カエルが13匹 なりそこない二人
翌日の朝食のあと。庭に楽器を持ち出して、少しの時間子供たちに歌わせていた王子に、はいとばかりに楽器ごとひとに渡され、カルラは思わず「ぐぎゅげこっ!?」と奇妙な声を上げました。
孤児院に通いで来ているらしい、もとエーデバルト付騎士ブルーノもまた、朝の挨拶をした瞬間に押し付けられた楽器とカエルに、奇妙な顔をします。
「……なんすか、このカエル」
「昨日紹介したじゃないか」
「おれにどうしろって?」
「わからないの?」
エーデバルトのみ、ひとりで涼しい顔です。先ほどまで地べたに座っていたために服についた草や土を、手で払いながら言いました。
「今日一日あずかってほしいんだ」
「えー……」
「いやよっ」
めんどくせぇとばかりに、黄色い髪をかき混ぜるブルーノと目が合ったカルラは、思わず叫びました。珍しくエーデバルトが目を見張ります。
「なんで」
「食べられる!」
昨日まじめにご挨拶したカエルを見て、ブルーノの言った隣国じゃカエル食うらしいヨナー、というざれごとを、案外カルラは気にしていたようでした。
近くで見たこの王子のもと護衛騎士が、いささか悪人づらっぽかったのも原因のひとつかもしれません。
そしてそれを言うなら、ここにはそもそも可憐なカエルを見て、平然と非常食デスカとか不吉なことを聞く院長もいます。
置いていかれなんかしたら、次にエーデバルトと会うときにはカエル肉(※加熱済み)とかになっている可能性が大でした。ううん、お腹の中かも。
「女の子を食べていいのは悪魔とか狼とかだけって決まってるのよ!」
カエルの不気味とうわさの叫び声が聞こえたのか、近くにいた幼い子供たちがビクッとして、泣きながらどこぞへ走っていきましたが、今泣きたいのはカルラです。
――そりゃおとぎ話の中に食べられかける試練、っていうのは多いけど。あら、じゃあこれは試練? いやいや、だとしても人間は絶対いや! 料理とかしちゃってひと思いにパクっとやってくれないから!!
そういうところで颯爽と助けてくれるべき運命の王子様は、必死なカエルの何がおかしいのか「なるほど」なんてうなずいて、肩を揺らして笑っています。
カエルの声に嫌な顔をしていたブルーノが、やや心配そうに「あー、坊っちゃん?」と声をかけました。
「なんか悪いもんでも食いましたか」
「いいや。でもこの子は、きみが狼なんじゃないかって不安がってるよ。食べられるんじゃないかって」
「……なにワケの分からねえことを。頭平気ですか」
「ああ、じつは最近それがちょっと自信ない」
エーデバルトは笑顔のまま腰をかがめ、楽器の上のカルラと目線を合わせました。
「大丈夫だよカエルちゃん。このひとはきみを食べやしないさ。ぼくがぼくの友だちを食べるようなひとのところに、きみを預けたりなんかすると思うかい」
カルラは言葉に詰まりました。言われてみれば確かにそうですし、友だちを疑っているような言動をして悪かったような気持ちにもなります。
しかし預けられるなら、昨日と同じくリヒャルダのところだとばっかり思っていたのですが。
「リヒャルダは出かける用事があるらしいからね」心を読んだかのように、エーデバルトが言いました。
「ね、ここにいてよ、カエルちゃん」
あやすような声でした。その声と、頭をなでようと伸びてきた白い手に、まだ渋る気持ちのあったカルラも知らず識らずのうちに「わかった」と答えていたのでした。
ありがとう、とエーデバルトの指が緑の頭をなでます。陽光を反射して金の指輪がきらきら光りました。
「――じゃあ、頼んだよ。大切にしてね」
そう言い残し、門に向かって歩いて行ったエーデバルトの後ろ姿を見送って、言い残されたブルーノは首をひねりました。
「いったい……なんだったんだ? 昔っから変わったお方だったが、輪をかけて変だぜ。こんな嫌な声のカエルのどこがそんなにお気に入りなんだよ。なあ」
「ゲッ」
親しげに失礼な同意を求められたカルラは、思い切りそっぽを向きました。見たブルーノが「うわぁ可愛げもねえ」とぼやきます。
「おおそうだ、ここに入れとこ」
さらに先ほど走り去っていった子供たちの、誰かが忘れていったらしい巾着に放り込まれ、カルラは憤慨しました。
幸い中はからっぽでしたが、お菓子が入っていたようでベタベタします。おまけに袋の口をきゅっ閉められ、甘ったるい匂いがこもるったらありません。
きわめつけにブルーノは、袋についた紐を剣帯に結びつけたようなのです。これでは歩くたびにゆらゆら揺れるし、腰巾着とか呼ばれてしまいそうです。
――信じらんない!
