第2話 納豆は普通に美味い
「セーーナっ!起きて、起きて!」
耳元で、誰かのクッソ煩い声がする。
わふ、わふ、という興奮気味の吐息まで聞こえて来て、余計に不快指数が上がる。
「セナ!セーーーナっ!」
「…んん……うるさい、な…」
起き上がろうと、身体をごろりと反したその瞬間だった。
私の頰に、水っぽい、気味の悪い感触が走った。
「う、うやあああああああ!?」
反射的に、私はガバリと身体を起こす。
…目の前に、1人の男がニコニコ顔で立って居た。
思い出した。私は昨日、男を1人拾ってしまったのだった。
ポチール、通称ポチ。ビスマルド王国の戦士で、今は我が家の居候。
歳は21歳。ガタイは良いけどちょっと童顔。装備品は犬耳、以上。
私は恐る恐る、ポチに聞く。
「……ちょっとあんた。今なんか、私のほっぺにえもいわれぬ不快な感触が走ったんだけど、心当たり、ある?」
ポチは、そのニコニコ顔を更にニコニコとさせて応える。
「あー!!さっきの?あれはなー、ビスマルド王国に伝わる朝の挨拶だよ!好きな相手のほっぺをな、こう、舌でペロペロっとぶぼぐぇ!?」
私は反射的に枕をポチの顔に投げつける。この野郎。私の神聖なる寝起きを最低な気分にしやがって。
「い、いてえ…。どうしたのセナ!?俺の朝の挨拶、気に入らなかった!?」
「……ビスマルド王国の事はお忘れなさい、ポチ。あんた、この奥ゆかしき国JAPANでその挨拶を他人にしたら、もれなくブタ箱での一生が待ってるから」
ブタ箱!?なんだよそれえ、美味いものー?と無邪気にはしゃぐポチを無視し、私は洗面所へ向かう。
…8時か。土曜にしては早く起きれたし、涼しいうちに買い出しにでも行くかな。
ポチに仕事を探させるにしても、取り敢えずは外の世界のことを少しは教えないといけないだろう。慈悲深き私はポチを連れて、食材の買い出しに行くことを決めた。まあホラ、ポチに荷物も持たせられるしさ。win-winじゃん?
私は顔を洗うと、冷蔵庫から作り置きの味噌汁が入った鍋を引っ張り出す。
途端に、ポチの顔がぱあっと輝くのが見えた。
「なんだなんだセナ!?それってもしかして、なんかの食べ物か!?昨日みたいな、美味くて、ピリッと辛くてそんで…ホワホワ〜っとしたあの食べ物か!?」
ポチは耳を嬉しそうにピクピクさせながら、鍋を見つめている。ホワホワ〜っと言うのは、恐らく豆腐の事だろうか。
「あんた、昨日の食べ物がそんなに気に入ったわけ?でも残念でした、これは麻婆豆腐じゃあありません。味噌汁っていう、この国の国民食ってヤツかな。」
「こくみん、しょく…。へええええ」
ホウー、と息を吐きながら、ポチは相変わらず愛おしげに鍋を見つめている。
……あ。
ポチの幸せそうな顔を見た私は、ちょっと意地悪な事を思いついてしまった。
「そう、国民食。今朝はあんたに、この国の国民食を味わわせてあげるよ。さあ、棚から皿を出してくるのだ。」
「イエス!!マム!!」
勢いよくそう言うと、ポチはバビュンと棚の方へと走っていった。
いや、この6畳の部屋でそんな突っ走ったら、確実にどこかぶつかるから…と思っていたら、案の定だ。
親指を棚の角にぶつけて、もんどりを売っている。ほんとこいつ、阿保だ。
私はそんな阿保を尻目に、冷蔵庫からある生物兵器を取り出す。
そう。今まで数々の外国人を打ちのめし、「ファッキン スメル フード」だの「ディス イズ ファザーズ フット」だのと散々ディスられて来たであろう、あの食べ物。
………納豆だ。
私は意地悪く微笑む。
昨日麻婆を美味い美味いと食べていたポチだけど、流石に納豆には勝てるまい。
ポチよ。これが、日本だ。この世界には、優しさだけが溢れているわけじゃあ無いのだよ。
ポチの持って来た皿にご飯と味噌汁をよそい、食卓に並べる。もちろん、バックに入った納豆も合わせて。
「うわぁ〜〜。んまそ〜〜」
ポチは目を輝かせながら、味噌汁と納豆を見ている。
ふふ。これからさ。これからお主は、納豆の洗礼を浴びることになるのだよ。
「ええと、ええと。いただきまぁ〜す!」
覚えたばかりの日本式の挨拶を大きな声で唱え、ポチはまず味噌汁に口をつける。
「んんん〜〜〜!!!」
たまらん、と言った顔で白米をかきこむ。こいつ、味噌汁と白米のベストバランスに、既に気づいていやがった…。なかなか侮れない男だ。
「んまい…。セナの作る料理、すっげえ美味いよお」
ハホハホと幸せそうに白米をかきこむ姿を見て、私の胸に少しだけ罪悪感が走る。
…いや、でも。私は頭を横に降る。
ポチには今のうちに、人生の酸いも、甘いも、ついでに臭いも教えておかねばならぬのだ。
人生楽ありゃ臭みもあるさ。
私は黄門様の力を借りて、自身の罪を正当化した。
味噌汁を一通り堪能したポチは、ついにその隣の生物兵器へと手を伸ばす。
くるぞ……くるぞ……!!
