カエルが11匹 孤児院への届けもの
お昼を食べ終えたエーデバルトは、リヒャルダに頼まれ、隣の孤児院に向かうことになりました。仕上がった帽子たちを運ぶためです。リヒャルダとルキ、それからもちろんカルラも一緒です。
「いくつあるんだい、この帽子。全員分?」
紫の造花と羽飾りつきの帽子がたっぷり入った、木の大箱を抱えて、エーデバルトが聞きました。
「ぜんぶで百と十三。でもあんたの箱の中にはたしか五十……六個くらいかね。男の子のぶんだよ」
女の子のぶんらしい、羽飾りの代わりに大きなリボンつきの、こちらもたっぷりと帽子の入った箱を抱え、リヒャルダが答えました。
エーデバルトの肩に乗ったカルラが、大小さまざまの帽子を見下ろします。「なんの帽子?」と赤い宝石が揺れる耳に口を寄せ、『悪魔みたいな声』で小さなルキを怖がらせないように、こっそりと聞きました。
「フリーダーの賛歌祭用の帽子。夏至祭にも使えるかな。お祭りの日には、みんなおしゃれするものだからね」エーデバルトが答えます。
「もう四日後なんだって。すっかり忘れてた。さっきお姐さんたちに聞いて、ぼくも驚いちゃったよ」
「ふうん」
都合よく答えの声だけ聞こえたらしいルキが、えくぼを見せて笑います。エーデバルトの足にまとわりつくように歩いているルキも、両方の箱に入りきらなかった帽子を、まとめて両腕に抱えていました。
「エーディって忘れっぽいんだもんな。帽子のお金くれたのもエーディだって、院長様言ってたのに」
「そうだったっけ」
「うん。それでリヒャルダおばちゃんが、『どこかに頼むなんてめんどうだ!』って、お金持ってって生地とか買って、ぜんぶ作ってくれたの」
あたしゃ昔帽子屋もしてるとこにいたからね、とリヒャルダが目を細めてつぶやきます。わあすごいんだね、と無邪気に感心したテオはけれど、すぐに首をひねりました。
「あ、でも持ってったお金返ってこないって、院長先生ぶつくさ言ってたけど……」
「おやおや」
エーデバルトのおかしげな視線と、ルキとカルラの疑いの視線を集めた伯爵夫人は、ヘタな口笛を吹いて、孤児院の長い塀を熱心に見つめだしました。
お隣と言っても、孤児院の敷地は広く、入り口の門はいささか遠いのです。しかし、敷地をぐるりと囲む塀には、通行人の目を楽しませるためか、さまざまな絵が描かれていました。
おとぎ話の絵や、神話の絵、子供が描いたような絵もあれば、絵師が描いたようなものもありました。
「院長や子供たちだけじゃなくて、近所の人も描いたんだ。とびきりうまいのは院長かテオのだけどね」
じっくりと見ていたカルラに、エーデバルトが教えてくれました。ぼくが昔描いたのもあるよ、と言われて、思わず「どれっ?」と前のめりになります。
この夢をどこぞに捨て去ったような王子が、こんな夢いっぱいな絵ばかりの場所に、自分もなにか描こうという気になるとは、とうてい信じられるものではありません。
カエルの不気味声が聞こえてしまったらしいルキが、かすかにびくっとしたのに苦笑して、エーデバルトは塀の表面に目をさまよわせます。
「うーん。どこだったかな……ああ、あった」
あれだよ、とつぶやく王子の視線――両手は箱でふさがっていて使えませんから――を追って、その絵を見つけたカルラは、しばし絶句しました。
べつにものすごくヘタだったり、逆に凄まじく上手だったりしたためではありません。
―――――――まど?
窓でした。うまいかへたかと聞けば、十人中七人くらいは、うまいと言ってくれそうな腕前の絵です。立派な彫刻が施された窓の窓台には、ていねいに紅バラ入りの花瓶まで描かれ、飾られていました。
しかし、それだけでもあるのでした。
塀に唐突に出現した窓の、立派な桟の向こうには、どんな風景もないのです。王子が何を思って描いたのか、とんと見当がつきません。
「ね、この窓なに?」
質問したのはルキでした。カルラと同じく、描いたひとを聞いたのは初めてだったのでしょう。
エーデバルトは一瞬立ち止まって、ルキが生まれるより前、自分がまだ少年だったころに描いた絵を、感情の読めない黒色の瞳で眺めました。
それから、くちをひらいて。
「…………ぼくの、理想のひと」
そのココロは。
カルラは思わずそう突っ込みました。しかし黒い目の王子も「なんだろうね」と首をかしげるだけです。
やや遅れたエーデバルトを振り返って、聞いていたらしいリヒャルダが、あきれたように言いました。
「エーディ、あんたの理想はローゼティーネ様とか、コルネリア様じゃなかったのかい。いつから窓に」
「彼女たちは確かにとても近い気がするよ。でも――ぼくにも分からないんだけど、もとはこれなんだ」
ルキが「こるねりあ様って、院長先生が『ぼくの愛』って呼んでる女のひとだよね。食堂におっきな絵がかざってあるひと」と口をはさみます。
「ろーぜてぃーね様って、だれ?」
「コルネリア様のご令姪だよ。ちょっと黙ってな」
何意味分かんないこと言い出したんだいエーディ、とリヒャルダがなおも聞きます。まさか
「窓枠にあの方がたが似てるって?」
エーデバルトは笑いましたが、質問に答えることはなく、あいまいにはぐらかしました。……なんだろうね、ぼくにも本当に分からないんだ。
一方、途中からろくに話を聞いていないカルラは、きらきらと赤珊瑚の瞳を輝かせていました。輝くと珊瑚というより柘榴石のようでちょっと不気味です。
