1:逃げ帰った男
初稿から数ヶ月、推敲しすぎて自分でもよくわからなく煮詰まり過ぎたのでリリース
あぐらをかいて座っている、全身から迫力が滲み出ている爺の前で正座して、男が頭を下げていた。男がパーティを追放された、と報告した昨日の事。
「お前、本当に追放されたのか?逃げたんじゃねえか?」
「!」
恥ずかしくて男は俯いた。
「虐めってのはな、追い出したりしねえもんだ」
「なんで」
絞り出した男の声は続かない。爺は続ける。
「追い出して被害者がいなくなりゃ、次の被害者を用意しなくちゃいけねえ。次の被害者になりそうな目のある奴にはたまったもんじゃねえな?だからお前を追い出すわけがねえ。追い出せって声に追従しつつ、何かとお前を助けよう残そうとする筈だわ。あとパーティみたいな少人数だとな、お前が抜けた後の人間関係によっちゃ、今虐めてる奴が虐められる側になる可能性だってある。今の被害者を生かさず殺さず、じわじわいたぶるってのがそういうゴミクズの遣り口なんだよ。だからお前が逃げて、そいつらの方が案外困ってんじゃねえか?」
爺は薄く笑った。
「いいか、逃げた事を恥じるな。逃げなきゃいけない場合もある。大事な弟子が黙って耐えてる位なら逃げろって言うし、ていうかそいつら全員殺してお前を連れ出すわ」
男は顔を上げる。怒られると思っていたので少し驚いたのだ。
「だがなあ、気にくわねえ。お前がダメ扱いされたってことだろ?」
爺の顔が赤い。怒ってるすっげえ怒ってるよ。男は慌てて頭を下げ直した。
「ワシが十年鍛えたガキが」
爺が杖で男の頭を小突く。
「たかが勇者とその取り巻きに」
爺が杖で男の頭を強く突く。
「使えない奴だと思われっぱなしなのは癪だなっつうこった」
最後に爺が杖で男の頭をぶっ叩いた。ぎいいいいいん。金属同士がぶつかる音。痛みのあまり男は頭を抱えて悶絶した。悶絶で済んでいるとか金属音とか不思議。
「実力があっても人前で発揮できないんだよな。よし、二度とそんな事ならんよう、鍛え直してやっか」
男は悟った。師匠のところに戻ってきたのは大失敗。けど帰るとこって言えば師匠なんだから仕方ない。
それが昨日のことで、日の出前から修行が始まっているのだが、爺がずっと変な顔している。
立って数百合打ち合い、森の模擬戦で森の一角を斬りまくって消滅させる爺を男は観察した。首を傾げて何か言おうとして躊躇っている、そんな感じの爺。もう十年も一緒なので、男は師匠の心の機微、逡巡がわかった。なので模擬戦を中断して男は立ち止まる。同じく立ち止まった爺の顔を見つめて、男は覚悟を決めて問いかけた。もしかして、俺、なんかヤバいんでしょうか?と。
「おかしいなあ?お前十分化物じゃねえか」
しかし爺の感想は真逆。お前、ちゃんと国一つ滅ぼせるくらいに強いな、だった。逆の意味でヤバい。
「褒められても嬉しくないですよ。まだ師匠に当てるのも難しいし、隠れても直ぐ見つかるし」
「そうそうワシに当てる奴ぁいねえよ。難しいって言いながらホイホイ当ててくんじゃねえかお前。あとな、言ってないがお前クセあるからな、ここら辺だ、て勘でやっとるだけ」
「はあ」
「旅に出る前の迷いも消えとる。一番弟子を名乗ってもいいくらいに出来上がってんな」
爺は不思議に思った。このレベルなら大概の人間、魔獣、勇者、魔王、邪神程度に遅れをとるわけがない。そういう無茶な育て方を十年続けて、ようやく外に大魔王が出ようが邪神がでようが大丈夫と思ったからこそ爺は男が外に出る事を許したのだ。つまり爺は突き抜けた親バカ。バカ親か。