からしと醤油を加えてよく混ぜられたそれを、ポチはゆっくりと口に運ぶ……。
「……ん!!」
ポチは、カッ、と目を見開いた。
「……これ……」
次の言葉を、私はジリジリとした気持ちで待つ。
…ポチの口から発せられたのは、意外すぎる一言だった。
「あーーーーこれ!!これ、ビスマルド王国の食べ物とめっちゃ似てる!!うん。懐かしい味!!」
ええええええええええええ
私は衝撃と敗北感から、思わず机に突っ伏してしまう。
「あ、あんた…。ビスマルド王国ってのは、どんなやばい王国なの…」
ポチは相変わらずニコニコと笑いながら応える。
「んー?んーっとな。基本、ずーっと戦ってる国だったから、全然食べるものとか無くてなー。腐ったものでも、口に入れられればそれだけでありがてーって感じだったよ。」
ポチは、もぐもぐと口を動かしながら無邪気に応える。
……うん、ごめん。私が悪かったわ。
「……ポチ。ごめんよ」
「えー?なになに?なんで急にセナが謝ってんだよおー!」
あはは、と気持ち良く笑うポチ。
この現代社会という名の戦場で薄汚れちまった私に、その笑顔はひたすら眩しかった。
こいつに何か美味いものを買ってやろう。私はただただ、そう思った。
◇ ◇ ◇ ◇
「うおおおおおお!?なんだこれなんだこれ、なんだこれええ!!」
スーパーマーケットに一歩足を踏み入れると、ポチは歓喜の雄叫びを上げた。
「すげえ…!!なんか、美味そうなものがいっぱいある…!なんだこの赤いの!?あっ、この白いのも!!」
「わーかった!わかったから、そう興奮しないの。ポチ、あんた今日なんか食べたいものある?仕事も休みだから、なんか作ってあげるよ。こういう物が食べたいとか、ある?」
おおーー!!と歓声を上げて、ポチは目を輝かせた。
「うーーんと、うーーんとな…。でもでも、セナが作るものは何でも美味いからなあ…。うーーーん、強いていうなら…。なんか、フワーッとした、かつ、モターっとした…」
「めんどくせ。パリッとカチッとしたものにしようっと」
「俺に聞いた意味!?でもまあ、セナの作るものならなんでも美味いからな!セナはなんたって、魔法使いなんだから。」
ポチは鼻歌を歌いながら上機嫌だ。
……魔法使い、か。全然、そんな大したものじゃあ無いのだが。
ポチのよくわからん鼻歌に誘われて、私も少しだけ鼻歌を口ずさむ。
久しぶりに、ちょっと良い気分で、食材を選んでいたーーーー
……その時、だった。
私のちょっとした幸せな気分は、一瞬にしてガラガラと崩壊した。
目の前に、最悪な人物が姿を現したのだった。
「あら、田辺さあーん!偶然ねえ、こんな所で会うなんてえ!」
その最低最悪の人物は、甲高い声をあげながら私の方へパタパタと近付いてくる。
「お?セナ、あの人知り合いか?」
ポチはキョトンとした顔を私に向ける。
当の私はといえば……手のひらを、ぐ、と強く握りしめていた。
「……まあ、そう、かな。」
私は、声を振り絞る。
「知り合い、かな。……会社の、人」