たとえカエルが相手だろうと、なんて無神経なひとでしょう。揺れるたびにブルーノの腰に激突しながら、カルラはうめきました。なんとしても王子についていけば良かった。
しかし慣れとは怖いものです。午後になるころにはカルラはだいぶ状況に順応し「そんなにここも悪くないかも……」とまで思い始めていました。
揺れるに揺れて、巾着が剣の鞘と帯の間あたりにはまり込んでからは、だいぶ過ごしやすくなりましたし袋の中にもなれました。
意外にも忘れられずにもらえた昼食後に戻されたとき、袋の口がゆるまったため少しなら外も見えます。
午前中、ブルーノは昨日エーデバルトが言っていた通り、孤児院の子供たちに剣やら楽器やらを教えていました。
ここの子供たちは歌の組とはまた違った、年齢ごとの組に分かれて、それぞれ教室で授業を受けているようでした。職員の人たちが、それぞれ教科を受け持って、教えているようです。
孤児院というより話に聞いた寄宿制の学校みたい、とカルラは思いました。ブルーノの授業を聞いているのも、なかなか面白いものでした。――ただし、楽器の授業のほうだけに限りますが。
「おー、そこだー、やれやれー」
午前中に教えていた子供たちとは別の組らしき、でも同じく練習用の剣を打ち合わせる大きめの子供たちに、ブルーノが投げやりのような応援を飛ばします。
ちょっと離れたところからは、えーい、やーあ、とりゃー、ぎゃー、ふったあいもない、なんて気合の入った可愛い声がしていました。気合いというか、最後のほう勝負ついてる気もしますが。
「クアッ(見たい)!」
袋の口が横向きのため、結局授業は午前中と同じくよく見えないカルラは、だんだん我慢できなくなって、ついにカエルっぽく主張してみました。
ちなみに、教師であるブルーノは、中庭と回廊のさかい目にどっかり座っているだけです。ときどき指示など飛ばしますが、ほとんどぼへーっと座ったまま。
カルラの声にも無反応です。
「ケケケケケケクァックァックァ!」
むきになって騒いでみても、気にした様子はありません。かーえーるーのーうーたーがーとか、変な歌まで歌いだしたりしています。異様にうまいのがさらにカルラをむかつかせました。
「ええい、ちょっと袋をずらしてくれればいいだけじゃない! 意地悪、けちんぼっ。呪うわよ!」
呪いどころか、簡単な魔法だって、生まれてこのかた成功したことなんてありませんが。しかし、今ならいけるという気がしていました。
次いで「おーそーろーしーこーえーがー」という、追い打ちのような無礼な歌声が頭上から響いてきたので、さらにいける気が増してきます。
――ぜったいできる!