改めて爺は気付いた。男が経験積んでようがなかろうが、それこそ右腕一本で普通の勇者なら文字通り粉々に出来る男だ。コイツを虐められる奴いんのかな?まだそんな怪物がいたのか人里に。すこしワクワクしてしまい慌てて首を振る爺。そんな男を追い出したり逃げ出したくなる程虐待するとか、どんな奴なんだだ。何考えているんだろう、と爺は首を捻った。
その後あらためて一通り稽古というかシゴキを済ませた爺だが、まだ朝も早い。久方ぶりの稽古でソワソワしていた爺は、日の出前から男を連れ出していたのだった。年寄。爺も男も朝も早くから汗だくで泥まみれ。爺は久方ぶりに泥に汚れた服を見て微笑んだ。
思えば男を育てて十年。男に初めて一本とられたあの日から、爺は自分が師匠であることを忘れている。男に教え教えられ、爺は自分が益々強くなっていくのを実感していた。男が旅に出てからはそれが無くなって寂しかったが、久しぶりの稽古でまたそれを感じたのだ。
「さて、腕がなまってるわけでもなきゃ、どっか怪我してもいねえ」
「はい、師匠のおかげで比較的安全に過ごす事ができました」
「比較的」
「まあたまに危ない時も。魔法使いの子に殴られ続けたり」
「そうか」
旅に出て、出てくる魔獣もそれほど危なげなく倒す事ができ、さらに戦闘後疲労困憊の仲間たちに比べて息一つ乱れなかった男は師匠に感謝が止まらなかった。爺は本当に凄い化物である。
一方で爺は、やはりイジメがあったのかと嘆いた。魔力優先で非力な魔法使いにすら殴られる立ち位置かよ許せねえな。本気の怒気が噴出しそうになり、慌てて爺は深呼吸した。
「うん、追い出されたとしか聞いてないが」
「はい。すいません」
「いやもうそりゃいいよ。あまり良い気分になれんが、詳しく聞かんといかんのかもなあ」
もう何十年も住んでいる小屋に戻ると、爺は汗だくの稽古着を脱ぎ捨てた。しかし男が黙って脱ぎ捨てた稽古着を眺めた。お互い無言が数秒。気まずくなった爺は稽古着を渋々と拾いあげ洗濯籠に叩き込んだ。
男がにっこり笑って部屋着を差し出す。爺はそれを受け取り着替えた。半年ぶりのいつもの流れ。ああ、弟子が居ると面倒だけど楽。これが堕落か。爺は座り、男を促して爺の正面に座らせた。男の話を詳しく聞く事にしたのだ。
既に男は一端の強者。そんな強者だからこそ人間社会で生き辛い事もある。爺自身も覚えがあり、弟子が複雑な人間関係に耐えきれなくなるかもしれない、と怖れはしていた。なにせその人間社会から逃げた自分が育てたのだから。
だが男は若い身でもあり、社会に疎まれた自分とは違う。男にも社会にも期待していたのだ。それが上手くいかなかった理由を知りたい。場合によっては王国を、いや人間を滅ぼす必要すらある。爺はじっと男を見た。爺の思いが大変に重い。知らない間に人類の危機とか。
男は喋りにくそうにはしていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「王宮の人が師匠を迎えにきて、俺が代わりに行くことになりましたよね」
「ああ、切羽詰まってワシんとこに来るとは、王国もやべえんだな」
「毒くらわば皿までとか言ってましたもんね」
「ワシ、皿なんかね。毒なんかね」
ぼんやりと思い出す二人。そこ掘り下げる必要無い。
