、その異変に気付いて首をひねり、次いで目を剥いて机のふちから飛び出しました。
なんだか体から煙が立ち昇っていたのです。体の内側がぐちゃぐちゃになって、同時に端からほろほろ崩れていくような感覚があります。
まさか、呪いが!?
そして華麗に床に着地したカルラは、目線の高さになった机のふちと、巨大化した自分の緑の足を見下ろして、もう一度盛大に首をひねりました。あれ、とこぼれた声はしゃがれていない、もとの澄んだ娘らしい声です。
「あれえ――――?」
太陽が昇り、子供たちの朝食の時間も終わるころになって、ようやく黒髪の王子の目が開きました。朝の鐘の音も無視して眠りこけていたのです。
目覚めた彼は、机から頭を上げると同時に肩を滑っていった毛布に、ちょっと怪訝そうな顔をして、籠の中のカエルを見おろしました。
「おはよう、カエルちゃん。誰か来たかな」
「……誰も来ちゃいないわ。おはよう」
エーデバルトに背を向け、籠の中でうずくまっているカルラが、いつものしゃがれ声で不機嫌そうに返事をします。
昨夜はなぜか、微妙に呪いが解けたような気がしましたが、毛布をエーデバルトに掛けてやったとたん、元の大きさに戻ってしまったのでした。…………べつに彼女にしても、巨大な二足歩行ガエルになって、大喜びしていたわけではありませんでしたが。
とりあえずもとに戻りきる前に、籠のある机の上によじ登り、戻ることができたのは幸運でした。床で眠らずにすんだのですから。
しかし、変身した原因も戻った理由も分からないというのには、いささか腹が立ちました。
どういうことだったのよ。
そんな微妙なおとぎ話は知りません。しかし問い詰めようにも父魔法使いはいないし、誰かに相談しようにも、呪いに関連することはしゃべれないのです。
「カエルちゃん? なにか怒ってるの」
すばやく着替えていたエーデバルトが、上着にそでを通しながら、籠のなかを覗き込もうとしました。お悩み中のカルラは、造花の山に頭を入れてうずくまり、物理的に頭を抱えている気分を味わっています。
「ぼく何か気に障ることをしたかな」
「なんにもしてない。でも今ちょっと、今後の生きかたの方針について悩んでるの。けっこう深刻なのよ」
「この前も似たようなこと言ってたね。……ぼくに手伝えることあるかい」
「わかんない」
エーデバルトは呪いを解いてくれる『運命のひと』ですから、関係はある気がしますが、どんな関係なのかはよく分かりません。魔法も信じてくれませんし、呪いもしゃべれませんし。しかし。
妙案を思いついたカルラは、はっと勢いよく顔を上げました。相談相手に最適なひとがいるじゃない!
「ねえ王子、今日もお店の修理に行くのよね」
「うん。その前に早く朝食をたべて、子供たちの歌の練習を少し見てやらなくちゃならないけど」
「じゃあさっさと行かないと!」
今日はリヒャルダさんがいようといまいと、あたしを連れてってくれないと。と布の造花の山から這い出ながら、カルラがまくし立てます。
「まあ今日はリヒャルダもいるだろうけど」
造花を頭上から取り除いて、埋まっていたカエルを持ち上げながら、エーデバルトがたずねました。
「今度はいったいどうしたの?」
「ちょっとテ……」
オ、まで言う前になんとか思い留まりました。うっかりしていましたが、昨夜のエーデバルトの傷付いた表情は、なかなか忘れられるものではありません。
あの表情は正確にはテオが原因ではないような気もしますが、わざわざ掘り返したい顔でもありません。どこぞの記憶の底にでも埋めておくべきでしょう。
しかしせっかくできた下僕を、有効活用しないわけにはいかないのです。
「ちょっとて、て……て照れくさいけど? ええと、王子について行きたくって。ああーと、ダメかしら」
一生舞台に立つのは夢のまた夢のような、ある意味見事なせりふ回しでした。
だいたい、しゃがれ声のカエルが、自分の浮気相手と逢い引きするために、善良な夫を利用するような、悪女カエル(?)を気取ってみたって無駄に決まっています。カエルですからね。
とにかくカルラは、いまのところ呪いを話せる唯一の相手と、どうしても話をしたかったのでした。
「……まあ、いいんだけれどね、カエルちゃん」
肩にカルラを乗せた王子が、部屋の扉を開きます。
「そういうときは、余計な言葉を貼り付けないで、ただ『連れてって』ってひとこと言えばいいんだよ」
続けて「そのほうが本当っぽいからね」と聞こえた気がしたのは、気のせいだったでしょうか。