怒りとともに根拠のない自信を抱いたカルラは、ぐっと身体に力を込めるように身を伏せ、「空から純金の重いまりでも落ちてこいっ」と強く念じました。
「ぐわっ!?」
ふんふん歌っていたブルーノが、カエルみたいな声を出しました。前方の中庭にドサッと倒れかる衝撃を感じて、袋と一緒によろめきながら、はっとカルラが顔を上げます。
「うそ、いけた!?」
もちろんそんなはずはありません。
「――てんめえ、テオ。いきなり何のつもりだ」
起き上がったブルーノが、思い切り背中に足跡をつけてくれた相手を睨み上げました。視線の先では、娼館の修繕途中で出てきたのか、小汚い服装の男性が、それでも平然とした顔で回廊から見下ろしています。
「あなたこそ何をしているのです、ブルーノ。さぼってないで、まじめに教えてあげなさい。それから」
冷たい印象の目を細めてテオは言いました。すっと上げられた手が指したのは、カエル入りの巾着。
「即刻そのお嬢さんを解放するように」
「…………は?」
思いもかけぬことを命じられ、思わず怒りを忘れたブルーノは、お手をするように素直に、テオに巾着ごとカエルのお嬢さんを手渡しました。
袋の口を開けられたカルラも、急に周りいっぱいに広がった外の景色と、新鮮な空気に喜ぶ気にもならず、ぽかんと口を開けています。何が起きたの?
視界の端ではテオが子供たちのもとへと、しっしとブルーノを追い払っていました。
「ほら、教師ならばお行きなさい。このエーディのご友人はあずかっておいてあげますから」
「……お前は何しに来たんだよ、店は?」
「作業はエーディのおかげで早く片付きそうですよ。店は彼に任せて、おれは見つけたここの本を返してきたところです。――ほら、呼ばれていますよ、先生」
「おー、んじゃあ行くか」
子供たちの呼び声に、しかたなくといった様子でブルーノが立ち去っても、まだカルラはいまいち状況について行けていませんでした。
もう一度つぶやきます。何が起きたの。
「というか、あたしの呪いは失敗?」
「おそらく失敗でしょうね」
「ん?」
なんか会話が通じた気がする、と顔を上げてみましたが、テオはまじめに指導を始めたブルーノのほうを見ていました。錯覚でしょうか。
しかし「なんだ気のせいね」とカルラが内心でひとりごちた瞬間、その黄緑色の瞳がこちらを向きます。あれ、とカルラは思いました。魔法使いみたいな目。
「むしろ、あなたが呪われているように見えますが」
「んん?」
「もしや運だめし中ですか、お嬢さん」
「んんん!?」
まさか。
「あなたも魔法使いなの!!」
「いいえ、まさか」
彼は微笑むように口角を上げました。
おれはなりそこないですよ。
「でもあなたは魔法使いなんですね」
「いいえ、まさか」
カルラはまったく同じ言葉を返しました。なりそこないよ、魔法なんて使えない。さっきも失敗したし。
「では……あなたも、というのは」
「父さんが魔法使いなの」
「その呪いも?」
「そう」
運だめしの呪いなの、とうなずきます。するりとしゃべれたのは、相手が気付いてくれれば話せるようになるというのが、呪いのお決まりだからでしょう。
聞いたテオは、なんだかじっとカルラを見つめ、次いで少し視線をさまよわせたあと、怜悧な顔立ちに似合わず、ためらいがちに口を開きました。
「あなたのお父上の……魔法使いの、お名前は?」
「えっ」
カルラは面食らいました。相手の名前を聞くより先に、まずその父親の名前を聞いてくるような人間に会ったのは、初めてのことだったのです。
そしてじつを言うと、父魔法使いの名前を聞いたことも、数えるほどしかありません。
普段父さんとか、魔法使いさんで通じる人間の名前を、それ以外になれないようなひとの名前を、果たして覚えている意味があるでしょうか? しかもなかなかに変わった名前だった気がします。えーと、父さんの名前? なんだっけ、ほら、あーはー。
「あ、ハル、ハルなんちゃらよ」
「…………。そうですか」
がんばって三分の一くらいまで思い出したのに、考え込むような沈黙と「そうですか」だけで済ませたテオは、やはり続けてカルラの名前を聞いてきたりはしませんでした。
代わりに真顔でこう言いました。
「あなたの下僕にしていただけませんか、姫ぎみ」
言われたカルラは、相づちなのか返事なのか疑問形なのか、自分でもよくわかってない声を出しました。つまり「はあ」とひとこと。