「それで旅に出るとなって、師匠は剣を使うな、と仰いました」
「お前が不用意に剣振るうと危なすぎだろが。過分な実力は周囲に迷惑」
「だから、手ぶらで、着の身着のままで出発したわけで」
鎧だって二人には不要だ。爺や男ほどの技量と力を身につけた者にとって鎧など、動きを妨げるものですらない。軽いパンチ一発で砕ける鎧など何の意味があるのか、てとこだろう。ぶっちゃけ剣も不要。
「パーティの集合場所に行ったら、手ぶらで何しにきたって勇者の男に言われまして」
「まあ、普段着ならそうなるか」
「師匠に言われて来ました、て答えました」
「ふんふん」
「剣は、魔力は、て聞かれて、使えない、と」
「ふんふん」
「魔力も同じだろうな、と思って。頑張って抑えないと魔力放出だけで街ごと吹っ飛びそうで。いや都っていうんですかアレ?まあともかく両方とも使えない」
「相変わらず薄っぺらいか。稽古すると壁とか崩れんだよなあそこの建物」
「そうですねえ。あれじゃ稽古できないっすね」
一応、王の住まう都であり、世界でも有数の堅牢な城壁が自慢の王都だ。紙製じゃない。常識の無い化物二匹の会話であり、誰も正常な判断とツッコミが出来ない。残念。
「で、呆れられまして。何が出来るんだと言われたから、一通りできるし料理とかもできるよ、洗濯もね、師匠の稽古着とか俺が全部畳んでるんだぜ、て答えて」
「そうだな、いつもありがとうよ」
「いや師匠は自分の事は自分でしてください」
「めんどいんだよ」
「俺が面倒だから。まあいいです。それで、勇者君に荷物持ちやって、と言われ」
「へえ。え?お前わざわざ半年も、荷物持ちやったの?」
爺はポカンとした。思ってたのと違う。使い方を間違えると国すら滅ぶと恐れられる大剣王の弟子がわざわざ荷物持ち?それこそ使い方間違ってるよなあ。
「はい。荷物持ちを。長旅だし、パーティの皆も荷物抱えて戦えないって言うから」
そうしてパーティの五人目に加わった男は、他の四人分の荷物持ちとして旅に着いていった。他のメンバー、つまり勇者と名乗る青年、魔法使いの少女、僧侶の少年、そして全身鎧ゴリラは、はっきり言って弱すぎた。怪力オーガとの力比べに負ける、一瞬で獲物の首を刈り取る首狩り兎の集団にあたふたして、首を狙われても動けない。人間以上の存在が死して変化するアンデッド、リッチの狡猾な罠に簡単に引っかかってしまい、バンパイアの軍勢に囲まれて泣く。そもそも男の料理に含まれた致死量弱の毒に倒れて動けないのだ。男は本気で呆れつつ、それでも毎日瀕死で必死に旅を続けようと頑張る仲間たちを見守った。
「料理に致死量入れたって言った?」
「まあほんの少し、死なない程度ですよ」
爺の質問に男は答える。文字通りギリギリ死なない程度まで入れちゃったか。爺は気が遠くなるのをこらえた。なお男は爺が指示する通り致死量の二倍毒入りを食べていたので何がおかしいのかわからなくて、そのまま話を続けた。
「とりあえず逃げる程度の知性はあったんで、まあガンバレって思いながら毎日見てました」
「見てたんかい。手伝わなかったのか?」
「足手纏いだ邪魔するな、と言われていたので。代わりにお茶とか用意してましたねえ。誰も飲みにこなかったので自分で飲んでましたけど。あ、拍手とか合いの手とか。それに実況解説ごっこもしてましたか」
爺は黙って天を見上げる。それ嫌われて当然じゃねえかな?