ああっ――ローゼティーネ嬢が王子の理想だなんて! なんで言ってくれなかったのかしら。ハッでもそうすると、もしや王子ってば、父さんが前に教えてくれた『つんでれ』ってやつなのかしら。
そう思えば、彼がローゼティーネ嬢の見えるところで、女性といちゃついてみたり、婚約者のくせに舞踏会で一曲しか踊らなかった、なんてことの説明がつく気がしました。
きっとあんな綺麗なひとが自分の婚約者だもんで、照れてたのよね。ついつい「へっオレはあんたになんて興味ないゼ」って態度をとっちゃうのよ。好きな子ほどいじめたくなるって、誰かが言ってたし。
この手助けこそあたしの運命なのだわ! とかなんとか、天啓を得た人のように、大変賑やかにこぶしを握りしめる(つもりになった)カルラでしたが、すべて内心での叫びでしたので、外から見ればただの無言の置物カエルでした。
おかげで、不幸なことに「デレはどこ」とか「それじゃ、ただの捻くれ者だよ」とか「そんなバカな」もしくは「その興味ないゼのひと誰」などと、親切に突っ込んでくれる人は誰もいなかったのです。
だからカルラは「これって物語じゃ、小鳥とかの役目よね。まったくカエルなのが悔やまれるわ」などと、どんどんとんちんかんな思考の波に、どんぶらこっこと運ばれて行ってしまったのでした。
孤児院の門を入っていくと、広い庭で散らばって遊ぶ子供たちの姿が見えました。正面玄関のそばでは、子どもたちを眺めながら、ふたりの男性が何やら話をしています。
「――おそいよ、キミたちぃ」
帽子配達の一行が近付いて行くと、年かさのほうの男性が振り向いて、頬を膨らませました。カルラの父さんと同い年くらいでしょうか。小太りで、聖職者の格好をしています。
ルキが、ただいまっと駆け寄っていったところを見ると、このひとがここの院長さんなのでしょう。
「あのね、まずお礼を言うもんじゃないかい」
どかっと帽子の箱を地面に下ろして、リヒャルダが片手で自分の赤毛をかき混ぜます。
「やあリヒャルダ。今日もふしだらな格好だね。たまには、慎み深い服装をしようとか思わないかい」
「思わないね、余計なお世話だよ」
「だがしかし、そんなに肩やら胸やら脚やら露出されてるとね、子供たちの教育によろしくないと思うよ、ぼかあ」
「ふん。あんたの性格以上に、子供に悪影響を与えそうなことは、そうそうないから大丈夫さ」
「なにぃ」
舌戦を繰り広げ出したふたりを止めたのは、こちらも荷物を置いて、くすくす笑っている王子ではなく、院長の近くにいたもうひとりの男性でした。
立派な剣を腰に下げてはいますが、こちらも中々だらけた服装の男性は、手に持っていた弦楽器をジャランと鳴らして「まあまあまあ」と割って入ります。
「やめろよアンタら、毎回毎回顔合わせるたび。じつは両想いとか言い出すんじゃねえだろうな。……こんなトロ茹でじゃがいもみたいな男の、どこがおれよりイイいって言うんだリヒャルダ!?」
伯爵夫人と院長は、仲良く彼をにらみつけました。
「うるさいねブルーノ。強いて言うなら、このゆでじゃがが、あんたと違って年上のとこだよ」
「失礼なこといわないでくれるかな。ぼくにはもう、コルネリア姫という心に決めたひとがいるんだ」
リヒャルダの返しにブルーノは落ち込んだようでしたが、言い争っていたふたりは、冷静さを取り戻しました。院長はようやくエーデバルトの存在に気付き、これはこれは、と挨拶をします。
「何日ぶりですかな、エーディ様。とはいえ、ご自身の名で運営されているからと、こう頻繁に訪問してくださるかたは、他にいないとぼかぁ思いますよ」
うへへっと笑ってから、院長は「おっと、こうしちゃいられない」と大きく手を叩いて、子供たちを呼び集めました。運んできたルキと、職員らしき女のひと、年長の子たちを何人か助手にして、帽子を配り始めます。
「えー、頭に合うのを持っていくこと。とりあえず、祭りまでは壊さないようにすること。壊したら自己責任ってやつだよ。ぼかぁ裁縫できないからねえ」
「はあい、院長様!」
いいお返事で、どの子もきゃあきゃあ喜びました。
リヒャルダもエーデバルトも、近くにいる子供たちに、一番合う大きさの帽子を選んでやっています。
しかし女の子たちの髪に触れながら、いちいち「大きくなったらぼくの家に来てくれる?」とか言う意図が、カルラにはさっぱりつかめません。
「にあう? エーディおにいちゃん」
「きみに似合わない可愛い帽子なんてあるのかい」
帽子配りをしながらも、緑色の友だちが退屈しているだろうと思ったのでしょうか。
ふと人が途切れたときでした。エーデバルトがカルラを見て、ぼーっとしている様子の彼女の視線を追ったその先あたりで、未だに肩を落としているブルーノのことを、教えてくれました。
ブルーノは子どもたちに囲まれて「またふられたのー?」と笑われたり、なぐさめられたりしています。
「あのひとは、昔はぼくの護衛騎士だったんだ。でもリヒャルダにひと目ぼれしてね。ここで楽器や剣も教えてるけど、今じゃ彼女のところの用心棒」
「彼女のところって?」
「娼館だよ」
思わず固まったカルラの背をなでて、エーデバルトは「ここ数日は営業休止してそうだけどね」と付け足しました。そのまま柔らかく微笑みます。
「ぼくは十二歳のときからお得意様なんだ」