三題噺 「空気」「ファミコン」「壊れた世界」 :悲恋
「世界が壊れていく気がする」
少し感傷的になった彼は、私によくつぶやいた。私はその度にこう返す。
「この空気さえあれば息はできるよ。だから、世界が壊 れても一緒に居よう?」
彼にしかわからない私の笑みに、彼も薄く笑った。2人は肩を寄せ合って、流れる雲にそれぞれの思いを馳せた。
彼とは小学校からずっと一緒だった。小さな街で、小学校も中学校も1つしかなかったから、自ずとそうなったのだけど。
彼は社交的な人だけれど、変に愚直で、薄いコンタクトの鎧で自分を必死に守って、「誰かのいちばん」になれない人だった。私は孤独を愛し、眼鏡越しに世界を見ていたから、呼吸をする如く嘘を吐けた。でも…いや、だから、「あの人のいちばん」になれなかった。
どこか変わった2人に流れる空気は不思議と暖かで、乾いていた。そんな素晴らしい空気の中で、2人はほんとうの呼吸を始めた。
やがて2人は中学校を卒業し、地元の自称進学校に入学した。2人の空気は変わらず暖かく乾いて、少し変わったことと言えば、彼が感傷的に世界を憂えるようになったことだった。
テスト前で部活がないのをいいことに、2人で2駅先の商店街を覗いたことがある。―何かを変えようとはしない癖に既存の体制に反発を抱くところは、数少ない2人の共通点の1つだった。テスト前の、軍隊のように、見えない圧力に動かされている雰囲気が嫌いで、ささやかに、逆らってみたのだ。
閑話休題。
古ぼけたショーケースに彼がファミコンを見つけて、物珍しくて2人で眺めた。曇った硝子の向こうのファミコンは、埃をかぶって街をゆく人々に忘れられながらも誇り高くて、思わず2人して拝んだ。柏手の音がぴったり揃って、笑ってしまった。
なんて幸せな瞬間だったか!
でも、私は自身の手でその煌く硝子細工を壊した。
「あのファミコンは、ショーケースの王様だったね」
帰りの電車で、私はぽつりとつぶやいた。電車は、温かく乾いた2人を乗せて夕日に向かった。
「世界って、自分の事なんだね」
最寄りの駅に電車が止まって、彼は「ああ」と低く詠った。
それから、何事も無く日々は続いていくはずだった。
「壊れていくのは、俺だった」
彼が放った言葉に、時間が止まった。しばらく沈黙が続いて、あの日のあの言葉に思い当たった。
「ああ、私、変なこと言ったね」
壊れた硝子細工を何とかしようと、必死で何かを探す。
なのに、彼は優しく微笑む。
「あれは、俺の答えになった」
去って行った彼を追うことはしなかった。追えば「あの空気」は息苦しく湿ってしまう。なによりそれが怖かった。「待って」とただ一言が言えないのが苦しくて、辛くて、彼と出会ってから初めて泣いた。
翌日、地方面の小さな新聞記事と机上の花瓶で彼の結末は片づけられた。遠巻きなクラスメイトとあからさまに気を遣う先生には特に何も感じなかったけれど、なぜか息が苦しくて、休み時間に学校をこっそり抜け出して電車に乗った。
2駅先のいつかの商店街に着いて曇ったショーケースを覗くと、はたして、ファミコンはあの日のままに誇り高くそこにあった。そこにはまだ空気がある気がして、縋るようにしばらく佇んでいた。
これから始まる果てしなく息苦しい日々を想って、また、涙が頬を伝ったけれど、拭う気にもなれなかった。