「戦いの後にテント張って、火を起こして料理を作って食べさせたら倒れて寝ちゃうし、寝ずの番はやりましたよ。気い使いながら夜は修行して。あ!師匠!ドラゴンのお肉が美味しいって本当だったんですね。食べてあんまり美味しいからビックリしましたよ」
「え、なんでそんな話?」
男の話がいきなり飛んだ。
「いや、夜襲ってきた中にドラゴンがいて。寝てる勇者一行に夜不意打ちしてきたんですよ」
「ほう」
「みんな第一魔王て叫んで気絶しちゃって、朝覚えてすらいなかったっていう」
「魔王かよ!」
その第一魔王がですね、本当に美味しかったんですよ。肉をほぐすため、わざわざ殴りつづけただけあって大変ジューシーでした、と男は良い笑顔で宣った。別に一発で殺れたのに第一魔王が命乞いするレベルで甚振って肉を柔らかくしてから、そこら辺の木を引っこ抜いて口から尻にぶっ刺して、丸焼きにして塩振って食べたと言う男。めっちゃ美味しかったんですよ〜師匠の言ったとおりでした〜アレ食ったらもう普通の肉には戻れないですねえ、と男が続ける。爺もいつの間にか涎を押さえられない。男は本当に良い笑顔でその美味なる味わいを口にし続けた。ちなみに爺はレア好みっぽく、焼きミスで固くなった肉の話で舌打ちした。
「なんだよワシも呼べよ」
「いやですよ。師匠全部食べちゃうでしょ」
「食べねえよ」
それで肉の話は終わり。いや魔王の話だったか。
「それじゃお前、第一魔王に目えつけられる位には活躍したんだな」
「いえ。皆のレベル上げの一環として喧嘩売ったんです。こっちから」
「はあ?」
「皆にも同じ顔されましたよ。強くなるため魔王を倒す。当たり前でしょうが」
当たり前ではない。爺から、喧嘩売った事は皆にも伝えたのか、と問われた男。
「勿論」
「いや当たり前じゃねえぞ?」
「そうなんですか?」
「あ、いや、そういやワシもやった事あんな。言えた義理じゃねえか」
「でしょ?師匠の話ちゃんと覚えてますからね俺。天下の勇者さまご一行がお前たち邪悪を討つ、とか、夜デスナイトとかを捕まえてですね。一匹生かして背中に他のデスナイトの血で書いて逃して。師匠の話通りで。すっげえ上手くいきましたよ」
犯人ワシだった、と爺。男は幼い頃聞いた爺の自慢を思い出し、真似したのである。
「まあ皆にはそこまで細かくは伝えてないですけど。そんな暇もなく第一魔王来ちゃいました」
やっぱり良い笑顔で男は続ける。
「だいたいですね。荷物は俺、料理も俺。洗濯も俺。夜の寝ずの番も俺。ずっと戦っていられる、ベストな状況じゃないですか。だからガンガンけしかけて、皆のレベルが上がるのを、ガンバレって見てました」
「拍手しながら」
「いやそれだけじゃないですよ。荷物番したり、お茶用意したり。拍手したり実況したり。まだ無理だろうなていう奴を間引いたり、疲れ具合で俺が殲滅しましたよ。師匠がやってた通りとはいきませんでしたが頑張りました!」
あっけらかんとする男である。凄い良い事したと信じきってる。おそるおそる「疲れ具合」の判断基準を聞いたら案の定、全員意識失ってぶっ倒れたら、と答える男。確かに爺も男を鍛える際、ぶっ倒れるまで魔獣をけしかけたりするのが日常茶飯事だった。
男は爺の修行レベルでしかものを考えられない、と爺がやっと気づいた。そりゃ、それしか知らないから当然の話である。
「明日、菓子折りもって謝りに行かなきゃな〜」
「師匠どしたんですか」
「いやなんでもない、続けてくれ。そう、追い出された時のことだ」
男は途端に顔色を変えて黙り込んだ。しかし考えてほしい。普通に追い出される事してるからねコイツ。
なんか今言った以上の事をやらかしてるに違いないのだ。聞きたくないけど。仕方ねえ、どうしても聞かせてもらうぞ、と頑張ってた爺が目力を込めて睨みつけ、ようやく観念した男が口を開いた。
「第四魔王のお城でですね」
「待て。第二と第三は?」
爺の質問には別の意図がある、と本能的にそれを察した男。
「第二は美味しかったですが、第三は、やっぱ殻とか面倒でしたね」
「そっかあ」
爺は天を見上げた。そうじゃない。けどやっぱり食べたんだな。一体どんな味だったかは気になるが今は我慢。
「それで、第四魔王のお城で、いいですか続けて?」
「続けて」
「慎重派だったのか手紙送ろうが側近の首を送ろうが何の反応も無く逃げたのかって言うほどリアクションが薄くて」
「側近の首?まあいいや、続けて」
「仕方ないので皆と一緒に城に乗り込んだんです」
「そりゃ三匹も魔王倒せば皆乗り気になるだろうな」
爺は少し安堵した。そもそも仲間のレベル上げが目的で魔王に喧嘩ふっかけてるのだ。三匹、いや三柱も倒せば勇者たち仲間の信頼も上がるだろう、男の事も見直す筈ではないか。
「いえ、全然乗り気じゃなかったので、夜寝てる間にこっそり荷物ごと転移して、朝一で説明しました」
「誘拐!うわ!犯罪かよ!」
「略取です!誘って断られたんで!」
「犯罪!それも犯罪!」
爺の頭痛がますます痛い。
確かに言われてみれば爺にも記憶がある。まだ幼い男が寝ている隙にマンティコアの巣に放り込んだ事あるなワシ。幼い、確か十歳くらいだっけ?男の悲鳴と泣き声と魔獣の唸り声を聞きながら、いつ想定外が訪れてもいいように視界の外で待機しつつ、強めのマンティコアは念力で首をねじ切ったりして、男が巣を殲滅しきるまでじっくり見守っていた事を覚えている。爺の方が重罪だと思われる。
しかしなあ、一般の人にそれはアカンでしょう、と爺は首を振った。いや勇者様ご一行様なんだっけ。じゃあいいのかな。いいのか。いいな。よし。爺は色々わからなくなって、人はそれを状態異常「混乱」と呼ぶ。
「それで泣き叫ぶ勇者をワンパンで黙らせて」
「へえ」
「僧侶の子は失禁してたのでやっぱりワンパン入れて」
「へえ」
もう呻くことしか出来ない爺。いや爺だって今朝、気合代わりと結構男の腹にグーパン入れてるから、そこは気にしてないだけか。
「魔法使いの子にはボッコボコにされて」
「え殴られたのお前?」
今までの流れで、これを殴れる魔法使いって怖くね?と思う爺。そうか、魔法使いの子はコイツの抑え役だったのかあ。爺は今朝方の話に納得し、怒ったりしてゴメン、とまだ見ぬ魔法使いに謝る。
「まあ。それで予定をですね、伝えたのですが」
「ちなみにどんな予定」
「最大三週間程城に篭もって敵を殲滅しつつ、魔王を探索、発見次第討伐の上実食というものでした。いや城がすっげえ広くて、多めに余裕とってですね。ですが全員の反対にあっちゃって」
そしてようやく話の核心にいたった男は何かに耐えるように俯いた。
「その場で追放されました、というかアンタなんか大嫌いてビンタされて」
「魔法使いの子だな」
「顔も見たくない、出てけ!って」
男が涙を零す。それ追放じゃないよね、フラれてるよね。
「皆からも消えろって言われて。俺頑張ったのに、師匠の代わりって頑張ったのに」
お前何言ってんだ、と爺は怒鳴りかけたのだが、男の言葉に気づいた。男がやったことは爺の修行そのままだ。男にはそれが普通、当たり前。悔しいんだ。爺の狂った教育方針ではなく、その教育を実践した自分自身が何か間違えていると、恐れ悩み恥ずかしく悔しいんだ。爺の期待を裏切った自分が悔しくて泣いているんだコイツ。
うわやべえ、完全にワシの責任じゃん、と爺は顔が青くなる。
コイツ、ワシの地獄の修行に気づいてすらいなかったのか、と爺は思った。拾った七歳児を十年間地獄の修行に叩き込んだ爺が思うことじゃないが、気づかない男もどうかしてる。いや、そもそも男は外の世界を全く知らないのだ。男がそんなこと気づかなくて当然だ。やっと色々気づいた爺の顔はどんどん青くなる。
爺は根本的な原因に思い至った。やっべえ、コイツに普通の常識、教えて無えわ。
普通の十七歳はワイバーンの群れだろうがオーガーの群れだろうがアンデッドの軍勢だろうが片手で倒しきったりしない。最高難度の大陸間転移魔法を美味しい肉探しに使わない。回復魔法を常時体に巡らせ消し炭から再生できたりしない。首狩り兎の一撃を髪の毛切るために使わない。そして魔物に肩食いちぎられたら普通に死ぬ。それは訓練もせず怠けてるから死ぬんじゃない。人間の限界を超えられず、出血性ショックで死ぬのだ。我慢できるレベルじゃない。そういう当たり前な事実、常人と化物の違いを詳しく教えて無かったな、と爺は気づいた。あらためて考えたらヤバい。人里に下ろした判断がそもそも間違ってる。
息子のように思い、息子のように鍛え、文句はそりゃもう大量に吐かれたが、男はそれを実践してここまで来た。爺がうっかり人間社会と隔絶した場所で人外の鍛え方をしていたのが問題なのだ。人間社会や人間の限界とか知らない、狂った価値判断を持つ男は悪くない。
下手したらまともな常識どころか、人間は普通ナイフで刺されたら死ぬ、ていう常識から知らない可能性が高い、コイツの場合。
なんだかんだいって、コイツが親であるワシの言うことを聞く、素直な子供に育ってくれたのは嬉しいことだ、そう思うことにしよう、そう思うしかない、ポジティブに考えよう。レッツ、ポジティブシンキングだ。状態異常「混乱」で段々壊れてきた爺。爺は男の肩に手をおいた。
「いや、お前は悪くないぞ。いや悪いんだけど。ワシの教育が悪いっつうか、それが最善と思ったお前は悪くないし、それで逃げた仲間も悪くないんだよ。人間の精神って、普通は限界があるんだよ」
爺は明日菓子折りと御見舞い金を持って王の下を訪れる事を決めた。あと金を持ってコイツにつける家庭教師を探さなければならない。教科は常識。常識だから誰でもいい。コイツに耐えられるなら誰でもいい囚人でも。どっちかというと万一に備えて死刑囚の方がいいかもしれない。
それか無理なら王都に家でも借りて引越し、ワシが男に常識を教える必要があるな。無理かもしれない。しかしこの息子のためなら是非もない。そうだポジティブだ。久しぶりの都会暮らしだ。うわ嫌。ポジティブの隙間から本音が漏れる爺だった。
男は肩を叩かれ、慰められ、自分が悪いわけじゃないと言われてやっと、いつでも本当は優しい、この親代わりの化物こと師匠に失望されなかったと安堵した。
ようやく本題に入る契機をつかんだと判断する男である。
「師匠。俺、それで転移で帰って来ちゃったんです」
「うん」
「あいつら、魔王城から動けもしないのに」
「ふむ」
「死ぬかもしれないのに」
「へえ」
「多分結界魔法で隠れてるんですが、俺、敵扱いされて探知できなくなっちゃって」
「そりゃ」
「それが昨日で。あと一日くらいで全滅すると思うんです」
「なんと」
「面倒なんで第四魔王だけ食べて放置していいんでしょうか」
「いやいや」
「けど少年なんか本当に弱くて、心配で放っておけなくて」
「そっか」
「けど大嫌い、顔も見たくないって言われてて」
「うんうん」
「どうしていいか分からなくて、気づいたらここに転移で帰ってました」
「ほお」
「師匠、俺はどうしたらいいんでしょうか」
「うむ。そうだな」
爺はゆっくり立ちあがった。
「そういう大事なことは昨日言え!」
そして、渾身の力で男の頭に拳骨を落とした。ダメ出しも当然。